二回
アーサーが指し示す通り、先程訪れた人間の村から南下している。
「ていよく地図を手に入れられて良かったよな」
足をもたつかせて道なき道を歩きながら、緊張感の欠片もなく、ルアスは語る。
人里離れた獣道を歩いていた。
シェイド曰く、獣が通るということは人や魔物が通る可能性が低いのだそうだ。
遭遇する可能性が低くなれば、無意味な争いは避けられる。
魔物を滅ぼすという崇高な目的のために旅を始めたのでも、裏を返せば自分の力量も顧みず飛び込むほど酔狂な真似をするために、旅を始めたわけでもない。
ましてや今人間と妖精の仲が不協和音とはいえ、魔物同様に敵対する者は全て排除しようという危険思想も持ち合わせてはいない。
さけられるなら、それが一番良かった。
「私はいつバレないかと、気が気でありませんでしたけどね」
もたつきながら歩くルアスとは違い、フィニアは軽々とその道を歩いていく。
そのたびに背中に生えている羽根が、軽く羽ばたく。ふわりふわりと歩く様は、まるで鳥のようだ。
アーサーはというと、まるで最初から所定位置が決まっていたように、フィニアの腕の中でだき抱えてられている。
「そっか。フィニアは耳だけじゃなく、羽も隠さなくちゃいけなかったんだよな」
「どこかの誰かとは違ってな」
シェイドのように耳だけを隠すだけならなんとかなるが、フィニアの背中には羽根が生えている。
見つからないよう隠すため、必死だったことを思いだした。
純粋に当初の目的である地図が手に入ったことを、浮かれて軽々しく口にしたことにルアスはバツの悪そうな顔をした。そこへすかさずシェイドが水を差す。
「それくらいわかってるよ」
顔をむくませながら、ルアスはブツブツと文句を垂れた。
*
人間達の住む村から出たのは、今から数日前のことである。
旅立った町から、思いのほか遠く離れた場所にあった。
外の世界に行くのはルアスにとって初めてのことである。
近くの集落へと行ったことのあるフィニアとシェイドでさえ、旅と呼べるものはしたことがないために、時間が掛かったのだろう。
最初の村が僅かに見えはじめ、辿り着いたときには、シェイドは顔を全部覆えそうなほどのパンダナを額に括りつけ、耳を隠した。
フィニアも同様に耳を隠し、足首まで届きそうなほどのマントを羽織った。
すぐ様当初の目的である世界地図と、これから旅先で必要になる道具や武器防具を揃えた。
戦争を境に交流や行商人の行き来が減ったことと、魔物が彼等の道中を阻むため、必然的に物資が乏しくなっていたようだ。おかげで必要な道具を揃えるといっても、充分にとはいかなかった。
それでも生活できるのは、交流が断絶していないおかげである。
ただし彼等と同族である人間のみに限られる。妖精と人間とは現在、絶縁状態なのだから。
見た目が人間にしか見えないルアスは別として、シェイドとフィニアが妖精だということが周囲に知れれば、災難を招くのは目に見えている。贅沢は言えず、長居は無用とばかりに、すぐ様村を去った。
人目を憚る意味合いもあって、現在は道とは呼べない獣道を歩いているのである。
「この地図は、ごく最近のものだな。十七年前に見た地図とは明らかに異なっている」
「そうなのですか?」
先を行くシェイドが地図を食い入るように眺めながら、誰ともなしに言い放った。
そこへフィニアが、何気なしに問い掛けた。
「見てみろ。サフィニア建国当時の地図だとしても、手に入れば幸いと思っていたが。人間の住処と俺達妖精の住処を色分けし、位置も正確に描かれている」
「……本当ですね。ここまで正確にはっきりと描かれているところを見ると、私達はよほど人間に嫌われているのですね」
「どうしてこれがサフィニア建国当時の地図じゃないなんて言えるんだよ。おかしいじゃないか」
見せられた地図を覗き込むフィニアは、同意するように頷いていた。
しかし同様に地図を見るルアスは、どうにもこうにも賛同できず首を捻る。
十七年以前の地図など知らない。それどころか、これまで見る機会などなかった。
取り残された気分で、眉をひそめる。
「そうでしたね、ルアスさんは当時のことを知らなかったんですよね」
「単なる言い訳に過ぎない。まったくこれだから無知は困る」
「ケティルさん!」
憮然とした表情で問い掛けるルアスに、シェイドはわざと大きな声で嫌味をぶつけた。
だがフィニアは当惑しながら、あんまりだというように声を荒げた。
当時を知っているのと知らないのとでは、まったく状況が異なる。
昔ならいざ知らず、現在ではお互いが共存していた頃のことを話す者など数少ないだろう。
そのことをシェイドが知らないはずはない。しかし聞く耳を持たぬように、二人から視線を逸らした。
フィニアは、困惑気味に短いため息をついた。ルアスへと視線を向けると、怒っているような酷く傷ついたような表情で噤んでいる。先程の一言が、かなり堪えたようである。
「……俺、シェイドに嫌われてるのかな」
「ルアスさん……」
消え入ってしまいそうなほどに囁くルアスに、シェイドの態度のためか、フィニアはなにも言えなくなってしまっていた。
シェイドは誰とも関わりを持たない偏屈者として扱われ、それに関して様々な噂は耳にしていた。
初めて会ったときも、どこか冷たい雰囲気があった。
しかし血筋など関係なく振舞うシェイドに好意を示し、ルアス自身も好意を受けていると思っていた。
だが今は皮肉をぶつけてくる。
最初からそんな人物だと言われればそれまでかもしれないが、少なくともゴルファ洞窟に同行してくれた時点では嫌われていないと思っていた。
こうして共に旅をしているのも、いい証拠だと思っていた。
先程の皮肉も正直怒りを感じたが、それを通り越して情けなくなった。
考えを突き詰めると、嫌な方向へと思考が向かってしまうことを恐れ、ルアスは振り払うように頭を振った。
心配そうに見つめるフィニアへと、ルアスは顔を向けて破顔する。
「ごめんフィニア、今のは気にしないでくれ。それよりその地図が今のものだって、どうしてわかるんだ?」
よけいな心配をかけてしまったことを詫びながら、ルアスは改めて地図のことを訊ねる。
二人が争う姿を見たくなかったのだろう。ルアスの様子に、フィニアは僅かに胸を撫でおろしていた。
「十七年以前と先程の地図の違いは、神殿があるないかでしょうね」
「そういえばサフィニア国ができるまでは神殿はなくて、集落が無数にあるだけだったよな」
地図のことを訊ねるルアスに、フィニアは説明をはじめた。
その横でルアスは彼女の言葉を聞きながら頷いている。
「ええ、そうです。神殿ができたのが、サフィニア国として一国にまとまった十九年前。けれど当時の地図と、一つだけ決定的に違うものがあります」
「決定的に違うもの?」
反芻するように訊ね返すルアスに、フィニアは確認するように頷いた。
「サフィニア戦争が起こるまでは、私達妖精と人間は共に暮らしていました。けれどあの地図は人間と妖精の住む集落を、はっきりと区別できるように描かれています」
「それじゃあさっきフィニアが、人間が妖精を嫌っているって言ったのは? 嫌っているなら、どうして妖精の集落を描いたりしたんだ?」
「きっと妖精側の集落に近寄らないためでしょう。位置さえ知っていれば、よほどのことがない限り近づこうとは思いませんから」
「あ、そっか」
フィニアの説明を聞いたあと、ルアスは納得して頷いた。
『それくらいのことは、すぐにでも察してもらいたいものだな』
「なんだよ、少しはフォローしてくれたっていいじゃないか。俺はアーサーの宿主なんだろ?」
『なにを今更。宿主を放棄しようという者が、よく言うものだ』
「う……。将来的にはそうだけど、今はまだ俺が宿主だろ!」
道筋を決めたまま、先程まで終始無言を決め込んでいたアーサーが突然声を出したかと思うと、ルアスの痛いところをついた。僅かに動揺し、思わずムキになり、少々尖った口調で言い返す。
更にため息混じりに切り返されてしまい、当惑しながら怒鳴ることしかできなかった。
フィニアは彼等のやりとりに思わず声を立てて笑う。その様にルアスは怒りや不満、憤り等が、どこかへと押しやられてしまった。そのまま項垂れるように、深いため息をついた。
「あら、やだ。すみません」
「いや、いいんだけどね」
不覚にも二人のやりとりに微かに声を上げて笑ってしまったことに、フィニアは申し訳なさそうに顔を赤らめた。
気さくな笑い声のおかげで逆に気が抜けてしまい、ルアスはどこかバツの悪そうな顔をした。
結果的には、あまり長続きしてほしくない感情が霧散してくれたことに安堵する。
「おいアーサー、ところで俺達はどこへと向かっているんだ。そろそろ教えてくれてもいいだろう」
先程まで会話に関わろうとも、視線を合わせようともせずに先を歩いていたシェイドが痺れを切らし、突然彼等の会話に割って入ってきた。
明確な行き先を告げられず、告げられたのは地図を買うために立ち寄った人間の村から南下するようにということのみで、延々と歩き続けている。行き先が気になるのは当然だった。
「そうでしたね。アーサーさん、私達はどこへ行くのですか? やはり地の神殿でしょうか」
「そういえば俺達、肝心なこと聞き逃してたな」
シェイドの一言により二人も思い至り、視線をアーサーへと向けた。アーサーは意志のしっかりとした青い瞳を携えたまま、視線を向ける者達にそれを返した。
『そうであったな。手始めに我等が向かう先は、水の神殿である』
淡々と当たり前のように話すアーサーの言葉に、シェイドとフィニアの二人は思わず顔を見合わせた。
ルアスはなぜシェイドとフィニアが困惑しているのかわからず、二人の顔を交互に見上げた。
状況についていけないルアスは、ただ一人カヤの外にいなければならない。
そのことに密かに、やはり少しは物事に関心を持ったほうがいいかもしれないと思いながら、最後にアーサーを見た。
「水の神殿といえば、ここから二つ程跨いだ先の神殿だ。だがここから一番近いのは地の神殿。なぜそこからではなく、水の神殿から行く必要がある」
「そうですよ。私達が一刻も早く精霊の長達の力を借りなくては、と言ったのはアーサーさんですよ。ならここから一番の近場である地の精霊の長、ノームのお力を借りるのが妥当ではないですか?」
地図を手の甲で軽く叩きながら、シェイドはアーサーに詰問した。
フィニアも同意するように、抱きかかえるようにして自分の腕の中にいるアーサーに問い掛けた。
「俺達のいた場所って、地の精霊の長が幅を利かせてるところだったの?」
「……ルアスさん、自分がどこの神殿の近くに住んでいるか知らなかったのですか?」
先程までの真剣な会話の中にルアスの気の抜けるような問い掛けが割り込み、彼等は気を削がれたように項垂れた。そこへフィニアが当惑したように訊ねる。
「ごめん。だって俺、今までそんなこと聞いたことなかったし、聞いても教えてくれるような奴なんていなかったし。二人みたいに別の町にだって一度も行ったことなかったし。そもそも地図なんて、見たのも今回が初めてでさ……」
ルアスはまたもや自分が情けなくなってきたのか、あとへ行くたび徐々に消え入りそうなほどの囁き声になっていく。
消え入りそうな声と共に、徐々に顔も俯き加減になっていく。
シェイドの盛大なため息が轟いた。
あからさまに説明するのが面倒、もしくは嫌気が差しているといった類いのものだった。
ルアスは更に気落ちした。いつ、もういいと突き放されるか、気が気でなかった。
そもそも旅にシェイドが同行したのは、アーサーがいたためである。
関わりのあるらしい魔族の一人と会うためだ。シェイドにとってみれば、宿主であるルアスは付属品でしかない。
魔法は一切仕えない。唯一自信のある剣の扱いも、しっかりとした手ほどきを受けたわけではないため、熟練者よりは劣るだろう。
もし特異な力があるとすれば炎の力だが、その力も使えると知ったのは、ついこの間である。けれど扱うことはできない。
姉であるシンシアを助け出すのには、告げられたように一人の力では到底無理だろう。
けれどそれ以上に混血児と知って、態度を変えることなく受け入れてくれた人物である。突き放されるのは嫌だった。シェイドの、ため息のあとに続く言葉が怖かった。
「いいか、ルアス。俺達が今までいた地方は、地の神殿があり地の精霊がもっとも勢力を伸ばしている場所だ。だがそれは地の精霊だけに限らず、他の神殿でも同じことだ」
シェイドのとった行動は皮肉でも突き放すような言葉ではなく、地図をルアスによく見えるように目の前に差し出して説明する姿だった。
とっさに状況についていかれず、素早く瞬きをした。
先程のように嫌味をぶつけられると思っていた。シェイドは戸惑うルアスなど気にもとめず、更に説明を続ける。
精霊のあらましを教えてくれているのだと知ると地図へと目を向け、聞き逃すまいと必死になった。
「なぜなら精霊というのは、自分の属性の色濃い場所を好む。己の持つ属性と逆の場所でも存在できるが、力は極端に弱まってしまう。だからこそそれぞれの精霊の縁の深い場所を見つけ出し、神殿を立てたんだ。そしてアーサーの示した場所が、地の神殿より更に東にある水の神殿だ」
ルアスに地図を見せながら自分達の現在地、もっとも近い神殿、神殿の作られた理由、これから行こうとしている神殿を、シェイドは簡単に説明した。
真剣に聞いていたルアスは首を傾げ、アーサーに疑問の声を上げる。
「え、そうなの。なんでだよアーサー」
『それを今、説明するところだ』
アーサーは目を閉じて待っていたのか、シェイドの説明を終えたあと、ゆっくりと目を開ける。
『他の精霊の長達は偏屈者や、プライドの高い者が多い。水の精霊ウンディーネが他の精霊の長達よりもっとも御しやすく、他の精霊よりもっとも高い治癒能力を持っている』
「他の精霊達でも癒しの魔法は使えるのでは。とくに植物の精霊ドライアートは……」
『たしかに少々の傷の治癒なら良いだろう。癒すという意味では同じだが、ドライアートは主に精神の治癒なのだ。だがこれから先数多くの魔物達と戦うのならば、それでは駄目なのだ』
アーサーの説明に疑問を感じたフィニアは割って入るも、簡単にはねのけられた。だが納得したのか、それ以上追求せずに無言で続きを促した。
『ならばもっとも治癒能力が高く、もっとも心優しき精霊ウンディーネの協力を得るのが一番良いのだ。他の精霊の長の力を借りるにしても、どれか一つの精霊の長を味方につける必要がある』
「なるほどな。だがそれでは能率が悪くはないか?」
『その通りだ。しかし順を追って行ったとしても、協力を得られなければ意味がない。多少能率が悪くとも、可能性の高い方を選ぶのが当然であろう』
「えらく自信家だな。まるで最初からなにもかもわかっているような口振りだ」
アーサーの説明には説得力がある。
だが同時に違和感を憶えたシェイドは、差し図るような眼つきで睨めつけた。
『当然だ、我は彼の精霊の長達と馴染みがある。だからこそ彼の者達の性格が良くわかるのだ』
「馴染みがあるのなら、なぜ水の精霊の長からなんだ。神話の時代を生きていた白竜の姿をし、魔族や魔物の長とも馴染みが深く、さらに精霊の長達とも面識がある。貴様は一体何者なんだ」
『先程も言ったが、我は精霊の長達の性格をよく知っている。それ故にこの方法のみしかないのだ。だがシェイドよ我の詮索をする前に、まずは汝の力を高めることに専念したらどうなのだ』
皮肉ではなく率直に語るアーサーの言葉に、シェイドは図らずも眉をひそめた。
よほど癇に障ったらしい。けれど反論はしなかった。代わりに底光りするような暗く鋭い眼光を叩きつける。
対照的にアーサーは、いかにも涼しげである。
「そこまでにしておけよ。今は仲間割れしている暇なんてないんだろ」
「そうですよ。とりあえず行き先も、理由もわかったのですから、今はそれでいいではないですか」
実際にはしないだろうが、一触即発のような怒りを迸らせるシェイドにフィニアとルアスが割って入った。
シェイドは舌打ちをしながら踵を返し、背を向け、ある程度彼等から距離を置きながら先を急いだ。
アーサーに対する怒りもそうだが、今の自分の表情を見られたくないという理由もあったためだろう。
いつの間にか歩みを止めていたが誰もが、無言のままシェイドに続くように再び歩き始めた。
先を行く彼の後ろ姿を見ながら、ルアスは一人思った。
不協和音のようなこのメンバーで、はたして本当にこの旅を乗り切れるのか。
それを思うとルアスは俄かに不安が過ぎった。
シェイドは魔族の一人に借りを返すため、フィニアは今まで殺めた者達への償いのため、ルアスは魔物に攫われた姉を救出するため。アーサーは魔物の統率者たる人物を滅すること。
どれもが各々の力だけで、成し遂げることは難しい。とくにアーサーがしようとしている事柄は。
ルアスは自分の姉を救出次第、抜けるつもりでいる。
けれど今のままでは、それすらも難しい。フィニアへと目を向けると、同じような考えに至ったようで、うっすらと困惑気味の表情を浮かべている。
今ならまだ引き返せる段階なのかもしれない。
同じ混血児である別の誰かと組んで、旅に出る方法だってあったのかもしれない。
けれどルアスは、それを選びたくはなかった。
アーサーの聲に導かれ、シェイドとフィニアに出会ったから。混血児だからと、差別はしなかった彼等に。
だからこそルアスはどうしても、二人と行きたかった。理由は、それで充分だった。
向かう先は水の神殿、水の精霊の長たるウンディーネの待つ場所。たとえ途中で抜ける旅だとしても、せめてそれまでは互いの気持ちが通うことのないまま、信頼してもらえないまま決別してしまうのは嫌だった。




