第9章-10
倒れて動かない大地に駆け寄ったレイは、震える手でその背に触れた。
だが、大地はピクリとも動かない。
至近距離から銃弾を受けて平気なはずがない。
体中から力が抜け、頭の中は真っ白になっていた。
幼い頃からずっと一緒にいて、誰よりも私の事を思ってくれる大切な人。
私の、大好きな人。
これからもずっと一緒で、失うかもしれないなんて考えもしなかった。
もし、このまま大地が動かなかったら……。
呆然とする私のこめかみに、冷やりとしたものが触れた。
そして、カチリと音がする。
「無駄な抵抗もここまでね」
横に向けた視線の先には、引き金に指をかけ、銃口を私に突きつけたマスターの姿があった。
口元には楽しげな笑みを浮かべている。
「空、退きなさい。この子を撃つわよ」
その声に交戦中だった空の体は一瞬硬直し、その瞬間鋭い蹴りをまともにくらい、後方に吹き飛ばされた。しかし、なんとか受身は取れたようだ。
僅かに顔をゆがめながらも、吹き飛ばされた近くにいたレイたちの側へ移動していく。
そんな空の姿を一瞥すると、彼女の部下は自分のマスターを守るべく彼女の元へとやってきた。そんな彼に、満足げな笑みを浮かべる彼女。
「さぁ、どうしようかしらね。どの子を最初に痛めつけたら一番楽しいのか迷うわ」
クスクスと楽しげに笑う声が耳につく。
凍りつくような気持とともに、胸の奥から沸々と熱いものが込み上げてきていた。
好ましい感情ではないものが、抑えきれないほどに溢れ出てくる。
動かない大地のそばに空も跪き、そして呆然として青ざめていたレイが恐る恐る大地を抱き起こすのを見ながら、私は拳をきつく握り締めていた。
大地がどうして撃たれなければならないのだろう。
大地は狙われる理由などひとつもないのに。
ただ、大地は守ろうとしてくれただけ。
空を、レイを、そして私を。
勇敢で、優しかっただけ。
それなのに、どうして…。
怒りや憤り、そして憎しみが私の中を駆け巡っていた。
ぎゅっと唇をかみ、涙で歪んだ視界の中で、大地を抱き起こしたレイがはっと目を見開いた。
顔に浮かんだのは悲壮な表情ではなく、僅かな希望。
「ハニー、しっかりするんや!」
叫ぶレイの横で、空は大地の呼吸や脈を調べている。
よく見れば、撃たれた大地に触れている二人に血がついた形跡はない。
大地の背中しか見ておらず、頭が真っ白になって気づかなかったが、床にも血が流れた形跡はなかった。
真っ暗になっていた心に、希望の光が差し込む。
「あら、おちびさんなのに意外としぶといのかしら?」
マスターの呆れたような面白がるような声の後、大地の体がピクリと動いた。
そして、苦しげに数度咳こむ。
「大地!」
私の声が背中越しに聞こえたからか、身を捻ろうとした大地はびくっと体を引きつらせると支えていたレイの腕に倒れこんだ。
「…動くな。肋骨が数本折れてる」
「うる…せ」
空の冷静な注意に大地は苦しげにそう言いかえすと、無理矢理に体を起こし、私の方に体を向けた。
そして、私がおかれている状況に顔をしかめる。
「ハニー、無理したらあかん」
「アホか…お前…ら。なんで、羽美を…」
「せやかて、普通は怪我してるほうにいくやろ」
「んな時だけ…普通に…なるな」
心配するレイに、怒っている大地。
大地の服の胸元には、黒く焼け焦げたあとがあった。
「普通の学生が防弾チョッキとはね」
彼女の言葉で、大地が何故血を流していないのかようやく納得する。
確かに、父や母が銃を持たせておいて防御を何もさせないわけがない。
「…っきしょ…着てんのに…役にたた…ね」
「…至近距離で銃弾を受ければ、骨くらい折れる」
悔しげな大地に、冷静な空の突っ込み。ムッとした大地をレイが心配そうに支えている。
怪我をしているものの、大地の命に別状がなくほっとして、涙がさらに零れ落ちた。
もし、大地があのまま動かなかったと思うと、怖くてたまらない。
命だけは失ったらもう二度と得る事はできないから…。
「まぁ、可愛い坊やが生きていた方が面白いわね。この子が目の前で死んだら、どんないい表情してくれるのかしら」
大地の生死などまるで些細な事のように、さらりとした口調でマスターはそう言った。
苦しげな表情のまま睨みつける大地に、ピリッとした空気を纏う空とレイ。
大地が無事だった事で冷静さを取り戻したのか、二人とも再び臨戦態勢に入ったようだ。
だが、状況は良くなかった。
大地が撃たれたショックで油断してしまった私のせいで、空もレイも身動きが取れないだろう。
三人の方に向けて、彼女の部下が銃を向けている。
余裕綽々の彼女達に対し、私たちはそれぞれ今の状況をどう脱しようか必死に考えを駆け巡らせた。
その時だった。
最初に反応したのは空。そして、レイ。
二人につられて視線を移動した大地の口元に、不敵な笑みが浮かぶ。
次の瞬間、薄暗かった室内がカッとまぶしい光に照らされた。
「チェックメイトよ、エキドナ!」
光を背後から受け浮かび上がる影が高らかに発したその声は、聞き慣れた懐かしい声だった。