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二回

 やがてルアスが闇から彩色のある世界へと引き戻されたのは、外が闇に覆われている頃だった。

 意識が現実へと引き戻される瞬間、気を失う前の出来事が鮮明に甦り、勢いよく身を起こすと全身汗だくになっていた。


 一瞬ルアスは、今どこにいるのかわからなかった。

 ただシーツの感触があるため、ベッドの上に寝かされているということだけは知ることができる。

 だがなによりも、体の自由が利くことに驚いた。


「体が動く、傷跡もきれいに消えてる…。なんで?」


 気を失う前の出来事が夢ではないかと思うほど、なんの傷跡もなかった。

 しかし夢ではない証拠にルアスの服はボロ雑巾のようにすり切れ、乾いた血がどす黒くこびりついている。

 それでも信じられず、手を目の前に持ってくると、指をゆっくり動かしてみる。


 不思議に思っているところへ扉が開き、長老が姿をあらわした扉が半開きになったことで、幾人かの大人達が見える。

 ここは長老の家だとルアスは知った。扉の向こうの大人達は、夕刻のことで集まっているのだろう。


「おお、気づいたかルアスよ」


 ルアスは相槌を打つが、それ以上なにを言っていいのかわからず、目線を自分の手元へと逸らした。


「それにしても不思議なこともあるものだ。血の海で倒れておるお主を見つけたときには、心底驚いたよ。なんせ大層な傷を負っておると思っておったのに、傷一つつけず気を失っておるだけだったのだからのう。それはさておき、お主は良くやってくれた。感謝しておるよ」


 長老は優しげな眼差しをルアスに向けながら、感謝の意を述べた。


(ああそうだ。そういえば俺は魔物を追い払うために剣を取り、反撃を受けたんだ。でも、それからは……)


 その後ルアスは自分がなにをしたのかを完全に思い出す前に、エルフォーネの傷ついた姿が脳裏に浮かぶ。

 焦燥する表情を長老に向けた。


「そういえばエルは…、エルフォーネは一体どうなったんですか?」


「大丈夫。傷の方は、ほぼ完治したよ。同じく傷を負った他の者達も大丈夫だ。命を落としてしまった者は残念だがね。ただ……」


 言うと短いため息を吐いた長老の目に、淡い影が落ちる。


「ただ、なんですか?」


 一抹の不安が胸を掠め、ふいに鼓動が早くなる。

 それでも聞かすにはいられなかった。

 長老の方も言いづらそうに目を伏せていたが、やがて意を決したように淡々と語りはじめた。


「鳥魔獣は爪に毒を持っていることは知っておるな。実はそれを受けた者達は今、毒素によって熱に侵され死の淵を彷徨っておる。エルフォーネも、その内の一人だ。すぐにでも薬草をやりたいのだが……」


「だったら今すぐにでも!」


 シーツを跳ねのけ、半分体を浮かし、今にも飛び掛らんとするルアスの態度と声に、奥の部屋にいた男女数人が押し寄せる。

 一人の男が二人の間を遮るように立ちはだかった。

 男は純血妖精の中でも、とくに人目憚らずハーフ達に嫌悪を抱くことで有名なエルフの青年ガロウである。


「それができたら苦労はしないさ。だがその薬草はここにはないんだよ!」


「だったら取りに行けば良いじゃないか」


 聞くや先程反論したガロウは満面に怒気をあらわし、ルアスの頬を勢いよく殴りつける。

 ルアスは殴られた拍子に、倒れるようにして床に座り込んだ。

 訳もわからず突然殴られたことに逆上し、あからさまに不快な表情でガロウを睨みつけると飛び掛る。


「やめないか!」


 長老の叱咤に二人は渋々ながらも、取っ組み合いをやめ、拳を収める。

 二人が大人しくしたのを目にすると、長老は話を続けた。


「毒に効く薬草というのは、洞窟の奥深くにある湿地帯にしか生えない苔のことなのだよ。場所はこの近くでいうなら、ここから南東の方角にあるゴルファ洞窟にしかないのだ」


「洞窟には、魔物が住み着いているのさ。俺達だけでは対処しきれない無数の魔物の群れ。更には魔物を統率する頭領格がいるんだ。俺の妻も鳥魔獣の毒によって、うなされている。できることなら今すぐにでも取って来たいさ。それができるんならな!」


 悲しげな表情を浮かべたまま語る長老のあとに、ルアスに殴りかかったガロウが続けざまに言い、悔しそうに歯を噛み締める。

 他の者は無言と共に、悔しさと諦めが漂っている。それが見えない靄のように、部屋全体にひしめいている。


「……だったら、俺がそこに行きます」


 暫しの沈黙のあと、意を決したような顔を上げると、ルアスは凛とした声で言い放った。


「自分でなにを言っているのかわかっているのか!」


 あまりにも信じ難い発言に周囲はどよめき、長老は驚愕の表情で訊ねた。

 それでもルアスの意思は変わらない。


「わかっています。でも少しでも可能性があるなら、俺はそれに賭けてみたいんです。だから俺……」


「命を落とすことになるかも知れぬ、行ったとしても戻って来れぬかもしれぬのだぞ」


 真摯なまでのルアスの表情に、長老も真剣な眼差しで見据えた。


「なにを言うか。お前なんぞ、あの残虐な人間の血が流れているくせに! 長老、こんな奴の言うことなど無視して他の手を考えましょう」


 話し合うのも馬鹿馬鹿しいと思ったのか、ルアスにガロウはわざと人間という言葉を使い、卑下するように言い放つと長老に別の案を摸索するよう促した。


「ハーフでも、人間と妖精の間に生まれた者でも、誰かを救いたいという気持ちは同じだ。…だから俺に行かせて下さい」


 ガロウに殴り掛りたい衝動が溢れだしてくるのを必死に押し止めながら、ルアスは自分の気持ちを正直に伝えた。

 今飛び掛れば所詮ハーフだからという理由で、万分の一の可能性も消え失せてしまうかもしれないのだ。


 反対されるだろうことも、ある程度予想がついていた。

 ただでさえハーフは嫌われ者なのだ。

 だからこそこんな状況下で騒ぎを起こせば、ハーフに好意的な長老でさえ、抑えきれなくなるだろう。


 迫害や、それに近いことは今に始まったことではなく、ハーフと呼ばれる者のほとんどは戦争が終結してからというもの、行動を制約され続けてきた。

 純血である人間と妖精は、忌み嫌う片方の血を受け継ぐハーフが許せないのかもしれない。

 なんとかしたくて必死に抗っても、否応なしに叩きつけられる現実。


 だからこそルアスは下手なプライドを前面に押し出して、無意味な諍いを招くわけにはいかない。少なくとも大切な存在は確かにいて、限りなく大切な存在が今生死の境を彷徨っているのだから。


 ルアスの言葉に目を閉じ、微動だにせずじっと考えるような姿勢で長老は黙っていた。やがてゆっくりと目を開ける。


「よろしい、許可を与えよう」


 長老の言葉にルアスは満面の笑みを浮かべ、逆にガロウは驚愕と反発の表情を顔全体に映しだした。


「こんな奴の言葉を間に受けて送りだそうとするなんで、馬鹿げているにも程があります。行くと見せかけて裏切るに決まっています。しかもこの小僧は破壊と混沌を生むと伝えられている禁忌の炎を、我々の目の前で使ったのを見たではありませんか。信用に値しません! お考え直しを!」


「見苦しいぞガロウ! ならばお主がそこへ行って薬草を取ってくるというのか」


 長老は熱弁を奮うガロウに一喝すると、身を縮こませた。

 俯き加減に、どことなく苦々しげな表情を忍ばせている。


「他に意見のある者はいないか」


 長老は立ち尽くす彼等の顔を見渡しながら問い掛けるも、なにも返答がないのを見て取ると、ルアスへと顔を向け歩み寄った。


「では、お主に全てを託すとしよう。今は家に戻り、準備を整えるといい。それが終わり次第、ゴルファ洞窟に詳しい者の住む場所を教えよう」


「はい、長老」


 素直にルアスは頷き、長老は辺りを見渡し解散の意を告げると、各々は複雑な面持ちで帰途についていく。



 ルアスは安堵の息を尽き、一旦家に帰り言われた通り出発の準備を整えなくてはと思った頃、今になって奇妙な不自然さを感じた。

 誰かの存在を忘れている。エルフォーネの他に、いつだってルアスの傍にいてくれた、いつも自分を庇い、微笑んでくれた女性。


 アーサーとの出会い、魔物の襲来、そして危険な洞窟への薬草採取。

 すべてが唐突すぎて気づかずにいた。

 町に戻ってからも、今この場所にも、その姿はなかったのに。なぜ忘れてしまっていたのだろう。


 再び、いや先程以上の不安がルアスの胸を駆け巡った。

 嫌な予感がする、とてつもなく嫌な予感。できるなら当たってほしくはない。

 他の者達は帰ったのか誰一人おらず、家の住人である長老は扉の向こうで椅子に座り、息をついている。

 ルアスはやがて意を決し、長老の方へと歩を進めた。


「……ルアス?」


 よほど切羽詰った表情をしていたのだろう、心配げに見上げる長老の顔があった。


「…姉さんは、どこですか?」


 問いに長老は数秒、ルアスを見上げたままの姿勢で固くなった。

 どう応えていいものか考えあぐねているようだった。


「……ここには、おらん」


 長老は結局言葉を探し当てることができずなかったのか、ルアスから視線を逸らし、呻くように呟いた。


「ここには? ここにはとはどういう意味ですか。教えて下さい!」


 ルアスは、若干前のめりになりながら詰問する。

 手を激しく打ちつけたテーブルは、今の思いを代弁するかのように悲鳴を上げた。


 だが長老は重く口を閉ざし、それに応えようとはしない。


「長老!」


 更にルアスは強要するような、切羽詰った口調で説明を促した。

 数分間の沈黙のあと、決心がついたように長老は口を開く。


「お主の姉は、シンシアは……」


 長老は一呼吸置く。


「鳥魔獣に連れていかれた。いや連れ去られたと言うべきか……」


 聞くやルアスは、意識が遠のくような目眩に襲われた。


(姉さんが、シンシア姉さんが連れ去られた? しかも鳥魔獣に? なぜ。どうして、よりによって姉さんを?)


 疑問符がルアスの頭の中を駆け巡る。

 追い討ちをかけるように、さらに長老は続ける。


「鳥魔獣に人語が話せるほどの知能があるとは思えん。今頃シンシアは既に……」


 言い終えぬうちにルアスは再び手をテーブルに激しく打ちつける。

 強く拳を握ると、すぐ様長老の家を飛びだした。他のなにも考える余裕もなく走っていた。


「姉さん! いるんだろシンシア姉さん!」


 体中が震え、どうしても信じることができない言葉を、なぜか頭から払うことができないまま部屋の扉を乱暴に開け放つ。

 最初に居間、次にシンシアの部屋、自分の部屋、庭や裏庭の方まで順々に彼女を呼びながら探すのだが、すべてもぬけの殻だった。

 まるで最初から誰もいなかったかのように。


 徐々に哀願とも懇願とも言い難い、か細いものになっていくものの、シンシアの名を呼び続けた。

 地下から這い出してきたときに見た鳥魔獣と、その手に掴まれた女性が、まさか自分の姉だとは思いもよらなかった。

 目にしたときの胸中に渦巻く不安が、こんな形であらわれるとは思いもしなかった。

 嘘だと、夢だと思いたかった。

 どうしたのと言いながら、何事もなかったかのように出てきてほしかった。


 この町が魔物に襲われエルフォーネが傷つき、唯一の肉親である姉シンシアがいなくなってしまった、この時を夢だと思いたかった。

 これが夢で、本当はいつもと同じ日常が繰り返されるのだと、そう思いたかった。

 けれど大地の土に手をつけている冷やりとしたこの感覚も、自分が切り殺されかけた痛みも、決して夢ではない。


 たとえこれが夢でなくても、エルフォーネが毒に侵され苦しんでいるだけならばまだなんとかなる。

 解毒剤である薬草を取り必ず帰れば、またいつもの日常が戻ってくる。

 そう思っていたのに。守りたかった片方がいなくなってしまことが、胸を焦がすように辛かった。


 長老が言っていたように鳥魔獣だけに限らず、ほとんどの魔物は知能が低く凶暴だ。

 攫われたのなら、シンシアが生きている見込みは少ない。

 ルアスは自分への悔しさと情けなさとで、何度も何度も拳を地面に打ちつけた。


『いつまでそうしているつもりだ?』


 裏庭に座り込み、血を滲ませながらも地面に拳を叩きつけるルアスに、アーサーは冷淡にも言い放った。


「……せ…よ」


 このときルアスは沸々と怒りが込み上げてきていた。


「…うるせえよ。お前なんかいなければ、こんなことにはならずに済んだかもしれないのに。お前になんかに会わなければ、間に合ったかもしれないのに! 回避できたかもしれないのに……」


 拳を握りしめ、土を掴み、その土を涙で濡らしながらアーサーを罵倒した。

 全てを救う力など無いことは、最初から知っている。

 たとえ間に合っても、守りきれる保障などないとわかっている。

 けれどなにかに当たらなければ、自分への腹立たしさと不甲斐なさで押し潰されそうだった。


『だからといって、そなた自身が倒れれば意味はなかろう?』


 アーサーの一言に、ルアスは胸を衝かれる思いがした。

 それはルアス自身、思っていたことだから。


『そなたが死に、そなたが守りたかった者が生き残ったとして、それで本当に満足か?』


「……違う」


 数瞬感覚間をあけ、ルアスは項垂れたままの姿勢で応えた。

 いいわけがない。

 ルアスの望みはただ一つ、守りたい者達と共に生き続けること。たったそれだけのことなのだから。

 それがほんの一日の出来事で、脆くも崩れ去ろうとしていることが、なにより悔しい。

 この想いだけが生き続ける理由だったというのに、簡単に割り切れるはずがない。


「……ルアス」


 ルアスの後ろにある裏庭の出入り口から、躊躇いがちな老人の声が掛けられた。


「…すまぬ、ルアス。シンシアを守りきれなかった責任はワシにある。恨みを晴らしたいと言うのなら、ワシを好きにしてくれて構わぬ」


 ルアスは微塵も動くことなく、無言のまま長老の話を聞いていた。

 長老もルアスの返答を求めていたわけではないらしく、先を続けた。


「あのとき、ワシはあの子の近くにいたのだよ。だがなにもできぬまま、結局は見過ごす形になってしまった。本当に申し訳ないと思っている」


 ふと外の暗さも交わって、伏せ見がちに傾ける表情に陰影が舞い降りる。


「だがその前に、身勝手な願いだということは重々わかっているが、毒に侵された者達を救ってやってからにしてくれないか。今のワシにはルアス、お主の炎の力に賭けるしかないのだ。たとえ混沌と破滅を生む力だとしても……」


 その間、ルアスは終始無言だった。

 長老の声が聞こえていないわけではない。

 今のルアスには、そんなことはないと言える自信がない。

 もしも今言葉を発したら、アーサーにしたように、きっと長老を責めてしまう。だからなにも言えなかった。


 長老はその想いに気づいたのか、深く追求しようとはせず、代わりにゴルファ洞窟の案内人へと話を進めた。


「知っておるかもしれぬが、町離れにゴルファ洞窟内に詳しいエルフの若者が一人住んでおる。ワシ等がこの場に集い町を建て直す、サフィニアがあった以前から、この地に住んでいたらしい。捻くれ者だが、根は優しい子だ。きっとお主の力になってくれよう」


 言い終えると、長老は静かにその場を後にした。

 ルアスは長老を見送ろうとはせず、先程と同じようにまったく動くことはなかった。


 やがてルアスの髪を撫でるようなそよ風が、闇の中を吹き抜けていく。

 アーサーは無言のまま、辛抱強くルアスが落ち着くのを待ち続けた。


「……行かなくちゃ」


 呆けるように座り込んでいたルアスは、やがて小さく呟くと立ち上がり、準備を整えはじめた。

 今回のことは、簡単に立ち直れる問題ではない。

 けれどこうしている間にもエルフォーネは毒に侵され続け、手遅れになってしまうかもしれないのだと、気持ちを奮い立たせた。

 今はまだ、エルは生きているのだから。

 そして姉の死を、まだこの目で確認したわけではないのだから、と。



 準備とはいっても自分の家にあった少しの食料と、傷を癒すための薬草と、愛用の剣を腰に巻きつけただけのごく簡単なものだった。


 それらをすべて身につけると長老が指し示した、町外れに住むシェイドという名のエルフの若者の家へと、重い足取りで向かった。


 歩きだした道筋は闇に覆われていたが、月明かりのおかげで、歩くぶんには別段不自由しなかった。

 幾分か歩き続けたあと、やがて目の前に建物らしきものがぼんやりと見えた。

 家だとはっきりとわかる範囲まで近づき、扉の前で立ち止まる。扉をノックしようとしたが、一瞬躊躇した。


 こんな真夜中に人の家を訪ねるのどうなのだろうか、という思いが頭を過ぎる。

 しかし悠長にしていられる状況ではないと思い直し、木製の扉をノックした。


「貴様何者だ」


 数分も経たぬうちにルアスは、鋭く突き刺さるような冷淡な男の声と共に、剣の切先を背中に押しつけられていた。

 思いがけない出来事に体を硬直させると、冷汗が額から頬をつたい、瞬時に乾いた喉に生唾を飲みこみ、絞りだすような声を発した。


「お…俺はルアスっていうんだ。ここからすぐ近くの町に住んでいて…」


「用件はなんだ」


 男は声調を変えることなく、剣先を背中に押しつけたままの姿勢で更に詰問した。


「実は…俺の町に魔物が襲ってきて…その中の何人かが鳥魔獣の毒にやられて…。それで必要な薬草が洞窟にしか生えないものらしくて…取ってくるように、長老が…」


 歯切れ悪く応えると、男はすっと剣先を納め、扉を開けながら独り言のように語る。


「なるほど。あの町が魔物に襲われていたのは知っていたが、そういうことか。それでゴルファ洞窟の内在を知っている俺に、白羽の矢が当たったというところか。……それにしたって、こんな奴を俺のところに送り込んでくるとはな」


 月明かりに照らされながら肩越しに振り返った青年の顔は、目元の鋭い紫暗色の瞳と、闇にも似た漆黒の髪とが印象的だった。


 歳の頃はルアスより少し上。

 もしかしたら姉と同じくらいの年頃かもしれないと思いながら、まるで釘を打ちつけられたように、青年の端整な顔から目を離すことができなかった。


「俺には関係ない、協力してやる義理もない。行きたければ一人で勝手に行くんだな」


 突き放すような物言いにルアスは我に返り、青年が一人部屋へと入り閉めようとする扉を掴むと、困惑をあらわにしながら突っ掛かった。


「ちょ…ちょっと待てよ。お前、長老が言っていた奴じゃないのか。町が襲われて被害が出てるっていうのに、よく無関係だって言えるな!」


「無関係を無関係と言って、なにが悪い。そもそも奴等と馴れあった憶えもないんでな、どうなろうと知ったことじゃないさ」


 青年は突っ掛かるルアスを一瞥すると、冷笑をあらわにした。

 それは皮肉も含んだ笑みだった。


「どうやら人間の血が濃いようだが、貴様はハーフだな。今までハーフがどんな悲惨な目にあってきたのか、貴様が一番良く知っているのだろう。そんな奴が町の奴等に義理立てするというのも、とんだ笑い種だな」


 冷笑を浮かべながら、ルアスを見据える。

 笑みと同じく冷淡で、更に突き放すような口振りである。

 ルアスは彼の言葉に窮したが数瞬ののち、先程とは打って変わった真摯なまでの表情で、青年と向き合った。


「…たしかにハーフだという理由で嘲る奴や卑下する奴、いろんな奴が嫌というほど大勢いたよ。そう考えると、俺は変かもしれない。でもそれでも無事に生きられたのは、長老のおかげなんだ。それだけじゃない、俺にもほんの一握りだけど、守りたい奴、救いたい奴がいる」


 一呼吸間を置き、ルアスは続けた。


「……一人はもうここにはいないけど、もう一人は鳥魔獣の毒にやられて苦しんでる。せめてそいつだけは助けたい。お願いだ。一緒に行動するのが嫌なら、ゴルファ洞窟にあるっていう解毒剤の薬草の生えている場所だけでいい。そこの行き方だけでも教えてくれ!」


 言い終えるとルアスは、深々と頭を下げた。


 洞窟にある薬草の探索中に、命を落とすことになるかもしれない。

 薬草を見つけ持ち帰ることができたとしても、間に合わないかもしれない。

 帰る途中、もしくは薬草を目前にして朽ち果てることもあるかもしれない。


 けれどなんにしても、目的の薬草のある場所にできうる限り迅速に行き着くためには、洞窟内に詳しい青年にどんな形であれ頼らなければ、先に進むことさえできないのだ。


 室内は暗く、その中で深々と頭を垂れるルアスに、青年は視線を投げつけた。

 興味とは別に、まるで自分の遠い過去と今のルアスとを重ね合わせ想いを馳せているかのように、瞳の奥が揺れていた。

 ほんの一瞬、青年の瞳に寂寥と悲哀の入り混じったような、なにかが過ぎていく。

 やがて青年は頭を下げたままの姿勢のルアスに一瞥をくれたあと、奥の部屋へと引っ込んでしまった。

 ルアスは遠ざかる足音に気がつき頭を上げ、困惑気味に声を発した。


「ちょっと待ってくれ!」


 足早に青年が行ったと思われる方へと向かい、更に詰め寄ろうとしたところへと荷袋が飛んできて、ルアスはすかさず受けとめる。


「これは?」


「装備品と道具一式だ。その格好のままでは、死にに行くようなものだ。どうせなら生きて帰りたいのだろう」


 荷袋を抱えながらの素気ない青年の態度に、ルアスは顔を明るくした。


「それじゃあ…」


「今回だけは行動を共にしてやってもいい。貴様の為すべき行動を見届けてやるのも悪くない」


 実際に見届けるだけだ。

 それ以上のことはしないと、青年は相変わらず冷淡な口調で頷いた。


 青年の冷たい印象が、完全に拭い去れたわけではない。

 けれど純血の妖精から敵意を向けられることの方が多かったため、少なからず受け入れてくれたことが嬉しかった。

 長老の言うとおり、思っているほど酷い相手ではないのかもしれないと、ルアスは洞窟へと向かう青年の後ろ姿を見ながら思った。


「自己紹介がまだだったな。俺の名はシェイド。今度からそう呼ぶといい」


 玄関扉を僅かに開き、隙間から洩れる月明かりに照らされながら、エルフの青年シェイドは告げた。

 扉から差し込んだ月明かりが、まるで希望の灯火のように感じられた。



「へえ、ここがゴルファ洞窟か」


 着いたのは、いまだあたりは闇に覆われている真夜中だった。

 入り口へと着いた途端、ルアスは感嘆の声を上げた。

 洞窟自体はごくありふれたものだったが、長老達の話から、入り口付近から魔物がひしめいているとばかり思っていた。

 そのためあまりにも無防備な門構えに胸を撫で下ろしていた。


「いて!」


「なにを感心している。表向きは平穏そのものに見えるが、中に入れば魔物がうろついている。何気なしに構えていると命を落とす羽目になるぞ」


 頭を叩き、呻くルアスに言い放つと、シェイドは無愛想な表情を更に険しくした。


「言っておくが、ここから先は冗談ではすまない。引き返すなら今のうちだが…」


「もちろん行ってやるさ」


 ルアスも真剣な顔をシェイドに返し、頷いた。


「…そうか」


 一瞬間をあけて返答すると踵を返し、シェイドは洞窟の入り口へと歩き始めた。

 彼の行動に微かな疑問を持ちながらも、ルアスは後に続こうとした。


『待て、ルアス』


「うわ、一体なんなんだよ」


 落ち着き払った、よく通るような声がルアスを制した。

 反対にルアスは、今まで無言だったアーサーの声に驚き、歩きだそうとした足を思わず止めた。


『あのシェイドという青年、なにもかも信用しない方がよいかもしれん』


「なんで?」


 思いがけない言葉に、ルアスは目を丸くした。


『あの男の周りには、なにか禍々しいものがうごめいている。己をも喰い尽くさんとする憎悪や悪意といったな。よいかルアス、今回のことが終わったなら即刻あの者から手を引くが良い。そもそもシェイドとは、シェイドという名の意味は……』


「ああもう、うるさい!」


 ルアスはまどろっこしいというように声を上げ、言葉を遮った。


「なんでそんな理由にならないようなことで、誰かを疑わなくちゃいけないんだ。一体それがなんだっていうんだよ。洞窟へ行きたいっていう俺の我儘に、あいつは諾と言ったんだ。誰かを信用するのに、それ以上の理由はないよ」


「おい、なにをしている」


「わるい、今行く!」


 入り口の前で呼びかけるシェイドに手を振り上げ、それに応えながら彼のもとへと駆け寄るルアスに、アーサーはため息をつきながら思った。

 そなたの言う理由とやらも、理由というには程遠いものではないか、と。

 だが炎をその身に宿らせているルアスというこの少年も、禍々しい存在であることには違いない。


 思いながらシェイドいう若者と、ここに来る前に町の住人が話していた、洞窟にいるというリーダー格の魔物に対し警戒を怠らないよう、アーサーは密かに決意した。

 同時に体内に宿りし炎を持つ少年を何故気づかずに宿主に選んでしまったのだろう、という疑問をくすぶらせながら。


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