三回
「あのルアスさん、一体どこまで行くのですか」
路地との境界線のようにあった、膝まである高さの茂みを抜けると、林になっている木々を無言ですり抜けていく。
さすがに道なき道へと、理由もほとんど知らされずに進むには、若干不安になってきたらしい。
だがルアスは、無言のまま突き進む。
「あそこに会わせたい人達がいるんだ」
さほど時間も経たずに小屋が姿を現した頃、それを見据えながらルアスは、ようやく質問に答えた。
小屋の中へと静かに入るルアスに、おずおずとフィニアも続く。
そしてまっさきに目に映る光景に、声を失っていた。
「これは……」
「フィニアさん。なぜあなたが」
「あなたは、グレナスさん!」
傷を負っている妖精の女と、人間の男という二人組みに目を奪われていた。
だがフィニアはグレナスの存在に気づくなり、驚いた。
「なぜあなたが、ここにいらっしゃるのですか。……もしかしてこの方々は、水の神殿から来たのですか」
「そうなのだよ。私は傷を負って倒れていたこの方達を、人目を盗んでこの小屋へと連れて手当てをしていたんだ」
「それで、どれだけ捜しても見つからなかったわけですね」
グレナスの簡潔な説明に、フィニアは思案を巡らしながら独白する。
「ところでフィニアさんは、なぜここに? 確かルアス君は回復できる方を連れてくると仰っていましたが……」
「フィニアだから呼んだんだ。回復魔法を使えるのは、フィニア以外に二人しか知らないから」
フィニアは医者なのかと問いたげなグレナスだったが、滑り落ちた魔法という言葉を聞いて、今度は訝しげな視線に変わる。
「急いでこの人達の傷を治して欲しい。街の人達が、二人を捜してるんだ」
グレナスの視線に気づきながらも説明している暇はなく、ルアスは急がなくては危険だという旨を伝えた。
傷を負った彼等とグレナスの言葉、ルアスの急かす緊急事態に、大よその察しがついたフィニアは力強く頷いた。
「わかりました。この方々は、私達が捜している方かもしれません。それなら聞きたいことがあります」
フィニアはパンダナを取ると、懐から水の入った筒を取り出し、詠唱する。
「水の精霊、我が友よ。この者達に、すべからく安らぎの癒しを与えたまえ」
言い終えるとリフティアとフロリスミアの回りに水の膜が取り巻き、霧となって降り注ぐ。
すると霧状の水が、完全ではないにしろ二人の傷を塞いでいく。
彼女の使っている技術と、あらわになった人とは違う鋭角な耳によって、グレナスは目を瞠る。
「フィニアさん、あなたもハーフなのですか」
「いいえ、私もケティルさんもハーフではありません。純血の妖精です」
魔法を使う様を見られた以上、変に隠し立てする必要もないと感じたフィニアは正直に打ち明けた。
聞くや、グレナスは声を上げられないほどに驚いていた。リフティアとフロリスミアも同様である。
妖精の中にも人間を庇う者、人間の中にも妖精を庇う者はいるが、徐々に数を減らしつつある。
だが双方の間に産まれたハーフと呼ばれる混血児を庇い、守ろうという者は今では皆無に近い。
そのため混血と純血の者が行動を共にし、なおかつ旅をしているというのは、サフィニア戦争後では珍しい光景だったのだろう。
「それよりもあなた方にお聞きしたいことがあります。水の神殿からいらしたというのは、あなた方で間違いないのですね」
フィニアは起き上がろうとする二人と、視線を合わせるために膝をつく。
フィニアは既に純血の妖精として知れており、フロリスミアも同じく純血の妖精。
リフティアは人間だが、フロリスミアと心通わせる者であるため、人種差別的思想は極めて低く、質問に対する嫌悪感はなかった。
「その通りよ。けれどあなたは、それを聞いてなにを……」
問いに対してのフロリスミアの語が終わらぬうちに、激しく扉が開かれた。
皆の視線は、いっせいにそちらへと向けられる。
「そうか。まさかこんなところに、水の神殿から来た者が居たとはな」
僅かに揺れる漆黒の髪と、紫暗色の瞳。小屋の中へと入ってきた者の風貌を知っているルアスとフィニアが声を上げようとした。
刹那、彼の肩に手を乗せながら声を掛けた者がいた。
手に農業用のクワを持った、見るからに働き盛りの男である。
「よくやった、シェイド。あんたのおかげで、こいつ等の意表をつけたようだ。皆、準備はできているな!」
威勢良く声を上げると、呼応するかのように複数の足音が駆けてくる。
小屋の窓から見える者達の手には、農作業に使う刃物が握られていた。
「これはどういうことだよ!」
詰問するルアスへと卑下する笑みを浮かべたのは、共に小屋へとやってきたクワを持った男である。
「見ての通り、俺達に協力を申し出たんだ。お前達が、この場所に来たことを知って……」
言い終わらぬうちに、クワを持った男の腹に、シェイドの肘鉄が見事に決まる。
男はなにが起こったのかわからぬまま、前のめりになり悶絶する。
だが完全に地面に倒れこむ前に、シェイドに襟首を持ち上げられ、小屋の外へと投げ飛ばされた。
小屋の外へと投げ出された男を見るや、外にいた街人達は何事かと怯む。
いくら怪我を負っていても、魔法を使えるフロリスミアがいるという畏怖のためである。
彼等が小屋を取り巻く中、投げ出されたクワを持つ男は憤怒の表情で、仁王立ちしているシェイドを睨みつける。
「悪いが、貴様達に協力する振りをさせてもらった。この場に居合わせるには、この方法が一番無難だったんでな」
「この野郎、ふざけた真似しやがって!」
男はおもむろに立ち上がり、クワを構えると、シェイドに向けて振り下ろす。
シェイドは紙一重で避けるのだが、クワの先端がパンダナに微かに引っ掛かり、剥がれ落ちる。
そのために人とは違う、鋭角があらわになった。
シェイドを人間だと思っていた街人達にどよめきが走り、戦慄する。
恐れはあったものの、妖精であるフロリスミアは手負いだという強みがあったために、この小屋へときたのだという者は多い。
だがまともな状態で魔法を使う者がいるというのは、精霊と交信できない普通の人間にとって、まさに脅威なのだろう。
そのため及び腰で逃げ出す者、腰を抜かしている者達が幾人か続出した。
クワを持った男も怯んだ者の一人ではあったが、闘争心をすべて失うことはなく再びシェイドへと攻撃を仕掛けた。
だが後方に避けられ、クワは地面に食い込んだ。
「なにをしているんだ。今動ける妖精は、こいつ一人だけなんだ。こいつを排除すれば、すべてがうまくいくんだ!」
深く喰い込んだクワを引き抜きながら告げる男に勇気付けられたのか、諦めかけていた街人達の瞳に僅かながらも希望の火が灯る。
街人達は、いっせいに農具を構えなおし、向かっていく。
甘んじて受ける気のなかったシェイドは右手を緩やかに胸元にまで上げ、囁き声で素早く呪文を詠唱する。
それが終わるや、胸元まで上げていた手を横へと勢いよく薙ぎ払う。
すると突風が吹き荒れ、カマイタチとなって街人達を襲う。
「なにをしているんだ。これでは人間と妖精との溝は深まるばかりではないか」
「では聞くが、このまま大人しく、されるがままでいろとでも言うつもりか!」
シェイドのとった行動に憤慨したリフティアは叱咤し、グレナスも同様の視線を投げ掛ける。
しかし迷いも躊躇いもなく反撃するシェイドの言葉に、二の句が継げない。
「案ずることはありません。殺傷率は抑えてくれています。今のうちに、この場を離れましょう」
フォローを交えながら促すフィニアに、一同は街人達に視線だけを向ける。
事実重傷者は見当たらない。それを確認すると、彼等は足早に立ち退こうとする。
「待て、行かせるものか!」
軽傷の中でも、とりわけ闘争心の失っていない者達が、ルアス達の前に立ちはだかる。
「やめろよ。どうしてこんなことすんだよ、どうしてそこまで争おうとするんだよ!」
「当然だ。戦争を引き起こすような真似をし、挙句に魔物まで呼び出して俺達に危害を加えるからだ。妖精達を、それに加担する者達を排除しようとしてなにが悪い。お前こそ人間の癖になぜ妖精側に加担する!」
ハーフだと知らない街人達は、自分達と変わらぬ容姿のルアスを人間だと思っており、彼の態度に憎しみを込めて反論する。
ルアスは彼等の異常なまでの反応に、一瞬言葉が出なかった。
ポーアの姿が浮かんだためだ。人間が魔物を呼び出したのだという言葉と共に。
ポーアが嘘をついていたようには思えない。
かといって目の前の街人達もまた、偽りを語っているようには見えない。
ルアスはなぜか己が滑稽に思え、同時に腹立たしさが込み上げる。
「……なんだよそれ。なんなんだよそれ。そんなの人間だからとか、妖精だからとか関係ないじゃないか。結局考えてることも、やってることも同じで、だったらどうして争うことしかできないんだよ!」
「なにを訳のわからないことを!」
街人達は、ルアスがなにを想い、考え、叫んだのか、心情を知りえるはずもなく、今にも襲い掛からんばかりである。
「すみません、グレナスさん」
フィニアは羽織っていたマントを剥ぎ取ると、農具を手に襲い掛かってくる街人達へと投げつけた。
攻撃することに集中していた街人達はそれをまともに受けるも、すぐに払いのける。
再び目を向けた先にあった光景は、フィニアの背中にある昆虫のような半透明の羽と、その彼女がグレナスへの首筋へと短剣を突きつけている姿だった。
「それ以上近付かないで下さい。この方はこのときの為にと捕らえた、人間の人質なのですよ。同族意識の高いあなた方なら、見捨てるわけにはいきませんよね」
悪人面とまではいかないものの、相手を威圧するには充分な迫力があった。
街人達はフィニアの行動と威嚇するような力強さに、思わず仰け反った。
共にいるシェイド以外の視線が、フィニアの取った行動に困惑を隠しきれない様子で見つめている。
人質としされた当の本人であるグレナスも、当惑していた。
「フィニアさん、なにを……」
「すみません、こんなことをしてしまって。ですが今しばらく、人質の振りをしていてください」
「しかし」
耳元で囁き促すフィニアに、グレナスも声質を落としながら躊躇いを見せる。
「グレナスさんには、フォルシスさんという息子さんがいらっしゃるではないですか。もしあなたの身に何かあれば、きっと悲しみます。このまま人質となれば、あなたは無事に帰れるかもしれません」
フィニアの説得に、グレナスは言葉を詰まらせる。
自分一人の身であれば追われることなど覚悟の上であるが、残される息子のことを考えると安易な行動には移れないのだろう。
「すまない……」
グレナスは小さく詫びる。
フィニアは視線を街人達に向けたまま、無言でそれを受け取った。
「さあ道を開けてください。それとも魔法を受けて、皆さんこの場で朽ち果てますか」
これでも穏便に事を進めようとしているのだと暗に示しながら、フィニアはグレナスの首筋に短剣を突きつけ、街人達へと徐々に歩み寄る。
同じように、街人達は後退する。
「卑怯だぞ」
彼等の言葉に、物言いたげに眉を顰めたのはシェイドである。
街人達は気づかぬまま後退をやめ、フィニアへと事を構える姿勢をとった。
「その人の身柄を渡せ」
フィニアは無言で街人達を見据える。
その際シェイドにも視線を投げ掛けたのだが、彼は街人達へと臨戦態勢を取っている。
「わかりました、それがあなた方の答えなのですね。グレナスさん、歯を食い縛っていてください」
フィニアは前半の言葉を街人達への承諾の意として放ち、後半の言葉をグレナスへと囁く。
そしてグレナスを前へと押し出すと、背中を一閃する。
血が噴出し、一部を除いて皆の悲鳴が上がった。
「フェアリーの女め!」
街人達がいっせいにフィニアへと、農具を構えて飛び掛かる。
そこへとまたしてもシェイドが風の精霊を呼び出し、突風を沸き起こす。
だが先程のカマイタチとは違い、強烈な風だけである。
気を抜くと吹き飛ばされそうな突風を前に、街人達は地に伏せるなり木にしがみつくなりして、過ぎ去っていくのを待った。
ようやくそれが収まると、ルアス達の姿はなかった。
「おのれ、逃げられたか」
「これだから妖精という奴は嫌なんだ。自分達が魔法を使えるからと、優位に立ちやがって」
「おい、あんた大丈夫か」
口々にルアス達に対する悪態をつくと、傷を負ったグレナスの元へと集まり、助け起こす。
「ああ、なんとか大丈夫だ」
グレナスは何事もなかったかのように応えた。
事実傷そのものは浅く、見た目ほどは酷くはない。
「あんたの顔、見たことあるぞ。宿屋に息子さんと泊まっていた旅商人だったな。だから目をつけられたのか、災難だったな」
「……はい。同じ宿に泊まったことが縁で、息子を盾に取られたのです」
その際グレナスの表情に翳りが落ちる。
力がないための悔やみ。
ルアス達を庇うために街人達を説得する力も、その際に息子の身の上にまで降りかかる受難から守る力もなく、逆に足手まといにしかならない己への苦悩。
街人達は、それを人質にされたことへの負い目だと感じたようだ。
「普通に話せるところを見ると、傷は大したことはないようだな。しかし彼等のことだ。呪詛の一つも掛けているかも知れない。街で暫く休むといい」
「かたじけない。申し訳ついでに、もう一つ頼みたいことがあります。息子のフォルシスには、逃げ出した彼等の名を教えないで頂きたい。自分が人質になっていたことさえ知らないのです」
「わかった、約束しよう」
街人達は快く承諾してくれた。グレナスは感謝を込めて、深々と頭を下げる。
そして街人達はグレナスが持ち込んでいた薬で応急処置をして街中へと戻る。
包帯や、裂けて血塗れになった服で帰って来た彼等の姿に、驚きとどよめきが走る。
傷を負った彼等は一様にして、この街へと来ていた妖精達は我々が追い払った。
だから慌てる必要はなにもないと語り、その話は瞬く間に町中に届き渡る。
彼等の輪から一人外れ、少々気が重くなりながら宿屋へと戻ると、門の前にはフォルシスが一人佇む姿があった。
父、グレナスの姿を認めると、フォルシスは心配げに、けれど安心したように駆けてくる。
「良かった。お父さんが妖精達との抗争に巻き込まれたって聞いたから、すっごく心配したんだよ」
「すまなかったね。ほうれ、私はこの通り元気だ」
グレナスの、いつもとなにかが違う様子に気づいたのだろう。
元気づけるつもりで取った行動に、フォルシスは訝しげに父を見上げた。
「どうしたの、顔が少し暗いよ。傷、痛む? こんな大変なときに、ルアスさん達はどこかへ行った切りだし、薄情だよね。それにやっぱり妖精なんて大嫌いだ。なにも悪いことしてないお父さんを傷つけるなんてさ。ハーフも妖精も、皆滅んじゃえばいいんだ」
妖精だけではなく混血児であるハーフ達にまで嫌悪をあらわにし、吐き捨てるフォルシスの頬へと、グレナスの平手打ちが飛んだ。
憤慨し、なにをするんだと言いかけたフォルシスの肩を、グレナスは優しく抱き寄せる。
「お父さん? どうしたんだよ、お父さん」
いきなり叩いたかと思うと抱きしめるグレナスの心中を図りかね、フォルシスは何度も呼びかける。
けれどグレナスは一言も応じることなく、悲哀と苦悩とを瞳に色濃く映し出したまま、フォルシスの肩を抱き締め続けた。
*
風の魔法で街人達を攪乱させ、無事に逃げおおせたルアス達は、街の見えぬ平原へと辿り着くと足を止めた。
「ありがとうございました。おかげで助かりました」
リフティアは傷を治してくれたこと、街人達にも自分達にも大した被害を出さずに対処してくれたことを心から感謝しているようだ。
「そんなことはどうだっていい。水の神殿の今の状況について、貴様達が知っている事を話してもらおうか」
「先程もそちらの女性、フィニアさんも知りたがっていましたね。わかりました、単刀直入に言いましょう。現在妖魔が水の神殿を支配しようと、執拗に攻撃を仕掛け、私達妖精が必死に阻止しています」
フロリスミアの口から語られる意外な内容に、ルアス達は顔を見合わせた。
「妖魔が執拗に水の神殿を襲うとは、どういうことなのですか。それはいつ頃から、目的はなんです」
質問責めのように訊ねるフィニアに、フロリスミアはどこから話そうかと考えをまとめている、もしくは呼吸を整えているかのように深くため息をついた。
「サフィニア戦争後、精霊との結びつきが強く、神の次に高位精霊を崇める私達は水の神殿へと集まり、住むようになったわ。最初、魔物が時々押し寄せるくらいだったのだけれど、数年前から一人の妖魔がやって来たの。目的は、水の高位精霊ウンディーネを手に入れるためらしいの」
「手に入れる? 高位精霊は精神消費が激しく誰でも呼び出せるというものではなし、逆に呼び出されれば誰の下へも現れる。それをどうやって手に入れるというんだ」
シェイドの問いに、フロリスミアは申し訳なさそうに頭を左右に振る。
「そこまで詳しくはわからないわ。けれど彼等にとっても、高位精霊の力は脅威なのでしょう。ウンディーネだけではなく、すべての高位精霊を手に入れようと躍起になっているということだけは確かです」
「では水の神殿近くを通った者が、抗争のような物を見たという話は、それか」
「急がねばならないでしょうね、手遅れになる前に」
フロリスミアの語りを聞き終えたシェイドは、神妙な顔つきで一人ごちる。
フィニアも即座に同意する。
「お教えいただいて、どうもありがとうございました。え……」
「私はフロリスミア。この人はリフティア」
謝礼を述べようとしたところ、名前を知らないのだということに思い至ったフィニアへと、フロリスミアは今更ながら自己紹介をする。
「それではフロリスミアさん、リフティアさん。改めて、ありがとうございました」
再び謝辞を口にするフィニアへと、フロリスミアは頭を振った。
「いいえ、お礼を言うのは私達の方。おかげでいい夢を見ることができそうだもの」
喜びや嬉しさを隠しきれないように微笑するフロリスミアの横で、リフティアも力強く頷く。
そしてフロリスミアはルアスの前へと歩み寄ると手を取り、柔らかく握り締める。
「あなたは私達の希望よ。混血であるあなたが、純血の者と共にあるということがその証。これで心置きなく私達の子供に、夢物語ではないことを語って聞かせてあげられる。私達は再び、共に暮らせる日が来るのだということを願いながら頑張れる」
「では、あなた方が水の神殿から追い出された理由というのは……」
フィニアの確認するような問いに、フロリスミアは小さく頷き己の腹部へと手を当てる。
「私はこの人との愛に目覚めて子を身篭り、人間と妖精が争うことなど愚かしいと説いたから。けれど後悔はしていないわ。生まれてくるこの子の為に、世の中は醜い物ばかりではないと教えてあげたいから。なにより普通に笑って暮らせる未来を築いてあげたいから」
フロリスミアは熱弁しながら、愛しそうに腹部を撫でる。
「馬鹿な事を。双方のいがみ合いは説得だけで、どうにかなるものではない。魔物という存在が更に、深く溝を作っている。それはどうするつもりだ」
一瞬の沈黙の後、シェイドは皮肉と侮蔑を交えた息を吐いた。
ルアスとフィニアは、肯定もしなければ否定もしない。
なにも言えずにいるのは、旅に出て以来、否応なしに見せ付けられた現実故だった。
リフティア達もわかっているのだろう。
複雑な、けれど決意の伴った面立ちで、シェイドへと一歩進み出る。
「確かに馬鹿な行為だと、お思いになられるかもしれません。ですが俺達妖精と人間、そしてハーフが共に笑い合っていた時期がある以上、どんなに時間が掛かっても諦めたくないんです。魔の存在が邪魔しているというのなら、なんとしても討伐してみせます。そうすれば少なくとも、話し合いの場を持ってくれるはずです」
「だからルアスさん、あなたに会えてよかった。いつかまた会えることがあったなら、私達の子の友人になってあげてね。どうかあなた達に、神と精霊のご加護があらんことを」
言うとリフティアとフロリスミアは、笑顔でルアス達の前から去っていく。
背中を見送ったあと、シェイドはルアスへと向き直る。
「それで、アーサーの見解はどうなんだ」
ルアスは気まずそうに、首を左右に振る。
「アーサーさん、まだ出てこないのですね。どうなさったのでしょう。以前行った集落を過ぎた辺りから一向に姿を見せませんし、応答も不通のままですよね」
フィニアの言うとおり、ポーアのいた集落脱出以降、アーサーは姿を現すどころか応答さえなくなってしまったのだ。
なんの前触れも、音沙汰もなく。
「まさか貴様を主の資格無しとして、別の主を捜しに行ってしまったのではあるまいな」
「わからない、わからないよ」
シェイドの責めるような詰問に、ルアスは手を胸元に置き、服を強く握り締める。
「アーサー、魔物ってなんなんだ。魔王の存在って、結局なんだよ。俺はどうしたらいいんだよ」
肝心なことは何一つ語らぬままに姿を現さなくなってしまったアーサーへと、小声で悪態をついた。
自分は決して希望などではなく、シェイドやフィニアと行動を共にするようになったのも、成り行き任せだったのだと思いながら。
しかし思いながらも、リフティアとフロリスミアの言葉が離れない。
(魔の存在がなくなれば、本当にこんな不毛な争いは終わるのか。ポーアや、俺達と同じハーフが泣いてばかりの世界は終わるのか。応えろよ、アーサー)
ルアスが心の中でどんなに強く呼びかけても、応じる声はまったくない。
シンシアを助け、元いた町に帰れば、いつもの日常に戻り、すべてが終わると思っていた。
けれど本当にそれでいいのかだろうか。
魔の存在をすべて倒せば、本当に俺達種族間の争いは少しでも好転するのだろうか。
だったら俺は――
そこまで考えて、ルアスは苦悩する。
「そんなの俺の器じゃない。できっこない。けど、でも、俺はどうしたらいいんだ。誰か教えて、応えてよ」
ルアスはエルフォーネやシンシアの顔を思い浮かべながら、声にならない声で囁いた。




