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六回

 エルフォーネ達の目的地である、水の神殿。

 人間達の住まう街を、グレナス父子おやこと共に離れ、再び神殿へと向かい始めている頃。

 ルアスとシェイドは各々の檻に閉じ込められ、既に二週間が経過していた。

 檻とは、空洞となっている洞穴の天井から、蔓状の植物が幾重にも施された、カゴのようなものである。


 植物を司る精霊の魔法で檻へと、ルアスは何度も拳を打ちつける。

 けれどそれくらいでは、ビクともしない。

 吊るされた宙ぶらりんの状態であるというのに、揺れ動きもしない。


「聞こえてるんだろ、いい加減ここから出せ。フィニアに逢わせろ!」


 ルアスとシェイドしかいないこの場所で、あらん限りの声を張り上げた。

 門番さえいないのは、風の魔法が施されているためである。

 魔法というのが、使い手によって効果範囲は変わるものの、かけられた相手の声が、かけた本人の下に届くというものである。

 それを知らされた上での、ルアスの発言である。

 しかし閉じ込められてからというもの、一度フウラの使いの者が訪れて以来まったく音沙汰はない。

 悔しそうに蔓状の檻を掴むと、口を一文字に結んだ。


「どんなに騒いだところで、どうにかなるわけではないだろう。フィニアになにかしらの変化がなくてはな」


「そのフィニアが心配だから、こうして叫んでるんじゃないか! こんな状況だっていうのに、アーサーはいまだに静まり返ったままだし……」


 水の神殿に来た今でもアーサーは身を潜めたきり、姿どころか聲さえも聴こえない。

 ウンディーネに会うと決めたのは、他ならぬアーサーである。

 なんの反応も示してくれないことさえ、ルアスの苛立ちを募らせる要因の一つだった。


 今ここで出てきてくれたなら、様々な活路が好転されるはずなのである。

 いつまでも閉じ込められることもなく、意識不明の状態に陥り、隔離されたフィニアとも面会できる。

 それ以前に捕らえられたり、その身にウンディーネを受け入れて昏睡状態になっていなかったかもしれないのだ。


 精霊は主に精神体。肉体を持つ人間や妖精、動物達よりも、それが占める割合は大きい。

 だからこそ、いくら精霊を呼び出せる妖精とはいえ、精霊が自分の精神より大きければ大きいほど、自我や意識は崩壊し、生きながらにして死んでいるという状態になりかねない。

 故にウンディーネを受け入れたフィニアの肉体は熱に浮かされて疲労困憊し、意識を失いながらも意識下で巨大な力に飲み込まれぬよう抗っているかのように、うなされている。

 そんな中で強引に引き裂かれ、こうして檻に閉じ込められている。


 歯痒さと苛立ちと悔しさで、ルアスの拳には自然と力がこもる。

 シェイドは冷淡にルアスを一瞥すると、天井を仰いだ。


「脱出する方法がないわけじゃない」


 一人言のように語るシェイドへと、問うような視線を向ける。


「貴様の炎を使えばいい。植物と水の関係は、すこぶる良い。だが貴様の炎なら、すべてを焼き切れるだろう」


 炎を使えばいいと聞き、ルアスはその手があったかと喜ぶより先に恐怖が色濃く込み上げる。

 ポーアのいた村での出来事が、いまだに心を縛り付けていた。


「…俺はまだ、炎の扱いに慣れてないんだ。それにシェイドだって炎系の魔法が使えないわけじゃないんだろ。フィニアが心配じゃないのかよ!」


「確かに心配だ。だが水の領域の強いこの場所では、条件が悪い。使えない、もしくは使えたとしても焼き切るだけの火力はないに等しいだろうな」


 だからこそルアスの扱う炎のほうが適任だとシェイドは暗に語る。

 ルアスは握る手に汗が滲んだ。

 おそらくシェイドの憶測は正しいのだと自覚しているが故のものだった。


(覚悟……。俺の覚悟はこんなものかよ)


 フィニアが水の精霊の長の力を借りるために、その身を差し出すとき口にした「覚悟」という言葉を思い出した。



 ルアス達が水の神殿付近へとやって来たのは、今から約一ヶ月半前のことである。

 水の神殿と銘打っているだけあって、澄んだ水が広がっている。

 まずは湖が辺り一面にあり、正門から一直線に橋が架けられている。

 当然ながら水の中にも神殿の支柱は伸びているが、底の方にまで壁が連なり、小窓がいくつか見て取れる。

 下にも部屋が造られているのだろう。


 水中にあらわになっている外壁が所々崩れかかっているのは、妖魔や魔物の襲撃によるものに違いない。

 どことなく寂れた感は否めないが存在感は充分にあるため、襲来がなければ威厳をもってそびえ建っていたのだろうと推測できた。


 湖畔から離れると、森というほどではないにしても、見晴らしは良いとはいえない状態で木々が転々と広がっている。

 ルアス達は神殿が目に映る範囲の木々に隠れていたが、容易に入れずにいた。

 魔物達に備えて神経を張り詰めている彼等妖精達に気づかれては危ういということもあるが、一つの問題が提示されて以来解決していないためである。

 以前妖精の集落等に立ち寄ったときと、同じ要領で中に入ることも難しい。

 純血の妖精であるシェイドとフィニアだけなら問題はないが、やはりルアスが一番の関門だった。


 今回ばかりはルアスを同伴させなくてはいけない。

 更に細かく述べると、宿っているアーサーの存在が必要不可欠だった。

 そのことは全員が承知済みのことである。


 けれどシェイドとフィニアの間で、不穏な空気が流れている。

 片や見下したような冷ややかさがあり、片やどこか拗ねたように精一杯睨み上げている。

 ルアスは自分のことであるために仲介をせねばと感じているのだが、どうして良いのかわからず、二人を交互に見上げながら萎縮する。


「ですからいつものようにハーフであることを隠すか、神殿の近くで待って頂くというのはどうでしょう」


 フィニアの案が、真先に提示された。


 しかしシェイドとしては思わしくないようで、眉を僅かに寄せる。

「水の神殿だからこそ、こいつなしでは困る。理由は不明だが、コンタクトが取れる状態ではないとはいえ、アーサーが宿っているんだ。ここまで連れてきたのが奴なら、なおさら宿主であるこいつは必要だ。それにここの連中が魔物や妖魔と交戦中なら、混血児だということを隠して潜入すれば、正体が知れたとき必要以上に刺激しかねない」


 もっともな意見を前に、フィニアはなにか言いたげに、何度も口を動かそうとしていた。

 けれど反論するだけの意見も、それを解消するだけの案もないために力なく肩を落とす。


「アーサーが出てきてくれたら、一応問題は解消するのにな」


「それができないからこそ、こうして案を出し合っているのだろう」


 神の使いとされる白竜の姿をしているために、アーサーが姿を現してくれたなら、少なからず思い通りに事が進むのではという見解が色濃い。


 しかし何度呼びかけても応じないことに、多大な諦めと一抹の不安とを抱いている。

 とはいえアーサーをウンディーネに引き合わせることができたら、事態は好転するのではという思いもあった。

 どちらにせよ水の神殿内に赴かなくては始まらない。

 束の間、ルアスとフィニアを見やるために顔を上げた。


「俺は堂々とルアスを混血児だと明言していくべきだと考える」


 残された二人は発言者であるシェイドを、色をなして見つめた。

 混血児がどのような状況下に置かれているかを知ればこそ、真意を掴みきれずにいたのである。

 非難するにしろ伺うにしろ、問うような視線を向けてはいるが、声となって紡ぐことができずにいる。

 それが否応なくわかっているのだろう。シェイドは説明を始めた。


「先程言ったように混血児だと告げずにいた場合、無用な混乱を与えかねない。ならば俺達の小間使いだとでもいう理由で連れて行けば、少々の難はあるだろうが無難だろう」


「ですが……」


 身を偽っていた場合、正体が知れたときのことを考えると一理あるのは頷ける。

 反面、混血児を蔑む傾向のある昨今、ルアスへの風当たりも半端ないだろう。


「やはりルアスさんには、暫くここに留まって下さっていたほうが良いのでは?」


「こいつに宿るアーサー抜きで、どうやってウンディーネと交渉するつもりだ」


「それは……」


 シェイドの言いたいことがわからないわけではないのだろうが、堂々巡りになりつつあるのは、ルアスの身を案じるためである。

 ルアスは心遣いに感謝しながら、このままでは話が進まないことを慮り、二人に割って入るように進み出た。


「ありがとう、フィニア。けど俺は構わないよ。小間使いでもいいから、一緒に行く」


 本人にはっきりと承諾されて、フィニアはなにか言いたげな表情をしていたが、それを呑みこんだ。

 けれど納得するわけにはいかないのか、なおも口を開きかけたときだった。


「お前たち、何者だ。ここでなにをしている」


 ルアス達は驚き、声の主へと目を向けると、深緑の髪と真青な瞳を併せ持つフェザーフォルクの青年の姿があった。

 短刀を構えて睨みすえている。

 話に熱中していたということもあるが、間近に迫られるまで気づかなかったということに、少なからず動揺を隠しきれずにいた。

 話の内容も関係者に聞かれては意味を成さない。

 そのことも手伝って、ルアス達はすぐになにかしらの対応を取れずにいる。


「答えたらどうだ。それとも魔物の味方の者達か!」


 なにも答えないルアス達に、フェザーフォルクの青年が威嚇する。


「あの、違うんです」


「俺達は水の神殿に用があって立ち寄ったんだ。だがこいつがいるから、どうしたものかと話し合っていただけだ」


 フィニアが慌てて、今にも襲い掛かってきた青年を押し留める。

 続いてシェイドがルアスの存在を匂わせながら掛け合った。

 青年は真偽を確かめるように鋭い眼差しをくれる。嘘ではないため、少々の罪悪感はあるものの、ルアス達は動じることはない。

 半信半疑であるようだったが人間の容姿に近いルアスを目にして、渋々ながらも短刀を下ろした。


「ではなんの目的で水の神殿へとやってきた」


「訳ありの旅をしている。だからこそ神殿に立ち寄って、加護を承りたいと立ち寄ったんだ」


「そこの混血児もか」


「そうだ。一時的なものにせよ同行者だ。旅の加護を受けていないということで、なにかしら災難に見舞われても困るんだ」


「その言葉に偽りはないな。祭殿の前に立っても、同じ事を言えるか」


「無論だ」


 シェイドの迷いない発言に青年は暫し思案に耽っていたが、やがて相槌を打つように頷いた。


「わかった。私の取り計らいがあれば、祭壇にまでは無理だとしても水の神殿には入れるようにしてやろう」


「あなたは一体……」


「私はナリス。この神殿内にて、副官を勤めている。今は魔物たちを警戒するために、他の者と手分けをして巡回中だ」


 いくら巡回中とはいえ、重役の者がこんなところで一人でいることに目を瞠り、ルアス達は逆に疑いを持った。

 視線の意図に気がついたのか、ナリスは苦笑交じりの薄い笑みを浮かべる。


「いきなり信じろという方が無理な話だな。来い、フウラ様の下へと案内してやろう」


 踵を返すとナリスは、ルアス達を促しながら歩み始めた。

 神殿の入り口へと来ると、警備にあたっていた数人がルアス達の姿を改めるために、門の前に立ちはだかろうとした。


「良い、彼等は客人だ」


「ナリス様、これは失礼致しました。ですがそこにいる人間は……」


「かまわない、通してやれ。少年一人では、なにもできはしないだろう」


「は、はい!」


 あまり抵抗されることなく、程なくして入室することができた。


 案の定ルアスへの視線や待遇は良いものではなかったけれど、水の神殿においてナリスの立場は少なくとも低いものではないと知れる。

 中に案内されると外壁の見た目以上に、しっかりとしていた。

 神殿に住む彼等の扱いの丁寧さや、補強の賜物だろう。

 それだけではなく心地良い涼やかさが漂ってくる。

 通路の脇々に用水路が取り付けられ、緩やかな水が流れているためだろう。

 説明によれば進行方向も調節できるため、よほど重い物でなければ運搬としても用いられているらしい。

 多くの妖精達を受け入れるだけの広さと部屋を有した神殿内に、用水路が取り付けられているのだと知ると、感嘆せずにはいられない。


「まずは私たちの巫女に会ってもらう」


「巫女、ですか」


「そうだ。巫女は神殿内にて、ウンディーネともっとも強く交信できる方だ。我らの象徴であり、まとめ役でもある」


 入内すれば即自由行動ではなく、訪れた者は皆、一度は責任者である巫女に会うのが通例のようだ。

 むしろ当然の処置といえる。ルアス達はナリスに案内され、奥へ奥へと進んでいく。


 その間、巫女に関しての説明を受けた。

 巫女は、ウンディーネと最も強く交信できる人物を差している。名称は巫女となっているが、男がその任につくこともある。

 だが一人が長く座を守り続けているわけではなく、妖魔達と激闘を繰り返しているために以前の巫女が命を落とし、代替えが行なわれることも稀ではないという。


 やがて辿り着くと、神殿近辺を警護していた彼等と同様の者達に囲まれるようにして、青銀の髪と瞳を持つ女がいた。

 妖精は年齢と容姿が一致しない場合もあるが、年の頃はルアスと同年代か少し上といった風貌だった。

 凛とした眼差し。清涼感溢れる物腰。

 穏やかな雰囲気を感じるも、覇気のある迫力が滲み出している。

 ウンディーネと、もっとも強く交信できるというのも頷けた。


「フウラ様、ただいま戻りました」


「巡回ご苦労様です。そちらの方々は?」


 ナリスはフウラと呼ぶ女に拝礼すると歩み寄り、耳元でなにかしらを囁いた。


「わかりました。貴方は巡回に戻ってください」


 ナリスは一礼すると、静かに場を後にした。

 フウラは小さく頷き、見届けるとルアス達へと向き直る。


「このたびは水の神殿へと、よくお立ち寄り下さいました。私はフウラと申します。宜しければ貴方方のお名前を聞かせ願えますか」


「ケティル」


 闇の精霊シェイドの名ではなく本来の名を語ったために怪しまれることはなかったが、代わりに訝しむような視線が突き刺さる。

 闇の精霊を取り込んだ影響か、シェイドの身に陰気な空気がまとっていたからかもしれない。


「私はフィニアと申します。そしてこちらが……」


「混血児がいるというのに、神殿に入れて下さった懐の深さには痛み入ります」


 続いてフィニアも自己紹介し、ルアスの紹介をしようとする。

 だが断絶するように、フウラの労いにたいしてシェイドは言葉を続けた。

 取り残された二人は、巫女フウラの醸し出す雰囲気に少なからず圧倒されていたことと、タイミングを失ってしまったことにより口を噤む。


「来ていただいた早々不躾な質問で申し訳ないのですが、こちらにはどういった御用向きなのでしょう」


「このたび赴いたのは、ここが水の神殿だったからです。俺達は住んでいた集落が魔物の群れに襲われ、滅ぼされて以来、各地を転々としてまいりました。神殿の近くを通る機会があったために、精霊の長ウンディーネに旅のご加護を承りたく、足を伸ばした次第であります」


 フウラの問いに、シェイドはさほど間を空けることも悩むこともなく言ってのける。

 一部は事実であるものの、よくそんなに簡単に思いつくものだとルアスは内心感嘆した。

 フウラはシェイドの言葉に一度ルアスを見やり、合点がいったように頷いた。

 小間使いとはいえ混血児を連れていては、無用な厄介事が舞い込むためだろうと思い巡らしたようだ。

 この旅でだいぶ慣れてきたとはいえ、やはり良い気分はしない。ルアスは僅かに視線を逸らし、俯いた。


「ところでなぜ、そのようなことをお聞きになさるのですか」


 今度はシェイドが問う番だった。

 そうでしたとフウラは改めて姿勢を正し、ルアス達を見つめる。


「この神殿はご存知の通り、水源が豊富ゆえに長の一人であるウンディーネの勢力が強いため、奉られた場所です。ですが魔が蔓延はびこるようになってからというもの、時折魔物や妖魔が襲い掛かってくるようになりました。近年では更に頻度が増しています。そのため同士である純血の妖精に一人でも多く、この地に長く留まり願いたいのです」


 シェイドはフィニアを見やる。フィニアも頷くと、一歩進み出た。


「心中お察しします。ですがすみません。私達は、どうしても行かなくてはいけない所があるのです。この神殿に立ち寄ったのも、そのためです」


 言い終えると、フィニアは丁重に頭を下げた。申し訳なさそうな彼女に、フウラも軽く会釈する。


「いいえ、無理を申し出たのはこちらです。お気になさらないで下さい」


「ではこちらの用件もすませたい。早速ウンディーネの奉られている祭壇へと案内して頂きたいのだが」


 予断を許さないシェイドに、フウラは少々躊躇いがちにルアスを見やる。


「その小間使いも、同行させるおつもりでしょうか」


「なにか不都合でも?」


 傍から見てもわかるように、あからさまに異物に向けるような眼差しで問うフウラに、シェイドは気づいていながらも顔色一つ変えずに反問した。


「祭壇はいわば聖地のような場所。仕方なく神殿内に入れましたが、そこにまで彼の者を引き入れては穢れましょう。どうしてもと仰るのなら、貴方方お二人だけに限らせて頂きます」


「わかりました」


「話がわかるお方で嬉しく思います。それまでの間、彼の者は賓客室へとお連れ致しましょう」


 フウラが手を叩くと護衛の内二人が進み出て、片方はシェイド達、もう片方はルアスを連れて案内していく。

 しかしルアスの連れて行かれた場所は、賓客室とは名ばかりの牢屋だった。

 強引に護衛に頭を押さえつけられると、有無を言わせず放り込まれた。

 叩き付けられ、倒れ込むルアスへと、護衛は見下した笑みを口端に浮かべる。


「その程度の待遇で済んでいることに、フウラ様やご主人様達に感謝するんだな。本来なら原型が留まらないくらいに葬り去っているところだ」


 護衛は一秒でも、傍にいたくはないのだろう。吐き捨てると、即座に踵を返した。

 一人薄暗い牢の中に取り残されたルアスは、沈痛な思いで項垂れた。

 ポーア達の惨劇とフロリスミアの言葉が、今なお胸の中で燻り、一つの想いを形作っていく。

 認めたくない。けれど頭をもたげて離れない。


 アーサーに聞きたくてたまらない疑問などが、次から次へと溢れ出してくる。

 問いたいのではなく、自分の中にある答えを確かめたいのだということを心のどこかで気づいているために、姿を現さないことに安堵もしていた。

 けれどいつかは直面しなくてはいけない想い。


「俺は……」


 呟くとルアスは、胸元の服をグシャリと掴んだ。



 その頃シェイドとフィニアは、祭壇へと連れられていた。

 辿り着いてみると祭壇というには、いかにも簡素だった。

 部屋のほぼ一面の床には円形の水受けがあり、中心部の小さな穴からは噴水のように湧き出している。真正面にはウンディーネの偶像が、左右には水を象ったレリーフが彫られている。

 他には、これといって特別なものはない。


 シェイドは感銘も躊躇いもなく間近に寄ると片膝をつき、胸の前で印を結ぶと祈るように指を込んだ。

 印は、精霊の長が奉られた場所へと来ることのできた感謝を表している。

 少なからず戸惑いを隠しきれずにいたフィニアも、一歩遅れて印を結ぶと指を組んだ。

 数刻後シェイドは立ち上がり、警護の者へと振り返る。


「ここまで連れてきてくださったことに感謝します。長期間は無理ですが、暫くは滞在させて頂きたい」


 フウラ達から滞在を望んだのである。警護の者は、その旨を拒むことはなかった。

 牢に入れられていたルアスは、シェイド達が戻ると開放された。

 ただしルアスは目をつけられているうえに、小間使いとしている以上、どうしても注目を浴びてしまう。そうなるとシェイド達も必然的に、多くの視線を浴びる。


 ろくに落ち着くことも、話をすることもできないからと頼んだところ、部屋を貸しつけてくれた。

 想定以上に早く用意してくれたところをみると、案内してくれた警護が話を通してくれていたのだろう。

 ルアス達は、その部屋へと集っていた。


「暫くの間神殿に滞在することになったが、ただではルアスを祭壇に入れてはくれないだろう。アーサーという証明者がいない以上、強硬手段になるが案を考えてみた」


 案とはなんなのだろうと、ルアスもフィニアも無言で促した。


「この神殿は魔物や妖魔によって度々襲撃を受けることは調査済みだ。フウラの発言や警護達の態度からも、それを裏づけている。なら俺達は妖魔が訪れた隙を狙い、祭壇に侵入する」


 迷いなく語るシェイドに、二人は別の意味で言葉を失った。だがそれも一瞬のことである。


「なに言ってるんだよ!」


「そうですよ。彼等は長年魔物達と戦ってきたのです。戦略や戦術は熟知しているはずですから、混乱に乗じて潜入できるとは到底思えません。それに理由も告げずに精霊の長と接触し、連れ出せば私達は追われることになります」


 必死に窘めるフィニアに、シェイドは侮蔑を含んだ笑みを浮かべた。


「理由だと? 理由を述べたところで、こちらには信用させる要素はない。むしろ不安と疑心を植えつけるだけだ」


「ですが、やれるだけやってみなくては」


「それが無駄だというんだ。たとえ最初からアーサーがいなくとも、俺達は名も実績もない。耳を貸す者などいると思うのか」


 見据えられ、突きつけられた言葉にフィニアは口を噤み、目元を伏せる。

 意味を理解しているためなのだろう。


「本当に、他に方法はないのかよ?」


「時間が掛かってもいいのなら、いくつか策はある。だが果たして俺達に、何年もかけて実行するだけの時間があると思うのか。たとえあったとしても俺はごめんだ。それは貴様も同じだろう」


 問われてルアスは、シンシアの顔が浮かんだ。悲哀によって顔が歪む。

 こうしている間にも、なにをされているか知れない。最悪命を落とす寸前なのかもしれない。悠長にしてはいられなかった。


「どうやら答えは決まったようだな。さて貴様はどうするつもりだ、フィニア」


「私が止めても、二人とも行くつもりなのでしょう。でしたら私も心を決めます。ですがその代わり、交渉役は私がします」


 シェイドは不機嫌そうな態度を振り払い、したり顔で笑んだ。まるでこうなることを予想していたかのようである。


「前から思ってたんだけど、長って精霊の中で一番強いんだろ。呼び出すのも一苦労だって聞いたことがあるけど、どうするんだ?」


 精霊と交信し、呼び出すことのできないルアスはあまり実感がない。

炎を扱うことができるが、逆に炎しか扱うことができないために、本来はどう対応するのかわからないのだ。


「他の精霊のように呼び出すのですよ。けれど一歩間違えれば、呼び出そうとした本人が呑み込まれ、生きた屍になりかねません」


「だったら危ないじゃないか! シェイドじゃ駄目なのか。闇の精霊を取り込んだんだろ」


「だからこそです。すべてをケティルさんに押しつけるわけにはいきません」


「それにだ。俺がウンディーネの力を借りたとしても、俺一人にしか扱えない。ならもう一人、扱える誰かがいなければ状況は変わらない。貴様は魔法が使えない以上、仕方がないだろう」


 言いたいことはわかる。けれど多大な危険がつきまとう以上、不安が胸の内に広がり、離れない。

 ルアスはフィニアを見上げた。


「これは私の覚悟です。いつまでもお二人の陰に隠れているわけにもいきませんからね。それに簡単に参るほど私も弱くはないですから、大丈夫ですよ」


 心配と悲哀が顔面に現れていたのか、容易に心中を察したらしい。フィニアは穏やかな笑みを向けた。

 その笑顔にルアスはことさら胸を締めつけられる。

 髪の長さも瞳の色も違うというのに、時折姉のシンシアと重なる彼女の身に、なにか起きてはほしくなかった。

 相手が人間だろうと混血児だろうと、変わらず接してくれる彼女を危険な目に晒したくなかった。


「俺がやる。俺ならアーサーを宿しているし、炎しか使えないけど魔法も使える。俺なら耐性があると思う!」


 真摯に見つめ、止めようとするルアスへと、フィニアは左右に軽く頭を振った。それだけでフィニアの決意が伺えた。

 反対はできないが、納得もできない。ルアスは苦悩を滲ませながら、眉間を寄せる。必死で頭の中で、どうすればいいのかを思案する。


 けれどいい考えは浮かばない。

 浮かぶとすれば、魔法を早く扱えるようになり、精霊長の器となれるようにし、彼女の負担を減らすことだけだった。今すぐは難しくとも、現在できるのはそれだけなのだ。


「だったら俺に、魔法の使い方教えてくれ。炎を少しでも扱えるようにしたい。そうすれば、きっと俺も!」


「場所をわきまえろ。ここは純血者が大勢いるんだ。こんなところで炎を使ったら大事になるぞ」


 強く申し出るルアスに、シェイドの手厳しい叱咤が飛んだ。

 ルアスもそのことを忘れたわけではない。むしろ痛いほどわかっている。

 それでもフィニア一人に重荷を負わせたくはない。俯きながら唇を噛んだ。


「でも、それでも俺は……」


「ありがとうございます。このお心遣いだけでも、充分に感謝致します」


 気持ちの上で納得できないルアスの手を、フィニアは優しく包み込む。


「今回のことが無事すみましたら、魔法の使い方をお教えします。その前に心得だけはお伝えしておきましょう」


「心得?」


 問うルアスに、フィニアは頷いた。


「魔法は、ただ使おうとしても駄目なんです。契約ともいえる呪文を詠唱すればどこにでも現れてくれますし、生態系も違うので誤認されがちですが、私達は力を借りているのです。ルアスさんのように感情を抑えきれずに闇雲に使えば、精霊も行き場を失って暴走します。そのため周りに少なからず被害を及ぼしてしまいます。まずはどうしたいかを思い描いてください。そうすれば同調し、協力してくれます。どうか精霊も生きているということを忘れないで下さい」


 フィニアはルアスの手を強く握り、訴えかけるように切々と語る。

 ルアスも無言でそれに応えた。

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