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一回

 こえ。聲が聴こえる。


 誰かが自分を呼ぶ聲が、どこからともなく聴こえてくる。

 聲へと向けて、誰だと叫んだ。けれど聲は、ひたすら呼びかけるばかり。


「……ス…、ルアス!」


 名を呼ぶ声が聞こえ、それと共にシーツを剥がさる。

 ルアスと呼ばれた少年はベッドからずり落ちると、否応なしに夢の世界から引き戻された。


 ややあって痛覚が、激しく打ちつけた個所から全身に回り、暫し声が出なかった。

 どうにか落ち着くと、わずかに涙目で起き上がり、姉を睨めつける。


「いってー、なにすんだよ姉さん!」


「いつまでも寝ているあなたが悪いんでしょう。外はこんなに天気がいいのよ。いつまでも家の中でゴロゴロしてないで、外に出かけたらどう?」


 窓を覆っていたカーテンを開きながら、さも当然というようにルアスの姉は嗜めた。


「…わかったよ」


 ルアスは不精に返事を返し、無造作に髪を掻きまわした。


(今のは夢か。最近頻繁に、同じ夢を見るなあ)


 思いながらルアスは自分の部屋のドアノブに手を掛けると、姉であるシンシアを顧みた。

 シンシアは肩にかかる程の長さの淡い金髪に青い瞳、耳の先端は尖っており、背中には鋭角な透き通った四枚羽がある。


 対してルアスはというとダークブラウンの髪と瞳、しかし耳の先端は尖っておらず丸みを帯びていて、背中には姉のような羽もない。

 どちらかといえば妖精達が忌み嫌う人間に似かよっている。


「なに、どうしたのルアス?」


 相変わらず似てない姉弟だよなと思いながら、洗濯物をかき集めているシンシアを見ていた。

 すると視線に気づいた彼女は訝しげに振り向いた。


「いや、なんでもないよ」


 言いながら部屋から出て行こうとするルアスに、シンシアは更に声をかけた。


「またいつものところで素振りに行くんでしょうけど、今日は早く帰っていらっしゃいね。あなたの大事な十七回目の誕生日なんですから」


「そうだっけ? まあいいや、そうするよ」


 ルアスは姉が用意してくれていた朝食、どちらかといえば昼食に近いご飯をすませ、鞘のついた剣を片手に家を出た。



 種族間で行なわれた、忌まわしきサフィニアでの戦争の終結した日を、ふと思い出した。

 いつだったか誰かに、その日に生まれたのだと教えられたことがあったためだ。

 生き残った人間と妖精は、それまでの友好関係をすべて凪払い、冷戦さながらの状態でそれぞれの町々を興した。

 以来、互いの種族が交わることなく生活しているらしい。


 純血の人間や妖精は、それで良かったのかもしれない。

だが人間と妖精との間から生まれた子供達は『ハーフ』と呼ばれ、双方から嫌悪され完全に孤立していた。


 今を生きるハーフは汚らわしい存在とされ、拷問を受ける、または奴隷さながらの生活を強いられていた。

 すぐに殺された方が、どれだけ幸せだろうと思うほどに。


 だが当初はやはり人間側にも、妖精側にも現状に納得していない者達は少なからずいたのだそうだ。

 放っては置けずに、周囲に気づかれぬように町の外へと逃がしたり、人間もしくは妖精に成りすませる。

 中には町の住人を説得し、普通の生活をさせてやろうと試みようとするのだが、聞き入れられずハーフと共に町を追い出された者。

 うまくいったとしても軽蔑の眼差しを向けられることを余儀なくされ、肩身の狭い思いをする者もいたという。


 そのためか今では数を減らしつつあるのだと、風の噂で聞いたことがある。

 そんなことをする奴等など、ほとほと馬鹿げているという中傷と共に。


 だがルアスとシンシアも人間と妖精とのハーフなのだが、幸いにも無事に日々を過ごしている。

 戦いの果てに住む場所を失った、人間以外の様々な種族の集まった町を治める長老に拾われたからだ。

 町を建て直した功労者であり、種族差別を嫌っているため、ハーフも多く暮している。

 住み分けはされているが純血

の妖精もいるため、投げかけられる視線は良いものばかりとはいえない。

 けれど同じハーフが悲惨な目にあっていると聞く中で、不自由ない生活を送れているだけでも感謝していた。


 ルアスは外へ出ると街道の坂道を転げるように走り、通り過ぎる人達の間を縫うように、すり抜けていく。


「あ、ルアス」


 道中ルアスは同じハーフで女友達であり、幼馴染みでもあるエルフォーネに声を掛けられた。

 彼女の名は親しい間柄の者には省略され、エルと呼ばれている。ルアスもどちらかといえば、省略して呼ぶほうが多かった。


 ハーフとはいえ彼女の場合はフェアリー族ではなく、エルフ族に属している。

 また人間の血が濃いルアスとは違い、エルフォーネは妖精の血の方が濃かった。


「また剣の素振りに行くの? まったく飽きないわね」


「そんなの俺の勝手だろ。こうでもしとかないと、いつ魔物が町の中まで来るかわからないじゃないか」


「あのねえ。いくらあんたがへっぴり腰で我流の剣術を憶えようが、来るときは来るわよ。それにここに住むほとんどの人達は、あんたと違って魔法が使えるんだから大丈夫よ」


 意地悪く言うエルフォーナにルアスは一瞬唸ったが、苦し紛れに反論した。


「そんなのわからないだろ。なんでエルにそこまで言われないといけないんだ!」


「へっぴり腰じゃなかったら、役立たずな紙切れさんってとこかしら」


 なおもエルフォーネは、横目でルアスをからかった。


 図星を指されたからか、自尊心を傷つけられたからか、見る間にルアスの顔は真赤になる。

 怒気を含ませながら、うるさいと怒鳴ると、エルフォーネの横をすり抜け走りだした。


「少しからかいすぎたかしら」


 後ろ姿を見送りながら、エルフォーネは手を軽く頬にあてて呟いた。




 ルアスはそのまま町の外へと赴き、歩いて十分程度のさほど遠く離れていない草原に辿り着く。

 鞘から剣を引きぬくと、いつもの素振りを始めた。


 そんな中、ルアスの胸の内を過ぎったものがあった。


 魔物の存在である。


 魔物とは、十七年前のサフィニア戦争が終わるまで、一度も目撃されることのなかった異形の者達である。


 聞いた噂話によれば、戦争が終わって数ヵ月後顔をフードで隠した一人の男が現れたかと思うと、次々と魔物を創りあげていったというのだ。

 以来様々な魔物達を、異常な速さでこの世に蔓延はびこらせた。


 中でもとくに知能の高い魔物は魔法さえも操り、人々を苦しめているという。より知能の高い魔物の中には、言葉を操る者までいるらしい。


 アルカディア大陸ほぼ全域に魔物を蔓延≪はびこ≫らせたとされる肝心の主犯格の男は、各地にあるという精霊を奉っている神殿の中央、神の神殿にいるらしい。

 なぜ男はその場所を選び、居座っているのだろう。

 聞こうとする者があったとしても、多くの魔物が蔓延っており、容易には近寄れなくなっていた。


 我流ながらも剣を振るうルアスの額から、汗が頬をつたい落ちる。気がつくと太陽は真上へ登り、光の雨のように地面を照りつけていた。


「ふう、あっついな」


 ルアスは持ってきていたタオルで汗を拭い、一息つこうと思った刹那、どこからか聲が聴こえたような気がして振り返った。


 しかし、誰もいない。


 変だなと思い眉をひそめたが、気のせいだろうと一度離したタオルへと手を伸ばした。


 すると再び、聲が聴こえた。

 口から発せられたものではなく、聲ならざる聲であり、耳というより直接頭にスルリと入り込んでくるような感覚だったけれど。誰かが呼ぶ聲が、確かに聴こえた。


 ルアスは緊張感が体中を支配していき、暑さのために出ていた汗が冷汗へと変わり、剣を再び握りしめた。


 現在いる場所からから辺りを見渡す。

 他の町へと赴くために整備された道、周りには草原が広がり、更に向こうには森や山がある。

 中間辺りに砂丘と呼ぶには小規模なものだが、それでもかなり大きい、それが広がっている。


 実際には聞き間違いであり、なにもないのかもしれない。

 もしくは砂地での戦いを得意とする魔物が、餌を呼び込むための聲を発して潜んでいるかもしれない。


 頑なに緊張する必要もないのだが、それを思うと、せざるを得なかった。

 魔物は所構わず、己の特性を活かせる場所へと身を潜め、近くを通り過ぎる者達を恐怖に陥れてきたのだ。

 これといった特性のない魔物は、自分の好む場所へと身を潜めているらしい。


 ルアスは剣をしっかりと握り、砂丘へと向かった。

 逃げようとはせず逆に突き進んで行ったのは、危険に遭遇するのではという恐怖よりも、聴こえた聲への興味の方が勝っていたからかもしれない。

 同時に最近頻繁に夢で見ていた聲が気になっており、もしかしたらという思いも胸の内を過ぎっていた。


「よっ、と…」


 先程の疲れは何処へやら、ルアスは身軽に体を動かし、問題の砂丘へ行きつくと辺りを見渡した。


「……なにも、なさそうだな」


 ルアスは、なおも用心を怠ることなく呟いた。


 事実見渡すかぎり砂ばかりで、これといって変わったものも魔物の姿も見当たらない。魔物の場合、身を隠している可能性は否めないのだけれど。


 それよりも気になるのは先程聴こえた頭に飛び込んでくるような聲は、砂丘に近づくたびに掻き消されたかのように、聴こえなくなってしまったということだった。


「なんだよ、せっかく来たっていうのに」


 文句を垂れながら、ルアスはそれでも砂丘の方へと足を向け、真中辺りまで歩を進めた。

 刹那、地面がまるで底なし沼のように足元がのめり込み、沈み始めたのだ。


「う…うわぁ!」


 突然のことに思わず叫び声を上げ、必死でその場を離れようともがいたが為すすべなく飲み込まれていき、目の前が闇へと転じていった。

 どれくらい経ったろうか。気がつくとルアスは、ひんやりとした薄暗い閉鎖的な場所に横たわっていた。


「……いっつつつ、生きてる。それよりここは何処なんだ?」


 落ちたときの衝撃だろう。体中の所々が痛かった。


 やがて中の暗さに目が慣れてきた頃、辺りを見渡すと、紛れもなく地上の風景と異なっていた。

 手元へと視線を向けると、そこには幸いにも自分の愛用の剣があった。


「良かった、それにしてもここは神殿? 宮殿? それともなにかの遺跡なのか? あまり嫌な感じは受けないけど……」


 剣を手に取りゆっくりと立ち上がると、ルアスは改めて辺りを見渡した。

 壁や扉らしき物は半壊し、所々砂に埋もれている。

 かろうじて残っている部分はなにかの紋様のような、または文字のようなものが刻みこまれており、神聖な感覚を受けた。


 最後に目を向けた先、部屋の最奥にはなにかを奉るための祭壇のような台座と、不思議な淡い七色の光を放つ、両手で包み込めそうな程の透きとおる珠があった。

 警戒しながら近寄るも、不思議な光を放つ珠に暫し心を奪われてしまった。


 ――………し……よ。


「え?」


 再び頭に飛び込んでくるような聲が聴こえ、ルアスは辺りを見回した。


 ――我が聲が、聴こえし若者よ。


「だれだ!」

 今度はしっかりと聲が聴こえ、とっさに剣を構えた。

 しかし聲だけが聴こえるのみで、影も形も見当たらない。


『やれやれ我がもとに来たのが、このような頼りなさげな若者とは…』


 ようやく聲の主が不思議な光を放つ珠自身だと気づくや、ルアスは驚きを隠し切れず、驚愕の表情をそれに向けた。


「……珠が話してる」


 たったそれだけの言葉を言うのにも、相当の時間がかかった。


 ふと力が抜け、剣を強く握りしめていた手が緩み、肩が降りる。

 今起きている出来事は、それほどまでに信じられない光景だった。


『この姿は我であって我ではない。ある戦いで力を失い、我が魂をこの珠へと自ら封じ込めたのだ』


「……魂? 力?」


 珠が言葉を、しかも人語を発するというだけでも思いがけないことなのだが、それに続く言葉がまたしても理解しがたいものであり、ルアスは混乱する頭を抱え込んだ。


 そのため言葉の意味をよく飲み込めないまま、珠が発した言葉を反芻することしかできない。


『そうだ。ただ元の姿に戻るには、かなりの歳月が掛かりすぎる。我には今、悠長に待っているだけの時間がない。そのため我が力を取り戻す媒体として、長い間呼びかけに応えてくれる宿主を探していたのだ。そなたでは不服だが、我が宿主になってもらうぞ』


 言うと珠はふわりと浮かび上がり、応否も問うことなくルアスの体内へと入り込む。


「一体なんなんだ、お前は。俺の体から出て行け!」


 ルアスは珠が自分の体内へと入っていく様を止めることができず、叫んだ。


『時間がないと言ったはずだ。我が名をアーサー。そなたには嫌でも協力してもらう。魔物を創りあげ、いまだ暴虐の限りを行なっている、彼等の頂点に位置する男を消滅せしめしために』


「…ふ、っざけんな! 魔物の頂点に立つ男を倒すなんてこと、俺にできるわけないだろう。それ以前に自分の町を守るっていう義務があるんだ。魔法だって使えないから、剣術を磨こうと必死に特訓してんだよ。それをいきなり現われたお前なんかの言いなりになってたまるか!」


 あまりにも一方的なアーサーと名乗る者の言葉に憤慨せずにはいられなかったルアスは、なおも自分の体から出て行くよう要請した。

 しかしアーサーが出て行く気配は感じられない。


『そなたが男を倒すことに協力し、消滅させることができれば、少なくともそなたの町の危機も半減するはず。利害は一致するというものだろう。何故そんなにも拒否するのだ』


 淡々と語るアーサーの正論に、ルアスは一瞬言葉に詰まってしまった。

 しかしここで言い負かされるわけにはいかない。

 なんとかしたいという思いはあるが、アーサーと同じ方法でというわけではないのだ。


「気持ち悪いんだよ、人の体の中にいられると。それにそんなもの俺じゃなくたっていいし、一人でやればいいじゃないか。それをこんな強引なやり方で引きずり込むなんて!」


『我にはどうしても協力者が必要なのだ。力の大半を失った今となっては、そうしなければあの男を倒すことなど不可能に近いからだ』


 ルアスはアーサーの決意が固いことを悟り、しばしの沈黙が流れた。

 けれど当然のことながら、どうしても納得がいかず、強く握りしめた拳を近くの壁に思い切り叩きつける。


 なぜアーサーがそんなに男にこだわるかは知らないが、受け入れるにはあまりにも突飛で無謀なことに思えて頷けはしなかった。


「俺は協力なんてしないし、アーサーには俺の体から出て行ってもらう。と言いたいところだけど、今は地上に出ないとな。お前の新しい宿主探しはそれからだ」


 なんとか平静に戻るため、必死に己を落ち着かせるルアスに、それ以上アーサーはなにも言わなかった。

 今はなにを言っても逆効果だと、知ったためだろう。


 ルアス達がやっとのことで地層から地上へと這い上がってきたときには、日は傾きかけており、空は淡い橙色に染まっていた。


「やっと外の景色を拝めたよ」


 ルアスの体は砂まみれになっていたが、状況が状況なだけに、あまり気にならなかった。

 いつものように自分の町へと方向を定め、向かおうとする。


 はずだった。


 だが今回は、いつもと様子が違う。

 町を見定めた方角から、煙が立ち込めていた。

 同時に自然に空を覆う橙色の以外の、別のなにかが紅く染めている。

 ほとんど時間差もなく、上空を巨大な鉤爪で一人の女らしき人物を掴み飛んでいる巨大な鳥の魔物、鳥魔獣が通り過ぎていくのを視界の端にとらえた。


 その位置からは人物の顔は、はっきりと見て取ることはできない。

 だがルアスの胸の内を途方もない不安が通りすぎ、鼓動が激しく波打った。

 しかし手を出そうにも、遥か上空にいる鳥魔獣に届かせるのは無理だった。

 なにもできない悔しさのあまり唇をかみ締め、ルアスはしかたなく町へと駆け出していく。


 一体なにが起こったのか。そればかりが頭の中を駆け巡る。


 町へ辿り着くと、騒然たるものだった。

 建物は火に焼かれ、魔物の手によって半壊したものや全壊したものもあり、しかも現在進行形である。

 傷つき倒れた者達の顔は青白く変色しており、瀕死の状態で倒れている。

 無事な者達は魔法を使い、狼人間や先程ここに来る前に見た鳥魔獣達と対峙している。


 魔物達は、とくに鳥魔獣は魔法耐性が高いのか、あまり効いた様子もない。

 中には接近戦で鳥魔獣を倒そうとする者もいるのだが、倍以上の体格と、思いのほか動きが速いことに四苦八苦している。


「やばい、なんとかしないと!」


 言うとルアスは鞘から剣を抜き、魔物に向かっていこうとする。


『早まるな、愚か者め。鳥魔獣は魔法耐久が高いうえに爪に毒を持っている。策もなく必要以上に近寄りすぎては危険だ』


「うるさい、そんなこと言ってる場合じゃないだろう!」


 アーサーの忠告に耳を傾けず、ルアスは鳥魔獣へと走り向かっていく。


 その様にアーサーは溜め息をついた。

 もしも体があれば、彼の無謀さに呆れたように肩を落としていただろう。


 ルアスが魔物達に向かっていく姿を見て取った者達は制しの声を掛けたが、耳を傾けず駆ける速度を弱めることなく向かっていき、剣を切りつける。

 襲ってくる鳥魔獣の爪をかわし更に切りつけたが、仲間が危ないと思ったのか、更に別の魔物が押し寄せてきた。


 さすがに戦況不利と見て、その場を離れようとする。

 だが魔物達の動きは想像していたより素早く、簡単に追いつかれた。なんとか数匹の魔物を切り伏せ、ようやく離れた頃には、体中に細かい傷が多数できていた。


 舌打ちをしながら再び向かおうと試み、剣を構えなおした。

 躍起になって目の前にいる敵にしか目を向けていなかったルアスは、後から襲いくる魔物の存在に気づかずにいた。

 直前にようやく気づいて、辛くも身を反転させかわしたものの、えぐられるような痛みが脇腹を走った。

 どうやら避ける間際に一撃を、お見舞いされたようだ。


 小さく呻き声を上げながらも反撃に転じようとしたが、痛みのためか体がすぐには動かない。好機と見たのか、別の魔物が矛先を変えて向かってくる。


「風の精霊よ!」


 刹那声が聞こえ、矢の形をなした魔法弾が風のように飛び、その魔物をなぎ倒す。


「ルアス!」


 魔物が血まみれで倒れるや否や、聞き慣れ親しんだ声がルアスの名を呼んだ。

 ルアスは声のした方へと目を向けると、やはりそれはエルフォーネだった。

 エルフォーネはルアスの無事な顔を見るなり安堵した表情が広がり、駆け寄ろうと走り寄ってくる。


 だが生きている魔物は数多く存在している。

 しかも先程まで交戦していた魔物の一匹である鳥魔獣が、今度は無防備にも走り寄ってくるエルフォーネに目標を変たようだ。

 体の大きさに反比例して素早い動きで襲い掛かっていく姿がルアスの目に映った。


「ばか、来るなエル!」


 叫ぶと同時にルアスは脇腹の痛みに耐え、剣を取り、鳥魔獣を倒すとまではいかなくても、せめて出鼻を挫こうと一歩を踏みだした。


「え?」


 エルフォーネがようやく押し寄せる存在に気づき、振り向いたときには既に鳥魔獣は目の鼻と先まで近づいていた。

 その爪が彼女を襲った。為すすべなく彼女は地面に倒れこみ、遅れるようにして血が地面を濡らした。


 二人の距離は、僅か数メートルだった。

 彼女を救おうとして武器を握りしめた手が、ほんの数メートルの差で届かなかった。


「……エ…ル…?」


 血まみれで倒れ、微塵も動かないエルフォーネの名をルアスは歯切れ悪く呟いた。


「エル!」


 ルアスは、もう一度彼女の名を叫ぶ。しかし、声に反応する様子は微塵もない。


「…う…そだ…、嘘だ…」


 ルアスは視線をエルフォーネに向けたまま剣先を地面につけ、両手を柄に添えながら崩れ落ちた。

 焦点の合わぬ虚ろな眼差しで、彼女の名をまるで呪文のように、何度も何度も呼び続けた。


 同時に長老に拾われ、初めてエルフォーネと出会った日の頃が鮮明に呼び起こされる。

 よく喧嘩して仲直りをして、笑って泣いて。

 あまりにも懐かしい日々の光景が、まるで昨日のことのようにルアスの頭の中を駆け巡った。


 妖精と人間との間に生まれたハーフにとって、今という世の中は決して良いものではないけれど、目を背けたいことのほうが多かったけれど。

 それでもめげずに生きてきたのは、どんなに少なかろうと大切な存在がそばにいたからなのに。


 共に歩んできた日々が今、音を立てて崩れ落ちていくような感覚が体中を通り過ぎていく。


「………なんのために俺は」


 ルアスは顔を伏せたまま呟いた。もちろんそれに応える声があろうはずがない。


『なにをしているルアス、立つのだ! このままではそなたも、あの娘と同じ末路を辿ることになるのだぞ!』


 先程の鳥魔獣が今度はこちらに向かってくる姿を見て取ったアーサーの叱咤が、ルアスの耳に響いた。

 その声に応えるように、ルアスの表情が強張った。


『ルアス!』


 更にアーサーは促した。


 そのときルアスの脳裏を、先程のエルフォーネの倒れる姿が過ぎっていく。

 胸の内を沸々と熱いものが湧き上がるのを感じ、剣の柄を強く握りしめた。


「うわあぁぁぁ!」


 目前と迫った鳥魔獣に咆哮と烈火の如き表情を向け、剣を振り上げた。

 瞳の奥には、揺らめく焔があった。

 まるでそれを具現化するかのように、ルアスの持っていた剣が炎に包まれていき、手傷を負っているとは思えないほどの軽やかさで、咆哮を上げながら鳥魔獣を一撃に伏した。

 だが瞳の中で揺らめく焔も、炎に包まれた剣も衰えることなく、逆に勢いを増していく。


 ルアス自身が魔物へと変貌を遂げたかのように、町に織り成している魔物達の返り血を浴びながら、なぎ倒していく。


 その姿を見た者達は、彼と鬼神とを重ね合わせたように恐れおののいた。忌み嫌われる炎を使う少年を。


「…はぁ…はぁ…はぁ…」


 ルアスは息を切らし、剣を地面に突き立て、膝を折りながらも自分の体を支えていた。


 もはや剣も炎に包まれてはおらず、蠢く魔物の姿もなく、代わりのように血に塗れた死体が転がるばかりである。

 顔すら合わせたこともない者、見知った者、両方の姿がまばらに見えた。


 すでに町中を走り回っていた火も収まり、魔物も再び動きだすこともないのだが、動ける町の者達の表情は陰鬱で暗い雰囲気の中に呑まれている。

 傷を負う者の治療や死体の運用等、様々な惨状の後始末に身をゆだねている。

 だが彼等は町の危機を救った功労者であるはずのルアスに誰一人近寄ろうとはせず、遠巻きながら冷ややかな視線を向けるばかりであった。


 どれくらい間が空いたのだろう、思考が回転せず、目がうつろい霞む中で、ルアスは傷付き倒れたエルフォーネのことを思いだした。


「そう…だ、…エ……ル……」


 呟き立ち上がろうとするが思ったように足に力が入らず、縺れ、地面に倒れこむ。


「…くそ…、体が…言うこ…とを…利か…ないや。目も…ど…んど…ん…、かす…んで」


 独語しながらルアスは、自分が傷を負っていることを今更ながら思いだした。


 エルフォーネに、早くエルのいる場所へと行かなくてはいけないのに。


 思いとは裏腹に、さらに目は霞んでいき、周囲が薄暗くなっていく。やがては意識が遠のいていった。


『体内に炎を宿し少年か…』


 ルアスが気を失ったあと、アーサーは内心冷やりとしたものを感じつつ時間がなかったとはいえ、とんでもない少年を宿主に選んでしまったのかもしれないと感じた。

 だからといって、このまま野晒しにしておくことなど、できるはずなかった。

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