最終章-3
後で叱られる…とは国に帰ってからと思いきや、母は彼らと一緒に日本へ帰ってきていたらしい。
夜になって帰宅した母に道場内できっついお叱りを受けたらしいレイとリフは、他のみんなが居間でお茶をすすっているにもかかわらず、廊下で慣れない正座を強いられていた。
「空くんはいいのよ、今の生活に馴染んでいるし。いくらサポート体制がしっかりしてるとはいえ、危険な仕事に変わりはないわ。望む者だけがやればいいの」
二人が空を母の作ろうとしているチームにスカウトした事を聞いた母は、真剣な面持ちで空と話をしていた。
それは私の前で見せる母としての表情ではなく、仕事をしている時の神崎星良としての顔。
二人が言ったようなメリットだけではなく、数々の危険も伴うとデメリットを丁寧に説明していく。
そして、一通り話を終えるとようやくいつもの母らしく表情を和らげた。
「レイはただ単に空くんと一緒にいたいだけで、よく考えもせずに我侭言っているだけなんだから気にしなくていいのよ」
「セイラ…」
反論しようとしたレイに母の射抜くような鋭い視線が突き刺さり、そのまま大人しく口をつぐむレイ。
隣でリフが笑いを堪えている。
母の話を黙って静かに聞いていた空は、考え込むかのように目を伏せていた。
レイが持ちかけていた話に、心が揺れているのかもしれない。
そんな神妙な表情の空をしばらく見つめていた母は、少しすると口元に優しい笑みを浮かべた。
「まぁ、レイと同じく自分の我侭を言わせてもらえば、私は空くんにはこの家にずっと居て欲しいの。あなたのご両親と交わした約束を実現できたら嬉しいし」
「…両親…約束?」
母の言葉に反応して顔を上げた空は、不思議そうに首を傾げた。
他の皆も興味を示し母の顔を見つめると、母は少し悪戯な笑みを浮かべる。
「そ。将来、お互いの子供を結婚させようって」
「…っごほっ!!」
お茶を口に含もうとしていた私は、思わずむせる。
確か、空が初めて家に訪れた時にそんな事もありえると思った気がするが、まさか本当にそんな約束をしていたとは…。
「ちょっ…けほっ…お母さん、何言って…」
「何を驚いてるの?」
きょとんとした空の横でむせながら口を開くと、母は楽しげな笑みを浮かべた。
「最初に言い出したのはあなたよ?『空くんとけっこんするー』って言うから、それは良いねって話になったんだもの」
「んな!?」
「…なるほど?」
「いや、そこ納得しないで空」
記憶にない話を持ち出されて驚く私とは対照的に、何故か納得している空に思わず突っ込む。
以前父様が昔私も空に会ったことがあると言っていたので、きっとその時の話だろうが、相当小さい時だ。
空が組織に連れて行かれる前なんて、おしゃべりが出来るようになったくらいじゃないだろうか。
「二人が結婚してくれたら、きっと天国のご両親も喜ぶわよ」
「セイラ…俺より我侭なこと言うてるで…」
空ににっこりと微笑んだ母にレイが半眼でぼそっと抗議をするが、母は聞こえないふり。
唇を尖らして小さく息をつくレイと一緒に、私も苦笑と共にため息をつく。
母は空を引き止めたくて言っているのだろうが、はたしてこの説得は効果があるのか果てしなく疑問だ。
ようやく感情を解放できるようになった空が結婚や恋をどう思っているのかとその横顔を見上げた時、隣から冷たい空気がじわりと伝わってきた。
びくりとして恐る恐る逆の方向を向けば、先ほどまでずっと黙って話を聞いていた大地がにっこりと微笑んでいた。
「へぇ…親公認の婚約者かぁ」
棒読みのような言葉に、大地の不機嫌さが伝わってきて冷や汗が流れ落ちる。
子供の頃の約束だというのに、時々怒りの沸点がわからなくて焦ってしまう。
「レイさんって、笑顔で怖い人が好きですよね」
大地のイラついたオーラに、しみじみと呟くリフ。
母は私に怒る事は少ないが、確かに大地と似た雰囲気があるかもしれない。
レイは否定できないようで、苦笑を浮かべていた。
「でも、子供の頃の話しだし」
「ふぅん、そう」
私の言葉に不機嫌な相槌をうち、ゆっくりと湯飲みを口に運ぶ大地。
どうしようかとその横顔を見つめていると、静かに事の成り行きを見守っていたおじい様が口を開いた。
「ろくに子育てもしてこなかったお前が、そんな夢だけを子供に押し付けるものではないぞ、星良」
たしなめるようなおじい様にこくこくと頷く私。
しかし、おじい様はやはり母の親だったらしい。
「羽美には大地と結婚して、二人で道場を継いでもらう予定だしな」
「ぐほっ!!??」
育ててきた自分にこそ言う権利があるとばかりに言い切ったおじい様に、むせ返る大地。
私も呆然とおじい様を見つめる。
「し、ししょ…」
「なんだ大地、不満なのか?」
「え、いや、そういう事では……」
平然としたおじい様に、大地は珍しく顔を赤くして口ごもる。
そんな大地を不思議そうに小首を傾げて見つめる空。
目の前では、互いに自分の意見を通そうと静かに火花を散らしている母とおじい様。
その中で、私は苦笑を浮かべるしかなかった。
話がそれまくった上に、妙な方向で盛り上がっているが、おじい様と母相手には突っ込むことすら出来ない。
そんな中、レイがすっくと立ち上がった。
「なんなら俺がもらってやってもええで!ハーフの子供はかわい…がふっ!?」
話に混ざりたかったのか、明るく声をあげたレイの顔に湯飲みが二つヒットする。
そのまま庭に落ちるレイに降り注ぐ冷たい声。
「冗談でもやめろっ」
「空くんでも大地くんでも十分子供は可愛いと思うし、アホな子の血はうちには必要ないわ」
「跡継ぎにしては品が足らんな…」
「レイさんの子じゃ見た目可愛くてもうっとおしそうですよねー」
軽い冗談に散々な言葉を浴びせられ、庭でしゃがみこんでいじけるレイ。
「ひどい…俺だけ差別や……」
皆本気で言っているわけではないし、レイも突っ込まれることも楽しんでいる様だが、空だけは心配そうに立ち上がるとレイの傍に歩み寄った。
そして、レイの頭をそっと撫でる。
「…頑張れ?」
「ソラー!」
嬉しそうに抱きつくレイとなすがままになっている空を見つめ、母はふっと穏やかな笑みを浮かべた。
おじい様も大地も優しい瞳になる。
「あんなに優しいんだもの、戦場は似合わないわ…」
空の頭の中から戦いの場に戻る道を忘れさせたくて、違う話題に摩り替えたのだろう。
母は大切な宝物を見るような眼差しで、空を見つめていた。
だが、母の呟きに頷きながらも、空が行ってしまいそうな不安は拭えなかった。
その優しさが、空を遠くに連れて行ってしまいそうだった……。