五回
フィニアはその足でシェイドの部屋へと向かい、何度か扉を軽く叩いた。
中から入るよう促すシェイドの声が聞こえ、フィニアはその言葉通り静かに部屋へ入った。
見るとシェイドはベッドと平行した形で椅子に座っており、窓の外を眺めている。
どこか物憂げで、愁いているような印象を受けた。
同時にルアスの考えに、煮え切らない、今にも溢れ出しそうになる感情を押さえているようにも見える。
「あいつの様子はどうだ」
シェイドは窓から顔を移し、フィニアへと向けた。苛立ちはすぐには消え去らないようで、名残りが表情に僅かながら出ていた。
「少々苛立っているみたいですが、部屋を飛び出すほどではないようです」
「いい気味だ。頭を冷やすには、ちょうど良いだろう」
知らされた状況に、シェイドは薄っすらと笑みを浮かべた。まるで氷のように冷たく、鋭利な刃物のようだった。
その様を、フィニアは切なげに見つめている。
今のシェイドは、まるで自分の知らない人物のように映った。
幼い頃はこんな冷たい笑みを向ける人物ではなかった。だから切ない。
とても暖かく優しかった者達を変えてしまう世の中というものが、時間というものが、逆に心に重たく圧し掛かる。
だができる限り表に出さないよう抑えていた。
いつまでも立ち去ろうとしないことを訝しんだのか、シェイドがほんの僅か眉をひそめた。
「なんだ、まだなにか用があるのか?」
「え…。あ、はい。あの……」
「言いたいことがあるのなら、はっきり言え」
暫しの間、僅かながら瞑想に耽っていたフィニアは、ふいに言葉を投げ掛けられてうまく言葉が出てこない。
更にシェイドは容赦なしに促した。それによって背中を押されたフィニアは腹を据える。
「ルアスさんに、もう少し優しく接してあげられないのですか?」
「は? なにを言っているんだ」
言いたいことがあるならと促したのは彼なのだが、その切り返しは予想していなかったのだろう。不意打ちを受けたかのように、目を丸くした。
そこへまたしてもフィニアが言葉を紡ぐ。
「ケティルさんは、どうにもルアスさんに手厳しすぎると思うのです。気のせいかもしれませんが、なんとなく態度や言葉に刺のあるように感じるのです」
「なにを言うかと思えばそんなことか、馬鹿馬鹿しい」
シェイドは、まったく取り合おうとしない。
椅子から立ち上がると、仰々しく肩を下ろした。口元には、冷笑さえ浮かべている。
その様に引き下がることができず、フィニアは詰め寄った。
「馬鹿馬鹿しくなどありません。これは大事なことです。もちろんルアスさんに非があることも否めません。けれどもしも私の思い違いでないのなら、もう少し態度を柔和してくれませんか」
「…それは、ルアスに対する同情や憐れみからか? それとも純粋な優しさからか?」
「それは……」
「もしも同情や憐れみなら、どんなに言葉を巧みに使おうが、そう思っている時点で既に貴様もルアスと同類だ。それにだ。貴様がそんなことをして、あいつが喜ぶと思うのか。憐れみや同情は、結局そいつの自己満足だ。本気で相手のことなど考えていない。それがどれほど……」
立て続けにぶつける中で、フィニアの肩を強く掴み、熱く語りだしていた。
だが周りの状況を察する余裕を取り戻したのか、シェイドは徐々に冷静さが戻っていく。
フィニアは熱っぽく語る眼差しの向こうに、悲哀や怒り、悔しさなどが入り乱れているように感じ、言葉が出なかった。
それどころか悲しいほどに怖いと感じてしまった。
「……すまない」
シェイドは手を離すと、短く謝罪の言葉を紡ぎ、フィニアに背を向けた。
性格を考えるに、軽率で、相手を顧みない行動だと考えたのだろう。
「とにかく今は、頭を冷やしたい。フィニアは自分の部屋に戻って休め。明日も早いからな」
シェイドは先程とは違う、慈しむような声をフィニアに投げ掛ける。
フィニアはなにも言うことができず、俯いたまま、弱々しい足取りで部屋を去ろうとした。
するとシェイドはルアスに対する態度を改めるつもりはないと、きっぱりと言い放った。
聞くや扉を荒々しく開け放ち、フィニアは逃げるようにして、その場をあとにした。
シェイドは扉を閉めようとはせず、背を向けていた。
シェイドの表情には、苦渋の色が浮かび上がっている。
フィニアにまで当たるつもりはなかった。
最初は冷静に対処しようとしていた。
だがあまりに執拗に訴えてくる彼女に、理性を失って罵声を浴びせ掛け、脅えさせてしまったことは事実だ。
それでも考えを改めるつもりはない。謝る気もない。
フィニアに対して謝ったのは、ルアスに対する怒りや苛立ちを、彼女に八つ当たりしてしまったことに対してである。
『助けて……。一緒にあの悪魔を探してよ!』
昔、折り重なる死体の中で、たった一人で全身血まみれで呆然と蹲っていたシェイドに、その地へと訪れた者達が声を掛けた。
この地へと来たのは、サフィニア戦争終結直後、行く当てもなく安楽の地を捜していた妖精の群だった。
たまたまシェイドがいた地へとやって来た彼等が、心配して声を掛けてきた。
それに応えたのが、先程のシェイドの言葉だった。
けれどまだこのとき、現われたばかりの魔物の存在は、各地ではほとんど知られていなかった。
たとえ知られていたとしても、たった一匹で魔法の扱える者達を、シェイドを一人残して全滅させた化け物に太刀打ちできるはずもないと思ったのだろう。
理由はそれだけではないのかもしれないが、シェイドの言葉に対して返ってきたのは、予想以上に冷たい反応だった。
その後どんなに訴えても、泣き叫んでも、蹂躙しようとしても、結局覆ることはなかった。
それどころかシェイドを魔物に魅入られし者、魔物と心通わす者として遠ざけた。
シェイド一人が、生き残っていたから。
前後するように闇の精霊の長であるシェイドと名を改め、彼等妖精と相容れず、村の外れに住むようになったことも、更に歯尺をかけた。
同じ妖精なのに。なのになぜ、奇異な目で自分を見るのか。
向けられる無数の眼差しは、子供心にとてつもなく悔しく、哀しかった。
とてつもなく惨めなような気がした。
気に掛けてくれた、心配してくれたのだということよりも、同情や憐れみを掛けられたという思いが強く、それらが憎悪や嫌悪となってシェイドの心を支配した。
一時的な憐れみや同情が、中途半端な優しさが、どれほど心を傷つけたか知れない。
それでもあの村から離れなかったのは、情報を手に入れるためには打ってつけだったからだ。
なによりその地にあった想い出が、強く縛り付けていた。
それをルアスはわかっていない。
中途半端な憐れみが、どれほど相手の心を抉るのか。どれほど傷つけてしまうのか。
本当はルアスに向けるはずだった蟠りを、フィニアにぶつけてしまった。
それもこれも、すべてルアスのせいだ。ルアスを見ていると、昔の自分を思いだしてしまう。直情さ、純粋さ、彼の姉や幼馴染みだという少女に対する想いが、まるで自分の昔のようで落ち着かない。
胸の内に燻っている苛立ちと、まるで昨日のことのように思いだされる、当時感じた哀愁とが混じり合い、それが余計にシェイドの胸を焦がした。
*
フィニアは隣部屋へと入り込むと、扉に背をもたれ掛けながら、その場に座り込んだ。
フィニアはアーサーには目を向けず、顔を両手で覆い、体を小刻みに震わした。辛い、悲しいという思いはあるのに、なぜだか涙は出てこない。
『彼等のことが、そんなに気掛かりか』
アーサーは射抜くような眼差しで、フィニアを見据えながら問い掛けた。
そのようなことを聞きたくなかったフィニアは、顔を両手で覆いながら首を横に振る。
「わかっていながら、なぜそれを聞くのですか。どうしてお二人の仲裁をしてくださらないんですか!」
フィニアは心に蟠っていた疑問を、彼にぶつけた。
意に介していないのか、アーサーは平静に受け止めている。
『そなたが気に病む必要などないのだ。妖魔ガースが語っていたように、あの者達は互いのことを知らなさ過ぎるために足を引っ張り合ってしまう。それではいつか命取りになりかねん。互いを理解するには、多少は己の思いの丈をぶつけ合う必要がある』
フィニア、そなたも例外ではないと、アーサーはつけ加えた。
どうやらアーサーは現在彼等が共に集い行動している限りは、互いを知り、連携を持てるようになって欲しいという思いから、敢えて口を差し挟まず、傍観という位置に収まっていたらしい。
信頼関係で結ばれた者同士でも、危険に晒されることがあるのだ。
互いをよく知らなければ、肝心な場面で窮地に追い込まれてしまう。
つけ入られる隙は大きくなる。
しかもその相手が、魔物ばかりとは限らないだろう。そのことを心配しているようである。
けれどフィニアは、同意などできないはしない。
「…私は、怖いです。お二人が理解しあうことのないまま、離れてしまうことが怖いのです」
フィニアは顔を覆っていた両手を下ろし、顔を伏せたまま、体を震わす。
そして囁くように、自分の思いの丈を綴った。
怖くて仕方ない。怖いのは、ルアスとシェイドと自分とが仲違いをしてしまうことではない。
そのまま修復できなくなってしまうことが怖いのだ。
人間と妖精とが誤解と行き違いとによって起きてしまった十七年前の戦争以来、彼等双方は歩み寄ることなく、憎悪の上に憎悪を重ね続けている。
意地と固持と歳月によって、双方の仲は更に修復不可能となりつつあるようだ。
僅かだが通り過ぎてきた集落に住む者達の反応によって、実感としてフィニアの身の内を通り過ぎていく。
フィニアも幼いながら、サフィニア戦争を生き延びた一人だ。それを忘れたわけではない。
今もそのときの恐怖や脅えが、根底に残っている。
けれどいつかそれも、すぐに終わると思っていた。
人間にも友人がおり、今は争って入るけれど、再びやり直せる日が来ると信じていた。
しかし現実は違った。
いつか彼等のようにルアス達も理解しあうことができず、相手を憎みながらバラバラになってしまうことは恐怖だった。
ゴルファ洞窟で過ごしてきたフィニアにとって、必要以上に過敏になっていた。救ってくれたシェイドとルアスが、そのようになってほしくないのだ。
そんな思いがあるからこそ、フィニアはアーサーの言葉を素直に聞き入ることができない。
頷くことができない。
ならばどうしたらいいのだろうと、考えずにはいられない。
最善の方法を捜さずにはいられない。
答えが見つからないまま、辺りの景色は夜という名の闇に溶け込んでいく。




