十回
十代後半程のエルフの少女がベッドの上で、荷袋に服や薬草を詰め込んでいる。
旅行にでも行くような安穏としたものではなく、なにかを決意した者の表情である。
傍らに、薄く透き通る鋭角な四枚羽を持った、四、五歳程の、年端のいかぬ少年が物憂げにエルフの少女を見つめている。
「本当にお一人で行ってしまわれるのですか、エルフォーネさん」
年端のいかぬ少年が心配そうにエルフの少女、エルフォーネに目を向けながら、見掛けとはかけ離れた大人びた口調で問いかけた。
「そんなに心配しなくても大丈夫よ、ユーイさん。簡単に魔物にやられてしまうほど、私は弱くはないわ」
エルフォーネは荷袋に詰める作業を一旦やめ、目線を下げて少年ユーイへと向けると、こう見えてもしぶといんだからと、安心させるように笑みを浮かべた。
「なにも敵が魔物ばかりとは限りません。あなた方ハーフを嫌っている方々もいますし、道中どんな苦難に襲われるかもわらないんですよ」
「ありがとう。心配してくれるのは嬉しいけど、やっぱり私一人で行くわ。もう決めたの、絶対ルアスに会いに行くって」
エルフォーネの決心は固いようで、一旦とめた手を再び荷袋に荷物を詰め込んでいる横顔は揺るぎがない。
「そうですか……すみません。僕の体がこんなふうではなければ、御同行したいのですが」
ユーイは穏やかに語っているものの、悔しさのあまり、僅かに顔を伏せている。
いくら純血の妖精とはいえ、幼児のままの姿では足手まといにしかならないことを、気に病んでいる。
エルフォーネは少年を見て、口元に手を添えながら吹きだし、笑みに転じていく。
「そういえばユーイさんって、私より年上なのよね。見た目は幼児そのものだし、最初は本当に見た目通りの人だったから、そんなに心配されるのは変な感じ」
「あのときはまだ、記憶が混乱していましたから。それに、笑い事ではないですよ」
ユーイはルアス達に助け出されたあと、ガースの時の狭間を覗くという道具に封印される前の記憶と、その中からずっと外を見続けていた、まるで夢の中にでもいるような曖昧な記憶とが混合し、暫く記憶は不安定だったのだ。
小道具の中からといっても、ガースが水晶を使っている間しか、外の世界を見ることがでなかったが。
ユーイは当初、見た目通り子供そのものだったのだが、今では裏腹に大人染みている。
本来は二十二歳のため、なんらおかしいことはないのだが、見た目とのギャップがどうしても違和感を憶えるのだろう。
エルフォーネが違和感に笑っているというのに、笑われた本人であるユーイは、なおも心配が募る。
「言ったでしょう、必ず行くの。半端な気持ちのまま、長老の苦言も、周りの反対も押し切ってまで行こうってわけじゃないの。もちろん長年住んでいた町を出るのが寂しくないわけでも、外の世界が生易しい場所でないのもわかってる。けどどうしても会いたいから、あいつに……」
答えがこれなのだと、寂しそうな不安そうな、けれど希望をも携えているような、不思議な感慨を持って荷袋を見つめている。
町の者達の反対を振り切り、会えるかどうかさえ定かではないルアスとの再会。
夢見るのは簡単でも実際に行動に移すのは、どれだけ勇気のいることだっただろう。
たった一人不安を抱えたまま、それでも決断しなければならない寂しさは、どれだけ胸を締めつけだろう。
言いたいことは山ほどある。
けれどユーイはエルフォーネを止めるべき言葉を、なに一つ向けることができなくなってしまった。
「ルアスさんには、フィニア姉とケティルが一緒にいます。会えたら、僕は元気だと伝えてください」
「ケティル?」
聞き慣れない名前に、エルフォーネは首を傾げた。
そのときになってようやく、ユーイはそうだと思い出した。
「ケティルは、あなた方でいうとろこのシェイドです」
「……あの町外れの」
エルフォーネはシェイドという名の方に聞き覚えがあったのか、少しの間思案を巡らす。
それが町外れに住んでいたエルフの青年だということに思い至ったのだろう。
ユーイは言葉ではなく、頷くことで、肯定した。頷いたあと、静かにエルフォーネを見つめた。
止めたところで、心配したところで、結局行く決心は変わらないのだ。だからこそ、ただ見つめた。
「死なないでください。生きて帰ってきてください。絶対に」
視線を背けることなく向けるユーイに、エルフォーネもまた頷いて応えた。
荷物をまとめ終え、長年住んでいた家をあとにするエルフォーネの後ろ姿を、ユーイは感慨深げに見つめていた。
溢れんばかりの悲しみを、瞳に映し出していた。
ガースの持っていた時の小道具に封じ込めたれていたときに見たものは、なにもそのときの現在を見続けてきたわけではない。
知らないはずの、他の人に起こった出来事や、過去をも見ていたのだ。
たとえばシェイドがなぜ、闇の精霊の名を名乗るようになったのか。
その過程、結果、を知っている。
そしてどのようにしてサフィニア戦争が起こったのかを知っている。
神の神殿にいる者は一体何者なのか、なぜ魔物が創り出されなければならなかったのか。
アーサーと神の神殿にいるも者の関係、シンシアとルアス出生、それによって起こる避けられない因果。
その他様々なものを、あの水晶を通して、映像として、ユーイの中に流れ込んできたのだ。
だが知りながらも、なにもできず、手を拱いていることしかできない己が不甲斐なく感じていた。
本来ならエルフォーネのように、姉やシェイドの助けになりたい。ルアスに、なにかしらの助言をしてあげたい。
魔法は使える。
けれどこの体では、幼児そのままの姿では逆に足手まといになってしまうだけ。
それが痛いほどわかっているために、見送ることしかできない。彼等の無事を、祈ることしかできない。
「どうか彼等の行く先に、幸あらんことを」
ユーイは胸を切り裂かれんばかりの思いで、行く末を祈った。
*
部屋を出ると日が高く、皆が寝入っている時間帯というわけではないのだが、誰一人としておらず、ひっそりとしている。
それが逆に、騒然とした、張り詰める緊張が漂っているように感じられる。
その中をエルフォーネは一人、外へと続く街道を見つめながら歩いていた。
道中ガロウが腕を組み、身近にある家の壁に背を預けながら、エルフォーネに静かに燃え滾るような眼光を向けている。
けれど声をかけようとはしない。
エルフォーネも敢えてなにも言わず、静かに歩いていく。
「行くのか?」
エルフォーネが通り過ぎたとき、ガロウは少女へと厳かに声を放った。
「行くわ。そのために、みんなの反対を押し切ったんだもの」
エルフォーネは足を止め、振り返らずに応えた。
「そのために追放同然の身になったんだとしても? 誰にも見送られることがなくてもか」
今誰一人外におらず、家の中で息を潜めているのは、誰もが今日エルフォーネが町を出るということを知っているためだ。
ルアスのように追放になったわけではない。
けれどルアスに会いに行こうとするエルフォーネと関わり合いになりたくないようだ。
今回に始まったことではないが、つい最近魔物の群れに襲撃されたばかりである。
そのときほど魔物の恐ろしさを、嫌というほど思い知らされたことはない。
彼等には、とくにハーフと呼ばれる混血児は町以外に行く当てもない。
町を追い出されるような真似はしたくなのだろう。
いるのは町を出るというエルフォーネ本人と、この場にいるガロウだけである。
「誰がなんと言おうと、私は行くわ」
「ルアスが災いをなす者でもか。あいつは必ず、周りに災いを呼ぶ。もちろんお前も例外じゃない」
「あいつは、そんな奴じゃないわ。私はあいつを信じてる」
エルフォーネは迷いなく言い捨てると、再び町の外へと歩き出した。
「信じてる、か……」
ガロウは身じろぎせずにエルフォーネを見送ると、決して揺らぐことのない、決意のこもった彼女の言葉を囁いた。
とっくに忘れてしまったと思っていた感情が、心の片隅で疼いているのがわかった。
けれど気のせいだと振り払う。だがそれでも、消えようのない想い。
「はっ!」
馬鹿馬鹿しい。くだらない。今更俺に、どうしろというんだ。
ガロウは思う。疼く想いを消し去ろうとするが、一向に胸の奥にこびりついて離れない。
「なにを血迷っているんだ、俺は…。互いに信じあっている奴等を、羨んでいるだなんて……」
苦い想い出をも噛み潰すように、ガロウはギリっと強く歯を噛み締めた。
*
歩き続けると家々がほとんどなくなり、エルフォーネはやがて町と外との境界辺りへとやってくると、ふいに足を止めた。
やっとの思いで決意したものの、やはりどこか不安だった。
もう二度と町には戻って来れないかもしれない。
かもしれないではなく、よほど運が強くない限り、帰って来ることができない確立は高いだろう。
魔物が跋扈し、ハーフを忌み嫌う人間と妖精がいる。
周りは敵ばかりなのだ。町の外へと一歩踏み出すと、もう後戻りなどできはしない。
けれど会うと決めたんだ。
絶対にもう一度、会ってみせると誓ったんだ。
そのために私はここまで来たんだ。ルアスに会いたいから、生きて会いたいから。
エルフォーネは、町と外の境界線となる壁も、しきりもない場所から、不安を追い払うように、外へと大きく一歩を踏み出した。
大きく深呼吸すると、見果てぬ空を仰いだ。
「待っていてルアス、絶対に会いに行くから」
その言葉は誰の耳にも届くことなく、真っ青な青空に吸い込まれるように掻き消えた。




