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君のツバサ  作者: 水無月
最終章
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最終章-5

 空の少し冷たい手に触れながら、私はなかなか言葉が出なかった。


『行かないで』


 そのひと言が、どうしても口に出せないでいた。

 でも、それ以外の言葉が思い浮かばなくて、しばらくただ空の瞳を見つめる。

「…寒い?」

 何も言わずに不安げな顔をしている私を見て勘違いしたのか、小首を傾げて気遣うように見つめる空。

 そんな小さな優しさに、思わず笑みが浮かぶ。

「ううん。大丈夫だよ。そうじゃなくて…」

「…羽美?」

 空は心配そうに私の名を呼ぶと、上に重ねられていた私の手をそっと握ってくれた。

 何故だか、胸がきゅうっと締め付けられる。

 傍にいてほしいと思う。

 だけど、こんな優しい空だからこそ、多くの人を助けられるだろう。

 空にとって、何が一番いい道なのか。

 ここで穏やかに暮していても、心の中で抱き続ける罪の意識は増すばかりかもしれない。

 命の危険すら伴う厳しい世界でも、多くの人を助けて心苦しさが和らぐのなら、それもまた幸せの形の一つかもしれない。

 だから、私の願いは口にする事ができなかった。

 私の思い描く幸せと、空の感じる幸せは違うかもしれないから…。

「私は、空がどんな道を選んでも応援するよ。それが、空が自分自身で選んだ道なら」

 空を見つめ、私は精一杯の笑顔を浮かべてそう言った。

 本音でもあり、嘘でもあった。

 止めたい気持ちと、応援したい気持ちが渦巻いていた。 

 この前のように、誰かに脅迫的に選ばされた道ならば迷わずに止めることが出来る。

 だけど今回は違う。

 空が自分で考え、選ぶ事が出来る。

 どの道を選んでも、その先に何が待っているかはわからない。

 どちらも幸せかもしれないし、どちらも悲しみが待っているかもしれない。

 どうなるかわからないからこそ、自分で選んで進む事に意味がある。

「どんな道を選んでも、辛いことも楽しいこともあると思う。だけど、空ならきっとどこにいても大丈夫だよ。その温かくて優しい大きな翼で、どこまでも羽ばたいていける。穏やかで青い大空も、暗い嵐の夜空でも」

 私の言葉に耳を傾けながら、空は澄んだ瞳でじっと私を見つめていた。

 私の想いをちゃんと受け止めようとするように…。

「でも、一人で無理はしないで。空は自分に厳しいから、辛い気持ちも隠そうとするから、それは心配だよ。私は空に幸せでいて欲しい。だから、傍にいても、たとえ離れてしまっても、私は空の羽を休められるとまり木でありたい。安らげる場所でいたい。何があっても、どんな辛いことがあっても、空には帰る場所がある。それは忘れないで」

 傍にいて欲しいという想いを隠した上での、精一杯の言葉。

 空はしばらく無言で私を見つめた後、ポツリと呟くように声を漏らした。

「…人に木と書いて休む」

 そう言って、空は柔らかに目を細めた。

「…心が安らぐ休む場所がある俺は…それだけで幸せだ」

「空…」

 穏やかな笑みにつられるように、私も微笑みを浮かべた。

 空は行ってしまうかもしれない。

 だけど、安らぐ場所と言ってくれたのは嬉しかった。

 空は優しい眼差しで私を見つめると、手を握っている方とは逆の手で私の頭にそっと触れる。

 優しく髪を撫でる、少しごつごつした大きな手。

 その心地のよさにほんの少し目を閉じた時、ふっと空気が動いた気がした。

 目を開いた時に瞳に写ったのは、空の顔。

 その距離の近さに気付く前に、空の唇が私の唇にそっと触れた。

 ほんの一瞬の、柔らかで暖かな感触。

 何が起こったのか理解する前に、空の顔が離れる。


「…おやすみ」


 驚きのあまり固まっている私に、空は何事もなかったかのようにいつもの調子でそう言うと、ゆっくりと腰を上げた。

 そして、そのまま居間を後にする。


「ふぇ?」

 ひとり残された私は意味不明な声を上げ、それから一気に全身が熱くなった。

 紛れも無く触れた唇と唇。

 空に…キスをされた……。

「えぇぇぇぇ!?」

 唇を押さえて思わず叫ぶ。

 まだ感触の残る唇と空の匂いが残った服が、さらに鼓動を早めていた。

 心臓の音が周りにも聞こえているんじゃないかと思うほど大きく聞こえる。

 前に、レイに妙な事を吹き込まれていた為キスしようとした時とは違う。

 空自身の気持ちがこもっている様な気がした。

「別れの挨拶じゃ…ないよね?」

 ドキドキしながらも、抱いている不安が思わず零れ落ちる。

 とその時、背後で深いため息が聞こえた。

 驚いて振り返ると、そこには帰ったはずの大地の姿。

「だっ!?え?かえっ…!?いつっ!?」

「動揺しすぎで何言ってるかわからないけど…羽美の様子が心配でさっき戻ってきたんだけど?」

 意味不明の私の言葉に正確な返答をした大地は、少々不機嫌そうな顔のまま私の隣にどさっと座った。

 未だ真っ赤に染まったままの私の顔を、横目でちらりと見つめる。

 それから両手を斜め後ろにつくと、星空に視線を移した。

「バカだな、羽美は」

 呟くような大地の声は、言葉とは裏腹に優しさがこもっていた。

 意図がわからなくて横顔を見つめる私に、大地は空を見上げたまま言葉を続ける。

「言えばいいのに、傍にいてほしいって」

「え…?」 

「昔っからそうなんだ。大切な人に自分の想いを伝えられない。自分の両親にも大和さんにも、もっと一緒にいてほしいって言えばよかったのに結局言わずじまいで、気遣わせないように遠慮してる」

 そこまで言って、大地はゆっくりと顔を動かし私を見つめた。

 切なげで優しい瞳。

 私の心の中を覗くかのように、大きな瞳で真っ直ぐに見つめている。

「だって…言ったら困らせるから…」

「大切な人に傍にいてほしいって言われて、嫌な人間はいない。そりゃ、羽美の両親も大和さんも、実際には傍にいられないかもしれないけど、でも想いは伝えた方がいい。羽美だって嫌だろ?大切な人の願いに気づけないままじゃ」

「…うん」

「大切だからこそ、苦しい思いをするときもある。でも、それを乗り越えてこそ本当の絆が得られるはずさ。遠慮してたら、逃げてたら…俺みたいに堂々巡りで何も変わらないぜ?」

 寂しげな笑みを浮かべながら、大地はそっと私の手をとった。

 いつのまにか落ち着きを取り戻した私の手を、励ますように優しく握る。

「朝宮もまだ迷ってる。羽美の気持ちを知りたいと、そう思ってる」

「そうかな…。確かに少し迷ってるかもしれないけど、でも、もう行く事を決めてる気がするよ?」

 私の言葉に、大地は首を振った。

「あのな、羽美。あいつは決めてたら誰にも話さずにある日突然『行く事にした』とか言い出すか、いきなりいなくなるタイプだぜ?わざわざ羽美と話をしたのは、迷ってるからだ。頭ではレイ達と行った方がいいと考えてるのに、心がそれを受け入れてないからだ。朝宮のことを大切に思うなら、ちゃんと素直な気持ちを伝えた方がいい。そのほうがあいつの為にもなる。それを聞いた上で自分の道を決めさせるべきだ。後悔させたくないだろ?」

「大地…」

 私の事も空の事も、ちゃんと考えてくれる大地の心が嬉しかった。

 いつだって、迷ってる私を助けてくれる。

 言葉にしなくても、本当の気持ちに気付いてくれる。

「なんだよ…泣くなよ」

 気を張っていたのが解き放たれ、思わず涙を流した私に困ったような笑みを浮かべながら、そっと頭を撫でてくれる大地。

「ま、一人で泣かれるよりは俺の前で泣いてくれる方がいいけどさ」

「うん。ありがと、大地」

 不安な気持ちを洗い流すかのようにしばらく静かに涙を流す私を、大地は暖かく見守ってくれていた。

 そして、しばらくすると私の横顔を見つめ、口を開いた。

「気持ちを伝えても、それが叶わないのは怖いかもしれない。でも…」

「でも?」

 言葉を飲み込んだ大地を先を促すように見つめると、大地は切なげな笑顔を浮かべ、私の頬に流れる涙をそっと拭った。

「誰かの代わりにはなれないけど…俺はずっと傍にいるから。辛い事があっても、羽美が笑顔になるまで俺は隣にいるから。だから…羽美も思い切って自分の思うままに羽ばたけばいい」

「ありがと、大地。私も大地の傍にいるよ。いつだって、羽を休める場所になるから…」

 笑顔を浮かべて口を開いた私に、言葉の途中で大地はすっと顔を近づけた。

 驚いて目を見開いた私の額に、大地の唇が触れる。

「俺も、これくらいは許されるよな?」

 赤くなって額を押さえた私に、少し照れつつ笑みを浮かべる大地。

 驚いて見つめたままの私の手をとると、立ち上がる。

「さ、風邪引く前に寝た方がいい。余計なこと考えて眠れなくならないように、眠るまで傍にいてやるよ」

「…子守唄は?」

「歌は得意じゃないけど、お望みなら」

 クスクスと笑いあいながら、手を繋いで私の部屋に向かう。

 昔も今も、傍にいてくれる大切な人。

 

 空にも、こんな安らかな時間をもっと過ごして欲しいと、そう願った。


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