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十一回

 エルフォーネが町を出た同刻。

 東北へと足を向けている鳥魔獣の大群と、肩に掛かるほどの長さの淡い金髪と、青い瞳を持った女がいた。シンシアである。


 標高何百メートルはあろうかという山の片隅にある崖の上で腰を下ろしている。

 傍らにコウモリの羽と浅黒い肌を持つ、人のような造形を成した魔物の一匹は立ち尽くしていた。

 山は溢れんばかりに緑に覆われているが、彼等がいる辺りだけは荒れ果てているのか、岩石が剥き出しになっているばかりで草花はほとんどない。


 シンシアを取り囲んでいる鳥魔獣は一見どこにでもいる魔物だが、浅黒い肌を持つ魔物だけは、その身からかもし出している威厳も風格もまるで違う。

 紳士的に薄く笑ってはいるが、鋭い眼光はどこまでも相手を威嚇するものでしかない。


「あなた方は、一体何者なんですか。私をどこまで連れて行くつもりですか」


 シンシアは内心冷や汗を掻きながら、他の魔物とはまったく違うオーラを放っている魔物へと、気圧されぬように気を引き締めて道中にした何度目かの質問を口にした。


「空の旅路はそんなにお気に召されないか、シンシア姫。何度も言うが、俺は魔族ザルバード。これから我が主の元へとお連れするのが、我が役目。おわかりですかな」


 ザルバードと名乗った者の言葉そのものは紳士的だったが、どこか高圧的だった。

 シンシアはそれだけで血まで凍りつくほど、威圧されてしまいそうだったが、必死でそれを振り払う。


「その魔族がなぜ、こんなにも魔物を従えてまで私を捕らえなくてはいけないんです。なぜ私を、魔王の住まう神の神殿まで連れて行く必要があるんです」


 シンシアはザルバードを睨みつける形で見上げた。

 だがザルバードは、いとも簡単に受け流し、ニヤリとほくそえむ。


「行けば、なにもかもがハッキリする。貴公がなぜ我等に捕らえられたのか、なぜ我等が主の下へと連れて行かれるのかがな」


 ザルバードは手を振り上げ、鳥魔獣に行くぞという合図をすると、いっせいに呼応するように雄叫びを上げた。

 鳥魔獣の一匹が、岩をも掴めそうなほどの大きな鉤爪でシンシアの体を掴み、飛び上がる。

 ザルバードが抜け目なく、シンシアを運んでいる鳥魔獣の横を、ある程度距離を保ちながら並んで飛行している。

 それはシンシアを捕らえてから、今まで変わりない。

 魔王がいるという神の神殿に行き着くまで、変わることはないだろう。


 けして逃げることはできない。

 強く思い知らされる。ただでさえ鳥魔獣の群れが、取り囲んでいるのだから。

 表には出さないものの、シンシアは歯痒かった。

 町は一体どうなっただろう。町に住んでいた彼等は、ルアスは無事だろうか。

 共に来なければ、町を壊滅させると言われてしまっては従うしかなかった。

 約束事を守るかどうかわからない。けれど少なくとも壊滅させられるよりはと思い、こうして従ったが、どうしようもなく気に掛かる。どうか無事でいてほしいと願う。


 シンシアは、町にいるはずの親しい者達を、たった一人の肉親の無事を、ひたすら祈っていた。

 鳥魔獣に連れられて上空を飛んでいると、しばらくして一つの神殿が見えてきた。

 神殿には竜の形をしたシンボルが、まるで門番のように建てられている。

 中には精霊の造形のような女神が、舞っている印象を受ける彫刻がなされている。

 もともと精霊は、神話の時代に存在したとされている神々の力が分散化されて、できた存在だとされている。

 神々に似ているのは造作もないことだ。

 神話の世界に存在したとされる神々は、神の一人が他の神の領域を侵し、それがもとで大きな争いへと変わり、お互いを打ち消しあって、掻き消えてしまったのだという説が有力である。

 それが分散化され、できた存在が精霊とされている。

 神の使いとされている竜達は、各々を創り上げた神々と共に戦い、朽ち果てたと伝えられている。

 伝承によって知られている、それらの姿を模った神殿がシンシアの遥か眼前に見える。

 ここは神の神殿。今では魔物の長、魔王の住む領域。

 神聖とされた象徴、神の神殿に魔王が住み着くなど、これほどの皮肉はないだろう。


 魔物の一団は神殿の入り口付近へと舞い降りると、地面に足をつける。

 シンシアも鳥魔獣の鉤爪から開放され、その場に降り立った。


「貴様等は、そこで待っていろ」


 ザルバードは底光りするような目で睨みつけ、厳かに言い放つ。

 鳥魔獣の群れは格の違いを本能的に悟っているのか、大人しく座っている。

 ザルバードは踵を返すと、神殿の中へと入っていく。


 拒否権がない今、シンシアも仕方なしに着いて行く。

 神殿の外壁は土や砂を合わせたようなもので造られていたが、内装の床や柱はすべて大理石で造られていた。

 それぞれの場所に建造されている光、風、水、大地、植物の神殿は、ただたんに無作為に場所を選び、造られたわけではない。

 精霊達には肉体はなく精神体であるものの、おのずと己の属性の強い場所を好む。

 どの精霊の力が強まるかで風土や気候、天候が変わったりと、様々な自然現象をもたらしている。

 精霊達は己の属性とは異なる場所にも存在することができるが、当然力は弱まってしまう。場所によっては存在できない場合もある。

 だからこそ各々の属性の強まる場所を選び、神殿を造り、精霊の長を奉った。

 それは生きとし生ける者達に、恵みを与えるものに限られてはいたけれど。

 火や闇も必要といえば必要だが、それ以上に破壊や混沌をもたらすとされ、忌み嫌われてもいる。

 そのため光、風、水、大地、植物の神殿のみしか造られていない。

 神の神殿をそれぞれの中心部に置いたのは、神を崇拝するためと更なる繁栄を願ってのことだった。


 シンシアは神殿が造られることになった経緯を、憶えている範囲で思い出していた。

 考えを巡らせてみると、意外に憶えていることに驚いた。

 当時齢五歳でしかなかったのに、である。

 いまだ目的地には行き着かない。

 シンシアは神の神殿に入るのは初めてなため、辺りに視線を走らせる。

 神殿内は祭壇へと繋がる、何十メートルあるのかさえわからぬ程の道と、両脇に天井を支える太い柱が規則正しく連なっている。

 更に柱向こう側には、いくつか扉が見える。

 本来は司祭や儀式、それに関わる部屋として使われる予定だったのだろう。

 結果的には一度も使われることなく終わったのだが。


 約十分程度歩いただろうか。

 ようやく天井にも届きそうな、門と呼ぶに差し支えない大きな扉の前に辿り着いた

 。扉は神殿の外にもあったような、神々と竜を模った絵柄が彫刻されている。

 本来もっとも崇拝されるべき場所の門の前で、シンシアはとてつもない不安を感じた。それは直感めいた、なにか。


「我等の主は、扉の向こうにいる」


 ザルバードは視線を、閉められた門の向こうに走らせる。

 ではこの直感めいた不安は、魔王がこの先にいるという威圧感からなのか。

 まだ対面したわけではないのに、この身が痺れるような感覚。

 けれどなぜか、どこか懐かしい、まるで長い間遠く離れていた、慣れし故郷に帰ってきたような不思議な感覚さえある。

 言いようのない感覚をどう扱っていいのかわからずに戸惑っているシンシアをよそに、門は見た目同様に重みのある音を立てながら、独りでに開いていく。


 躊躇うことなく先を行くザルバードに、シンシアも不思議と足が自然に中に引き寄せられる。

 中へ歩みを進めるたびに、鼓動は収まるどころか激しく波打つばかり。それどころか張り詰めた、圧迫するような緊張感が部屋全体を支配しているため、まともに顔すら上げられない。

 先を歩いていたザルバードが歩みを止めると、シンシアの歩みも自然と止まった。

 けれどなぜか顔だけは、相変わらず上げることができない。見えるのは、己の足元ばかり。


「ようやく来たな、ザルバード。無事にシンシアを連れてきたようだな」


「御意」


 若い男の声が辺りに響き、耳にしっかりと届く。

 声の主が、ザルバードの仕える魔王なのだろう。

 魔王の問い掛けに、ザルバードは恭しく頭を下げる。

 だがシンシアは、その声に更に鼓動が激しく波打つ。

 昔、たしかに聞いた声。忘れかけていた、けれど頭の片隅で憶えていた、とても懐かしい声。堪えていたものが弾けるように、目の前にいる、声の主である魔王へと顔を向けた。

 顔を上げると目の前には玉座があり、声同様に若い、二十七、八歳ほどの人間の男が足を組み、頬杖をついて座っている。

 その姿に、言葉を失った。


「十七年振りだな、シンシアよ。いや、魔王として会うのは初めてか」


 男は更に言葉を紡ぐが、シンシアの瞳は彼を捕らえたまま微動だにしない。

 否、できなかった。

 男は十七年振りだと言った。

 それは間違いない。けれど男は十七年前と、まったく同じ姿なのだ。

 人間と妖精は、寿命の長さがまったく違う。人間は長く生きてもせいぜい百年程度だが、妖精の場合ある一定まで成長すると、成長速度は緩やかになり、長くて千年前後を生きる者もいる。

 人間と妖精の混血児も、個人差はあるものの人間よりは遥かに長寿である。

 けれど玉座に座っている男は、もちろん妖精ではなく、ましてや人間と妖精の混血児でもない。

 まぎれもなく純血の人間なのである。


 だが男の姿は、十七年前の姿と、まったくといって良いほど変わったところがない。

 それがシンシアが微動だにできない主な要因だった。唯一違うことは、男の周りには途方もない邪気が渦巻いているということ。

 シンシアの唇は男の名を口ずさむが、出てくるのは切れ切れの言葉にならない掠れ声。良くてせいぜい、微かになにかを言っているのだとわかる程度。

 その仕草が余程おかしかったのか、男は薄く口端を吊り上げる。


「ふむ。シンシアが生きているということは、弟も生きているということになるな」


 突如男は口元に浮かべていた笑みを消し、頬杖をついたまま思案顔で口を突いた。

 語る男の目はなんの感慨もなく、ただ冷たい。


「……い、生きてはいないわ。あのとき私はまだ幼児で、あの子はまだ生まれたばかりの赤ん坊だったのよ!」


 そんな私が、誰も養ってくれる者がいない中で、どうやって弟を伴ったまま生きていけるというの、と続ける。

 真向から男の視線を受け止めたシンシアは体をぶるりと震わせたが、気丈な精神を呼び起こし、対峙する。

 気丈に振舞わなければ、対峙できない自分を叱咤しながら。

 だが男はなんの反応も見せず、ザルバードを見やり、目配せをする。

 それだけでなにを語っているのかを察したザルバードは、隣にいるシンシアへと向きを変え、彼女の頭の上に手のひらをかざすと小声で呪文を唱えはじめた。


 シンシアは思わず身を竦ませる。

 立ち尽くしていることに戸惑いはあるが、相手との力の差は歴然としていることに恐怖し、一歩も動けず、僅かにさえ身を捩じらせることもできない。

 ザルバードの呪文詠唱が終わると、シンシアは頭の中に眠っている記憶を、無理矢理引きずり出されるような感覚に襲われた。そうとしか思えなかった。

 サフィニア戦争当時、シンシアは一組の男女の人間のうち、女に手を引かれ、もう片方の手には弟のルアス、人間の男の背中には、母の姿。

 けれど人間男女と母は死の床につき、なぜか生き延びた、自分と当時赤ん坊だった弟のルアスとの放浪の日々。

 当時、目に映る者すべてが敵だった。そう思うしかないほど、悲惨な戦争だった。

 実際はそれほど酷くはなかったとしても、子供心にトラウマになるほどの傷を負ったのは確かだ。


 程なく、とある町の長老と出会い、その町に住む、似たような境遇の様々なハーフ達とも出会った。

 中には当然純血の妖精もいて、冷たい視線を浴びることも稀ではなかったが、ここでなら生きていけるかもしれない。

 ハーフが多く住んでいて、長老は分け隔てなく平等で、同様に優しく接してくれる者もいる。

 だったらここに住もう。

 自分のためだけではなく、ルアスのためにも。心に強く決めた日。

 以来ルアスは、見る見るうちに成長し、いつの頃からかエルフォーネも交えて共に過ごすようになった日々。

 ルアスが十七歳になった、弟の顔を見る、最後となった日の光景が否応なしに、記憶の底から引きずり出されていく。


 シンシアはそれらが終わったあと、気が抜けたように足に力が入らず、崩れるようにして座り込んだ。表情は強張っている。

 記憶を探られたことへの戸惑いと、本当に可能なのかという困惑が、胸の中に広がっていく。


「死んではおりません。この娘がおりました町で生きていた模様です。あの魔物の大群にやられていなければ、今も生きておるはずです」


「名は?」


「ルアスと……」


 なんの話をしているのかわからない。

 なぜそこでルアスの名前が出てくるのかがわからない。まさか本当に、記憶を探られたとでもいうのだろうか。

 けれど記憶そのものを探り、引きずり出してみることができる魔法など、聞いたことがない。

 シンシアは男とザルバードの会話に耳を向けていたが、それほどまでに記憶を探る魔法に心を奪われ、取り乱していた。どのようにして解釈すればいいのかわからなかった。


「ならば半死半生か否かは問わん。生きてここへと連れて来い。そして私の目の前で……殺せ」


 男は表情一つ変えず、ザルバードへと命令を下す。

 ザルバードも男へと拝礼し、その旨を受け取る態度を示した。


 さすがに聞き逃すことができなかったシンシアはとっさに顔を上げ、男を見上げた。

 なにも感じ入っていない、感情の欠片一つさえない表情で、男はシンシアを見下ろすだけ。


「連れて行け」


 男が厳かに言い放つと扉が開き、二匹の人型を為した魔物が現れた。

 彼等はシンシアの両脇に立ち、それぞれ片方ずつ腕を取ると、その場から引きずり出そうとする。

 だがシンシアは拒み、振り払おうとするが、魔物の力が強いために振り払えない。

 それでも負けじと踏み止まり、男へと切望の眼差しを含んだ顔を向ける。


「待って、やめて、あの子を巻き込まないで! なにかをしたいなら、私一人で充分なはずよ」


 このままむざむざと連れて行かれたくない。

 先程の会話を聞いて、なにもせず、なにもできず、この場から立ち退かされたくなどない。

 声を荒げながら言葉を紡ぐ。なにより懇願に近い。


「連れて行け」



「嫌、離して。やめて、やめてください。お……!」


 なおも表情を変えず、同じ言葉を繰り返す男に、魔物の手によって引きずられながらシンシアは悲痛に叫んだ。

 けれど最後まで発せられず、男に届くことなく、扉は容赦なく閉められた。

 男は、今度は傍で控えているザルバードへと目を向ける。


「早速シンシアの弟、ルアスを引き連れてまいります」


 ザルバードはまたもや拝礼すると、闇の中へと溶け込むように姿を消した。


「マグノリア、控えているな。シンシアという小娘を、お前が見張れ」


「承知しました」


 今までどこにいたのか、マグノリアと呼ばれた異形なる者は命令を下されると、ザルバード同様に闇の中へと溶け込んだ。

 誰一人いなくなった空間で男は独り、無邪気な子供さながらに心底嬉しそうに笑みを浮かべる。


「どうだ、愛しき者が我が手に奪われるという瞬間は。どうだ、愛しき者の片割れが、ここへと引き連れられ、殺されるかもしれないという恐怖は」


 男は笑いながら語る。誰もいない、この場所で。そして更に言葉を紡ぐ


「どんなに私を拒もうと、もはや手遅れだ。そうだろう? ルピナス。ならばせめて、お前のその恐怖、苦悩、悲哀、更なる深い闇をもっと私に見せておくれ」


 男はまるで自分に語りかけるように、クツクツと静かに笑っていた。



(なんとかしなくては。このままではルアスが殺されてしまう)


 魔王と称する男の下から強引に連れ出され、道中にあった部屋の一室へと入れられたシンシアは、必死で考えを巡らせるのだが、気持ちが逸るばかりで一向にまとまらない。

 風の精霊に頼み、ルアスに逃げるよう伝える方法が一番確実かもしれない。

 エルフォーネが近くにいるに違いないため、容易に風の精霊を受け取ることができるだろうと考えたが、今いる部屋は大理石で固められ、窓が一つもない。


 出入り口は、先程部屋へと押し込められた扉のみ。

 部屋数は多く、生活するには不自由しないだけの物が揃っていて、なお広々としてはいるが息が詰まりそうだ。

 扉が一つとなれば、当然そこには見張りがいるだろう。容易く神殿の外へと出ることができるはずもない。

 外に出ても怪しまれない方法を考えれば考えようとするたび、より一層気が急くばかり。

 いっそのこと、もう一度あの人に会い、やめてもらうよう懇願するべきだろうか。

 けれどその望みはことさら薄い。


 そもそも何故このようなことになってしまったのか。

 魔物の大群が突然やってきて、町を襲い始めたことを脳裏に掠めながら、シンシアは思った。

 打てる手は他になかったとはいえ、果てしなく悔やまれる。

 なにより何故あの人が魔物を統べる王として君臨しているのか。昔はあんなにも優しかったあの人が、なぜ平然と誰かを傷つける存在として君臨しているのか。

 十七年経った今も変わらぬ容貌も。


 気になることは山ほどあるが、今はこのことに集中している場合ではない。

 どうにかしてルアスを逃がさなければ。シンシアは考えを馳せる。


「物憂げな表情ですね。お気に召しませんでしたか、シンシア姫。この部屋は、神殿の中ではもっとも広く、身の回りの物も飛び切り上等な物を用意させて頂いたのですがね」


 張り詰めながら考えをまとめている中、突如声が発せられ、シンシアは驚いて顔を上げる。

 見るとその人物は飄々とした口調ではあるが物腰柔らかな印象を受け、なにより容貌は人間に酷似している。

 相手が自分とさほど変わらない人間の若い男だということに、とてつもない違和感を憶えた。

 ごく普通の町や集落であれば気に留めることはないのだが、ここは神の神殿、魔物の巣窟。

 普通の人間が、このような場所にいるはずがない。


「あなたは?」


 シンシアは現れた男に、反射的に身構えながら問いかける。

 男はシンシアの様を見るや、驚いたふうな態度をとった。


「おや、これは申し訳ない。またあなたのお気に召されぬ行動をとってしまったようだ。私の名はマグノリア。あなたのお世話を任された者ですよ」


 シンシアはマグノリアと名乗る者の柔らかな笑みを見るや、薄ら寒いものを感じた。

 背筋さえ凍りそうな、身動き一つ取れなくなってしまいそうな、例えようのない深い闇を映し出したような眼差し。

 それはザルバードにも感じたこと。


「あなたも、魔族なの?」

 見た目は普通の人間にしか見えないマグノリアに、シンシアは緊張感に包まれた態度で再び問いかける。

 マグノリアは嬉しそうな笑みを浮かべると、頷いた。


「ええ、私も魔族の一人です。あなたのお世話を任されて、怖がらせてはと思い、あなた方の容姿に近い姿に変化させたのですよ」


 シンシアは真に言葉の意味を理解すると、身を震わせる。

 なんてことだろう。己の身さえ簡単に変化させることができるなど、桁違いにも程がある。

 逃げることは無理だとしても、魔物や妖魔が相手なら、彼等の隙を突いて神殿の外へと出て、風の精霊に伝言を届けさせることもできただろうに。

 相手が魔王の次に殉ずる実力者では、神殿の外へと出ることさえ難しい。

 どうやって伝えればいい。どうやってあの子を、訪れる危機から救ってやれば良いのか。

 シンシアは項垂れながら、強く唇をかんだ。



 コウモリの羽と、浅黒く爬虫類を思わせる肌と零れんばかりの鋭い牙、そして鳥の鉤爪に似た足をもつ魔族、ザルバードが独り上空を飛行している。

 シンシアを連れて神の神殿へと辿り着いたザルバードは、再び彼女のいた町へと向かうため、進路を逆戻りしていた。

 神の神殿へと赴き、魔王の下へと馳せ参じ、休む暇もなくまたしても即座にシンシアのいた町へと向かわせられたというのに、疲れはまったく見せていない。


 身にまとうオーラさえ、少しも緩んではいない。まるで無限の体力や精神力を持ち合わせているかのようだ。

 休憩を僅かに挟みながら、シンシアや魔物を連れて神の神殿を訪れたときには、数ヶ月は掛かった道のりを、ザルバードは僅か半分の過程で辿り着いた。

 シンシアのいた町が前方に見え始めたとき、ザルバードはなにかを思い直し、迂回しながら南東の方角へと進路を変える。


「ほう、これは」


 ザルバードが目的の場所へと着くと、感嘆の息を洩らしながら地上へと舞い降りた。

 目の前にある洞窟は、入り口から約半分にも満たない部分を残すのみで、崩れ果てている。

 ここにはゴルファと呼ばれる洞窟があり、ガースを遣わせていたはずだがと、瓦礫と化した洞窟を見やりながら思考を巡らす。


 シンシアを連れ出すまでは、この洞窟は確かにあった。

 ガースに命じて町を襲わせたのは、他ならぬザルバード自身なのである。

 そうすると神の神殿へと赴き、この場所へと戻ってくるまでの間に、なにかがあったのは否応なしに想像がつく。


「さて、どうしたものかな」


 言いながらザルバードは瓦礫と化した、ガースが常にいた、最深部と思わしき辺りまで歩み寄る。

 するとそこにゾンビ鳥が横たわっている。

 ガースが傍らに置き、しばしば伝令として使っていた魔物だった。

 胸には深々と短刀が突き刺さっている。

 ザルバードは膝を折り、ゾンビ鳥に突き刺さっている短刀を抜き取ると、ムクムクと傷口がせりあがり、癒えていく。

 ゾンビは死体に命を吹き込まれた半死半生の身であるために、短刀を刺されただけでは死にはしない。

 消滅させるためには、粉々に砕くか、完全に焼き払うしかない。

 ゾンビ鳥が身動きを取れずにいたのは、小鳥サイズの大きさのため、自分の体と大差ない深々と刺さった短刀が邪魔をしていたこともあり、動くに動けず、体を癒すこともできずにいたようだ。


 それへと手をかざし、呪文を詠唱する。

 するとシンシアのときのように、ゾンビ鳥が見た記憶が呼び起こされ、それらの中で必要な部分をザルバードは探し出していく。

 なぜゴルファ洞窟がこのように、半壊していたのか。誰がこのようなことをしたのか、知らねばならない。

 ゾンビ鳥の記憶を探る中で、ザルバードは、つい最近見知った顔の少年の姿を見つけた。

 それはシンシアの記憶の中に出てきた、ルアスという名の少年。

 少年が、紫暗色の瞳と漆黒の髪を持つ青年と行動を共にし、ゴルファ洞窟に入り込み、一人のフェアリーの女と出会い、最深部へと向かう姿。

 フェアリーの女は、ガースによって捕らえられていた人物だ。


 その女を使い、最深部へと招き入れる算段をしていたということ、ルアスという名の少年が、毒消しの薬草を求めて来たのだということを、記憶の中で知った。

 だがゾンビ鳥の記憶は、ガースと対峙したルアスと、紫暗色の瞳と漆黒の髪を持つ青年との対決途中、フェアリーの女の乱入した以降が途絶えていた。


 どうやらそのときに、短剣に刺されたらしいと想像がついた。

 もはやそれ以上見なくとも、結果は大よそ理解できた。

 ルアスは生き、ガースは死んだのだろう。もし生きていれば、町が無事な姿のままで残っていようはずがない。

 手駒が減ったのは残念ではあったが、惜しくはない。

 問題はルアスという少年が、どのような状態で生きているのかである。

 生きていたとしても、瀕死状態ではどうしようもない。

 ザルバードは再び空へと舞い上がると、シンシアとルアスの住処であった町へと向かった。

 ゾンビ鳥も、自然と後を追いかけた。

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