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六回

 ルアスはベッドの上に横になりながら心中で悪態をつき、外と内を繋ぐ窓のカーテンも閉めないまま、空の色を見つめていた。

 窓から見える空や、他の景色は、完全に闇に溶け込んでいる。

集落に明かりはほとんどないのか窓の中に入ってくるのは、せいぜい空に浮かぶ星々の明かりくらいなものだった。

星空を、悔しさのあまり睨みつける。シェイドとの喧騒を、まだ根に持っていた。


 ルアスの頭の後頭部辺りから、さほど間を置かない場所に軽い重量感のあるものが、ふわりと舞い降りる。

後ろに舞い降りた者が、なにかを知っていた。けれど敢えて声を掛けなかった。

 シェイドに対する苛立ちと、ポーアに対する想いとが複雑に絡み合っていた。

そのため振り向きもせず、言葉も発さず、アーサーが来る前と変わらぬ姿勢をとり続ける。


『ルアスよ、少しは頭を冷やしたか』


 アーサーはルアスの後ろに座したままで、厳かに問い掛けた。けれどその中に、暖か味のあるものも含まれている。

 聞くやルアスは上半身を起き上がらせると、枕を掴み、勢い良くアーサーに叩きつけた。

 しかしアーサーは軽く横へと避け、再びベッドの上へと舞い降りた。


「どうせお前はシェイドと同じ考えで、あいつと同じことを言うんだろ。あっちへ行ってくれ!」


 ルアスは抑制のきかない感情を、アーサーにぶつけるように声を荒げた。


『我もシェイドの考えには賛成だ。しかしそなたの考えを、無下にするつもりもない』


「今頃そんな調子の良いこと言うなよ。肝心なときに、なにも言ってくれなかったくせに!」


 平然と語るアーサーに、ルアスは更に怒りを募らせ、毒づいた。

 否応なく八つ当たりしてしまうことが情けない。

けれどシェイドの言葉が、頭から離れてはくれない。

頭を振り、顔を伏せる。それでも胸が焼け焦げるような苛立ち、頭の中を掻き回されたように怒りが収まらず、煮え切らない。


 ルアス自身、冷静な判断が奪わせていることを、心のどこか片隅でわかっている。

 シェイドの言う通り、これ以上ポーアと関わり合いを持つことをさけ、置いて出て行くことが正しいのかもしれない。

 けれどできるかもしれない事をしないまま、この地を去ってしまうことが嫌だった。

 このまま見捨ててしまったら、きっと後悔してしましまう。

 助けを求めている者がいるのに、彼等を邪魔だと蹴落としてまで姉を救い出したとしても、きっと合わせる顔がない。


 結局これは、姉を利用して自分に言い訳をし、自己欲を満たしたいだけだ。

 シェイドのいう中途半端な同情や憐れみでしかない。もしかしたらそれより性質が悪い。


 だがそれを抜きにしても、ルアスはポーアを助けたい。その気持ちだけは本当である。

 同じハーフだから。ルアス自身、他のハーフ達に比べて恵まれている方かもしれない。

 けれど人間と妖精との間に産まれたというだけで卑下され、疎まれ、蔑まれる。

 その辛さを知っているからこそ、放っては置きたくない。まるで自分を見ているようで、やるせない。


「俺、やっぱり助けたいよ。なにもしないまま、この集落から出て行くなんて、そんなことしたくないよ」


 ルアスは俯いた顔を上げることなく、今にも泣き出してしまいそうなほど切なげな声を発した。


『それほどまでに、あの少年を救いたいのか』


「そうしたい、そうしなきゃいけない。あのまま放っておきたくないんだ。皆に迷惑かけるつもりはない。だから今だけは俺を見逃してくれ」


 助けるなどと、救い出すなどと、おこがましいにも程がある。

 そんなこと、最初からわかりきっている。

 たとえ半端な同情や憐れみからだとしても、なにもしないで、ただ黙ってみているなんて嫌だから。できることをしようともしないで、見ているだけなんて嫌だから。


 ルアスは俯かせていた顔を上げると、真剣な眼差しで訴える。

 諭すような眼差しで、アーサーは言葉を紡ぐ。


『だが場所も知らぬ少年のもとへと、どうやって行くつもりなのだ。それ以前に、この宿の周りにいる見張りの目を、どうやって誤魔化すつもりだ』


「それはまだ考えてないけど……。でも大丈夫、絶対なんとかする!」


 ルアスはまったく考えていない。だが意気込みだけで、乗り切るつもりだった。

 それがただの勢いであり、根拠などまったくないとわかっているが、他になにも言えないのである。


 肩透かしをくらったのか、アーサーはただただ呆れている。

 ゴルファ洞窟での前例があるために、ある程度は予測もしていたようだ。ややあって、息を吐く。


『なにも考えておらぬ者が、何故大丈夫だと言えようか』


「でも行きたいんだ。行くしかないんだ。お願いだ、行かせてくれ!」


 ルアスは少々前のめりになりながら、切実さと懇願とを入り混じらせて、アーサーに訴える。それだけ真剣だった。


『我はそなたの行動を止めるつもりなどない。ならばそなたではなく、我が彼等の目を逸らすこととしよう。我の今の姿は、滅亡したと言われている白竜だ。嫌でも目立つであろう』


「……いいのか?」


 協力してもらえるとは思っていなかったルアスは、信じられないという表情でアーサーを見つめた。


『良いも悪いもなかろう。そなたは言っても聞かぬのであろう。それより少年を見つけたなら、即刻この集落から抜け出すことだ。シェイドとフィニアには、我から事のあらましを伝えておこう』


「わかった」


 宿屋の外へと出てポーアのもとへと向かう算段が整い、間近に迫ってきたためか、ルアスは緊張によって面持ちを険しくすると、強く頷いた。


 アーサーはそれを見やり、踵を返すと、ルアスが体を通すのに丁度いいくらいに窓を開け放ち、静かに飛び出した。

 宿屋の周りを警備している数人の妖精達の斜め上を、遠すぎず、近すぎずといったところで飛行している。

 あまり近づきすぎると逆に怪しまれ、かといって離れすぎると、かえって目に止まらず、止まってもただの野鳥としてしか見られないだろう。

 もしくは魔物と間違えられ、妖精達の攻撃を受ける可能性もある。

 妖精達の前に姿を現したアーサーは、一分にも満たない時間帯を飛行したあと、急上昇し、どこへと向かったか誰の目にもわかるように、緩やかに迂回して飛び去っていく。


「なんだあれは?」


 アーサーの姿を目の当たりにした警備している一人は、どういった態度をしていいのかわからずに、同じく警備をしている彼等に問い掛けた。

 魔物でも、ましてやただの動物ではないアーサーの姿に思わず目を疑ったため、彼等に今通り過ぎていったものが、なんであるのか確認したかったのだろう。

 なんせ白竜の姿形を象ったアーサーの姿は、遥か昔の神話時代に生きていたとされ、現在は滅亡したとされている生き物である。


 神話の時代には世界を創造した、幾人もの神がいた。

 神々は大気を創り、水を創り、大地を創り、そして最後にそこに住まう生命を創った。

 けれど神々はそれぞれ持っている特性が違い、互いが争うということは滅多になかった。

 あるとすれば、互いの領域を侵したときのみに、本能の赴くままに争いごとが起こったとされている。

 肉体といった器は持ち合わせておらず、精霊のような精神体のため、互いの抗争が嵐や、洪水や、地震といった、自然災害として表れたという。

 そして竜は、神話時代では神の使いであり僕とされてきた。

 竜はこの世界に住む者と、神々との仲介者とされているのである。


 だが一体なにが起こったのか、ある日突然神々の争いが起こり、それが幾日も続いた。

 天は荒れ狂い、地は震撼して歪み、風は吹き荒れ、山は火を噴き、まるで世界そのものが壊れんばかりのものだった。

 果てしなく続くと思われた神々の争いは、始まったときと同じように、突如終結した。

 だが終結したあとの大地は溶岩のようになっており、水も空気も、すべてが灼熱に覆われ、生命はすべて絶え、無に記したかと思われた。

 けれど何百年後、溶岩となり溶けていた大地が少しずつ固まりはじめ、植物の芽が芽吹き始め、動物が産まれた。徐々にだが、しっかりと生命の息吹は辺りに広がっていく。

 その頃から神話は終わり、妖精や人間達が大地を支配する世界となったと伝えられている。


 力の差は格段に違うが精霊は神々の残り香とされ、それを扱うことのできる妖精は、現世と精神世界の仲介役とされている。

 そのため現世での実質的な支配者は、人間だとも言われている。

 サフィニア戦争後に産まれた者達が、どれだけそのことを知っているかは知らない。

 だがそれ以前に産まれ出た者は、伝説とも神話ともいわれている話を知らない者は誰一人いない。


 宿屋を見張っていた幾人の者達の前に竜が現われ、一言疑問の声を発しただけで言葉を失ったのだ。

 既に伝説となっている生き物がこうして現われたのだから、彼等が自分の目を疑い、言葉を失ってしまったとしても不思議ではない。


「おい、あれってもしかして……」


 アーサーの姿を見て、最初に声を発した人物が、再び口を開いた。


「どう見たって白竜だ。なぜ絶滅されたと伝えられている竜が、こんなところに……」


 同じくアーサーの姿を見、その言葉を聞いた青年は信じられないという顔つきで応じた。


「行ってみよう」


「待て、俺達はハーフを見張っているんだぞ。勝手な真似はするな!」


 暫し唖然としていた彼等の中から、アーサーの後を追いかけようという者が現われた。

 しかしその人物と同じように、宿屋の見張りをしている者が、すぐ様それを嗜める。

 けれど嗜めた者の言葉に耳を傾けぬどころか、拒否するように首を横に振った。


「それは俺も重々承知している。だが竜は、俺達の信仰の的だ。それが今、俺達の目の前にいるんだぞ。竜が現れたということは、神も未だ現存しているということだ。これはなにかの導きに違いない!」


「それもそうだな、この機を逃す手はない」


「これを逃したら二度と目にすることはなく、逆に怒りを買うかもしれない」


 白竜であるアーサーの姿を見て最初に後を追いかけようとした人物に、ルアスを見張るため宿屋の警備をしていた幾人かは次々と賛同していく。


「だが俺達の本来の役割を忘れて、白竜を追うなど!」


 最初に異論を唱えた者は、彼等の行動に慌てふためいた。

 本来の役割とは、ハーフであるルアスの行動を見張り、もし制約した事柄を破棄した場合、即刻彼を拘束し、処刑に処すことである。

 制約や取り決め、風習をないがしろにする者に対しては厳しいが、それを守り通す者には寛大である。

 それが彼等にとっての自尊心であり、誇りである。


 今回ばかりは特例中の特例だが、与えられた役割をそのままにして、白竜のあとを追いかけるのは納得がいかないのだろう。


「ならばお前はそこにいろ。あとで悔いても知らないからな!」


 白竜を追いかけようと決めた者達は、異を唱える彼に猛然と反論した。

 異を唱えた彼の表情に、動揺と、神に対する畏怖と、焦りがあらわになり、青ざめた。

 異を唱えている彼でさえ、白竜のあとを追いかけようとしている者達と同様に、神と神に仕える竜の伝承や神話を聴いて知っており、信仰しているのだ。

 しかも幼少の頃から根強く植え付けられているため、それが彼の心を鷲掴みにした。


「ま……まて、それは困る。やはり俺も行く」


 異を唱えていた彼はとうとう観念し、彼等の言葉に折れ、共に着いていくことを決めた。

 ルアスを見張るため、宿屋周辺を取り巻いていた幾人もの者達は、すべてアーサーが向かったと思われる方向へと駆け出していく。

 気づかれないようにその様を見届けたルアスは、やがて窓から顔を出し、もう一度誰もいないかを確認すべく、辺りを見渡した。


 既に日は落ち、辺りに明かりがほとんどないため、はっきりとは見ることができないが、少なくとも人の気配や動く物体は見当たらない。

 アーサーの姿は目立つため、宿屋周辺にいた彼等の目を向けることはできるかもしれないと思ったが、まさかここまで効力があるとは思いもしなかった。

 だが彼等が話していた、神の使いである竜がどうの、導きがどうのとは、一体どういうことなのだろう。

 同時に慌てふためいた彼等の表情。


 ルアスも姉のシンシアから、神話や竜の話は聞いていたが、別段信仰心は持ち合わせていない。

 アーサーが最初どのような姿で、どこにいたのかを知っているだけに、いくら彼が白竜の姿を現したからといって態度が急変するわけでもない。

 昔から神を奉っていた者達とは違い、畏怖も信仰心も欠片ほどもない。それが大きな違いとなって、こうして現われたのかもしれない。

 それよりも彼等が去った今、一刻も早く宿屋を抜け出して、ポーアのもとへと向かわねばならない。この機を逃せば、その後どんなに反抗しようと、あとの祭りである。


 正面玄関から抜けるには、シェイドとフィニアの部屋の前を通らねばならず、しかも下の階の受付には誰かがいる可能性が高いため、ごく自然に窓辺から抜け出すことを考えた。

 思い至るや、ベッドのシーツをいくつも細長く裂き、端々を結び合わせると、扉のドアノブにくくりつける。

 下の階の窓に掛からない程度に、結んで紐状になったシーツを垂らし、ルアスはそれを伝って降り始めた。下の階の窓辺の真上まで来ると、飛び降りた。

 踏み潰した草の音と、土に足が僅かにのめり込む音と、振動とが響く。

 だがそれほど大きくなかったのか、近くに誰もいないからなのか、または動物かなにかの物音だと思われたのか、何者かがやってくるということはなかった。

 ルアスはこれ幸いと、辺りに気を配りながら走り出した。

 だがアーサーに目を奪われているとはいえ、先程の見張りはうろついているため、鉢合わせしないように気をつける必要はあった。


 そんな中でルアスは、暗い夜道に足をとられないようにしながら、頻繁に辺りを見渡し走っている。

 時には足を止め、家の窓から静かに中を覗き込んだりもした。

 けれど一向に見つからない。闇雲に走りはじめてから相当の時間が経ち、焦りが生じ始めた頃、目の端に鳥の翼の生えた子供の姿が目に映った。

 薄暗い中であっても造形から、子供が何者であるか、すぐにわかった。


「ポーア!」


 ルアスは少年ポーアを見つけると、辺りかまわず名を呼び叫ぶ。身を翻して近寄っていくと、やっと見つけたという思いから、胸を下ろし、安心しきった表情で見つめる。


「どうして来たの?」


 裏腹にポーアは最初に出会ったとき同様、いやそれ以上に暗い影のようなものが、表情に色濃くあらわれていた。

 声も、澄んではいるものの、深い闇の中に引きずり込まれたようなヒヤリとした感覚が迸っている。

 けして辺りが夕闇に沈んでいるせいだけではなく、ましてや子供とは思えないほど大人びた苦渋の表情が、より一層印象づけている。


 どんな形であれ無表情に近い印象を受けた以前よりも感情が表に現れているためか、親しみやすさはあったものの、以前とは違った意味で次の言葉を紡ぎ出せずに、ルアスは思わず取り乱してしまう。


「どうしてって、当然ポーアを連れて行くためじゃないか。ポーアも外に行きたいから、俺のところに来たんだろ?」


 ルアスは喜ぶと思っていただけに、思い描いていたものとは違う態度に拍子抜けどころか当惑してしまい、慌てふためきながらも来た理由を説明した。

 けれど当のポーアは無言のままで、身動きすらしようとしない。


「……最初から、ここに来なければよかったのに」


「ポーア?」


 なんのことを言っているのかわからず、ルアスは訝しげに目の前に立っている少年を見つめる。

 このとき周囲に複数の気配が集まっていることに、まったく気づかずにいた。

 それらが間近に迫ってきた頃になって地面の土や草を踏む僅かな足音が耳に入り、ポーアに意識を集中させていたルアスは、ようやく囲まれていることに気づいた。

 しかし完全に状況を把握する前に、背中を熱いなにかが走っていた。

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