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君のツバサ  作者: 水無月
最終章
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最終章-4

 母が二人を連れてホテルへ戻り、大地も自宅へ帰ると、家の中は急に静かになった。

 広い家に、今は三人だけ。

 もし、空がいなくなったらもっと…。

 溜息をつきながら湯舟に沈み込むと、ぶくぶくと湯が泡だった。

 それをぼぅっと見つめながら、自分がこんなにも動揺していることに驚きを覚えていた。

 まだ空が遠くに行くと決まったわけではない。

 ただその可能性が出来ただけ。

 それなのに、どうしてこんなに胸が騒ぐのだろう。

 空と出会ってから数カ月。

 いつの間にか、こんなにも大きな存在になっていたという事だろうか…。

「空…」

 呟くように名を呼んで瞳を閉じると、浮かぶのは空の穏やかな微笑。

 本当に時々しか見せないけど、ふわりと心を暖かくしてくれる笑顔。

 それをもっと見ていたいと思う。

 でも、私の我侭な気持ちを押し付けてはいけない。

 空には、空の考える人生があるはずだから。


 もやもやした気持ちを振り払うように、私はぴしゃっと自分の頬を叩いた。

 お風呂から出る前に落ち着きをとりもどさなければいけなかった。

 空が自分の未来を考える時間を邪魔しない為に。



 のぼせそうになるまでお風呂につかり、気持ちをなんとか整理した後居間に戻ると、縁側に空が座っているのが見えた。

 そばに置かれた湯飲みから湯気が立ち上り風に運ばれているという事は、ずっとそこにいたわけではないのだろう。

 どことなく憂いのある背中。

 視線は夜空に浮かぶ満月に向けられているようだった。

 私は、声をかけようか少し迷う。

 きっとレイが持ち込んだ話を考えているのだろうし、一人の方がいいのかもしれない。

 そう思って静かに立ち去ろうとした時、ゆっくりと空が振り向いた。

 目が合うと、じっと私を見つめる空。

 私がどうしていいのか躊躇っていると、空は立ち上がり、居間の机の上に置かれた急須にお湯を注ぎ、私の湯飲みにお茶をいれてくれた。

 どうやら一緒にいていいらしい。

「ありがと」

 手渡された湯飲みを笑顔で受け取り、再び縁側に戻って星空を眺める空の隣に並ぶ。

 しばらく、言葉もなく二人で夜空を眺めていた。

 何でもないような事でも、隣に大切な人がいるだけで心地良いものに変わる。

 不安な心も、少しずつ穏やかになっていった。

 まだ夜は少し寒いが、両手で包み込んだ湯呑みと、すぐ隣にいる空から伝わる体温が温かかった。


 少しして、突然空が動いたので隣に視線を向ける。

 と、目の前に広がる黒い物体。

 何かと思ってキョトンとすると、次の瞬間には空の顔が見え、肩にふわりと何かが触れた。

 目の前の空は、半そでのTシャツ一枚の姿に変わっている。

 肩にかけられたシャツからは、ほのかに香る空の匂いと僅かに残った体温。

「…湯冷めする」

「ありがと。でも、空も寒いでしょ?風邪ひいちゃうよ」

 かけてくれたシャツを返そうと手をかけるものの、大丈夫といったように首をふる空。

 私は微笑みを返すと、そのままありがたく羽織らせてもらった。

 シャツの暖かさよりも、その心遣いの方が温かい。

「…ここは暖かくて、心地いい」

「え?」

 呟くような言葉に、隣に座る空を振り仰ぐと、空は夜空を静かに見つめていた。

「…こんな俺でも、受け入れてくれた。この家も…学校も」

 柔らかに目を細める空の表情からは、優しさと、そしてどこか切なさがあった。

 私は、そんな空の横顔をただじっと見つめる。

 空の心を、知りたかった。

「…大切な事を、教えてもらった。大事なものが、少しずつ、増えた…」

 思い浮かべた大事なものを大切に心にしまうように、静かに瞳を閉じる空。

 綺麗な横顔が、何故か少し寂しい。

「それは、いい事だよね?」

 少し不安になって尋ねた私に、こくり頷く空。

 しかし、瞳を閉じたまま口を開いた空の声は、痛みを堪えているように苦しそうなものだった。

「…大事な事に気付く度、大切なものが増える度…自分が奪ってきた物の大きさに気付く。罪の重さに気づく…」

「………」

 私は短く息を飲み、きゅっと唇を噛んだ。

 すぐに、言葉が出てこなかった。

 どんな事をしても、過去は変えることが出来ない。

 空の背負うものを、消す事は出来ない。

 今までも、空は自分がしてきた事への罪の意識は持っていた。

 でも、閉じ込めていた心が解き放たれるほど、優しさや、大切な想いを知るほど、それはよりいっそう強いものへとなっていったのだろう。

 自分を責めている空の悲しい声が、胸に突き刺さる。

「…いつか、言っていた。傷付ける為に得た力も、今度は人を守るために使えばいい。今までに得た知識も運動神経も、人の心の痛みも、これからに活かしていけばいい…と」

「あ…」

 私がいつか言った言葉を、ひと言ひと言かみ締めるように口にした空に、私はドクンと心臓がなった。

 今、その『活かす場所』が空の前に広がっているのだ。

 今の穏やかな生活の中でも、空は誰かを守ったり、その優しさで心を救う事もある。

 でも、既に高校生の域をとっくに超えた学力や知識、運動神経などの能力を最大限に活かし、人を救う事のできる場所は、確かにここではない。

 母の下で働く方が、より多くの人を守り、助ける事が出来る。


 でも……。


「空は…どうするのが一番幸せ?」

「……?」

 突然返された問に、小首を傾げる空。

 不思議そうな眼差しを私に向けている。

「確かに、どんな事情があっても背負うものは消えないと思う。その罪を償おうとするのも、大事な事だよ。でも、空自身の幸せだって、同じくらい私は大切だと思う。空は自分自身の悪意で人を傷つけたわけじゃない。今までだってずっと苦しんできたんだもん。これから幸せになってほしい。悲しそうな顔で、罪を償わないで」

 空の瞳をまっすぐに見つめながらそう言った私を、空はしばらく見つめた後、その大きな手で私の頭をそっと撫でた。

 口元には、僅かな微笑み。

「…ありが、とう」

 吐息のように零れ落ちた言葉は、温かい声だった。

 でも次に、空は静かに首を振った。

 そして、再び星空を仰ぐ。

「…だが、やるべき事と、望む事は、同じではない。どちらかしか選べないのならば…俺は……」

「空っ」

 その先を聞きたくなくて、思わず床に置かれた空の手をぎゅっと握る。

 驚いたように私を見つめた空の澄んだ瞳を、私はただじっと見つめていた。


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