二回
〇三章,激動の末に・上/二回
フウラは道中で精霊に道を尋ねながら、一人北へと足を運んでいた。
水の神殿は、魔族達の襲来という形で壊滅的な打撃を受けた。
共に住んでいた妖精達のほとんども息絶えていた。わずかに生き残った者達は、今までにない襲撃に心を挫かれたのか、水の神殿を離れていった。
行き場のない者、神殿から離れることを名残惜しむ者ばかり、数名が留まった。
フウラは彼等に神殿の後のことを託し、一人旅立つことを決意したのである。
まず目指す場所は、水の神殿より北にある光の神殿。そこにはフウラと同じく、神殿を守護する者達がいると確信していた。
神殿から出たことのないフウラではあるが、断言できる一番の理由は、神殿同士の交流があったためである。
そうでなくとも妖精は精霊崇拝の強い種族が多いと聞かされていた。
人間も自然崇拝、精霊崇拝が行なわれているものの、妖精の比ではないらしい。
精霊の聲を聞くことができるということもあるだろうが、人間と妖精との間で起こった戦争での影響が強く、崇拝信仰を分け隔てたらしい。
そのため他の神殿に赴くということに、抵抗も恐れも疑問もなかった。
向かうべき神殿は、既に目前に迫っていた。警備と思われる男が二人程、門前で厳しい面持ちで立ち塞がっている。門番はドワーフと、フェアリーだった。
射抜くような眼差しと、威風堂々とした立ち振る舞いで、フウラは彼等の前に歩を進めた。
門番達は若干怯みながらも、訝しそうに槍を交差させて、フウラの進行を妨げる。
「なんの用だ」
「お通しなさい。私は水の神殿の長であり、巫女のフウラです。光の神殿の長、エンサ様にお目通りしたいのです」
フウラは光の神殿の長の名を口にした。
神殿にはそれぞれ最低限度の情報交換が行われていた。
さすがに各々の神殿を守り通すだけが精一杯であるため、魔物討伐のための助力を請うことは願えなかったけれど。
ではなんのための情報交換かと問われれば、一つは誼を繋ぐため、二つは魔物や妖魔等の知識を互いに深めるためである。
風土によって魔物の種類や特性は変わるけれど、なにも土地柄にあった存在ばかりが出るとは限らない。
特性や種類を知れば、ある程度の対処法も見つかる。
魔物達が神殿を襲う理由が明確ではなく、ほとんどが対話できるほどの知能を持っていない以上、打ち払うことが優先される。
それが各々の命を守ることにも繋がるのだ。
とにもかくにも、それぞれの神殿を守る長の名は情報と共に知れ渡っている。
フウラがすんなりと、エンサの名を口にできたのも、そのためだ。同じく光の神殿の者達にも、フウラの名は知れ渡っている。
門番達は渋面になると、わずかに互いの顔を見合わせた。
名は知っていても、どのような容姿であるか知らない者がほとんどである。その上従者らしき姿が、一人もいない。
けれど水の神殿の長と名乗っている以上、無下に扱うこともできずに当惑している。
「少々お待ち下さい。確認を取ってまいります」
門番の一人であるフェアリーの男が、慌てた足取りで神殿内へと入っていく。
暫くしてフェアリーの青年が、ピクシー族の女を一人伴って戻ってきた。
ピクシーとは、手のひら程の大きさで、背中に昆虫の羽根を持った種族である。
「私はヤルンと申します。フウラ様、ここから先は私がご案内しますわ」
ピクシーの女、ヤルンは一礼すると羽をはためかせて軽やかに反転する。
離れ過ぎず、近過ぎず、一定の距離を保って飛行しながら先を進む。
案内されながら、フウラは神殿内を見渡した。
光の神殿という名の如く、そこかしこから日差しが入るよう、窓の造りに細工が施されているようだ。暖かく、柔らかく、時に力強い日の光。
嫌なことを少なからず忘れさせてくれるような、落ち着きを伴っている。
刹那、案内人のヤルンは止まった。フウラもそれに気づき、足を止める。どうやら場所は神殿内の奥、中央付近の部屋であるようだ。神殿を見渡しているうちに、辿り着いていたらしい。
「ここがエンサ様のお部屋になります。エンサ様、フウラ様をおつれしました」
「ご苦労、下がっていいぞ」
ヤルンはフウラへと一礼すると、飛び去っていった。
残されたフウラは戸に手をかけて、ゆっくりと開けた。
視線の先には、光を敷き詰めたように明るい部屋の中で、執務に取り組む初老の男がいた。
種族によって異なるが、純血の妖精は長寿の者で、千年前後を生きるという。
これもまた一概には言えないけれど、初老の姿をしているということは、かなりの高齢だと知れた。
生れ落ちてようやく二十に届くか届かないかというフウラに比べると、貫禄や威厳などに大きな隔たりがある。
侮れぬ相手ではあるが、逆に言えば様々な知識や経験を持ち合わせているだろう。
それは時に、柵となる。
これから話をする事柄において、優位に働くかもしれないとフウラは考えた。
「このような姿で申し訳ありません、フウラ殿。この度はこの地まで、お一人でのご足労いかがなさったのですか」
エンサは非礼を詫びながら、朗らかな面差しを向ける。
ただし瞳には、どこか値踏みするようなものが見え隠れしている。
容姿は使者からある程度知らされてはいるだろうが、直接的な面識は一度もない。
相手が本当に水の神殿の巫女なのか、名を語る不埒者なのかを見極めているのかもしれない。
「水の神殿が、魔族率いる魔物の軍制により、ほぼ壊滅状態に陥りました」
疑われる可能性は高いため、多少の不快感を無視して単刀直入に告げた。
エンサは驚きを隠しきれないように、眉を跳ね上げる。
「なんと! それでは貴女様は、そのことを伝えに、みずからお越し下さったのですか」
「はい。その上で、ご提案と交渉をさせていただくために」
フウラは断然と、主張を向ける。
「……ではまず、水の神殿で起こったことを、お聞かせ願えますか」
エンサは促した。小さくフウラは頷く。
神殿に妖魔や魔物が襲ってくるということは周知の事実である。
それらとルアスが混血児だということを伏せて、彼等が水の神殿へとやってきたことから説明を始めた。
ルアスを人間としておけば、後々好都合だったのである。
水の神殿ウンディーネを召喚するはずが、中途半端にフィニアの身に宿り、意識を失ったこと。
神聖を冒す者として、同時に魔物達に肩入れする疑惑者として、一時的にシェイドとルアスを監禁したこと。
間を空けて、魔族と妖魔が魔物の軍勢を率いてきたこと。
腹心のナリスや大勢の同胞達が死に至り、壊滅的な打撃を受けたこと。
しばし魔族とルアス達は争っていたものの、ルアス達は白竜に乗って去ってしまったこと。
魔族も、どこからか来た人間達と戦闘後、ややあって姿を消したこと。
できる限り私見を挟まずに、見知ったことを包み隠すことなく伝えた。
語り終えると、エンサは事実とルアス達の存在を、どう解釈すべきか戸惑いを覚えたのか、小さく唸る。
種族間の戦争があってからというもの、妖精と人が、共に手を携えているということだけでも驚きではあるが、白竜と共に去ったという事実が、にわかに驚きを隠せないようだ。
フウラは答えを待つように、エンサを直視する。
彼女の視線の意味を掴みかねながらも、エンサは応じる。
「フウラ様は、どうお考えなのですか」
「私はあの方達を、魔を討ち滅ぼすために人と私達が手を取り合うようにと、召し使った者だと考えます」
「それは神の使いとされる白竜と、共にいたためですか」
淀みなく答えるフウラに、エンサは問いを重ねる。
白竜と共にいた。エンサは半信半疑のようではあるが、嘘ではない。
神殿を立ち去るとき、白竜が姿を現し、ルアス達を背に乗せていた。
それまで白竜の存在に気がつかなかったが、見間違えるはずがない。
今も、しっかりと脳裏に焼きついている。
「その通りです。だからこそ私は、人と妖精とが手を携えるための先導者として立つことを、お許し願うためにきたのです」
言外に、他の神殿の長にも協力を得るつもりなのだということを仄めかす。
神殿の長になるには、必要最低限の高位精霊を扱えること、もしくは統率する上での決断力を求められることが多い。
当然能力に個人差はあるが、神子、巫女と呼ばれる各神殿の長達は立場的に同列である。
その上に、フウラは立とうとしていた。
フウラの決意と、紡ぎだされる言葉に、エンサはことさら目を瞠っている。
「エンサ様、失礼します。魔物の軍勢を率いた妖魔らしきものが近づいております!」
エンサの執務室に慌てた様子で、伝令係が入室してきた。
「妖魔の特徴はなんだ」
「コウモリの羽と、浅黒い鱗状の肌があり、半身が火傷で覆われ……」
言い終える直前、地響きのように建物が振動し、音が木霊する。
すべてを聞かずとも、相手がどのような人物かを察したフウラは、気づかれぬほどの短い間、薄く笑った。
「それはきっと、妖魔ではなく魔族ザルバードでしょう」
「なぜそうと断言できるのです」
「先程申しましたように、ザルバードは火傷を負わされました。どうやら傷の手当ても、あまりせずに出陣してきたのでしょう。だからといって侮っていては危険な相手です」
予想だにしていなかった来訪者に、エンサは唸るように返事をした。
伝令係は、なかば怯えながら問うような視線をエンサ達に向けている。
さすがに魔族とのやり取りをするとは、思いも寄らなかったのだろう。
「いつものように守備を高め、いつでも攻撃を仕掛けられるように体制を整えよ。手の空いたものは援護や補佐に回れ」
「了解しました」
伝令係は敬礼すると、駆け足気味に去っていった。
「エンサ様、私もお手伝いさせて下さい。あの魔族と対峙した身、なにかしらお役に立てるかもしれません」
「ですが貴女はお客人です。しかも水の神殿の責任者なんですよ」
水の神殿は、ほぼ壊滅状態。
その上責任者であるフウラにまで害が及んでは、更なる打撃を受けるかもしれないとでも思ったのだろうか。
神殿を現存させる。それはほとんどの妖精達にとって大きな意味があり、けして魔に屈指はしないという意思表示であり、心の糧なのだ。
神殿という形あるものがなくとも、精霊長の住む場所を守るということは、名誉なことだという根底が根付いている。
「仰りたいことは、わかります。ですが私にも、ここまできた意地があります。それに私と貴方ならば、彼の者の対処法を見出せるかもしれません」
エンサは微妙に眉を上げた。
事実ザルバードとは一度も交戦したことのないエンサ達にとって、少なからず経験者の存在は貴重だと踏んでのことだった。
勝利を望むのは無謀であるものの、撃退の対処法くらいは掴めるかもしれないと思わせるために。
思惑通りにエンサは数刻、思案に暮れる。
「わかりました、お手伝い頂きましょう。ですが貴女の身を預かる者として言わせて頂くなら、どうか無茶はなさらないで下さい」
「無理を承知で、お願いしているのはこちらです。異存はありません」
「では、こちらへ」
エンサは老体を俊敏に動かしながら、招くように部屋を出る。
背を向ける彼の姿を見やりながら、フウラはうっすらと目を細めた。
足早に進んでいくと、警備の者達が配置につくべく、忙しなく走り回っていた。
ほとんどが三人一組として行動している。
それがどういう役割をしているのか考えながら、フウラは横を通り過ぎていく。
「我々は守備、攻撃、補助に長けた者を一人ずつ選び、三人一組として行動に移らせているんですよ。戦闘に陥ったとき、それぞれに長けた者がおれば、苦戦を避ける確立は増えるでしょうから」
フウラの視線に気づいたエンサは、歩調を緩めずに説明する。納得したフウラは、小さく頷いた。
束の間、建物全体が揺れるような振動が起きる。
その場にいた者のほとんどが、足をふらつかせ、近くの壁などにしがみついた。
フウラも例に洩れず、足をとられて崩れ落ちるように座り込んだ。
するとまたしても振動し、どこかが瓦解する音が聞こえた。風が所狭しと吹き込んでくる。
合間を縫うようにして、空を翔ける魔物の群れが姿を現した。
内部からの襲撃に不意をつかれ、俄かに混乱が沸き起こる。
「怯むな。常のように行動すれば、対処できないはずはない!」
エンサの叱咤が、辺りに響く。それにより取り乱していた彼等は、徐々に落ち着きを取り戻していく。
魔物が攻撃を仕掛けてくると、防護壁を張り、味方が攻撃を繰り出し、もしくは捕縛する。すばやい連携は、日々の鍛錬の賜物だろう。
水の神殿を取り仕切っていたフウラでさえ、彼等の手際のよさに舌を巻いた。
「さあフウラ様、急ぎましょう」
エンサに促されて立ち上がり、フウラは無言で頷くと追いかけた。
魔物と戦闘中である彼等を横切り、階上へと向かっていく。
ややあって屋上付近の一室へと辿りつくと、厳重に守りを固めていた。
水の神殿でも似たような光景は目にしていたため、さほど驚きはしなかった。
それよりも溢れんばかりの光が満ちていることの方が衝撃だった。同時に、この部屋は祭壇なのだと理解した。
「ここが神殿の祭壇です。貴女の話を聞く限り、ここがもっとも危険だと判断しました。私と貴女とで協力すれば、追い返すくらいはできるかもしれません」
「初対面の私をそこまで買って下さるのは有り難いのですが、怪しいとはお思いにならないのですか」
「今は貴女のお言葉を信じますよ」
「……ありがとうございます」
畏敬と感謝と侮蔑を心中で渦巻かせ、フウラは微妙な笑みを浮かび上がらせた。
直後天井の一部が瓦解し、瓦礫がいくつも落ちてきた。
そのため笑みの裏側にある思惑に、エンサは欠片ほども気つくことはなかった。
軽い悲鳴と共に彼等の目は自然と、外壁が崩れた天井へと引き付けられる。瓦解し、空が見える場所には、ザルバードの姿があった。
ザルバードは無造作に中を見渡し、フウラの姿を見るや、わずかに眉をそり上げる。
「水の神殿の巫女が、このような場所にいるとは驚きだな」
「私にとっては好都合よ」
「愚かな女だ。水の神殿に残ってさえすれば、命は永らえたものを」
ザルバードは胸元まで腕を上げると、口ずさむ。
彼の放つ言葉は詠唱であり、どのような魔法か気がついたフウラは、即座にエンサ達へと振り返る。
「皆さん、水の加護の障壁を。魔族は業火を放とうとしています!」
味方である彼等に急いで伝えるも、ザルバードの業火は容赦なく放たれた。
一足遅れた者は短い悲鳴と共に、または声すら上げる間もなく炎に呑まれていく。
神殿の責任者であるエンサとフウラは、間一髪で防ぎきった。
完全に防ぎきれなかったものの、命に別状のなかった者達は、予想以上の力の差に錯乱したのだろう。
改めて武器を持ち直し、主に風の魔法を使って攻撃を仕掛けていく。
光の神殿とはいえ、あまり光に関わる魔法を使わないのは、目の錯覚や、闇を照らすなどの補助としての役割が大きい。
そのことを無意識に理解し、ザルバード相手には、さほど効かないと感じているのだろう。
しかし攻撃魔法さえ、あまり効いている様子はない。当たる直前に霧散している。
継続的に、それらを遮断するための障壁を自分の体に張り巡らしているようだ。
ザルバードは再度詠唱を始める。
攻撃を仕掛けていた警備の者達は、一瞬のためらいを見せる。
それが大きな隙となったのだろう。彼等へと竜巻を向けた。
一部瓦解していた建物は大きな音を立てて、その傷を広げていく。
ある者は壁や床に叩きつけられ、ある者は崩れた障壁から放り出される。
誰もが息絶え、または重傷により動けずにいる中で、二人だけが立っていた。エンサとフウラである。
「残るは貴様達だけだな」
ザルバードは皮肉の笑みを満面に浮かべる。
さすがに分が悪いと感じているらしいエンサは、小さく呻いた。
対してフウラは、賞賛を与えるような笑顔を向ける。
「そうね、どうもありがとう。おかげで手間が省けたわ」
言い終えるか否かというとき、フウラの短剣が隣にいるエンサの喉元を容赦なく斬りつけた。
喉元からは血が大量に噴出し、返り血を浴びる。
エンサは驚愕の眼差しでフウラを見やり、背中から激しく倒れこんだ。
なにかを言いたそうに口元を動かしているが、息を吐き出す音だけしか流れてこない。
「どういうつもりだ」
代わりであるかのように、ザルバードは訝しく訊ねた。
「もちろん貴方と、ルアスという子達に復讐を遂げるためよ。そのためには他の神殿の主を利用して、私の手で殺すつもりだったの。突然の責任者の死という隙を作り、たまたま居合わせた水の神殿の責任者である私が、その隙に付け入るの。けれど、貴方が来てくれて助かったわ」
ザルバードにすべての濡れ衣を着せることができる。
それが狂気と歓喜と怒りを満たし、今にも高らかに笑い出しそうに顔を歪める。
眼差しは一転の曇りもなく魔族に注がれている。
するとザルバードも口端を吊り上げた。
「面白い、貴様の思惑通りに事が進むか見届けてやろう。だが今回ここへ来た、俺の役割だけは果たさせてもらおう」
ザルバードは遥か上空へと舞い上がる。
そこから地上へと、魔法によって作られた何かが投下されていく。
神殿にもいくつか当たり、そのたびに激しく揺れた。やがて収まり、空を見上げると、彼の姿は消えていた。
ややあって振り返ると、遺体がいくつも広がっている。
その中で息絶え絶えながらも、エンサの命の灯火はついえてはいない。
フウラは跪くと、彼の頭を軽く持ち上げた。
どうやら目を向けることはできても、睨みつける力さえ残っていないようだ。
喉元が深く抉れるほどに、不意をつけたらしい。フウラはこれまでにないほどの優しげな笑みを、老人へと浮かべる。
「貴方には感謝しています。私をお疑いになることなく、神殿に入れて下さったこと。……誰か、誰か来て頂戴! エンサ様がお怪我を!」
フウラは感謝の意を述べた後、悲鳴にも似た声を張り上げた。
ややあってエンサを捜していたらしい者達が、数名入ってきた。エンサの姿を見た途端、息を呑み、駆け寄ってくる。
「エンサ様、しっかりなさって下さいませ」
駆け寄ってきた彼等は、回復の魔法を使うが出血が多すぎた。
傷が塞がっても、厳しい状態に変わりはない。
回復の見込みなく、エンサは顔色が白く、体温が失われていく。
さほど間を置くことなく肺の上下もなくなり、息絶えたのだと知れた。
名残惜しそうな、物言いたげな面差しだけが貼りついたまま。
「……なにもできずに申し訳ありません。ですがエンサ様は、果敢に立ち向かわれていました」
フウラの言葉を聞き、彼等は一様に悲しみと悔しさによって涙を流し、または唇を噛み締めていた。
室内に、色濃い悲壮感が立ち込める。
フウラは抱えていたエンサの頭を床に置き、立ち上がる。
「皆さんお辛いでしょうが、今は嘆いているときではありません。多くの同胞達の亡骸を、このままにしてはおけません。埋葬して差し上げなくては」
水の神殿の巫女としての風格だろうか、威風堂々と訴えた。
すぐには頭の切り替えができないほどに、先程まで起きていた出来事や、光の神殿の長としてのエンサの死が彼等に重く大きく圧し掛かっている。
行き場を失い、途方に暮れている。
何度も説得を試みると、やがて彼等はフウラの言葉に耳を貸し始めた。
彼等は指示を伝えるために、散り散りに向かっていく。
瓦礫の除去、遺体の埋葬、怪我人の手当て、食料や水の確保など一朝一夕ではなかったが、どうにか動き始めた。
早くも数十日が経ち、相変わらず瓦礫などが散乱している神殿内ではあるけれど、少しずつ落ち着きを取り戻していた。
そんな頃、フウラは神殿内で健在であるもっとも大きな室内に、彼等を呼び寄せた。
呼ばれた者達は何事だろうと、一人中央に立つフウラを見つめる。
「今日皆さんをお呼びしたのは、他でもありません。貴方方のどなたかに、他の神殿に魔族が現れたことを伝える使者として行ってもらいたいのです。私のいた水の神殿、この光の神殿と続けて来た以上、他の神殿にも訪れるかもしれません。早急に話し合いの場を設けなくてはいけません」
「ようやく他の神殿との連携を?」
喜びと戸惑いと、期待と不安のどよめきの中で、誰かの口から紡ぎだされた。
肯定するため、フウラは力強く頷く。
「それもあります。それともう一つ、私は妖精と人とが再び手を取り合い、事に当たる必要があると考えています」
ざわめきが、一層大きくなった。
十七年前に妖精と人との間で、大きな戦争があったのである。
長寿の者で千年前後を生きる妖精であるからこそ、忘れるには早すぎた。
裏切られたという根強い恨みがあるだけに、なおさらである。
「皆さんのお怒りは、ごもっともです。先に仕掛けてきたのは人間です。彼等の醜い心が魔を創り上げたとされています。けれどそれは本当でしょうか。私は見ました。白竜に従い、人と妖精とが手を携えて魔と戦う、ある方々の姿を」
彼等のざわめきが、感嘆と、疑問と、反発とで跳ね上がる。
反感を持つ声がもっとも大きかったが、フウラとしては引くことはできなかった。
「この件は既に亡きエンサ様にもお伝えし、承諾を頂きました」
エンサの名を聞き、彼等に躊躇いが生じた。
最高責任者だからという理由だけではない、なにかがあるような気がした。逆にいえば、それだけ信頼という絆が強かったのだということになる。
「エンサ様亡き今、それを証明できる方はいるのですか」
「私が証明者です。たとえ承諾を頂けなかったとしても、私はこの場で同じことを告げたでしょう。今こそ人と妖精とが手を結ぶべきだと。白竜と共に魔族と戦った彼等の存在が信じられないというのなら、我が神殿の者に聞いて下さいな」
彼等は思い思いに言葉を交わし合い、一向にざわめきが消えることはない。
けれど神の御使いとされる白竜と、共に戦う人と妖精、エンサの承諾を得たという虚勢は、絶大な効果があったようだ。彼等に迷いが生じ始めている。
もう一息だと、フウラは思った。
「これは強制ではありません。どちらにしろ、貴方方の協力を得られなければ、できないことなのですから。どうか皆さん、私に力をお貸し願えないでしょうか」
フウラは凛と直立し、躊躇いと戸惑いの渦の中にいる彼等の言葉を待った。
やがて一人の青年が賛同の意を唱え、つられるようにして次々に協力を申し出る者が続出した。
不満、不服の声も多かったが、その中で数十名を選び、支度を整えている矢先のことである。
各神殿から、使者が訪れた。
「それは本当なのですか。他の神殿も、ここと同じように魔族によって攻撃を受けただなんて……」
さすがのフウラも、予想以上の展開に一瞬思考が停止した。
どうやら話によると、どの神殿にもコウモリの羽を持つ、赤黒い肌をしたザルバードと名乗る魔族によって攻撃を受けた。
祭壇は壊され、神殿は半壊、もしくは全壊し、同胞の屍は積み上げられ、その中に責任者である神子、ないし巫女の姿があったという。
ただし植物の神殿の巫女は生きてはいるが、予断を許さぬ状態らしい。
同時に地形は大幅に変えられたのだという。
例えば植物の精霊長ドライアートの祀られる神殿は、木々はすべて焼かれ、砂漠に覆われた地の精霊長ノームの祭られた祭壇は、いまだに延々と雨が降り続けている、といった具合である。
光の神殿も例外ではなく、日差しは相変わらず注がれてはいるが、風の流れが以前より増しつつあるのだということに気がついた。
一時的なものか、それとも永続的なものかはわからないが、徐々に気候が変化しつつあるようだった。
話を聞く限り、どこもほぼ壊滅状態だということである。仲間もほとんど死に絶え、指導者である巫女や神子の存在はない。
新たに輩出させるには、打撃は大きすぎた。
このようなときに魔族等による攻撃を受ければ、逃げようも戦いようもない絶望だけが付きまとっている。各神殿に協力を要請に来たのも、そのためだったのだろう。
けれどフウラにしてみれば、またとない好機である。
「わかりました。光の神殿の神子であったエンサ様亡き今、唯一動ける水の神殿フウラが責任を持って、皆さんの身をお預かりしましょう。貴方方は本来の神殿に戻り、この神殿へと残された者達をお招き下さい。その方々にも、聞いて頂きたい話があるのです」
彼等は旅路の不安を抱えながらも、安堵の息を漏らして光の神殿を後にした。
一人残ったフウラは、口の両端を大きく吊り上げる。
「これが上手くいけば、人も含めた魔との全面戦争が始まるわ。そうすれば邪魔な魔も人も排除できる。あの子達をシンボルとして。貴方との約束を必ず成し遂げてみせるから、それまでどうか待っていてね。ねえ、ナリス」
水の神殿での約束、水の精霊長ウンディーネを取り戻し、人も魔に連なる者も、すべて排除した妖精だけの世界を創る。
それが彼の願い、彼との最後の約束だった。
フウラは陶酔するかのように何度もその出来事を思い返し、笑みを零すばかりだった。




