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十二回

 禍々しい、不穏な空気が立ち込めている。

 まるで妖気にも似た、まとわりつくような寒々とした空気。

 それらが風と共に流れ込み、徐々に近づいてくる。

 この感覚は知っている。数ヶ月前にも味わった、理性が吹き飛んでしまいそうなほどの重圧感。

 ユーイはいつ帰ってきても良いようにと、町外れにあるシェイドの家の中を掃除しているときに気がついた。

 気を引き締め、駆け出して行きそうなほどの早足で、町へと向かい始めた。

 シェイドの家は町の外れにあるため、辿り着くまでに数十分は掛かる。


 町中へ訪れると、人々は町の入り口ともいうべき方角を指し示したり、視線を向けたりと、ざわめきあっていた。


「説得すると言って町の入り口に行ったが、長老御一人で大丈夫なのか?」


「相手は魔族だ。下手に我々が口出しをして、相手の機嫌を損ねたら終わりなんだぞ」


「しかしルアスが町を出たというのに、なんでまたあいつのために厄介事が舞い込んで来るんだ」


 ルアスが炎を使ったために災いを呼んだのだと言い合いながら、不安そうに町の入り口を見つめている。

 魔族は、いくら魔法が使える妖精達が束になって掛かっても、簡単にそれを覆すだけの力を持っているとされている。

 魔族は三人しか存在しないため、遭遇した者達が少ない。

 そのため噂が一人歩きしている傾向がある。

 だが裏付けるように魔物は、とくに妖魔は、一筋縄ではいかない場合が多い。

 誰もが魔王にもっとも近しいとされる魔族を恐れるのは、当然といえば当然だった。


 ユーイは町人達の魔族に対する不安に怯える声を目の当たりにしながら、入り口へと歩を緩めることなく進める。

 入り口付近へと辿り着くと、長老が一人で魔族と対峙している。


「さあ、早くルアスという小僧をよこせ。隠すと身のためにならんぞ」


「何度説明すれば諦めてくださるのですか。ルアスという少年など、初めからこの町にはおりませぬ」


「なにを隠す必要がある。ルアスという小僧がここにいることは、既に調べがついているのだ」


「なにを言われましても、おらぬものはおりませぬ」


 長老と魔族は、数刻火花を散らすほどの睨み合いをしていた。

 だが魔族は程無くして口元を吊り上げ、薄い笑みを浮かべる。


「どうやら、我が身が可愛くないようだな」


 言うと魔族は闘志をみなぎらせた。

 さすが長老というべきか、それを目の当たりにして微塵も怯む様子がなく受け止めている。

 焦りを感じたユーイは更に歩く速度を速め、割って入るように魔族の前へと立ちはだかった。


「待ってください」


 目の前に立ちはだかり、制止の声を掛ける幼き少年へと顔を向けると、魔族は感慨を込めて息をついた。

 僅かばかり、驚いた節もある。


「お久しいですね、ザルバード。とはいっても、こうしてお話しするのは初めてですけどね」


 長老が驚愕の目を向ける中、ユーイはザルバードと呼ぶ魔族へと、挨拶にも似た言葉を向ける。

 ザルバードは闘志を一旦おさめ、上空からユーイを見下ろした。


「まさかあそこから生きて、出ていたとはな。まあいい、貴様ならルアスとやらの居場所を知っているだろう」


「無駄ですよ。どんなに彼を欲したところで、この町にはいませんから」


「貴様も、その老いぼれと同じことを抜かすのか」


 気圧されそうなほどの視線を真向から受け止め、それを跳ね返さんとする強さを秘めた瞳を向けるユーイ。

 ザルバードは顎で長老を指し示すと、舌打ちしながら皮肉を洩らす。


「それほどまでに庇い立てするのならば、力づくで居場所を吐かせるしかないようだな」


「しっかり話を聞いていただきたい。僕は、この町にはと言ったんですよ」


 怒りをあらわにするザルバードに、ユーイは極めて冷淡に言葉を紡ぐ。


 これはある意味挑発だ。なまじ言葉を間違えば、更に怒りを買うだろう。

 そのことをわきまえているだけに、ユーイは内心緊張と底冷えするような寒気が襲い掛かる。

 それでも引くわけにはいかなかった。

 なにを言うのだと、長老は無言でユーイを見つめている。


「ほう、それでは今どこに」


 ザルバードは闘志を燃やしたまま、続きを促した。


「それは僕にもわかりません。ただルアスさんは自分の姉を探し出すために、この町を後にしたのは確かです」


「ユーイ殿!」


 こうもあっさりとルアス達の経緯を語るユーイに、長老は黙っていられなくなったのか、制止の声を投げかける。

 だがユーイは、語ることをやめない。


「あなた方がシンシアさんを連れ去ったのでしょう? そしてルアスさんも連れ去ろうとしている。あなた方の主、魔王の命令によって。なぜなら魔王にとって、あの二人は必要だから」


「もうやめてくだされ、ユーイ殿。これ以上なにも話してくれるな!」


 威勢良く発するユーイに危惧を憶え、焦りを感じたのか、長老は更に制止の声を投げかけた。

 だが今更制止したところで、言葉として紡ぎ出された以上どうしようもない。

 ザルバードの闘志は、徐々に膨れ上がっていく。


「そこまで知っているのか。あの小道具と、水晶による副作用か。すべてを知っている者がいると厄介だ、今ここで貴様を消しておいたほうが良さそうだな」


 ザルバードは今にも攻撃へと転じることのできる姿勢をとるが、意味深な笑みを浮かべるユーイに手を止めた。


「いくら簡単に町一つを潰せるとはいえ、こんなところで油を売っていて良いのですか。雀の涙ほどの僅かな時間でも、今のあなたには惜しいはずでしょう。すぐにでも、魔王はルアスさんを欲しているでしょうから」


 緊張と、恐怖を必死に押し隠しながら、ユーイはザルバードの顔を見上げ、睨みつける。

 今にも放棄してしまいたいほどの緊迫が心を支配し、込み上げる。

 このときの数刻は長く、果てしなく遠くまで続くように感じられる。

 ふとザルバードは片方の口端を吊り上げる。だが目だけは笑っていない。


「貴様は多くを知りすぎた。ルアスという小僧を魔王に無事届けることができたなら、命はないと思え」


 言うとザルバードは今いる上空より更に高く舞い上がり、去っていく。

 その姿を目で追いながら、ユーイと長老は、安堵のために深く息を吐き出した。

 束の間、長老から責めと、問いたげな視線を向けられる。それを向けられるとわかっていただけに、ユーイは僅かに苦笑した。


「長老。あなたがこの町と、ルアスさん達を守りたい気持ちはわかります。僕もそうですから。けれど、すべてがうまくいかないのも事実です」


 すべてを守ることほど難しいことはない。

 なにもかもを守ることができるなら、それにこしたことはない。

 けれどなにを守るかによって、なにかを切り捨てなければならないことの方が多い。

 苦渋の選択を迫られることは、稀ではない。

 長老もユーイを責められるはずもないことをわかっているのだろう。

 苦々しい表情で視線をそらし、俯いた。


「そうだ、この町を守りたい。同時にルアスも守りたい。どんな理由があろうと、ワシはルアスを見放したのだ。ならばせめて、知らぬ存ぜぬを押し通したかった」


 ルアス本人が悪いわけではない。

 人間の血が濃いハーフであり、しかも使えるはずのない魔法を、禁忌とされてる炎を使う彼を町人達の反対を押し切れず追放した。

 またエルフォーネも、それが禍を為すと知りながらルアスのあとを追いかけた。

 魔物が跋扈し、ハーフを忌み嫌う純血の妖精や人間が多い中に放り出さねばならなかったことが、責め苦となって長老の胸を抉り続けている。

 だからこそザルバードと名乗る魔族がルアスの居場所を探っていると知ったとき、初めからいなかったことにして魔の手から遠ざけたかったのだろう。

 長老がどんなに彼等の無事を願い、幸せに過ごしてほしいと切に望んでいたのか、ユーイには痛いほど伝わってくる。


「だがなぜ、そもそも魔族がルアスを欲するのだ。炎を使うということが、原因なのか。ユーイ殿、シンシアまでもが魔族の手に落ちたというのは本当なのかい?」


 胸が焼け焦げそうなほどの遣り切れなさを抱えた面持ちで、長老はユーイへと顔を向けた。

 ユーイは無言で頷いた。


「なぜあの姉弟が、こんなことにならねばならぬのか」


「それはあの二人が、魔王が今一番必要としている人の血縁者だから」


 疑問と哀れみと共に発せられた言葉に、ユーイは目を伏せながら、静かに紡ぐ。

 魔王が必要としている者の血縁者。

 長老はそれを聞くや、言葉が出てこず、両手のひらで顔を覆う。


「……大丈夫です。ルアスさんには炎の精霊長イフリートが、ケティルには闇の精霊長シェイドがついています。ただ完全に従えたというわけではなく、不安定ではありますけど」


 それでも簡単には魔族に倒されはしないと、ユーイは立て続けに語る。

 気休めではなく事実そうだから。それだけではなくルアスの傍には、アーサーがいる。

 神の使いとされる白竜の姿をしているが、本当は神の使いではなく神そのものだから。

 簡単に倒されるはずがない。


「どうか、無事でいて」


 簡単に倒されるわけがないとは思っていても、ユーイの胸にも、やはり不安は込み上げる。

 けれど町を見捨てるわけにもいかない。

 ルアスとシンシアは、この町でエルフォーネと出会い、共に過ごした場所。

 そして長老が町を新たに建設する以前にあった、この土地が魔族によって滅ぼされる以前の町で、ケティルは家族と共に暮らし、戦火から逃れてきたフィニアとユーイとが初めて出会った場所だから。

 皆が帰ってくる場所はここだから。

 だからどうしても失うわけにはいかない。魔族は一筋縄ではいかない相手だけれど、たとえザルバードがいなくなろうとも、魔王の追手が執拗に迫るだろうけど、どうか皆無事でいて。

 ユーイは心の中で詫びながら、彼等の無事を祈り続けた。



 エルフォーネは頭に深々とフードを被り、平原を歩いていた。

 彼女の遥か前方に、小さいながらも建物が見え隠れしている。


「ようやく、ここまで来れたのね」


 エルフォーネは前方にある集落を見つめながら、安堵のため息をつく。

 容姿を隠しながら、町や村や集落などを回って、ルアスの特徴を尋ねまわり、植物に宿る精霊や、風の精霊などに見た者はいないかと聞き歩いた。

 結果、ようやくルアスがいたとされる集落を、数日前に突き止めた。

 だがすぐに表情を引き締める。集落は妖精のみが住んでいるという。

 集落内は純血の妖精以外の立ち入りを、厳しく禁止しているらしい。

 いくらエルフォーネの容姿が妖精そのものだといっても、ハーフだということが知れてしまう可能性は大だ。

 ハーフだということが知れてしまったら、どんな目に合わされるかわかったものではない。

 情報が本当かどうかさえ疑わしいが、それでもここまで辿り着けたのだ。なにかしらの情報は得られるかもしれないという嬉しさを抑えきれず、自然と歩く速度が速くなる。


 だが集落に近づくにつれ、奇妙な光景が広がっていく。

 いまだ集落との間が遠いためか、なにが不自然なのかがわからない。だがなぜか違和感がある。

 さらに近づくと、あちこちから煙が立ち込めている。

 最初は煮炊きをしている煙かとも思ったが、それにしては量が多すぎる。

 悲鳴のような絶叫や、慌しいざわめきも聞こえる。

 集落を目前に控えたとき、ほとんどが消沈しきっていたものの、家々が焼け爛れ、火があちこちで燻っている。


「なに、これ……」


 エルフォーネは状況が掴めず、唖然と立ち尽くす。魔物の群れに襲われたのだろうかと思ったのだが、逃げ惑っている妖精達と、彼等と同胞の躯がちらほらと横たわっているだけ。

 魔物の姿は一つもない。

 ならば集落の人々は、なにから逃げ回っているのだろうかという疑問が過ぎる。

 事情を聞こうと思うのだが、彼等はエルフォーネの姿が見えていないように通り過ぎていく。


「ルアスとかいうハーフの子供が、炎を使うと知っていれば、ここに泊めたりはしなかったのに。関わりを持たなけりゃ、こんなことにはならなかったのに」


「やはり炎は俺達に災厄をもたらすんだ。違うならなんで魔族があの小僧を探しに、ここまで来るんだよ」


 逃げ惑いながら語る彼等の言葉を耳にし、エルフォーネは考えるより先に走り寄り、服の裾を掴むと詰め寄った。


「ルアスは、ここにいたんですね。でも魔族に狙われているって、どういうことですか!」


「なんだ、あんた。そんなもん、俺達が知りたいくらいだ」


「とにかくそいつのせいで現に、俺達の集落が魔族に襲われているんだよ!」


 突然話に割って入ってきたエルフォーネに驚きながらも、彼等は素直に答えてくれた。

 だがこれ以上話に付き合っていたくないようで、エルフォーネの手を振り払うと、一目散に駆け出していく。


(狙われている? ルアスが魔族に狙われていると、そう言ったの?)


 エルフォーネは意味が汲み取れず、数瞬の間何度も頭の中で巡らせる。

 ようやく意味がわかると、まるで電撃が走り抜けたような感覚があった。

 ルアスが町を追放されてから、なにがあったというのか。

 魔族は、魔物や妖魔よりも格段に力が強く、魔王直々の配下だと噂されている。

 なぜルアスが狙われているのか。


「うわア!」


「助けてくれ!」


 混乱する頭を働かせながら、そのことについて考えていると男の悲鳴が上がり、エルフォーネは現実へと引き戻された。

 悲鳴が上がったのは、意外に近くだ。先程別れた妖精達かもしれない。

 彼等が今もなお魔族に襲われていると、話していたことを思い出した。全身に寒気が走る。

 逃げなくてはと気持ちは焦る。

 ルアスを探し出して会いたくて旅に出たのだ。

 こんなところで、こんな形で終わらせたくない。だが足は竦み、一向に動けない。


「おや、まだこんなところに妖精がいたのか」


 重々しく威厳のある、相手を圧倒してしまうほどの声が背後から聞こえた。

 エルフォーネは恐る恐る振り返る。

 見ると魔族はコウモリの羽を持ち、爬虫類のような鱗と、燃えるような紅い肌の色を持っている。


「どうやら口も聞けんようだな。だがまあいい、ルアスは水の神殿に向かっているという情報は得たのだ。貴様も用無しだ」


 魔族はゆっくりと右手を上げ、エルフォーネへと向けた。


「ルアスをどうするつもりなの。あいつがなにをしたっていうのよ!」


 ルアスという名を聞き、押し黙っていられなくなったエルフォーネは思わず声を張り上げ、魔族へと罵倒を向ける。

 魔族は彼女の言葉になにか思い至るものがあったらしく、沈黙を守りながら風を起こし、それをエルフォーネに向けた。

 エルフォーネは爆風に耐え切れず、地面に座り込む。町を出るときから被っていた、フードが剥ぎ取られる。顔があらわになると、魔族はやはりと言うように微笑をくれる。


「小僧と親しそうな口振りだと思いきや、本当にそうだとはな。なぜこんなところにいるのか、教えていただこうか。エルフォーネとやら」


 初対面であるはずの魔族の口から、自分の名が出てきたことに、エルフォーネは驚いた。

 とっさに疑問をあらわにした視線を、魔族に向ける。


「知っているとも、シンシアの記憶をいじらせてもらったからな」


「生きているの? シンシアさんは生きているのね!」


 視線の意図を悟った魔族は、それを口にする。エルフォーネは更に疑問を投げ掛けた。


「ああ、生きているとも。それより今度は俺の質問に答えてもらおうか。貴様はなぜここにいる。ルアスの小僧と行動を共にしているのか? だとしたら詳しい居場所を教えてもらおうか」


「そんなの知らないわよ。私が知りたいくらいなのに!」


「本当かどうか、調べさせてもらおう。たとえその言葉が事実だったとしても、貴様は奴を誘き出すのに役立つだろう」


 言いながら魔族は徐々に、エルフォーネに近づいていく。

 エルフォーネは逆に、その場から離れようとする。

 だが足がもつれ、逃げるどころか、うまく立つことさえできない。


「さあ、俺と共に来るがいい」


 魔族は伸ばせば届くほどの距離まで来ると、エルフォーネに手を差し出した。

 エルフォーネは跳ね除けたいのだが、畏怖によって硬直していた。

 魔族の手がエルフォーネに差し掛かろうとしたとき、二人の間に光が一閃する。あまりに突然の出来事に魔族は怯み、後退する。


「こんなか弱いお嬢さんに、一体なにをするつもりだい? え、ザルバードさんよ」


 光の筋が走ったかと思うと二人の間に立ちはだかっていたのは、マントを羽織った二十七、八歳の青年だった。

 手には両手で持たねばならぬほどの大剣を片手で軽々と持ち上げ、構えている。

 見目はあまり筋肉質ではないものの、相当鍛えられた体格であり、かなりの剣の使い手だということがわかる。

 一瞬とはいえ光が走ったと感じたのは、剣による煌きのようだ。

 エルフォーネは突然割って入った青年を、唖然とした表情で見つめる。

 一方ザルバードと呼ばれた魔族は斬られた右手を押さえながら、苦虫を噛み潰したのかと思うほど苦々しい表情を青年に向けている。


「またしても貴様等か。何度俺の前に現れれば気がすむのだ!」


「何度でも現れるわ。私達を、神の神殿に連れて行ってくれるまではね」


 今度はザルバードの背後から、女の声が響く。言葉と同様に、緩やかな歩調で歩み寄ってくる。

 女も男と同じく二十七、八歳程で、艶のある腰ほどの長い黒髪を一本の三ツ編みにし、背中に垂れ流している。

 両手にはそれぞれ、手袋型のグローブをはめ、動きやすい服装をしている。

 まるで武道家さながらである。だが格好はそうでも、見た目はふくよかな一般的な女の体型だ。

 前方は青年、背後は女。前後を挟まれたザルバードは、悔しそうに舌打ちする。


「最低限の情報は手に入れたのだ。これ以上は付き合っていられん。失礼させてもらおう」


 言うとザルバードは爆風を起こし、土埃を撒き散らすと、空高く舞い上がっていく。


「待て、ザルバード!」


 逃がすものかと男はザルバードへと向かおうとするが、爆風と土埃によって遮られる。

 ようやく収まったとき、もはやザルバードは姿を消した後だった。


「また逃げられたわね」


「まったくしぶとい野郎だぜ。男のエスコートは嫌だが、何度もアプローチしてんだから、いい加減神の神殿に連れて行ってくれても良さそうなもんだろうよ」


 空を見上げ、沈痛にため息をつく女に対し、男はさほど気にもとめていない様子で、軽口を叩く。


「あ、あの。あなた達は?」


 戸惑いながら問いかけるエルフォーネに、二人は改めて気づいたようで、顔を向ける。


「そういえば挨拶がまだだったな。エルフのお嬢さん」


「……人…間」


 相変わらず軽口を叩きながら、男はエルフォーネへと顔を向ける。

 真正面からその顔を捉えたエルフォーネは、相手が人間だということに気づき、今更遅いと感じつつも慌ててフードで顔を隠す。


「どうしてここに人間がいるの? ここは妖精の集落で、ハーフや人間は立ち入り禁止されているはずよ」


「そりゃ、おかしいな。だったらなんでハーフのお嬢さんも、ここにいるんだ?」


「あなた、何者?」


 問いかけを向けるエルフォーネに、男はさほど変わらぬ口調で問い返す。

 瞬時にハーフであることを察した男に、エルフォーネは棘を含みながら上目遣いに睨みつめた。


「ごめんなさい、この人のことは気にしないで。いつもこうだから。あなたがハーフだと気づいたのは、ただの偶然。私達がここへ来たのは、ザルバードがここに向かっているという情報を得たからなの」


 二人の掛け合いを見かねた女が、男を押し留め、優しく語りかける。

 いくら低姿勢で説明されようと、エルフォーネの彼等に対する疑惑は晴れない。


「どうしてあいつなの? あれは魔族なのよ。魔族がどういう存在か知っているでしょう。それに魔王のいる神の神殿に連れて行けって、頭おかしいんじゃないの」


 辛辣に意地悪く吐き捨てるエルフォーネの言葉に、女は少々悲しげに微笑み、男は横を向いたまま目を合わせようとしない。


「私達には十七年前のサフィニア戦争で、離れ離れになってしまった親友がいるの。その親友を探し訪ねているときに、神の神殿にいるということを知ったのよ」


「それとザルバードと、どういう関係があるのよ」


「知ってのとおり神の神殿には、他のどことも比べ物にならないほどの魔物がいる。そこへ私達二人で行ったところで返り討ちにされるのは目に見えている。だから魔族の中でもっとも外と神殿を行き来している、ザルバードに目をつけたの」


 寂しそうに、悲しそうに語る女に、エルフォーネは気まずさを感じた。

 けれど情に訴えかける手段かもしれないと思い、打ち消そうとする。

 人間は信用してはいけない。

 サフィニア戦争のきっかけを作ったのは妖精側だが、妖精側の言葉を聞き入れず、殺戮排除という行動へと走ったのは人間ではないか。

 それに戦争後のハーフの扱いを知らないはずがない。

 なおさら情にほだされてはいけないと、エルフォーネは自分の心に叱咤する。


「馬鹿じゃないの。魔王のいる場所で、人間がいつまでも生きているわけないじゃない。それに簡単に魔族の協力を得られるわけない。たとえうまくいっても、帰りはどうするの? 矛盾してるわ」


「絶対あいつは生きている。それにいいんだよ、行きだけで。俺達に帰りの道は必要ない。ザルバードに目をつけたのだって、力を温存して神の神殿に行くためだ」


 男は横を向いたまま語る。口調には、先程までのおどけた様子が微塵もない。

 真剣な物言いに、エルフォーネは思わず罪悪感に駆られた。


「ところで、お前さんがここにいたのはなんでだ?」


 彼等の意味深な発言に気を削がれていたエルフォーネは、突然話を振られたことに驚いた。

 そのため口調も僅かにうわずってしまう。


「私も人を探しているの。人間とフェアリーの混血児で、大事な幼馴染み。住んでいた町を追放されたから、私はその後を追って……」


 いくら話を振られたからといって、なに余計なことまで話しているのだろう。

 とっさに思い、口を噤むが、もはや後の祭りだった。初対面の相手に対する気恥ずかしさと、打ち消されていない疑惑とが入り混じりながら、エルフォーネは上目遣いに彼等を見やる。

 しかし彼等は気にも留めていないようだ。逆に女の口から発せられた言葉は、次のようなものだった。


「だったら私達と、行動を共にする気はない?」


 まさか同行まで請われるとは思っていなかったエルフォーネは、思わず目を丸くした。

 言葉が出ないどころか、口の閉まりまで悪くなり、唖然とした表情で女を見つめる。


「な、なに言ってるのよ。私はあなた達と一緒に行動するつもりなんてない!」


 数瞬経ってから女の言葉の意味を理解したエルフォーネは、戸惑いや困惑、疑念を浮かべながら反論する。

 女は気にする様子はなく、それどころか優しげな笑みを浮かべている。


「あなたは一人旅のようだけど、今回のように、強力な魔物に出会ったらどうするの?」


「それは……」


 エルフォーネは反論する言葉を持たず、口ごもる。


「それにさほど強い魔物でなくても、数で攻められたら危険よ。それはわかっているわよね」


「そうだとしても別にあなた達と一緒に行動しなくても、他の誰かと……」


「他の誰かって、追放されたっていう幼馴染みかい? それは一体どれくらい先の話だ。それに俺達は、別に取って食おうってわけじゃないんだ。いい条件だと思うがね」


「あんたが言うと、そうでないものもそう聞こえるから、黙ってなさい」


 渋るエルフォーネに男が横から口を出し、女は冷淡にそれを遮った。

 言われた男はショックだったのか、膝を折りながらイジける背中に哀愁を漂わせている。


「私達と行動するのは嫌かしら?」


「当然よ。あなた達とは初対面で、しかも人間でしょう? 人間や妖精が、ハーフ達にしている仕打ち、知らないとでも思ってるの?」


 それに魔族ザルバードと接触を試みようとしているあなた達に巻き込まれて命を落としたくはないと、エルフォーネは続けた。

 それらを聞かされた女は、どうしたものかと考えている。


「ではこうしましょう。あなたが捜している幼馴染みか、もしくはその人を捜す協力者が現れるまでの間、私達と行動を共にする」


「勝手にそんなこと決めないで!」


「ハーフがどんな仕打ちをされてきたのか、知っているつもり。あなた達が私達人間や、妖精に対して疑いの目を向けるのもわかる。けど全部とは言わない、少しは心を開いてみてくれないかしら」


 断っているというのに承諾もなしに話を先に進める彼等に、エルフォーネは批判の声を上げる。

 だが腹を立てた様子もなく、柔らかく、優しく微笑みながら辛抱強く語る女に、胸が締めつけられる。

 なんて自分の心は狭いんだろうと思わせられる。根負けしたのか、最後にはエルフォーネは渋々ながらも、小さく頷いた。


「ただしあなた達の行動が怪しいと思ったら、すぐにでも別行動させてもらう。これが私からの条件」


 睨みを利かせながら、手厳しい口調でエルフォーネは言葉を向ける。

 今度は女が頷く番だった。

 提案を申し出たのは彼女達であるため、それくらいは当然だと思っているのだろう。


「ようし、決まったようだな。俺の名前はゲオルグ=ゼファランス」


「私はエレノア=リレーズ、よろしくね。あなたのお名前は?」


「私の名前は、エルフォーネ」


 抵抗するのを諦めたエルフォーネは、ゲオルグと名乗る男と、エレノアと名乗る女に、自分の名を語った。

 意外な旅の仲間の出現に、エルフォーネは気が重くなるばかりだった。

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