第9章-3
暗く沈んだ二人の瞳を、私は順番に見つめた。
今までの人生で、どれだけの絶望をその目に映してきたのだろう。
もうこれ以上、悲しい現実を見つめてほしくはなかった。
私は、ゆっくりと息を吸う。
「二人は、ここにいればとりあえず安全なんだよね?」
確認するように問うと、レイはゆっくりと頷いた。
「せやな。マスターは刃向かう者には容赦せんが、自分に従う者は可愛いがるお人や」
「そうだよね」
そうじゃなければ、レイだって彼女の元には戻らなかったはずだ。
従っていれば、レイも空も命は保障される。
「だったら、私は逃げない」
「…それは…駄目だ」
「私は死ぬつもりはないよ、空」
不安そうな空に、私は微笑んだ。
「じゃあ、どないすんねん。逃げなきゃ、殺されるで?命ごいが通用する相手やない」
「一緒に逃げれば、私だけじゃない。空も…レイだって危険かもしれない。だったらまだここにいた方がしばらくは安全だと思う」
「…だが」
問うような二人の視線を受けながら、私は自分の考えを続ける。
「だって、ただ命を奪うだけが目的なら、もうとっくに殺されてると思うの。だけど、私はまだ生かされてる。ねぇ、レイ。あの人の性格から考えて、それはどういうことだと思う?」
問いながらも、先ほどの話を聞いてなんとなく答えはわかっていた。
「ただ死体を転がすよりも…、目の前で大切なものを失わせようと考えてるかもしれへんな。その方が、より相手にダメージ与えられるからな」
「私もそう思う」
空とレイの前で、彼らを守ろうとした人を葬ったのも、二人に二度と逆らう気を起こさせないための戒め。
恐怖で支配しようとする人なら、相手をいかに傷付けるかを楽しむ人なら、私は両親が来るまでは生かされると思った。
「だったらなんやねん」
「一人で敵わないなら、誰かと力を合わせれはいい」
私は、そっと空の手を握った。
戸惑うように揺れる空の瞳をまっすぐに捉える。
「一人で戦う事なんてないよ。重いものを、一人で背負う事無い。人は誰かと共に生きていくものだから。空は一人じゃないんだよ。今までだって、そうだったでしょ?レイも居てくれた。助けようとしてくれた人もいた。今はもっと、空のこと思ってくれる人がいる。だから、一人で全て背負って命をかける必要なんてない」
「………」
空はただ、私をじっと見つめていた。
冷やりとしたこの空間の中で、静かに時が流れる。
私は手の温もりと共に、心も伝わるように祈りを込める。
「空。あなたを助けてくれた人は、空に組織の恐ろしさや、何かを守るために命をかける事を教えたかったわけじゃないよ。空に幸せになってほしかったの。空が、大切だったんだよ。その気持を無駄にしちゃだめ。その人の分まで生きなきゃ。私は、諦めない。自分の命も。大切な人の命も。だから、空も信じて。生きて、幸せになる事を…」
そう言って空に微笑みかけてから、立ったまま私たちを見つめていたレイに視線を移す。
「もちろん、レイもね」
「お前はほんま…おかしな奴やな」
呆れつつも、少し優しげなレイの声。
空はただ、私の手をそっと握り返す。
「空だけじゃ危険でも、うちの両親がいれば形勢は逆転できるかもしれない。今は、そっちに賭けるほうが安全だと思う。だから、もう少し待とう」
「…怖くは…ないのか?」
心配そうな空が呟くようにそう言った。
怖くないと言えば嘘になる。
今は二人が傍にいるから、平気なだけかもしれない。
一人になったら、また恐怖が襲ってくるだろう。
それでも、空やレイを危険にさらすよりはいいと思った。
「大丈夫。空の気持で私は十分勇気をもらったよ」
「…俺の…気持ち?」
「うん。助けると言ってくれたその優しさが、私を支えてくれる。だから、平気だよ、空。ありがとう」
「…………」
ふわりと、空の瞳に何かが宿った気がした。
それは、暖かな灯火の様な光。
握り締める手に、優しく力が込められる。
「空が居てくれると、心が強くなれるの。だから…一緒に帰ろうね、空」
そう言った後、私は再び空の腕の中にいた。
逞しい腕が、ぎゅっと私を抱きしめている。
「約束だよ、空」
「…わかった」
耳元で囁くようにそう言うと、空は静かな声でそう答えてくれた。
気持が通じたことが嬉しくてほっと笑みを浮かべた時、空の肩越しにレイと目が合う。
穏やかでいて、でも厳しさも含んだ表情。
「命はあっても、無事とは限らへんぞ」
忠告するような、淡々とした声。
「見も心もぼろぼろになったお前を、セイラにつきつけるかもしれへん。セイラをおびき寄せる前に、何をされるかわからんのやぞ?セイラが来るまでソラを危険にさらせんというなら、それまでに何されても助けられん。それでも、ええんか?」
私の心を確かめるかのように、まっすぐに見つめるレイ。
でも、私の心は決まっていた。
「たとえ何されても、命があるならいいよ。力で敵わなくても、心は絶対に負けない。命と気持さえ守れれば、私の勝ちよ」
「…大した度胸や。本当の絶望、味わっても知らんぞ?」
「心配してくれてありがとう、レイ」
「忠告しとんのや。礼を言うとこちゃうわ」
呆れたようにため息をつき、そして微笑むレイ。
受け入れてくれる場所があれば、レイも闇の世界で生きる必要はないに違いない。
不器用な優しさを持つ人…。
二人の自由な未来を得るためにも、両親を守るためにも、まずは私が頑張らなきゃいけないと、そう覚悟を固める。
「私は大丈夫だから、二人はもう行って。見つからないうちに、ね。来てくれてありがとう。心強くなったよ」
空から体を離し、顔を見つめてそう言った。
不安の残る表情ながらも、空は静かに頷いた。
「…必ず…守りに来る」
「うん」
笑顔で頷いた私の頭を、そっとなでる空。
そんな空を見つめながら、レイは床に置かれていたロープを拾い上げる。
「解けやすいように結んどくわ」
「ありがと。一度解いた事、わからないように…」
そこまで言った時、穏やかになりかけていた空間に亀裂が入る。
空とレイが、同時に凍りついたかのように身を硬くし、そして同じ方向に視線を向けた。
「何をしていたのかしら?」
楽しげな声と共に、光が差し込み、扉が開く。
冷たい瞳で笑みを浮かべている女性が、そこに立っていた。
彼女の背後に立っている数人の男たちが、空とレイに銃口を向けている。
「しばらく仕事を離れていると腕が鈍るのかしらね、空。盗聴器をつけられているの、気づきもしないなんて」
「!?」
はっと息をのむ空。
レイも身を硬くしたまま、身じろぎもできないでいる。
「裏切り者はどうなるか…知っているわよね?」
クスクスと楽しげな笑い声が、冷たく無機質なこの空間に不気味に響き渡った。