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七回

 殺気を感じる。

 しかも一つではなく複数。

 足音を忍ばせ、息を殺してはいるものの、尋常ならぬ殺気故に気配を完全に絶ちきれてはいない。それらが少しずつ近づいてくる。

 そのためシェイドは瞬時に察知することができた。

 静かに起き上がると、ドアノブとは反対側の壁際に、すぐにでも攻撃態勢を取れるように身構える。


 部屋から物音一つしないため熟睡していると思っているのか、扉の向こうから僅かに声が聞こえる。

 囁くような話し声のため、ほとんど聞こえなかったが、所々の内容から察するに意表をつこうという算段だということは容易に気がついた。

 間を空けることなく扉が開かれ、数人の人影が手になにかを持ち、構えながら入ってくる。

 扉の間近で身を潜めていたシェイドは、部屋に入ってきた者達へと拳を叩きつけていく。

 行為は不意打ちそのものだが、彼等とて同類なのだから、そんなことなどお構いなしである。


 部屋に入ってきた数人は、取り乱した様子で狭い部屋の中を右往左往している。

 その隙を逃さず、シェイドは部屋に侵入した彼等をなぎ倒していく。

 抵抗する間もなく、ある者は壁に叩きつけられ、ある者は開いた扉の向こうに凪ぎ飛ばされ、またある者は凪ぎ飛ばされた衝撃で階段の下へと落ちていってしまった。

 気絶し、身を起こすことのない彼等を見やると、腹立たしげに嘆息する。


 そんなとき締め切った窓の方からノックするような音がしたため、ヒヤリとしたものを感じ、即座に振り返る。

 今までの騒動はすべて囮で、窓の外から侵入し、攻撃することが目的だったのかと考えたのだ。

 けれど予想していた人影ではなく、コウモリのような羽のはえた動物の物影だった。

 しかもシェイドにとって、馴染みのある物影である。警戒態勢を解き、窓へと近づくと開けた。


『どうやら無事であったようだな、シェイドよ』


 窓を開けると、第一声に雪のように真白な体を持つ小さな竜が人語を放った。


「これが無事と言えるならな」


 シェイドは後ろで気絶している者達へと視線を走らせると、白竜に向かって皮肉をぶつけた。


「それより、なにかを知っているような口振りだが……」


『話は、まずフィニアを回収してからだ』


 白竜の物言いに何かを嗅ぎ取ったシェイドは問いかけたが、反対に別の話題を突きつけられ、ようやくフィニアのことを思いだした。

 即座に踵を返すと、開け放たれた扉へと走り出していく。


「ケティルさん!」


 今にも扉の外へと飛び出そうというところへ、話題に上ったフィニアが慌しげに、突如現れた。

 シェイドはフィニアに衝突しそうになりながらも寸前で止まり、注意してみなければわからないほどの、ほんの僅かに安堵した表情で見下ろした。


『フィニア、そなたも無事だったのだな』


 その声に、フィニアは目の前にいるシェイドの体を避け、彼の後ろにいる白竜の姿を見て取った。

 けれどシェイドの微妙な表情の変化には気づいていない。


「アーサーさん、ここにいらしたのですね」


 フィニアは窓辺にいる白竜の名を呼ぶと、緊張していた面持ちを僅かに緩ませた。

 だがそれでもどこか表情が硬く、戸惑いや困惑が漂っている感は否めない。

 目的もわからない相手に襲われただけにしては、その感はあり余る。

 察知したシェイドはフィニアの両肩に手を置き、僅かに押し離す。


「慌てていたようだが、なにかあったのか。それにルアスの姿もないようだが」


「そうでした。ルアスさんが……、ルアスさんがいないのです!」


 問いかけられたフィニアは理由を思いだし、シェイドへと詰め寄った。

 シェイドが心配だという気持ちはあったが、大丈夫だという思いの方が強かったため、襲ってきた相手を撃退し、まずはルアスの部屋へと向かったのだという。

 だが蛻の殻で、窓の外にはベッドのシーツを切り裂いて繋げたものがあることに気づき、慌ててここに来たのだということを告げた。


「なるほど。それで奴等がここぞとばかりに襲ってきたのか」


 シェイドは舌を打ち、眉間にしわを寄せると、嘆息と共に吐き捨てた。

 フィニアはまだ戸惑っているようで、落ち着きなくシェイドの様子を窺い、返答を待っているという状態である。


「仕方がない。ルアスを見つけ次第、即刻この集落から立ち去るのが賢明だろうな。それにしてもあいつが抜け出したというのに、貴様はえらく余裕だな。貴様の宿主なら、こうなる前になんとかできたはずだろう。まさか知らなかったとでも言うつもりか」


 シェイドは早速すべきことを考えると、今度はアーサーへと目を向け皮肉をぶつけた。

 アーサーがいうには、彼とルアスとは一心同体のようなもの。一心同体といっても、どちらかが傷つけば連動して、もう一方にも同じ傷ができたり、互いに交信をすることができたりするわけではない。

 アーサーがルアスの生命力を吸い続けているといった、一方的なものでしかない。

 同時にルアスにはアーサーの居場所はわからないが、アーサーからはルアスの居場所を察知することができるという。

 ということは、ルアスが今どこにいるのかを知っているはずである。


 ならば定められてはいない集落内へと赴けば確実にルアスの命が危うくなるというのに、アーサーは一切慌てた様子はない。むしろ冷静そのものである。


『知らぬとは言わぬ。なぜなら我が、あの者を先導したのだからな』


 シェイドの皮肉に微塵も臆することのないどころか、逆に淡々と事の真相を告げた。

 ルアスの勝手な行動を制限するどころか、好き勝手にさせているアーサーを嗜めたつもりが、思いがけない彼の言葉に、シェイドの方が取り乱してしまった。

 フィニアも、アーサー自ら先導したということに驚きを隠せずにいる。


「それは一体……」


「おい、こっちだ」


 シェイドが更に問い詰めようとしたとき、下の階が俄かに騒がしくなり始め、いくつもの足音が忙しなく階段を駆け上がってくる。どうやら先程倒した誰かが、応援を呼んだらしい。

 シェイドは物音を聞くや、またもや悔しそうに舌打ちをする。


「いつまでもここでグズグズしているわけにはいかないな」


 二人はお互いの顔を見合わせることなく、まるで最初から意思疎通が行なわれていたかのように、アーサーがいる窓辺を見つめている。

 窓は大の大人一人は余裕で通れる程の大きさである。

 下の階が俄かに騒がしくなってきたとき、既に決意は固まっていたようである。

 アーサーもそれには気づいたようで、羽ばたき上空に舞い上がり、その場から離れた。

 複数の足音がシェイド達のいる部屋に押しかけた刹那、シェイドとフィニアは窓から飛び降りたのである。

 シェイドは風の精霊の力を借りて地面に降り立つときの衝撃を和らげ、フィニアはほんの僅かしか飛べないながらも、羽でふわりと地面に舞い降りた。


「二人が逃げたぞ。下へ回れ!」


 先程までシェイド達がいた部屋に押しかけた者達は、二人が飛び降りる様を見るや、それを押しとどめる事ができず、悔しそうに指示を出す声が発せられた。

 今度は宿屋の一階へと、複数の足音が地鳴りのように駆け下りる。

 静まり返っているためか、集落が小さいということもあるためか、音は思いがけないほど広範囲に広がっていく。


 地鳴りのような複数の忙しない足音と共に、シェイドとフィニアの二人が逃げたという言葉を発しているため、寝静まっていた辺りの住人達は、現状況を簡単に察することができるだろう。

 二人は地に足をつけるや、逸早くその場から離れるために走り出した。

 二人を先導しているように、アーサーが前を飛んでいる。シェイドとフィニアはなにも言わず、ついて行く。

 ルアスの所へと向かっていることは、聞かずとも承知していた。

 彼等が襲いくる理由を知ればこそ、今はルアスを一刻も早く連れ出し、集落から離れることが先決だった。

 シェイドはこのままルアスを残して抜け出してしまおうかとも思ったが、それでは文句の一つも言えないまま終わってしまう。

 なによりアーサーの宿主がルアスであり、宿主を変える気のない今、なにかあっては困るのだ。はやる気を抑えながら、無言で走り続けた。



 左肩から右斜め下にかけて、背中に鋭いなにかが走り抜けると同時に熱さを感じ、ぬるりとした液体が溢れ出してくる。

 服を即座に染め、滴り落ちる液体が地面を濡らす。

 取り囲んでい幾人かは松明を持っているが、辺りを覆う闇の方が強いために液体の色はわからない。

 だが言わずとも、それが一体なんなのか、その場にいる者達はわかっている。血だ。


 彼等が取り囲み、今目の前にしている、人間と見紛みまがうばかりの少年のもの。

 見紛うといっても、人間でないのかといえばそうでもない。ましてや魔物でもない。

 では妖精かと問われれば、そうとも言いかねる。人間であり、妖精でもある。

 人間でもなく、妖精でもない。人間の血が色濃いとはいえ、人間と妖精の血を受け継いでいる混血児。

 少年であるルアスの周りを取り囲んでいるのは、人間に近い造形をしているものの、どこかが食い違い、それが奇妙な感覚を憶えさせる。取り囲んでいるのは、純血の妖精達である。

 手には武器が携えられており、誰もが目の前にいるルアスへと敵意の眼差しを向けている。


「……ポーア、なんで」


 妖精達に取り囲まれているルアスは、ただ一人武器も持たずに目の前に佇んでいる、歳若いポーアへと目を向けながら、様々な感情が入り乱れた表情を向ける。

 目の前にいるフェザーフォルクの子供を、ポーアを助けに来たはずだった。

 肝心のポーアは、ルアスが斬られたのだというのに、共々妖精達に取り囲まれているというのに、表情一つ変えていない。


「だったらどうして来たの? これはなにかの罠なんじゃないかって、あの人だって言ってたじゃない。そうでしょう、ルアスさん」


 ポーアは子供とは思えない程の大人びた表情で、背中を斬りつけられたルアスを凝視している。

 言葉の意味を理解しかね、いや理解などしたくなかったルアスは、ポーアへとなにかを言いたげな表情で詰め寄ろうとする。

 だがそれを制するように背後にいた、顎髭を蓄えたドワーフの男が背中を蹴りつける。


 血が服に滲み、地面に滴り落ちる程の怪我を負っているため、ルアスはいとも簡単に前のめりに地に叩きつけられる。

 声こそ出さなかったものの、表情は苦痛に歪み、悶えている。

 積年の恨みを晴らすまいとしているように、苦痛に身をよじらせている背中の傷を更に踏みつけた。


「まさか本当にやってくるなんてな。こいつが来たということは、どうやら紛れもなくポーアはハーフなんだな。ルティアーナ」


 ドワーフの男は足に体重を掛け、ルアスの背中にある傷口に容赦なく蹴り落とし、ポーアから然程離れていない場所で落ち着きなく表情を曇らせ、更には辺りに立ち込めている闇以外の影を差し込ませている、フェザーフォルクの女を凝視しながら確認の意を込めた言葉を紡ぐ。

 フェザーフォルクの女の見た目は二十代半ば程で、体型は小柄、ワンレンのきれいな水色の髪を背中に流している。

 女はまさに、ルアスが監禁されていた部屋に来て、ポーアを連れ去った張本人である。


 あまりの激痛に呻くことができず、払いのける行動すら起こせずにいるルアスの目にも、女の姿が目に映る。

 痛みに思考を奪われつつも、ドワーフの男の言葉、そしてルティアーナと呼ばれたフェザーフォルクの女の様子を見るからに、ポーアの母親なのだということは予想がついた。


「今更なにを。この混血児がここに来た以上、ポーアもハーフであることは間違いない!」


「まったくその通りよ。私達の住処に、あのおぞましい奴等の血を受け継ぐ者はいらないわ!」


「殺せ、今すぐにだ!」


 ポーアも、ルアスも、ルティアーナもなにも語らない中で、周りの熱気だけが立ちこめる。

 それらが一団となって、今にも彼等を排除しようとせんばかりの勢いである。

 周りの異様な雰囲気に、取り残されたような趣である。


 異常なまでの殺伐とした雰囲気に包まれている中で、ルアスは取り乱し、ルティアーナはそれらの声を振り払うような動作をしているにも関わらず、ポーアだけが微動だにしていない。

 まるですべての成り行きを受け入れているような印象を受ける。

 ポーアさえも殺すことを立案し、その言葉を繰り返し叫んでいるのに、である。


「おいルティアーナ、お前がそいつを殺せ。そうしたら今までお前の子供がハーフだということを隠していたことは、大目に見てやる」


 今にもルアスとポーアを殺そうと躍起になっていた彼等の中の一人、中年の風貌であるエルフの男が、一本の短刀をルティアーナに手渡した。


「ちょっと待っ……。なに言ってるんだ!」


 ルアスは聞き捨てることができず、傷の痛みを堪えながら、背中に押しつけられている足を振りほどこうともがいた。

 親が子を殺すように命じた、エルフの男に迫るために。


「大人しくしていろ!」


「好き勝手やらせるものか、このクソガキ!」


 だが間近にいたドワーフの男に簡単に地面に再び平伏され、左右の手を別々の妖精達に取り押さえられた。


「うるせえ、離せよ。離せったら!」


 ルアスは全身に力を込め、それらから脱しようとする。

 しかし三人掛かりで取り押さえられているため、ただ体力を消耗させるにすぎなかった。

 背中に傷を負っていることも連鎖して、思うように体に力を込めることができない。

 短刀を手渡されたルティアーナはというと、武器を持つ手が震え、顔が青褪め、強張っている。裏腹に短刀を持った手が、ゆっくりとポーアに向けられる。


「……やめろよ。やめろよ! あんたポーアの母親なんだろ。母親なのに、自分の子供を殺すような真似、絶対しちゃ駄目だ!」


 周りの雰囲気に飲まれてか、このままポーアに短刀を突き立てようとするルティアーナに、ルアスは制止の声を張り上げた。

 本当はすぐさま駆け寄って、彼女の行動をやめさせたいのだが、体を押さえつける彼等を振り切れない。

 代わりのように制しの声を上げるのだが、それも虚しく、ルティアーナの持つ手がポーアの頭上に向かって振り上げる動作は、一向にとどまる気配はない。

「ポーア、なにやってんだよ。なんで黙ったまま、じっと立ってるんだよ。外へ出たいって、連れて行ってくれって言ったじゃないか。なのにこんなふうに人生終わらせて、本当にいいのかよ!」


 今度はポーアに向かって悲痛な叫びを上げるルアスに、その場を取り囲んでいた彼等は罵倒を浴びせる。

 だがめげずに、ルアスはポーアに集落を出ようと訴える。


 しきりに身を案じ、叫ぶルアスを見ながら、刻一刻と己に迫りくる危険を肌で感じながら、ポーアは意外にも心が穏やかだった。

 それどころか思考はとてつもなく冷静で、一転の曇りもなく澄み切っている。

 清められた水のように穏やかで、澄み切った清浄なる空気のような思考の中で不思議そうに、泣き出しそうな、怒っているような、もしくは嘆き悲しんでいるようなルアスを見下ろしている。


 ポーアは、ルアスの考えがわからない。

 なぜこんなにも熱心に、今まさに彼の身にも危険は及んでいるというのに、己のことではなく、僕の身を案じて語りかけてくるのだろう。

 なぜこの人はこんなにも熱心に外の世界へ連れ出そうとするのだろう。僕が外へ行きたいと言ったのは、ただの嘘でしかなかったのに。

 ルアスを、この状況に追い詰めるための、ただの方便でしかなかったのに。

 だって僕は一度だって、外の世界に行きたいとは思ったことなどなかったのに。

 風や大地の精霊達が、外の世界のことを教えてくれたから。それを聞くだけで充分だったから。然程こことほとんど変わらぬ外の世界。

 ならばいっそ、この場にいたほうが、ずっと良いのに。

 それだけじゃない。外の世界に行かない一番の理由は、お母さんがいたからだ。


 いつだって僕に暴力を振るい、物を投げ飛ばし、泣き叫びながら罵声を浴びせる。

 かと思えば、罵りを吐き出すしかなかったその口で、表情で、体全体で、僕を慈しんでくれる。

 お母さんには僕が必要なのだ。だからどこにも行かない。行きたくなんかない。だって僕も、お母さんが必要だから。


 お母さんがいる場所が、僕のいることのできる唯一の場所だから。

 唯一僕の存在を認めてくれる場所だから。そのお母さんが、僕にルアスさんをこの場所へ連れてくる餌として、僕をあの宿屋に行くように頼んでくれた。

 最初で最後の、お母さんの頼み事。

 それがこの集落に住んでいる、大人達の願いだったとしても。ルアスさんを誘き出すためだけじゃなく、僕がハーフかどうかの判別するための作戦だと、大人達の囁くような話を耳にしても。

 お母さんが僕にくれた、たった一つの頼み事。それが凄く嬉しかったから、それを無事に成し遂げることができたから。

 お母さんが、僕を必要ないというのなら、こんな命なんてない方がいい。

 お母さんが僕を殺すなら、喜んで受け入れる。覚悟なら、とうにできている。


「悔いなんてないよ。だって僕は、お母さんの望みを叶えることができたんだから」


 お母さんの望みを叶えること。お母さんが僕を殺すというのなら、全然かまわない。だってそれが、僕の本当の望みなんだから――


 そのときふと、別の想いが過ぎった。

 けど、でもね。

 ルアスさんの言うとおり、僕は外へ行くことを望みがなかったわけじゃない。

 お母さんが望むなら、お母さんと一緒なら、どこへだって行ける気がしてたんだ。

 ポーアが想いを過ぎらせた刹那、短刀を持つルティアーナの手は勢いよく振り下ろされ、自分の息子の首に突き立てる。

 そのまま外側へと振り切った。

 すると鮮血が勢いよく噴出し、身近にいた者達へと降り注ぐ。なお余りある鮮血は、地面に赤い水溜りを作り出す。

 気が緩んだのか、ルティアーナは握っていた手の力が弱まり、足元へと短刀を落とした。

 血にまみれた息子をなんの表情も浮かずに見つめている。

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