第9章-11
光を浴びて立っていたのは、本来は肩より長い黒髪を一つにまとめ、動きやすそうな黒のパンツ姿の背の高い女性…。
母さんだった。
その横には、穏やかな笑みを向けている父様の姿。
二人の後ろには、武装している数人の部下らしき人々が銃などを構えて立っていた。
「チェックメイト?この状況、分かっているのかしら」
そう言ってマスター…エキドナと呼ばれた彼女は、私のこめかみにゴリっと銃口を押し当てる。
三人の少年達が息を飲むのをよそに、母は冷めた眼差しで娘に銃口を向ける彼女を睨み付けた。
「だから?」
「!?」
母のひと言に、驚いたように目を見開くエキドナ。
母は不敵な笑みを浮かべている。
「今回はあなたを捕まえるのが任務なのよ。人質救出じゃない。取り逃がせばあんたの愚かな行為で傷つく人は一人じゃすまない。身内のために、他を犠牲にするわけにはいかないわ」
「なっ…」
予想外の言葉だったのか、先ほどまで強気一辺倒だった彼女は少しうろたえた様な顔になる。
母に対する最終兵器の予定の人質が、あっさり切り捨てられたなら確かに戸惑うだろう。
「あんた、自分の子供が大切じゃないの!?」
銃口を押し当てたまま叫ぶエキドナを嘲笑うように一瞥してから、父の方に顔を向ける母。
「やだー、月也。エキドナなんかに常識的な説教されちゃったわ」
「意外だね。一般的な見解も持ち合わせてるなんて。ただの変人かと思ってたのにね」
ふて腐れたように言った母に、なだめる様ににこやかに答える父。
言っている事はともかく、見た目はただの仲良し夫婦である。
「あんたたちっ…。本当にこいつを殺すよっ!!」
「どうぞ?でも、その時があなたの終焉の時でもあるわね」
だんだんとヒートアップしていくエキドナをよそに、あくまで余裕綽々な母。
腕を組んで、まるで彼女を見下すような視線を向けている。
とことん挑発的だ。
ぎゅっと唇をかみ締めた彼女と、しばらく無言でにらみ合いが続く。
そんな中、空たちがいる方向から僅かに声が聞こえた。
視線を向けると、動こうとした大地をレイが必死に止めている。
痛むはずの体でレイの腕の中でもがき、口を押さえられている大地が睨みつけているのは、私に銃口を向けている彼女ではなく、母のほうだった。
悔しそうな、泣きそうな表情の大地。
私の命よりも任務を遂行しようとしている母を許せないのだろう。
母親に見捨てられる悲しさを、大地は身にしみて分かっているから…。
だから、母に何か言おうとしてくれているのだ。
だけど、私は不思議と傷ついてはいなかった。
確かに、言葉だけを聞いたら酷い事を言われていると思う。
仕事のためにほとんど一緒に過ごしてくれた事がないだけでも嬉しくはない状態なのに、その仕事のために命まで好きにしろといわれたら、さすがに酷すぎると思う。
だけど、時折私に向けられる父や母の視線の中には、上辺の言葉以上のものが込められていた。
言葉だけが真実じゃない。
不器用ながらも私を大事にしてくれてきた両親を、信じるべきだと思っていた。
「…あんたも可哀想な子供ね」
両親に何を言っても無駄だと思ったのか、今度は私に声をかけるエキドナ。
哀れむような声だ。
「あんな両親を持って。あんたに死ねっていってるのよ?」
「別に可哀想じゃないわ。むしろ、可哀想なのはあなたじゃない」
「なんですって?」
落ち着いたのも束の間、すぐに苛立った声に戻る。
形成が逆転されて、焦りもあるのだろう。
「私には信じられる人が沢山いる。大事な人も沢山いるわ。あなたにはそんな人いる?お金や権力なんかじゃなく、ただ人として信じられる大切な存在」
「そんなもの必要ないわ。お金と権力さえあればなんだってできる。そんなのはただの甘っちょろい戯言よ」
ふんっと鼻で笑うエキドナ。
「だから可哀想なのよ、あなたは。愛された事がないのね。もしあったとしても、気づかなかった。何よりも大切にすべき事に」
「小娘…この状況がわかってるの?」
私の言葉が気に食わなかったのか、脅すような声で銃口を押し当てるエキドナ。
だけど、私は気にすることなく言葉を続けた。
「お金や権力だけで、本当に満たされるの?もしあなたが今の私と同じ状況になったとして、冷静でいられる?お金も権力も何も持っていない自分を、命懸けで守ろうとしてくれる人はいる?守りたい人は、いる?」
信じているから、怖くはなかった。
命懸けで守ってくれた人がいるから、強くなれた。
守りたい人がいるから、負けるつもりはなかった。
そんな気持になれる私は、たとえどんな状況に置かれていても可哀想などではない。
寧ろ、そんな大切な事に気づけない彼女の方が悲しい存在だと思った。
「そんなもの私に必要ない。自分さえよければそれでいいもの。自分を守る盾なんてお金でいくらでも買える。他人がどうなろうと知った事ではないわ。その為にあなたを殺し、あの女たちを殺して、私はより大きい組織の幹部になって返り咲くのよ」
高らかに笑い声を上げる彼女。だが、その声は虚しく倉庫の中に響いただけだった。
「気づいてないの?」
「何がかしら?」
バカにしたように言った彼女に、黙って見守っていた母が口元に微笑を浮かべて口を開く。
「そのお金で買った盾、逃げちゃったけど?」
「なっ…」
先ほどから、背後にあったはずのもう一つの気配がなくなっていることに、彼女は全く気づかなかったようだった。
「言っとくけど、外にいたあなたの部下全員、私たちなぎ倒してきたから」
「っ…」
エキドナの銃を持つ手は僅かに震え、怒りに満ちた顔で母を睨みつけている。
「お金や恐怖での支配は、縁が切れるのは容易い。でも、心のつながりは何よりも強い。覚えておいた方がいいですよ」
「この、小娘がっ!!そんなものあっても、この指先の動き一つであんたの人生終わるのよ、分かってる!?」
脅すような声。私が答える前に、そんな彼女に微笑を返す母。
「やってみたら?でも悪いけど、あんたにあっさりやられるほど軟な娘に育てた覚えはないわよ」
自信たっぷりに宣言する母に、ぽんっとその肩に手を置く父。
「でも星良さん、僕たち子育てほとんどしてないよ?」
「…と、うちの爺さんが言ってたわ」
父の突っ込みに、微妙な訂正を付け加える母。
プチ夫婦漫才に、背後でぷちっと堪忍袋の緒が切れる音が聞こえた気がした。
ぞわっと寒気がし、私は身を硬くする。
「お望みどおりにしてあげるわっ!!」
エキドナがそう叫ぶとともに、ぐいっと髪の毛を引っ張られる。
彼女の指に力が込められようとしているのが分かった。
そして次の瞬間、ドゥンっと銃声が鳴り響いた。