一回
ルアスは一人、集落に居た。
そこには笑顔で行き交う妖精達の姿が見えた。皆はルアスの存在に気づいていないようだ。
それらを眺めていると、ふいに突風が巻き起こり瞬時に目を閉じた。
次に瞼を開いた途端、辺りは紅に染まり、妖精達は武器を手に構えている。
彼等の視線や態度に怯むと、炎が体の周りを舞い、風が吹いたように辺りに炎の波が散らばっていく。集落の人々は声ならぬ悲鳴を上げ、逃げまとう。
『やめろ、やめてくれ!』
叫ぶが炎は弱まらず、次々に彼等を焼き尽くし、屍の山を増やしていく。
屍となった彼等の顔は、どれもこれも目を見開き、怨恨、憎悪、嫉みといった表情でルアスを睨みつけている。
災いしかもたらさぬ、炎の使い手。人間と妖精の混血児。
存在してはならぬ、消し去ればならぬ、血肉も魂さえもこの世から滅せられねばならぬ。
まるでそう語っているように、屍と化した彼等の目が、ルアスに向けて注がれている。
短い悲鳴を洩らしながら視線を外し、辺りを見ると、一面焼け野原であり、生きて動いている者は誰一人いなかった。
『……そんな、そんな! 誰かいないの?!』
自分が行なった惨劇だとは想像したくないルアスは、声を張り上げながら生きている存在を確かめようとした。
そのとき足首を掴まれた感触があり、見下ろすと、水色の髪をしたワンレンの女性がいた。
背中には鳥の翼が生えている。種族はフェザーフォルク。
女に見憶えがあった。同じハーフであったポーアの母親で、名をルティアーナという純血妖精である。
手足や顔などが炎によって焼け爛れ、恨めしげに、妬ましげにルアスを見上げている。
ポーアもいつの間にか傍らにおり、同じように焼け爛れた皮膚をあらわに見つめてくる。
『あなたのせいよ。あなたさえ来なければ、私も、この子も死ぬことはなかったのに』
『ルアスさん。あなたが居る限り、僕等はずっとこの中途半端な世界で、痛みだけを伴い彷徨い続けないといけない。だから、……死んで』
地の底へと引きずり込まれそうな冷たい声、それとは裏腹に燃え滾るような眼差しで、這い上ってくる。
二人を筆頭に、屍と化した彼等もまた、ルアスへと手を伸ばそうと這ってくる。
お前が居るから、俺達が不幸になるんだ。存在そのものが災いなのだ。
でなければなぜ魔法を扱えぬお前に、破壊しかもたらさぬ炎のみが与えられているというのか。
嘘だと思うのなら、何故お前の姉のシンシアは魔物に連れて行かれた。
何故お前の幼馴染みは毒に侵され、瀕死の状態へと追い込まれたと思う。
そもそもお前の町に魔物の群れが押し寄せたのは、その身に流れる血と、巣くう炎が元凶だということに、なぜ耳を塞ぎ拒絶する。お前が居続ける限り、災いは消えぬのだ。
シェイドとフィニアさえも、災いのみを引き寄せるお前を、いつしか必ず呪うだろう。
ならば死ぬことを喜ばれたとて、生きることを望むものは誰一人いようはずがない。
さあ我等の手に掛かり、死ぬが良い。
這いずりながら向かってくる言葉の数々、それを裏付ける視線の数々が、ルアスを捕らえて引き離さない。必至に抵抗すればするほど無数の手は絡みついて、引き剥がすことができない。
『……違う! 俺は災いなんかじゃない。炎が使えるなんて知らなかったし、殺すつもりなんてなかった。俺は……!』
言い終わらぬうちにルアスは抵抗も虚しく、屍の手によって地に沈められていく。
俺は不幸に陥れたかったんじゃない。ましてや殺したかったわけでもない。
ただ、救いたかった。守りたかったんだ。それだけなんだ――
声にならぬ声で叫びながら抗うが、無数の屍の手によって引きずられていく。
『あなたのせいよ。あなたが居たから、私は死んだの。だからあなたも一緒に、奈落の底に逝きましょう』
目から口から額から、血を流しながらも満面の笑みを浮かべ、ルアスの首を絞めようとするシンシアの姿があった。
「やめてくれ!」
ルアスは声を張り上げながら起き上がった。肩で息をしており、全身汗まみれである。
汗が、冷たく体をつたっていく。
荒々しくも深呼吸をし、汗ばんだ体が落ち着いてきたためか徐々に悪寒は消えていく。
手の触れるシーツの感覚に、ようやくこちらが現実なのだという実感が伴ってきた。
「ルアスのお兄ちゃん、大きな声が聞こえたけど大丈夫?」
多少収まったものの、いまだ荒い息を吐き出しているルアスの下に足早に駆け寄る音と扉の開く音がすると、十代前半ほどの少年が心配そうに入ってきた。
少年が誰だか知っているために、顔を背けながら不機嫌そうにしかめ面をしている。
少年の名はフォルシス、姓はライアといい、父と共に行商を生業としている旅人なのだという。
妖精には名のみしかないが、人間には姓と名がある。
双方の血を受け継ぐ者は、姓を名乗ることを強制されてはいない。姓のあるフォルシスは、紛れもなく純血の人間だ。
ルアスは十七歳という年齢にしては低い身長と幼さの残る容姿のため、十四、五歳と間違われることも少なくない。
同じように旅をし、なおかつ歳が近いと思い、親近感を覚えているのだろう。
やたらと懐いてくる。もし妖精と人間の混血児だと知ったら、どんな顔をするだろうと、ルアスは自嘲気味に微笑する。
ルアスは少年を、あまり好きにはなれなかった。
無邪気な笑顔や仕草が、ポーアを連想させる。
ポーアの歳はフォルシスの約半分程で、容姿もこれといって似た頃はない。
フォルシスほどに明るい笑みを浮かべることはない。
ならばどこがどう似ているのかと問われると困ってしまうが、なぜか重なって見えてしまう。
そのためルアスは邪険な態度をとっているのだが、フォルシスはめげずに語りかけてくる。
「なんでもない、さっさとどっか行けよ」
不機嫌な態度と邪険な口調でルアスはベッドから起き上がると、開け放たれている扉から、逃げるように去っていく。
「あ、待ってよ。ルアスさん」
フォルシスも小走りに駆け寄りながら、ルアスの後を着いて行く。
部屋を出て階段を下りると、テーブルや椅子が整えられている。
この宿屋は、食堂も兼ね備えている。
料理が並べられていたらしく、食欲のそそる匂いが立ち込めていた。
「ルアスさん、おはようございます」
足音に気がついたフィニアは、微笑しながら振り返る。頭には、頭半分くらい覆い隠せそうなほどのパンダナを巻きつけ、膝元まであるマントを羽織っている。
シェイドはテーブルにある料理に手をつけながら、不服そうに視線をルアスに向けるだけだった。
頭にはフィニアと同じ、柄違いのパンダナをつけている。
「フィニア達も、今から朝食?」
「はい。ルアスさんやフォルシスさんも、いかがですか?」
「わぁい」
フィニアの誘いに、フォルシスは嬉しそうにはしゃいだ。
対照的にルアスは不機嫌に、だが申し訳なさそうに視線を逸らす。
「いや、俺はいいよ。散歩してくる」
お腹は減っているが、どうにも食べる気がしない。
体調ではなく、気持ちの問題なのだということはわかっている。
気晴らしをしてこようと、視線を合わせようとしないまま戸口へと向かい、扉に取り付けられている鈴の音と共に出て行った。
フィニアは困惑気と心配気に短いため息をつくと、シェイドへと視線を向ける。
視線に気がついたシェイドは、好きにさせておけとでも言うように首を軽く横に振った。
「ねえ、お兄ちゃんとお姉ちゃんは、ルアスさんと喧嘩でもしているの?」
フォルシスは気兼ね無しに料理に手を伸ばし、口に頬張りながらフィニア達に訊ねた。
さすがに事の真相を、そのまま伝えるわけには行かず、困ったようにフィニアは微苦笑した。
「喧嘩ではないけれど、とても嫌なことがあったのです。ルアスさんにとっても、私達にとっても。それで苛立っているだけですよ」
「ルアスにとってだけだろう。俺達は、ああすればどうなるかくらい知っていたはずだ」
言葉を選びながらフォルシスに語りかけるフィニアに、シェイドは問いかけに似た言葉を浴びせかけた。
さすがに反論できないフィニアは、今度は自嘲気味のため息をついた。
「……そうかもしれませんね」
言ったものの、フィニアはシェイドのように割り切ることができない。
あまりに残酷な結果ではあったけれど、どうにかしたいと想い、行動したルアスを責める気にもなれないのだろう。
原因は結局のところ、ルアスが妖精と人間の混血児だったからだ。
ポーアもまた、混血児だったからだ。たったそれだけのために、あのような惨状が起きた。
元を正せば、ルアスやポーア達のような混血児を追い詰めてしまったのはサフィニア戦争であり、キッカケを作ったのはフィニア達妖精側なのだから。
けれど今更思い返したところで、過去が変えられるはずもない。
「立ち直って欲しいですね……」
危険も顧みず助けに来てくれた、信じようとしてくれた、そして幼馴染みの少女を救うためにゴルファ洞窟へとやってきた、あのときのルアスのように。
姉のシンシアを救おうと町を飛び出してきた、心優しいルアスに。
身勝手な願いだと知りつつも、フィニアは切実に思う。
「よっぽどの事があったみたいだね。もしかして妖精か魔物に襲われたとか?」
忙しなく口を動かしながら、フォルシスは何気なく問いかける。
フィニアは言葉ではなく、微苦笑を少年に向けた。シェイドもまた無言だった。
それがなにを意味するのかわからないらしく、フォルシスは軽く首を傾げた。
「僕、ルアスさんの後を追いかけてくるよ。料理ありがとう、なにか旅の道具で足りないものがあったら言ってね。お父さんにお願いしてみるよ。」
フォルシスが軽々と椅子から降り立つと、慌しく店の外へと出て行った。
*
あてもなくルアスは街中を歩いていた。水の精霊が奉られているというだけあって、湿気の含んだ風が心地よい。
ここは人間の住む街で、今まで来た中でもっとも大きい。
話によると、この街から東に位置する水の神殿までの距離は、三分の一もないらしい。
何事もなければ、あと十日前後で辿りつくという。
なんとしても水の精霊の長、ウンディーネの協力を得なければならない。
ウンディーネの他にも、精霊の長の力も借りねばならない。途方もなく先の長い話のような気がする。
いつになったら姉の居場所を突き止めることができるのだろうか。
無性に姉に会いたい。会ってこんな旅、早く終わらせてしまいたい。
もう、あんな想いはしたくない。そればかりが込み上げ、胸を燻らせる。
「ルアスさん!」
物思いに耽っているところへ、少年の声が背中に届く。
声がフォルシスのものだとわかり、一瞬立ち止まってしまいそうになったが、無視して歩き続けた。
「ルアスさんってば!」
フォルシスの声が再び投げかけられる。駆け寄る足音が早くなり、近づいてくる。足音の主がルアスの横まで来ると、歩調を合わせた。
「もう、待ってくれてもいいのに」
拗ねたような、非難を浴びせるような眼差しをルアスに向けながら、唇を突き出している。
「別に待つ必要なんてない。俺達は、たまたま同じ宿屋に泊まることになった仲なだけだろ」
脇目もふらず、苛立たしげな口調で突き放す。
十代前半という歳のわりに、フォルシスは大人びた眼差しで長いため息をついた。
「なにがあったかは知らないけど、いつまで拗ねてるのさ。年下の僕に心配されるようじゃダメだね」
フィニアさん達も心配してたよ、とフォルシスは続けた。
そんなことはないという反発が湧き上がる。あの二人は、とくにシェイドはアーサーが必要なのだ。
自分という存在は、ただの付属品だとルアスは思う。
「わかるわけない。お前なんかに、俺の気持ちなんてわかるわけがない。あの二人だって、俺を心配する理由なんてないんだ」
ルアスは語尾を強めながら叫び、フォルシスから顔を背けた。
フォルシスは彼の物言いや態度に軽く眉を顰め、憮然とした。
「どうして決めつけるのさ。それに僕だって今まで嫌なこともいっぱい……、いっぱいあったんだ」
「妖精達を虐殺して、人間が魔王や魔物達を呼び出しておいて、調子良いこと言うなよ。そんなの自業自得だ!」
「なに言ってるのさ。ルアスさん、おかしいよ。魔王やその仲間達を創ったのは、妖精側じゃないか。魔法ってやつで、呼び出したに決まってる!」
敵意丸出しの発言にフォルシスも我慢ならないのか、口調が荒くなっていく。
相手を怒らすつもりはないのだが、傍に寄られること自体苛立っているルアスにとって邪魔の何ものでもない。
なんて浅ましい、子供でしかない自分に気づき、嫌気が差しながらもルアスの怒気は止まらない。
「そんなわけあるもんか。人間がいなければ、魔物も現れなかったし、あんな戦争も起こらなかったんだ!」
「……っ、どうしてそんなに妖精側の味方ばっかりするんだ。ルアスさんの馬鹿!」
言い捨てるとフォルシスは涙混じりに踵を返し、走り出していった。
「そんなこと、あるわけないじゃないか」
人間がいたから魔王や魔物が生まれ、俺達ハーフが存在することもなく、ポーアも死ぬことはなった。
人間がすべてを悪しき方向へと捻じ曲げたんだ。
だから妖精側が、魔物や魔王を召還したなんていうのは嘘だ。絶対に。
フォルシスへの罪悪感が伴いながらも、ポーアの言葉が頭を擡げ、ルアスの心を頑なに支配していた。
*
フォルシスは宿屋へと戻ってくると、食事をしているフィニアとシェイドの前を通り過ぎ、伏せ見がちに階上へと走り去っていく。
ただならぬ様子が気になったフィニアは、彼の後を追いかける。
シェイドは彼等に、視線を投げかけただけだった。
階上に来ると、ライア親子の借りている部屋の扉が半開きになっている。
フィニアは躊躇いを憶えつつも、部屋の中へと身を滑らせた。
見るとフォルシスはベッドにうつ伏せになり、肩を震わせていた。声を掛けるべきどうか一瞬迷ったが、歩み寄る。
「…フォルシスさん」
返事はない。ベッドの上で、肩を震わせているばかり。
もしかしたら泣いているのかもしれないと思わせられる。
「わかんない。全然わかんないよ!」
フィニアがもう一度声を掛けようとした矢先、フォルシスは身をベッドに伏せたまま、声を上ずらせながら荒げた。
「僕だって嫌なこととか、たくさんあったのに。ルアスさん、まるで自分だけが、嫌な目に合ってきた言い方……」
自分も友達になれると思っていた妖精に裏切られたのだと、しゃくりあげながらフォルシスは続けた。
言い終えたあと、本人にしかわからないような断片的な言葉が、泣き声と共に紡がれる。
父と子の二人旅。こんな世の中でさえなければ、きっと、もっと楽しいものだったに違いない。
今の世の中は大人でも目を背けたがる物が多くあるというのに、せいぜい十数年しか生きていない少年が体験するには、辛いものが多すぎる。
おそらくはこれまで我慢してきたものが、ルアスの態度か言葉かによって触発され、溢れだしたのだろう。
フィニアはベッドの上でうつ伏せになったまま肩を震わせ、息を殺しながら泣いているフォルシスの傍によると、膝を折り、静かに優しく頭を撫でた。
フォルシスは目を真赤にした顔を上げた。
優しげに、儚げに微笑するフィニアに、大粒の涙を流し、今度は大声を出して泣いた。
泣くに任せながら、フィニアはいつまでも彼の頭を撫でていた。
フォルシスが泣き寝入りをし、ようやく開放されたフィニアは階下へと行くと、食事をすませたシェイドが待っていた。問いたげな視線がフィニアに向けられる。
「フォルシスさんは、今のところ大丈夫だと思います」
語ったあとフィニアはシェイドから視線を外し、伏せ見がちになった。
思ったことを口にすべきか躊躇いを見せていたが、再びシェイドへと視線を向ける。
「私、ルアスさんを捜しに行ってきます」
「放っておけ。俺達が手を差し出したところで、なにが変わるわけではない。逆に蒸し返すだけだ」
「そうかもしれません。ですが、そうでないかもしれません。今ルアスさんの傍にいるのは、誰でもない私達なのです。その私達がなにもせずに、見ているだけなんて良いはずがありせん」
なにを言っても無駄だというシェイドに、フィニアは今だからこそ手を差し伸べたいのだと、静かに、ただし熱のこもった言葉を紡ぐ。
緩やかに波打つ淡いブロンドの髪をなびかせながら、踵を返し、出て行ってしまった。
「どいつもこいつも、どうにも感情に任せすぎる。……いや、それは俺もか」
シェイドは受け入れたくないのか、僅かに眉をひそめ、顔をしかめた。
今はそんなことよりも妖魔や魔族に関する情報を手に入れるほうが先決だと気持ちを切り替え、街中へと出ることにした。




