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十一話

〇二章,水の神殿/十一回


 魔物が押し寄せているため、道中に時折争った後や残骸が横たわっている。

 いまだ継続中なのだということを知らしめているように、何度となく建物が軋む。

 その影響なのだろうか、一部が瓦解しているらしく、建物内を通っている水のうねる音が増している。


「フィニア、どこにいるんだよ。返事してくれ!」


 ルアスは魔物の血を滴らせている剣を持ちながら、捜し続けていた。

 意識がない以上、呼びかけに答えないことくらいわかっているのだが、それでもせずにはいられない。

 このままではシェイドが最終的にどのような暴挙に走るか知れない。

 捜せば捜すほど、焦りは募っていく。


 そんな状態の中で、壁の一部が崩れている一角を通りかかろうとしたときのことだった。

 誰かの話し声が聞こえて、立ち止まる。

 すると内側から、なにかが破裂したかのように壁が破損する。


 ルアスはとっさに身構えるも完全には防ぎきれず、後方へと叩きつけられた。

 痛みによる呻き声を洩らしながら、解き放たれた、壁のあった場所を見るとフウラが短剣を手にして立っている。

 近くには人のような四肢を持った異形の者が、口元を薄く歪めて対峙している。

 更に奥には、水の粘膜に覆われ、健やかに横たわっているフィニアの姿があった。


「フィニア!」


 一触即発の二人を目にしながら、ルアスは思わず叫んでいた。

 けれど反応したのは呼びかけた相手ではなく、紅い皮膚とコウモリのような羽を持つ魔物のほうだった。

 目は獲物を見つけた獣のように怪しく光り、緩やかな曲線から三日月のように変貌した口元からは、真白な牙が覗いている。


 狂乱とした笑みに射竦められ、ルアスは体を動かすことができなかった。

 なにか特別なことをされたわけではない。

 目が合っただけで、四肢のすべてが凍結してしまうほどの恐怖。先程出会った妖魔の比ではない。

 逃げなくてはと頭のどこかで催促する声が聞こえる。けれど手足は棒のように動かない。

 その間にも、魔物は一歩ずつ確実にルアスに近づいてくる。


「ようやく会えたな。いや、ここは初めましてと言うべきか。俺の名はザルバード。魔王の命により、姉共々貴様を連れ出すために使わされた魔族の一人だ」


 ザルバードは自己紹介するも、ルアスは返答できない。

 ただ姉のシンシアが、目の前にいる魔族に連行されたのだということだけは漠然とわかる。


「さあ、俺と共に来てもらおう。貴様の連れの死に様を見たくなければな」


 ザルバードは門前で止まり、ルアスへと問答無用で手を伸ばす。

 けれどルアスは、気がつくとその手を跳ね除けていた。

 ほう、と見定めるように小さく囁くザルバードだったが、そのことに一番驚いていたのはルアスだった。

 直後、姉とフィニアの存在が胸の奥を大きく騒がせていることに気がついた。


「嫌だ、俺は行かない。行ったらお前は、ここにいる人達を全員殺すんだろ!」


「貴様は姉に会いたくはないのか」


 立ち上がり、剣を構えるルアスに、ザルバードは薄く笑いながら問いかける。

 ルアスは小さく頭を振った。


「会いたいさ。けどそれと同じくらい、ここには大事な人達がいるんだ!」


 シェイドとフィニアの顔が浮かぶ。少なくとも、本当に嫌っていたなら、これまで一緒に行動なんてしなかっただろう。

 彼等に手出しはさせないと、体全体で精一杯拒否を示す。

 するとザルバードは片方の口端を吊り上げた。


「どうやら貴様は、他の者達の命は惜しくないと見える」


 ザルバードは軽く腕を上げると、それをフィニアへと向ける。


「水の精霊よ、礫となりて彼の者を貫きたまえ!」


 直後フウラの放った、水魔法で作られた拳大の円形の塊がザルバードへと向けられる。

 けれど呪文一つ唱えていないかに見えたザルバードの手から突風が吹き荒れ、水の礫が打ち砕かれる。

 更にはフウラにまで、爆風が及ぼうとしていた。


「我等を守る盾となれ!」


 声がし、続いて水の膜がフウラを覆ったかと思うと、青銀髪の青年が横から抱きかかえるように飛んだ。

 既に誰もいない、魔法で出した身を守る膜だけが取り残され、風の旋風は易々と看破して、後ろにいたフィニアへと容赦なく向かっていく。

 けれどフィニアを覆う水の膜に、ザルバードの放った風は四散した。

 魔法が霧散したのは、精霊長の力故なのだろう。それでもルアスは心配せずにはいられなかった。


「大丈夫か、フィニア!」


 駆け寄り、声をかけるも、フィニアは眉一つ動かさない。

 ルアスは、きつく口元を結ぶ。

 無傷であることに安堵しながらも、はたして自分に起こせるのかという不安が過ぎる。


(シェイドとフィニア、お互いの声でしか目が覚めないってことはないよな)


 一度思い描いた疑問が正解であるような気がして、頭の中で何度も反芻はんすうする。

 けれど、それでも。少なくとも今、自由に行動できるのは自分なのだけだと、ルアスは心身を奮い起こした。


「起きてくれ、シェイドがおかしいんだ。フィニアだって、このままじゃ危ないんだ。だから起きて!」


「無理だ」


「なんでそんなことが、わかるんだよ!」


 フウラを背中に押し留め、肩に傷を負いながらも短剣を構えているナリスへと、ルアスは苛立ちをぶつけるように叫んだ。


「私とて、何度も起こそうと試みたのだ。だが無理だった。もしあるとすれば一つ」


「まさか、それって……」


 ルアスは、それ以上口にすることができなかった。

 方法に気づいてしまったから。言葉にしてしまったら、本当のことになりそうで怖かった。

 方法とは水のウンディーネを別の誰かが使役し、開放すること。

 だが一つ間違えば暴走し、術者本人や周囲に多大な影響を及ぼしかねない。

 ただでさえ使役するのが難しいとされる精霊長を、更に不安定な現段階の状態で発動させようとすれば、大きな危険が伴なう。


「だが無事に起こすということでなければ、手はまだ他にある」


 ナリスは口惜しそうに、ザルバードを睨みつける。


「ザルバード、貴方は魔族らしいな。必要なのは、この娘のうちに存在するウンディーネなのだろう。明け渡す代わりに、ただちにこの地から去れ」


 副官としての立場、責任からなのだろうか、ナリスはあらん限りの威圧感を与えながらザルバードと対峙する。

 するとザルバードは、含むようにニヤリと笑んだ。


「なるほど、あやつが言っていた内通者とは貴様のことか。だが俺がもっとも必要としているのは、そこにいる小僧だ。他のことは知る由もない」


「なんだと、約束を反故ほごにするつもりか!」


はやるな、文句があるなら貴様が取り付けた相手、ヨーゼフに言うのだな。俺の邪魔をするな」


 いつでも事を構えることができるように剣を胸元まで掲げているナリスへと、ザルバードは静かな殺気を発しながら悠々と通り過ぎていく。

 ナリスは次元の違う圧迫感に、全身が彫刻になったかのように身構えることしかできない。

 ザルバードが横切ると、ナリスの体が傾いだ。

 精一杯覇気をあらわにしてなお、圧倒される存在感に押し負けたのだろう。


 フウラは彼の身を案じながら体を支え、治癒の魔法を施していく。

 微塵も気が削がれることはなく、ザルバードはルアスへと歩み寄る。


 逃げられない。ルアスは強く思う。

 例え逃げられたとしても、それは己の身一つだけだろう。

 フィニアは置き去りにされたままとなる。そのため敵うはずはないと知りつつも、剣を構えた。


「なぜ俺に抗う。ついて来れば、貴様は姉に再会できるというのに」


 それはルアス自身、疑問に思っていた。

 ではなぜ歯向かうのかと考えると、フィニアとシンシアの姿が強く重なることに気がついた。

 いや、むしろ思い描かないようにしていたのかもしれない。

 姉が連れ去られたと聞かされて、直後にフィニアと出会った。

 そのときから二人の姿を、無意識に繋げていたのだろう。

 同じフェアリー族だったことも、金の髪だったことも、大きく関係しているのかもしれない。


 旅を共にすると知り、フィニアを守ることで、姉をも守っているつもりになっていた。

 シェイドに嫌われまいとしたのは、フィニアが彼に一方ならぬ思慕を向けているのを知っていたため。

 時折突っ掛かっていたのは、少なからず嫉妬していたため。


 妖精も人間も嫌いだと告げた想いに嘘偽りはなく、けれど傍から離れられなかったのは、それらが心のどこかにあった。

 妖精や人間として見る前に、彼等を彼等として見ていなかったことに、ルアスは自分が情けなく、恥ずかしく感じた。

 フィニアもシェイドも、アーサーの宿主や混血児としてだけではなく、ルアス自身を見てくれていたというのに。


「さあ、俺と共に来い」


「……だろ」


 ルアスは剣を握りなおし、ザルバードを睨み据える。


「引けるわけないだろ。引いたら、フィニア達を見捨てることになる。それに姉さんには、俺自身の足で逢いに行くんだ!」


 フィニア達を仲間だと呼べる資格はないけれど、それでも守りたい。

 ここから生きて出て、二人と、そして逃げ続けていた自身の気持ちと向き合わなければならない。だからこそ引けない。


 ルアスは歯を喰いしばると、真正面からザルバードへと斬りかかる。

 けれど腕一本で容易に受け流され、転げるように床に叩きつけられた。

 再度立ち上がり、ザルバードへと刃を向ける。だが結果は変わらない。


「我等が主は、貴様の半死半生は問わずと仰っていた。手荒な真似をされる前に、おとなしく俺に従ってもらおう」


 倒れているルアスへと、侮蔑するように見下す。さも手間をかけさせるなと言いたげである。

 ルアスは剣の柄を離さず、ザルバードを睨み上げた。


(俺がこいつに対抗できるとすれば、一つだけある。けどあれは……)


 手段は炎。それを使えば、運が良ければ撃退くらいはできるだろう。

 無我夢中であったとはいえ、檻から出る際には使った炎を意識的に使うということには、まだ躊躇いがある。

 けれど今、扱わなくては待ち受ける先は決まっている。


(さっき俺は、生きて皆でここから抜け出すんだって決めたばかりじゃないか!)


 まずはどうしたいかを思い描いてください。そうすれば同調し、協力してくれます。どうか精霊も生きているということを忘れないで下さい――


 フィニアの言葉が、自然と思い返される。

 ルアスは立ち上がると、歩み寄るザルバードと距離を置くため後退し、両手で剣を構える。

 剣の刃に炎が終結する様を思い描く。

 ただ一言、力を貸してくれと念じながら。けれどどんなに願っても、これといって反応はない。


(どうして応えてくれないんだ……)


 ルアスは眉間にシワを寄せ、自身の情けなさと悔しさに唇をきつく結ぶ。


「面倒なことは、できるだけ避けたいのだ。さあ来い」


「俺は行かない。フィニア一人放って置けるもんか!」


 手を差し伸べるザルバードへと、ルアスは一閃する。

 ザルバードの腕から、血が僅かに滴り落ちる。

 すると敵意を向けるルアスへと、含むような笑みを浮かべた。


「そうか。それならば、この場に縛り付ける対象を取り除くことが先決か」


「やめろ、その娘は私達の駆け引きにとって必要なのだ!」


 ナリスは止めようとするも、ザルバードは躊躇することなく両手のひらに凝縮された風の塊を終結させる。

 先程とは比べ物にならないほどの威圧感が迸っている。それだけ本気になったということなのだろう。

 風の塊が、ルアスの背にいるフィニアへと放たれた。

 直後ルアスはザルバードの蹴りを腹部に受けて、その場から強制退去させられる。

 そのためザルバードの放った風の魔法は、フィニアへと直撃進路をとっていた。


 半壊している壁に叩きつけられた衝撃と痛みによってルアスはすぐには動けなかったが、目だけはしっかりと捉えていた。

 どんなにワガママを言っても怒りもせず、つねに心配をしてくれていたフィニアの優しげな笑顔が浮かんだ。


「……やめろ。やめてくれ!」


 ルアスは咆哮する。

 直後全身は炎によって包まれ、あたり一面に放出された。


 炎はその場にいたザルバード、フウラを守ろうとするナリス、そしてフィニアさえも呑み込んでいく。

 魔物の襲来によって瓦解寸前であった壁や瓦礫さえも、容易に破壊されていく。

 しかも留まるどころか、勢いを増していた。



 妖魔ヨーゼフとシェイドは、一定の距離を保ちながら対峙していた。

 二人の間に緊迫感が支配するも妖魔ヨーゼフのほうが、幾分か余裕の笑みを浮かべている。

 シェイドはなぜか切羽詰っており、短剣の柄を悲鳴が上がりそうなほどに強く握り締め、口元もきつく結ばれ、執念にも似た瞳を窺わせている。

 力の均衡はほぼ互角。

 もしくはシェイドの方がやや上回っているというのに、である。

 それぞれの身に受けている傷や流れる血が、明確に優劣を教えてくれている。


「お前は強い。だがどんなに望もうが、ザルバード様の下へは行かせまいよ。あの御方には、やるべき事があるのだから」


 シェイドは苛立たしげに、こめかみに深いシワを刻み込む。

 ザルバードと対面できないまま、いつまでも足止めされるわけにはいかなかった。

 けれど少しでも時間が惜しいとはいえ、相手は魔物ではなく数段格上の妖魔である。

 いくら優位にあるとはいえ、気を抜けば命取りになる。その事実が、シェイドに焦りを与えていた。


 そんなときである。

 ただでさえ脆くなっている壁を吹き飛ばしながら、火の手が勢いよく彼等の前へとやってきたのである。


「炎だと、なぜ水の神殿で炎が!」


 妖魔は四方八方からやってくる炎の群れに、さすがに動揺を隠しきれずにいた。

 水の加護が強い場所では、覆い尽くすような炎は滅多なことでは発生しない。

 いくら戦況の中にあるため火の手が上がりやすい状況下であるとはいえ、これほどまでの規模は不自然すぎた。


 だがシェイドは一つ、心当たりがあった。

 その差が妖魔に大きな隙を作り、シェイドに大いなる機会が生まれる。

 シェイドは皮肉に思いながら、一か八かの賭けに出る。


「闇の精霊シェイドの名において命ずる。彼の者の影を支配し、縛りつけよ!」


 シェイドの詠唱に気がつき、対応しようとしたときには既に遅かった。

 魔法がかかった短剣が妖魔の影に突き刺さる。

 すると妖魔は両足を、その場から動かすことができなかった。


「影縛りの魔法によって、私の本体を縛りつけるか。だがこの術は不完全だ。すぐにでも取り払ってくれよう」


 日の光ではないにしろ、炎は影を作れるが、揺らぎがあるため不安定そのものである。

 妖魔に言われずとも、シェイドはそのことには容易に気がついていた。

 それでも勝利を確信したように、薄っすらと笑む。


「その僅かな時間でも、今は充分だ。これ以上貴様と戯れるつもりはないんでな」


 吐き捨てるシェイドに妖魔はなにか言いかけたが、第二波の炎に飲み込まれ、衝撃で崩れ落ちてきた天井によって押しつぶされる。

 あまりにも呆気ない幕切れであった。

 だがシェイドにも、渦巻く炎は直前まで迫っている。

 舌打ちするも状況が覆るはずもなく、炎はすべてを掻き消すかのように覆い尽くしていった。



 ゲオルグは熊のような体躯をした一角獣を一撃の下に屠ると、大きく息を吐いた。

 だがすぐにまた別の魔物が現れ、襲い掛かってくると斬りつける。

 そのような繰り返しが続いていた。


 それはエレノアやエルフォーネも同じである。

 各々には致命傷とはいかないまでも、無数の手負いを受けており、疲労も見え隠れしている。

 なぜなら水の神殿に近づけば近づくほど、魔物の数は増えていく一方なのである。

 神殿内にいる妖精達との交戦により着実に数を減らしてはいるのだが、今もまだ戦況は続いている。

 ようやく神殿付近まで来たというのに、入り口にさえ近づけない状態なのだ。


「一体いつまで続くんだよ!」


 ゲオルグはぼやいた。

 刹那、湖の中にある神殿から爆発がすると、水飛沫と共に炎が数十メートル上空へと巻き上がる。

 水は蒸発し、もしくは炎と共に吹き上げられた直後に広範囲に降り注ぐ。

 それによって湖の水は半分以上も失い、火の手が上がった場所が視界にはっきりと浮き彫りになる。

 建物は爆発した付近より上を抉るように削りとられ、約三分の一を残すところとなっている。

 そんなとき紅い皮膚に覆われ、コウモリの羽を広げて宙に浮かぶザルバードの姿が現れた。

 エルフォーネは彼の姿を見た途端、ルアスはそこにいるのだと直感めいたなにかが過ぎる。

 思い立つと居ても立ってもいられなくなり、足は自然とそちらへと向かっていた。


「待ちなさい、一人で行っては危ないわ!」


「エル!」


 エレノアやゲオルグの言葉に耳を傾けることはなく、襲い来る魔物を物ともせず走り続けた。

 背中は容赦ないほど遠ざかっていく。

 二人は魔物達を薙ぎ払いながらエルフォーネの後を追うも、途中で見失ってしまった。

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