五回
逃げるようにして宿を後にしたエルフォーネは、人通りの多い場所を離れると足を止め、空を見上げた。
淀んではいない、かといって晴天でもない、淡い雲が霞のように広がっている。
暫しそれを見上げていたが、やがて意を決したように視線を落とすと、囁くように呪文を詠唱する。
風がサワリと動き、一瞬大きくざわめく。
呼応するように木々の葉が大合唱を奏で、すぐにやんだ。再び風が吹き、エルフォーネを取り巻いた。
取り巻いたのは風の精霊である。魔法を扱える妖精でなければ聴くことのできない精霊の聲に耳を傾けていたが、終えると歩き出す。
辺りに目を向けることなく、行き先を迷うことなく、街中へと突き進む。
やがて繁華街に近い、建物が集まる場所へと辿り着く。
物陰に隠れるように、放心したように、座り込むフォルシスの姿があった。
エルフォーネは躊躇いもなく、彼の前に立ちはだかる。
目の前になにかが遮り、己を覆う影がなかなか立ち去らないことを怪訝に思ったのだろう。
フォルシスは顔を上げ、エルフォーネの姿を認めたとき、瞳の奥で困惑と戸惑いと恐怖に揺れていた。
「あなた、フォルシスって言ったわよね。ルアスのことで聞きたいことがあるの」
フォルシスの動揺に気づきながらも、エルフォーネは問うた。良いかと聞かない辺り、半ば強制的である。
けれどフォルシスは是非を言わない。代わらず怯えた眼差しを向けるばかり。
「……だよ」
フォルシスの口から紡ぎ出されたものが言葉だと認識できたのは、数刻後のこと。
それほどまでに微かな囁きだった。
そのためエルフォーネの口から、反問の意味を込めた呟きが零れ落ちる。
「みんな嘘つきだ。みんな僕を騙そうとして、大事なもの奪うつもりなんだろ!」
「なに言ってるのよ」
話を盗み聞きしていたことなど知らないエルフォーネは、突発的な彼の発言に訝しみながら眉間にシワを寄せた。
「妖精なんか大嫌いだ! 友達になれるかもって思ったのに、なのに僕やお父さんを殺そうとしたんだ。ルアスさん達だってそうだ。最後の最後で僕等を裏切ったんだ!」
「ちょっと……」
止めようとするのだが、フォルシスは頭を振ると睨み上げる。
そこには憎悪ではなく悲哀の色が濃いために一瞬怯んだ。
「お前も妖精なんだろ。今度はどうする気なんだよ!」
これ以上自分の大切な者は奪わせないと言わんばかりの拒否を示し、惜しみなくエルフォーネへと向ける。
妖精という言葉に、近くを通っていた街人達は身を震わせた。
束の間、肌で感じるほどに空気が張り詰めていく。
「おい、ちょっといいか」
聞き咎めた一人の街人が歩み寄り、エルフォーネの手を掴んだ。周りの人々は、着かず離れずで見守っている。
「嫌よ、離して!」
「言うことを聞け!」
街人は乱暴にエルフォーネの手を捻り上げ、頭に被っているフードを外そうと手に掛ける。
フォルシスは当然の報いとでもいうように、睨み据えるばかりである。
「……風の精霊よ!」
乱暴なやり口にエルフォーネは怒気をあらわにしながら詠唱すると、突風が吹き荒れ、カマイタチが生じた。
腕を掴んでいた街人に当たり、傷を負わせた。
傷は浅いものだったが、小さく悲鳴をあげ、怯み、恐れ、強張り、数歩後づさる。
それによって街人達の反応も一様に変わる。妖精かもしれないと疑惑をかけられたときとは比べられないほどの異様な空気が取り巻いた。
むしろそれが普通で、それらを見つめる自分こそが異質なのではと錯覚してしまうような光景だった。
町にいた頃は、ここまで豹変するほどの敵愾心を向けられることのなかっただけに、エルフォーネは無意識に身を震わせた。
*
「畜生、なんだってこんなことになってんだよ」
「まったく間が悪いわ」
ゲオルグ、エレノア、グレナスは街中を駆け、ある目的地へと向かっていた。
エルフォーネが妖精と知れ、フォルシスを人質として騒動を起こしていると、宿へとやってきた者の話を耳にしたことによる。
場所は人通りの多い繁華街。
すれ違う人々は、触れたなら火傷してしまいそうな蒸気のように異様なまでの雰囲気に呑まれている。あきらかに冷静さを欠いていた。
そこへと向かう道中で彼等を見やりながらの悪態である。
目を放さなければ、どうにか誤魔化してこのような事態を回避できたかもしれないという悔いがそうさせていた。
だが気性は荒いが人質を取るような娘ではないことを知っている。
妖精と見れば敵意を持つ人間が多いために、近くにいたフォルシスを人質にしたと思い込んでいるのだろう。
グレナスも無言で彼等へと着いていく。
表情はどこか物憂げで、哀しげで、遠くを見つめているような感覚があった。
「嫌よ、こないで!」
エルフォーネの怯えにも似た悲鳴が響く。更に進むと、街人に取り囲まれている姿があった。
「エルフォーネ!」
ゲオルグの声が騒然とした中でも轟いた。
人ごみを掻き分けるのが面倒で建物をよじ登り、屋根の上までくると、剣を振り回しながら中心部へと飛び降りた。
街人達は被害を受けたくないようで、射程距離外へと俄かに退いた。
けれど眼差しや態度は、あきらかに敵意を向けている。
「ゲオ…ルグ……」
エルフォーネの当惑しているような声と、視線が背中に突き刺さる。
同時に安堵を感じていたのも事実なようで、即座に視線のみを向けると、僅かに胸を撫で下ろしている姿が目に映る。
「大丈夫かよ、エル」
ゲオルグは問うも、反応はない。ただ見つめてくるばかりである。
いつもなら愛称で呼ぶなと怒るエルフォーネだが、このときはさすがになにも言えないようだ。
傍目から見てもわかるほど怯えている。
だがこれだけ多くの敵意や悪意の眼差しに囲まれていては、無理からぬ話である。
「そこをどけ! 俺達はその小娘に用があるんだ。邪魔立てするなら、貴様も容赦しないぞ。それとも貴様は混血児か!」
「俺は正真正銘純血の人間だ。だがな、人間だとか妖精だとか関係ねえだろう。戦争が起こるまでは、俺達は共に歩む友で隣人だった。お前達の方こそ、そのことを忘れんじゃねえ!」
ゲオルグの言葉を聞いた約半数の街人達は詰まったように唸る。
全員ではないのは、十七年という歳月がそれを縦分けていたのだ。
何百年と生きる妖精にとっては短い年月かもしれないが、人々の間では短いようで長い。
更に歳月が経てば事実を知る者は少なくなり、理由すらわからぬままに亀裂はますます大きくなるだろう。
最終的には修復不可能とさえ思えるほどの段階にまで悪化の一途を辿っていくことになりかねない。
なにより戦争の傷跡が、いまだ彼等の心に生々しく残っている。
叫びが万人に受け入れられず、僅かな人々にのみしか届かないのはそのためだ。
充分にわかっているはずの反応だったが、ゲオルグは歯痒そうに街人達を見やる。
「そんなの嘘だもん。人と妖精が一緒に暮らしていたのだって、最初から僕等を騙すために決まってる。僕等を傷つけるために決まってるんだ!」
フォルシスがゲオルグ達に怒気を含んだ眼差しを向け、咆哮にも似た叫びを発していた。
エルフォーネに対して終始敵意を持っていた者達は迷うことなく同調した。
ゲオルグの言葉に耳を傾けかけていた人々でさえ戦争によって受けた惨劇や被害に想いを馳せ、怒りを募らせたのだろう。
純血でなくとも、そのとき関わった者達でなくとも構わないのか、妖精の血を受け継ぐエルフォーネと、間に立ちはだかるゲオルグに批判の声が向けられる。声は次第に大きくなっていく。
「俺達に対して非道な行いをしたのは、この現状を招いたのは妖精達のせいではないか」
「魔物がこうして世の中に召喚し、溢れ返したのは妖精達じゃないの!」
「それは違うわ。魔物が現れたのは、どちらか片方の行為ではなく人間と妖精がいがみ合って生まれた結果なのよ」
街人の群れを掻き分けて、否定の声を上げながら現れたのはグレナスを連れたエレノアである。
街人達の視線が、いっせいにエレノア達へと注がれる。
「どうしてそんなこと言えるの。どうして僕達全員が生み出したって言えるの!」
「それは神話後からサフィニア戦争終結時まで存在しなかった生物だからよ。私達が生んだ悲劇が、こんな事態を引き起こしたの。だから思い直して、これ以上こんなことをしていては更なるいがみ合いが起こるだけよ」
「何故あんたが、そんなことを知っている!」
「それは……」
街人が問いを重ねると、エレノアは口篭る。
知らないための閉口ではなく、知っているからこそのものだった。
けれど今この場所で、このような形でいってしまって良いものか。それが戸惑いとして現れていた。
暗黙は知らないが故のものだと街人達は受け取り、怪訝な面持ちで詰め寄っていく。
エレノアとゲオルグはどうしたものかと、互いに視線を交わす。
冷静さを欠いた彼等でなかったとしても、真実を告げたところで信じてもらえるかわからぬほどに突飛な話なのである。
「そんなの、どうだっていいよ!」
彼等の微妙な雰囲気を断絶するかのように叫んだのは、またしてもフォルシスだった。瞳には、今にも涙が零れ落ちそうなほどに溢れている。
「どうして友達になろうとした人は妖精なの? どうして僕の大事なもの奪ってくの? どうして全部……」
すべてを言い終える前に頬を打つ音が、奇妙な存在感を伴なって辺りに響き渡る。
訴えるように嘆く息子のフォルシスへと歩み寄り、父であるグレナスが平手を叩き付けたのである。
「それは違う!」
グレナスは悲哀な、沈痛な眼差しを息子に向けたあと、周りに対して凛とした声を上げた。
「私達は殺されようとしたんじゃない。救われたんだ。あれは私達を他の妖精達の手から遠ざけるための苦渋の決断だったんだ」
一体なにを言い出すのだと、街人はおろか息子もグレナスへと視線を向けた。
ゲオルグとエレノアだけは、その意図を感じ取っていた。謀らずも緊張で強張っている。
「やめろ、あんたまで巻き込まれる必要はないんだ!」
「そういうわけにはいきません」
止めようとするが、グレナスは憤然と言い放つ。
フォルシスは一抹の不安が過ぎり、それが徐々に大きくなっていく。
「貴方方もだ。このような世の中になったことを、すべて妖精達のせいばかりにしている。けれど戦争が起こった原因を知ろうとしたのか、彼等妖精達の言い分を聞いたのか。相手を責めるのは簡単だ。だがその前に考えるべきではないのか。戦争という結果を生み出した原因を」
グレナスの熱弁に、妖精達を忌み者として発言していた街人達は一瞬詰まらせた。
けれどすべての人々が、そうだというわけではない。
「両親や共に逃げ延びた彼等から聞いたぞ。先に手を出したのは妖精側だと。俺たちとは違う力を持ち、優位に立とうとしてるってな」
「それは偏った意見だろう。それに種族が異なるというだけで、この大地で生きているということには変わりはあるまい。貴方方は相手が違う種族だからと、彼等をすべて滅ぼすまで続ける気ですか」
「それで安息が手に入るなら、そうしてやるさ」
「でしたら妖精達が絶えた後、再び紛争や戦争が起こったなら、相手を根絶やしにするまで続けるおつもりですか。それで満足ですか。戦争が起こる以前は、私達は手を取り合って生きてきたというのに、和解するという手立てはないのですか」
「もう遅い。戦争が起こり、大切な人や物を奪われた。元にも戻れる訳がない。なにより偽善でしかない!」
「元に戻せなくとも、新たに築き上げることはできるはずです!」
「その考え自体が、偽善なんだ!」
非難の声が甲高く響く。
街人達は奪われた様々なものを思い出したのか、妖精達に味方するグレナスに敵意を向けた。
今にも襲い掛かってきそうな、張り詰めた緊迫感が徐々に高まっていく。
やがて氾濫のように街人達の手が伸びる。
このままでは危ういと感じたエレノアは、襲い掛かってきた街人の一人の懐に素早く入り込み、急所を外して張り倒した。
それでも襲い掛かる手は勢いを増すばかり。
しかし苦もなく軽やかに身を反転し、受け流したりと、鮮やかに彼等の手を払いのける。
「フォルシス!」
その間にグレナスは、抗う息子を否応なしに抱き寄せた。
それはエレノア達ばかりではなく、ゲオルグ達にも伸びていた。
剣ではなく、束や鞘、己の拳で払いのけていた。
このままでは際限がないと感じたのか、エレノアは懐から短い筒のような物を数本取り出し、先端に火をつけた。
すかさずそれを街人達の足元に、ばら撒いていく。
すると火をつけた円筒から、煙がエレノア達と街人達を分け隔てるように噴き出した。
やがて煙は、その場にいたすべてを包み込む。
「ゲオルグ、先に行っているわ!」
フォルシスを押さえつけるグレナスの手を引きながら、相棒のゲオルグへと催促するように声をかけた。
けれど返答を待たずに駆けていく。聞かずとも大丈夫だと感じているからなのだろう。
それはゲオルグも同じだった。
背中を安心して預けられるからこそ、エルフォーネへと手を差し伸べることができた。
煙幕が辺りを取り巻いているとはいえ二人は至近距離にあるため、姿を見誤るということはない。
エルフォーネは怯えた表情を崩さないまま、差し出された手の意味を図りかねた様子で見つめている。
「来い、逃げるぞ」
「でも、私は……」
街人達の、妖精やその血筋に対する態度によほど恐怖を植えつけられたのだろう。
ゲオルグの一言に戸惑い、一歩後づさる。
それでも手を差し伸べ、エルフォーネへと促すような視線を向ける。
この手を取ってくれると信じている。
しかしエルフォーネの足は動かない。
憶測する必要もなく、戸惑いと困惑、不安と恐怖が全身にあらわになっている。
「俺は別に妖精だとか、人間だとか、混血だとかに拘る気はないさ。一緒に行動するようになったのは、あそこでたまたま出会ったのがお前だったってだけのことなんだよ」
相手が妖精だろうが人間だろうが、態度を変えるつもりなど毛頭ない、ゲオルグの偽らざる思いがそこにある。
少しの間とはいえ旅をした仲である。
煙幕の中で語るゲオルグの想いに気づいたのか、エルフォーネの瞳の奥は様々に揺れていた。
根底にはいくらか怯えがあるようだが、若干取り払われたようだ。
それでもゲオルグの手を取ることはなく、歩み寄ることもない。
「幼馴染みに逢いたいんだろ。だったらいつもみたく、とことんまで俺達を利用しろよ」
エルフォーネの顔が、今にも泣き出しそうなほどに歪んだ。
「そんなの、当たり前じゃない」
台詞だけ聞けば、いつもの強気なものであるが紡がれる語調は弱々しい。
それでも悪態をつき、手を取る彼女に、グレナスはまるで陽だまりのように柔らかで暖かな微笑を浮かべた。
「じゃあ行こうぜ!」
エルフォーネの手を強く握り返し、ゲオルグは駆け出した。
「待て!」
煙幕が薄れかけている中で、ゲオルグ達の姿を見た街人達は制止の声を上げた。
けれど追い駆ける者の姿は少なく、勢いも弱い。そ
れを喪失させるほどに、グレナスやゲオルグの言葉、彼等のエルフォーネに対する態度に躊躇いを生じさせていた。
彼等の心中を知らず、ゲオルグは追いかけてくる者達が少ないことを訝しみながらも駆けていく。
街を抜け、そこから然程離れていない場所でエレノア達の姿を見つけた。
幸い彼女達の周りにも、街人達の姿はない。
代わりに父の手から逃れようともがくフォルシスの姿があった。
「離して、離してよ。妖精の味方をするお父さんなんて嫌いだ!」
けたたましいほどの悪態をついていた。裏腹に、ほんのりと涙を浮かべている。
彼の姿が街人達の姿と重なったのだろう。エルフォーネはゲオルグから、そっと手を離し、目を逸らす。
「いい加減にしないか!」
ゲオルグはエルフォーネの微妙な行動が気になり、なにかを言おうとした瞬間でのグレナスの怒声。
驚いたゲオルグ、どこまで口出ししたものかと悩む仕草をしていたエレノアは彼等親子へと視線を向けた。
見ると一喝により、フォルシスは怯えたように身を竦めている。
「……じゃあなんで、昔助けた妖精に殺されそうになったのに、平気でいられるんだよ。味方するんだよ」
納得がいかないようで、フォルシスは堪えていた大粒の涙を零して父を見上げている。
大きく息を吐き、グレナスは息を整える。
切なげで、儚げで、優しい笑みを浮かべたままだ。
「すまない。いくらあのとき耳を貸さなかったとはいえ、無理にでも伝えておくべきだった。あの時助けた妖精の少女は私達を助けるために、殺すような真似をしたんだよ」
信じられないといった様子で、フォルシスは目を剥いた。
どういった反応を示して良いのかわからずに、硬直していた。
視線の先にあるグレナスの表情には、戸惑いと困惑が入り混じった笑みを浮かべたままだ。
「事故で怪我をしている少女の手当てをして間もなく、その子を捜しに来た少年が二人やってきたことは憶えているね」
すべての事の発端は、道で足を怪我して倒れていた少女を見つけたことによる。
一方は崖になり、もう一方は緩やかな丘がある。
少女は崖から足を滑らせて落ちたのだろうと必然的に知れた。
フォルシスはそのことを今でも憶えている。
父であるグレナスの影響か、その頃はまだ妖精に対して嫌悪もなにも持ち合わせていなかった。
当然のように少女の手当てをするグレナスを手伝った。
だが少女の方はそうではなく、人間に対して敵意を持っていた。
そのため手当てをするフォルシス達を怪しみ、訝しんでいた。
最中で何度も魔法を使い、フォルシス達を追い払おうとしたが、それは体力精神力を使う。
使う魔法が大きければ大きいほど、傷が大きければ大きいほど、体に負担がかかりやすい。
結局一つも使うことができずに終わってしまう。
フォルシスは幾日もの間手当てをし、少女に笑いかけると、笑い返しはしなかったものの敵意は若干和らいだような気がした。
そうだと思いたかった。けれど違った。
少女を捜しに来た少年が二人やって来た瞬間、有無も言わさず魔法を繰り出された。
それに気がつき庇うように抱きしめたグレナスによって、フォルシスも少女も無事だった。
グレナスの背中に傷ができた以外は。
少女は少年達が来るや、待ってましたと言わんばかりにグレナスに馬乗りになり、それをグレナスは払いのけた。
投げ飛ばされ、地面に叩きつけられた衝撃で傷が開いたらしく、少年達はグレナスに罵倒を浴びせながら少女に駆け寄った。
その間にグレナスとフォルシスは逃げた。
道中グレナスは背中に受けた傷によって倒れ、数日間生死の境を彷徨うこととなった。
運良く近くに町があったために一命を取り留めたが、それ以来フォルシスは妖精に敵意を持つことになった。
あのとき見たすべてが真実であり、事実であるとフォルシスは信じている。
けれどグレナスは違うという。
「あのとき少女が私に飛び掛ってきたとき、申し訳なさそうに、逃げろと言ってくれたんだよ」
「……嘘だ」
「嘘ではないよ。少女はあの時怪我を負っていて、捜しに来てくれた少年達は二人だった。逃がすためには、ああする以外はできなかったのだろう」
「じゃあ今まで僕が思っていたなんだったのさ。お父さんが死にそうになったのは本当じゃないか! そんなの絶対信じられないよ!」
「……すまない。成長すれば、少なからずそういった場面に立ち会わなくてはいけない時がある。その日がきたなら、きっとわかってくれると思っていたんだ」
だから敢えて無理に話して聞かせることはしないように心掛けていたのだと、グレナスは一息おいた後、悔いるように顔を歪ませながら弁解した。
耳を貸すまいと、信じることなどできはしないと頭を振りながら、けれど父に縋るように胸元で震えている。
フォルシス頭を、グレナスは優しく撫でた。
「本当にすまない。戦争を起こすキッカケを作り、悪化の一途を辿らせてしまって。優しさや穏やかさよりも疑心や不信が当たり前となった世の中にしてしまって……。なによりも親友である純血の妖精の彼を裏切ったことを、ずっと悔いていた。だからこそ私のできる範囲で変えていきたかったんだよ」
結局中途半端な形でしか行なうことができなかったことを悔いているようだった。
しきりに胸の中で泣くフォルシスを軽く抱きしめるグレナスの瞳は、どこか遠くを見つめていた。
「これからあなた達はどうするの」
エレノアは控えめに問うた。グレナスは振り向かない。
フォルシスを愛しく見つめるばかりである。
「可能な限り旅を続けるつもりです。そして二人で今後どうするかを考えます。できる限りこの子の考えを尊重する形で」
「そう……互いに納得できる答えが出るといいわね」
「そうですね」
心底願うエレノアに、グレナスは頷いた。
やがて、行こうかと振り返ろうとするゲオルグとエレノアを押し留めるように、二人の外套を強く握り締め、両側にある腕の中から顔を出した。
表情を読み取られまいとしているのか、額を地面と平行にしている。
外套を握る手が若干震えている。
街人達の態度の急変に恐怖したが、ゲオルグ達の想いや行動に胸打たれたのだろう。
ほんの微かに蟲が囁くような声で、エルフォーネは感謝と謝罪を告げた。
今まで真逆の反応しか返ってこなかったそれに驚いたゲオルグとエレノアだったが、互いの顔を見合わせ、穏やかに微笑んだ。
「約束は果たすぜ、絶対にな」
幼馴染みに逢わせてやりたい。
ゲオルグ達が神の神殿にいる親友に逢いたいという気持ちと、きっと同じだから。
切実に、そう想った。
逃げるようにして宿を後にしたエルフォーネは、人通りの多い場所を離れると足を止め、空を見上げた。
淀んではいない、かといって晴天でもない、淡い雲が霞のように広がっている。
暫しそれを見上げていたが、やがて意を決したように視線を落とすと、囁くように呪文を詠唱する。
風がサワリと動き、一瞬大きくざわめく。
呼応するように木々の葉が大合唱を奏で、すぐにやんだ。再び風が吹き、エルフォーネを取り巻いた。
取り巻いたのは風の精霊である。魔法を扱える妖精でなければ聴くことのできない精霊の聲に耳を傾けていたが、終えると歩き出す。
辺りに目を向けることなく、行き先を迷うことなく、街中へと突き進む。
やがて繁華街に近い、建物が集まる場所へと辿り着く。
物陰に隠れるように、放心したように、座り込むフォルシスの姿があった。
エルフォーネは躊躇いもなく、彼の前に立ちはだかる。
目の前になにかが遮り、己を覆う影がなかなか立ち去らないことを怪訝に思ったのだろう。
フォルシスは顔を上げ、エルフォーネの姿を認めたとき、瞳の奥で困惑と戸惑いと恐怖に揺れていた。
「あなた、フォルシスって言ったわよね。ルアスのことで聞きたいことがあるの」
フォルシスの動揺に気づきながらも、エルフォーネは問うた。良いかと聞かない辺り、半ば強制的である。
けれどフォルシスは是非を言わない。代わらず怯えた眼差しを向けるばかり。
「……だよ」
フォルシスの口から紡ぎ出されたものが言葉だと認識できたのは、数刻後のこと。
それほどまでに微かな囁きだった。
そのためエルフォーネの口から、反問の意味を込めた呟きが零れ落ちる。
「みんな嘘つきだ。みんな僕を騙そうとして、大事なもの奪うつもりなんだろ!」
「なに言ってるのよ」
話を盗み聞きしていたことなど知らないエルフォーネは、突発的な彼の発言に訝しみながら眉間にシワを寄せた。
「妖精なんか大嫌いだ! 友達になれるかもって思ったのに、なのに僕やお父さんを殺そうとしたんだ。ルアスさん達だってそうだ。最後の最後で僕等を裏切ったんだ!」
「ちょっと……」
止めようとするのだが、フォルシスは頭を振ると睨み上げる。
そこには憎悪ではなく悲哀の色が濃いために一瞬怯んだ。
「お前も妖精なんだろ。今度はどうする気なんだよ!」
これ以上自分の大切な者は奪わせないと言わんばかりの拒否を示し、惜しみなくエルフォーネへと向ける。
妖精という言葉に、近くを通っていた街人達は身を震わせた。
束の間、肌で感じるほどに空気が張り詰めていく。
「おい、ちょっといいか」
聞き咎めた一人の街人が歩み寄り、エルフォーネの手を掴んだ。周りの人々は、着かず離れずで見守っている。
「嫌よ、離して!」
「言うことを聞け!」
街人は乱暴にエルフォーネの手を捻り上げ、頭に被っているフードを外そうと手に掛ける。
フォルシスは当然の報いとでもいうように、睨み据えるばかりである。
「……風の精霊よ!」
乱暴なやり口にエルフォーネは怒気をあらわにしながら詠唱すると、突風が吹き荒れ、カマイタチが生じた。
腕を掴んでいた街人に当たり、傷を負わせた。
傷は浅いものだったが、小さく悲鳴をあげ、怯み、恐れ、強張り、数歩後づさる。
それによって街人達の反応も一様に変わる。妖精かもしれないと疑惑をかけられたときとは比べられないほどの異様な空気が取り巻いた。
むしろそれが普通で、それらを見つめる自分こそが異質なのではと錯覚してしまうような光景だった。
町にいた頃は、ここまで豹変するほどの敵愾心を向けられることのなかっただけに、エルフォーネは無意識に身を震わせた。
*
「畜生、なんだってこんなことになってんだよ」
「まったく間が悪いわ」
ゲオルグ、エレノア、グレナスは街中を駆け、ある目的地へと向かっていた。
エルフォーネが妖精と知れ、フォルシスを人質として騒動を起こしていると、宿へとやってきた者の話を耳にしたことによる。
場所は人通りの多い繁華街。
すれ違う人々は、触れたなら火傷してしまいそうな蒸気のように異様なまでの雰囲気に呑まれている。あきらかに冷静さを欠いていた。
そこへと向かう道中で彼等を見やりながらの悪態である。
目を放さなければ、どうにか誤魔化してこのような事態を回避できたかもしれないという悔いがそうさせていた。
だが気性は荒いが人質を取るような娘ではないことを知っている。
妖精と見れば敵意を持つ人間が多いために、近くにいたフォルシスを人質にしたと思い込んでいるのだろう。
グレナスも無言で彼等へと着いていく。
表情はどこか物憂げで、哀しげで、遠くを見つめているような感覚があった。
「嫌よ、こないで!」
エルフォーネの怯えにも似た悲鳴が響く。更に進むと、街人に取り囲まれている姿があった。
「エルフォーネ!」
ゲオルグの声が騒然とした中でも轟いた。
人ごみを掻き分けるのが面倒で建物をよじ登り、屋根の上までくると、剣を振り回しながら中心部へと飛び降りた。
街人達は被害を受けたくないようで、射程距離外へと俄かに退いた。
けれど眼差しや態度は、あきらかに敵意を向けている。
「ゲオ…ルグ……」
エルフォーネの当惑しているような声と、視線が背中に突き刺さる。
同時に安堵を感じていたのも事実なようで、即座に視線のみを向けると、僅かに胸を撫で下ろしている姿が目に映る。
「大丈夫かよ、エル」
ゲオルグは問うも、反応はない。ただ見つめてくるばかりである。
いつもなら愛称で呼ぶなと怒るエルフォーネだが、このときはさすがになにも言えないようだ。
傍目から見てもわかるほど怯えている。
だがこれだけ多くの敵意や悪意の眼差しに囲まれていては、無理からぬ話である。
「そこをどけ! 俺達はその小娘に用があるんだ。邪魔立てするなら、貴様も容赦しないぞ。それとも貴様は混血児か!」
「俺は正真正銘純血の人間だ。だがな、人間だとか妖精だとか関係ねえだろう。戦争が起こるまでは、俺達は共に歩む友で隣人だった。お前達の方こそ、そのことを忘れんじゃねえ!」
ゲオルグの言葉を聞いた約半数の街人達は詰まったように唸る。
全員ではないのは、十七年という歳月がそれを縦分けていたのだ。
何百年と生きる妖精にとっては短い年月かもしれないが、人々の間では短いようで長い。
更に歳月が経てば事実を知る者は少なくなり、理由すらわからぬままに亀裂はますます大きくなるだろう。
最終的には修復不可能とさえ思えるほどの段階にまで悪化の一途を辿っていくことになりかねない。
なにより戦争の傷跡が、いまだ彼等の心に生々しく残っている。
叫びが万人に受け入れられず、僅かな人々にのみしか届かないのはそのためだ。
充分にわかっているはずの反応だったが、ゲオルグは歯痒そうに街人達を見やる。
「そんなの嘘だもん。人と妖精が一緒に暮らしていたのだって、最初から僕等を騙すために決まってる。僕等を傷つけるために決まってるんだ!」
フォルシスがゲオルグ達に怒気を含んだ眼差しを向け、咆哮にも似た叫びを発していた。
エルフォーネに対して終始敵意を持っていた者達は迷うことなく同調した。
ゲオルグの言葉に耳を傾けかけていた人々でさえ戦争によって受けた惨劇や被害に想いを馳せ、怒りを募らせたのだろう。
純血でなくとも、そのとき関わった者達でなくとも構わないのか、妖精の血を受け継ぐエルフォーネと、間に立ちはだかるゲオルグに批判の声が向けられる。声は次第に大きくなっていく。
「俺達に対して非道な行いをしたのは、この現状を招いたのは妖精達のせいではないか」
「魔物がこうして世の中に召喚し、溢れ返したのは妖精達じゃないの!」
「それは違うわ。魔物が現れたのは、どちらか片方の行為ではなく人間と妖精がいがみ合って生まれた結果なのよ」
街人の群れを掻き分けて、否定の声を上げながら現れたのはグレナスを連れたエレノアである。
街人達の視線が、いっせいにエレノア達へと注がれる。
「どうしてそんなこと言えるの。どうして僕達全員が生み出したって言えるの!」
「それは神話後からサフィニア戦争終結時まで存在しなかった生物だからよ。私達が生んだ悲劇が、こんな事態を引き起こしたの。だから思い直して、これ以上こんなことをしていては更なるいがみ合いが起こるだけよ」
「何故あんたが、そんなことを知っている!」
「それは……」
街人が問いを重ねると、エレノアは口篭る。
知らないための閉口ではなく、知っているからこそのものだった。
けれど今この場所で、このような形でいってしまって良いものか。それが戸惑いとして現れていた。
暗黙は知らないが故のものだと街人達は受け取り、怪訝な面持ちで詰め寄っていく。
エレノアとゲオルグはどうしたものかと、互いに視線を交わす。
冷静さを欠いた彼等でなかったとしても、真実を告げたところで信じてもらえるかわからぬほどに突飛な話なのである。
「そんなの、どうだっていいよ!」
彼等の微妙な雰囲気を断絶するかのように叫んだのは、またしてもフォルシスだった。瞳には、今にも涙が零れ落ちそうなほどに溢れている。
「どうして友達になろうとした人は妖精なの? どうして僕の大事なもの奪ってくの? どうして全部……」
すべてを言い終える前に頬を打つ音が、奇妙な存在感を伴なって辺りに響き渡る。
訴えるように嘆く息子のフォルシスへと歩み寄り、父であるグレナスが平手を叩き付けたのである。
「それは違う!」
グレナスは悲哀な、沈痛な眼差しを息子に向けたあと、周りに対して凛とした声を上げた。
「私達は殺されようとしたんじゃない。救われたんだ。あれは私達を他の妖精達の手から遠ざけるための苦渋の決断だったんだ」
一体なにを言い出すのだと、街人はおろか息子もグレナスへと視線を向けた。
ゲオルグとエレノアだけは、その意図を感じ取っていた。謀らずも緊張で強張っている。
「やめろ、あんたまで巻き込まれる必要はないんだ!」
「そういうわけにはいきません」
止めようとするが、グレナスは憤然と言い放つ。
フォルシスは一抹の不安が過ぎり、それが徐々に大きくなっていく。
「貴方方もだ。このような世の中になったことを、すべて妖精達のせいばかりにしている。けれど戦争が起こった原因を知ろうとしたのか、彼等妖精達の言い分を聞いたのか。相手を責めるのは簡単だ。だがその前に考えるべきではないのか。戦争という結果を生み出した原因を」
グレナスの熱弁に、妖精達を忌み者として発言していた街人達は一瞬詰まらせた。
けれどすべての人々が、そうだというわけではない。
「両親や共に逃げ延びた彼等から聞いたぞ。先に手を出したのは妖精側だと。俺たちとは違う力を持ち、優位に立とうとしてるってな」
「それは偏った意見だろう。それに種族が異なるというだけで、この大地で生きているということには変わりはあるまい。貴方方は相手が違う種族だからと、彼等をすべて滅ぼすまで続ける気ですか」
「それで安息が手に入るなら、そうしてやるさ」
「でしたら妖精達が絶えた後、再び紛争や戦争が起こったなら、相手を根絶やしにするまで続けるおつもりですか。それで満足ですか。戦争が起こる以前は、私達は手を取り合って生きてきたというのに、和解するという手立てはないのですか」
「もう遅い。戦争が起こり、大切な人や物を奪われた。元にも戻れる訳がない。なにより偽善でしかない!」
「元に戻せなくとも、新たに築き上げることはできるはずです!」
「その考え自体が、偽善なんだ!」
非難の声が甲高く響く。
街人達は奪われた様々なものを思い出したのか、妖精達に味方するグレナスに敵意を向けた。
今にも襲い掛かってきそうな、張り詰めた緊迫感が徐々に高まっていく。
やがて氾濫のように街人達の手が伸びる。
このままでは危ういと感じたエレノアは、襲い掛かってきた街人の一人の懐に素早く入り込み、急所を外して張り倒した。
それでも襲い掛かる手は勢いを増すばかり。
しかし苦もなく軽やかに身を反転し、受け流したりと、鮮やかに彼等の手を払いのける。
「フォルシス!」
その間にグレナスは、抗う息子を否応なしに抱き寄せた。
それはエレノア達ばかりではなく、ゲオルグ達にも伸びていた。
剣ではなく、束や鞘、己の拳で払いのけていた。
このままでは際限がないと感じたのか、エレノアは懐から短い筒のような物を数本取り出し、先端に火をつけた。
すかさずそれを街人達の足元に、ばら撒いていく。
すると火をつけた円筒から、煙がエレノア達と街人達を分け隔てるように噴き出した。
やがて煙は、その場にいたすべてを包み込む。
「ゲオルグ、先に行っているわ!」
フォルシスを押さえつけるグレナスの手を引きながら、相棒のゲオルグへと催促するように声をかけた。
けれど返答を待たずに駆けていく。聞かずとも大丈夫だと感じているからなのだろう。
それはゲオルグも同じだった。
背中を安心して預けられるからこそ、エルフォーネへと手を差し伸べることができた。
煙幕が辺りを取り巻いているとはいえ二人は至近距離にあるため、姿を見誤るということはない。
エルフォーネは怯えた表情を崩さないまま、差し出された手の意味を図りかねた様子で見つめている。
「来い、逃げるぞ」
「でも、私は……」
街人達の、妖精やその血筋に対する態度によほど恐怖を植えつけられたのだろう。
ゲオルグの一言に戸惑い、一歩後づさる。
それでも手を差し伸べ、エルフォーネへと促すような視線を向ける。
この手を取ってくれると信じている。
しかしエルフォーネの足は動かない。
憶測する必要もなく、戸惑いと困惑、不安と恐怖が全身にあらわになっている。
「俺は別に妖精だとか、人間だとか、混血だとかに拘る気はないさ。一緒に行動するようになったのは、あそこでたまたま出会ったのがお前だったってだけのことなんだよ」
相手が妖精だろうが人間だろうが、態度を変えるつもりなど毛頭ない、ゲオルグの偽らざる思いがそこにある。
少しの間とはいえ旅をした仲である。
煙幕の中で語るゲオルグの想いに気づいたのか、エルフォーネの瞳の奥は様々に揺れていた。
根底にはいくらか怯えがあるようだが、若干取り払われたようだ。
それでもゲオルグの手を取ることはなく、歩み寄ることもない。
「幼馴染みに逢いたいんだろ。だったらいつもみたく、とことんまで俺達を利用しろよ」
エルフォーネの顔が、今にも泣き出しそうなほどに歪んだ。
「そんなの、当たり前じゃない」
台詞だけ聞けば、いつもの強気なものであるが紡がれる語調は弱々しい。
それでも悪態をつき、手を取る彼女に、グレナスはまるで陽だまりのように柔らかで暖かな微笑を浮かべた。
「じゃあ行こうぜ!」
エルフォーネの手を強く握り返し、ゲオルグは駆け出した。
「待て!」
煙幕が薄れかけている中で、ゲオルグ達の姿を見た街人達は制止の声を上げた。
けれど追い駆ける者の姿は少なく、勢いも弱い。そ
れを喪失させるほどに、グレナスやゲオルグの言葉、彼等のエルフォーネに対する態度に躊躇いを生じさせていた。
彼等の心中を知らず、ゲオルグは追いかけてくる者達が少ないことを訝しみながらも駆けていく。
街を抜け、そこから然程離れていない場所でエレノア達の姿を見つけた。
幸い彼女達の周りにも、街人達の姿はない。
代わりに父の手から逃れようともがくフォルシスの姿があった。
「離して、離してよ。妖精の味方をするお父さんなんて嫌いだ!」
けたたましいほどの悪態をついていた。裏腹に、ほんのりと涙を浮かべている。
彼の姿が街人達の姿と重なったのだろう。エルフォーネはゲオルグから、そっと手を離し、目を逸らす。
「いい加減にしないか!」
ゲオルグはエルフォーネの微妙な行動が気になり、なにかを言おうとした瞬間でのグレナスの怒声。
驚いたゲオルグ、どこまで口出ししたものかと悩む仕草をしていたエレノアは彼等親子へと視線を向けた。
見ると一喝により、フォルシスは怯えたように身を竦めている。
「……じゃあなんで、昔助けた妖精に殺されそうになったのに、平気でいられるんだよ。味方するんだよ」
納得がいかないようで、フォルシスは堪えていた大粒の涙を零して父を見上げている。
大きく息を吐き、グレナスは息を整える。
切なげで、儚げで、優しい笑みを浮かべたままだ。
「すまない。いくらあのとき耳を貸さなかったとはいえ、無理にでも伝えておくべきだった。あの時助けた妖精の少女は私達を助けるために、殺すような真似をしたんだよ」
信じられないといった様子で、フォルシスは目を剥いた。
どういった反応を示して良いのかわからずに、硬直していた。
視線の先にあるグレナスの表情には、戸惑いと困惑が入り混じった笑みを浮かべたままだ。
「事故で怪我をしている少女の手当てをして間もなく、その子を捜しに来た少年が二人やってきたことは憶えているね」
すべての事の発端は、道で足を怪我して倒れていた少女を見つけたことによる。
一方は崖になり、もう一方は緩やかな丘がある。
少女は崖から足を滑らせて落ちたのだろうと必然的に知れた。
フォルシスはそのことを今でも憶えている。
父であるグレナスの影響か、その頃はまだ妖精に対して嫌悪もなにも持ち合わせていなかった。
当然のように少女の手当てをするグレナスを手伝った。
だが少女の方はそうではなく、人間に対して敵意を持っていた。
そのため手当てをするフォルシス達を怪しみ、訝しんでいた。
最中で何度も魔法を使い、フォルシス達を追い払おうとしたが、それは体力精神力を使う。
使う魔法が大きければ大きいほど、傷が大きければ大きいほど、体に負担がかかりやすい。
結局一つも使うことができずに終わってしまう。
フォルシスは幾日もの間手当てをし、少女に笑いかけると、笑い返しはしなかったものの敵意は若干和らいだような気がした。
そうだと思いたかった。けれど違った。
少女を捜しに来た少年が二人やって来た瞬間、有無も言わさず魔法を繰り出された。
それに気がつき庇うように抱きしめたグレナスによって、フォルシスも少女も無事だった。
グレナスの背中に傷ができた以外は。
少女は少年達が来るや、待ってましたと言わんばかりにグレナスに馬乗りになり、それをグレナスは払いのけた。
投げ飛ばされ、地面に叩きつけられた衝撃で傷が開いたらしく、少年達はグレナスに罵倒を浴びせながら少女に駆け寄った。
その間にグレナスとフォルシスは逃げた。
道中グレナスは背中に受けた傷によって倒れ、数日間生死の境を彷徨うこととなった。
運良く近くに町があったために一命を取り留めたが、それ以来フォルシスは妖精に敵意を持つことになった。
あのとき見たすべてが真実であり、事実であるとフォルシスは信じている。
けれどグレナスは違うという。
「あのとき少女が私に飛び掛ってきたとき、申し訳なさそうに、逃げろと言ってくれたんだよ」
「……嘘だ」
「嘘ではないよ。少女はあの時怪我を負っていて、捜しに来てくれた少年達は二人だった。逃がすためには、ああする以外はできなかったのだろう」
「じゃあ今まで僕が思っていたなんだったのさ。お父さんが死にそうになったのは本当じゃないか! そんなの絶対信じられないよ!」
「……すまない。成長すれば、少なからずそういった場面に立ち会わなくてはいけない時がある。その日がきたなら、きっとわかってくれると思っていたんだ」
だから敢えて無理に話して聞かせることはしないように心掛けていたのだと、グレナスは一息おいた後、悔いるように顔を歪ませながら弁解した。
耳を貸すまいと、信じることなどできはしないと頭を振りながら、けれど父に縋るように胸元で震えている。
フォルシス頭を、グレナスは優しく撫でた。
「本当にすまない。戦争を起こすキッカケを作り、悪化の一途を辿らせてしまって。優しさや穏やかさよりも疑心や不信が当たり前となった世の中にしてしまって……。なによりも親友である純血の妖精の彼を裏切ったことを、ずっと悔いていた。だからこそ私のできる範囲で変えていきたかったんだよ」
結局中途半端な形でしか行なうことができなかったことを悔いているようだった。
しきりに胸の中で泣くフォルシスを軽く抱きしめるグレナスの瞳は、どこか遠くを見つめていた。
「これからあなた達はどうするの」
エレノアは控えめに問うた。グレナスは振り向かない。
フォルシスを愛しく見つめるばかりである。
「可能な限り旅を続けるつもりです。そして二人で今後どうするかを考えます。できる限りこの子の考えを尊重する形で」
「そう……互いに納得できる答えが出るといいわね」
「そうですね」
心底願うエレノアに、グレナスは頷いた。
やがて、行こうかと振り返ろうとするゲオルグとエレノアを押し留めるように、二人の外套を強く握り締め、両側にある腕の中から顔を出した。
表情を読み取られまいとしているのか、額を地面と平行にしている。
外套を握る手が若干震えている。
街人達の態度の急変に恐怖したが、ゲオルグ達の想いや行動に胸打たれたのだろう。
ほんの微かに蟲が囁くような声で、エルフォーネは感謝と謝罪を告げた。
今まで真逆の反応しか返ってこなかったそれに驚いたゲオルグとエレノアだったが、互いの顔を見合わせ、穏やかに微笑んだ。
「約束は果たすぜ、絶対にな」
幼馴染みに逢わせてやりたい。
ゲオルグ達が神の神殿にいる親友に逢いたいという気持ちと、きっと同じだから。
切実に、そう想った。




