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君のツバサ  作者: 水無月
第七章
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第7章-14

「…すまない」

 空は静かにそう呟いた。

 伏し目がちな視線は、私の膝の上の大地に向けられているようだ。

「空が悪いんじゃないよ」

 目を閉じたままの大地の髪をそっと撫でながら答える。

 空は静かに首を振った。

「何を、言われたの?」

 急に虚ろな眼差しになってしまった空が心配だった。

 五分待つという彼女の言葉も気になる。

 空が自分の元に戻るという自信が、彼女にはあるのだ。

「…今まで、世話になった」

「空?」

 別れの挨拶とも取れる言葉。

 道端の塀に寄り掛かりながら静観しているレイの口元が微笑みを浮かべる。

「…そう、伝えてくれ」

 意識を失っている大地にもということだろう。

 私から大地に視線を移して空はそう続けた。

 でも、私が聞きたいのはそんな言葉じゃない。

「どうして、空!?あの人に何を言われたの?」

「………」

 何も言わず、ただ足元に視線を落としているだけの空。

 大地が膝の上にいるので立ち上がるわけにはいかない。

 でも、ちゃんと空の顔を見て話したかった。

「空」

 手を取り、ぐいっと下にひっぱる。

 空は抵抗することなく、うつむいたまま腰を落とした。

 手の届く高さになった空の頬を両手で包み、私と視線が合うように顔を上げさせる。

「ちゃんと目を見て話して」

「………」

 空はただ、影の落ちた瞳で私の視線を受け止めるだけだった。

「空…。空が小さな頃から心に呪縛をかけられてたこと、知ってるよ。暗示を解かれたって、心に受けた傷が簡単に癒えない事もわかってる。だけど…負けないで。あの人と一緒に行く事が、空の本当の望みじゃないでしょう?」

 戸惑うように、空の瞳が僅かに揺れた。

「私や大地や、他のみんなだって、空の力になりたいんだよ。一人で抱え込まなくたっていいんだよ。空が本当に望む場所が今いるここじゃなかったとしても、羽を休めるとまり木にはなれない?ほんの少しでも、疲れた心を癒す場所にはなれないかな?空が本当に望んでどこかへ行くなら止めない。だけど、そうは見えない。無理しているようにしか、見えないの。いつか自分が自ら選んだ大空へ羽ばたくまで、ここにいてよ、空」

 もう一度、空の瞳を闇に染めていた場所へ戻したくなんかなかった。

 やっと、少しずつ表情を取り戻し始めたのに…。

 空の優しさが、みんなにも伝わり始めたのに…。

「………」

 空はゆっくりと腕を上げ、自分の頬に触れている私の手を触ろうとし、直前でその手を止めた。

 悲しそうな瞳で、その手を再びゆっくり下ろす。

「空?」

「…傍に、いてはいけない」

「え?」

 呟くような空の声に、思わず聞き返した。

 空は、そっと瞳を閉じた。

「…いつか、誰の背にも翼があると言っていた」

「うん」

 紗雪に話した事を言っているのだろう。

 覚えていてくれた事が、なんだか少し嬉しい。

「…お前の翼は…名前のとおり美しい羽。純白の、穢れなき翼…」

 そう言ってゆっくりと目を開き私を見つめた空の瞳は、とても優しかった。

 どきっとしながらも、その瞳をまっすぐに見つめ返す。

 だが、空はすぐに視線を落とした。

 苦悩するような眼差し…。

「…だが、俺の翼は血で穢れている」

「そんな事っ」

「…目に見える手も、目に見えない翼も、血と罪で穢れている。周りにいる者も、きっと穢してしまう。だから、傍にはいれない」

「そんな事ないってば!」

 何かを吹き込んだあの女性に怒りが込み上げた。

 空に、こんな思いを抱かせるなんて……。

「私は空の過去を知ってて、今まで一緒に暮らしてきたんだよ。今更気にするわけないでしょ」

「…本当の過去は…知らないはずだ」

「それは…」

 空の言葉に怯んだ私の手を、空はそっとはずした。

 そして、ゆっくりと首を振る。

「…ここには、いられない」

「空…」

 静かだが、揺るぎない空の言葉に、気がつけば涙が零れ落ちていた。

 自分のためじゃない。

 空は、周りにいる他の人のためにここを去ろうとしている。

「いかないで…」

 ようやく絞り出した声にも、空は首を振った。

 どうしていいか、わからなくなる。

 ようやく通じ合えるようになったと思っていた空の前に、今は大きな壁がつくられているようだった。

 混乱してうまくまわらない頭の中で、何かが引っかかる。

 こぼれる涙を拭うことなく、それを頭の中で必死に手繰り寄せる。

 すっかり忘れていた、事実。

 父様が空にかけたという、新しい暗示。

「行くなって命令なら、聞いてくれるの?」

 私の言葉は絶対に守ると言っていた。

 命令などせずとも、空は言い返すようなことはした事が無かったから、そんな事は忘れていた。

 暗示で意のままにするのは嫌だった。

 だけど今は、その暗示がまだ効いて欲しいと願っていた。

「………」

 空は少し思案するような顔をしていたが、しばらくしてそっと首を振った。

 そして、ゆっくりと口を開く。

「…月也が言ったことなら…嘘だ」

「え?」

「…安心させるために、嘘をついたと言っていた。月也はただ、お前の言葉を信じろと…そう言っただけだ」

「そう…だったんだ……」

 父様に怒りを覚えた事を反省しつつ、よけい空を失いたくないと思った。

 何も知らない相手だった私を、信じてくれた空。

 その無垢な心を、もう一度苦しめたくなんてない。

「だったら、もう一度信じてよ。私は、何があっても負けないから。力は無くても、空を守るから」

 泣きながらそう言った私の頭を、空はいつものように優しくなでてくれた。

 柔らかく目を細め、優しい眼差しで見つめながら。

 だけど、それは最後の別れの儀式のようだった。

 大きな手のひらから温もりは感じるのに、遠くに行ってしまいそうな感じが増していた。

「時間やで」

 時計を見てそう言ったレイに頷くと、空はゆっくりと立ち上がった。

 座り込んだままの私をもう一度優しく見つめると、踵を返して車へと向かっていく。

「空っ!!」

 叫ぶように名を呼んでも、振り返らずに歩を進める空。

 あきらめたくないのに呆然として何も出来ない私の腕の中で、大地がゆっくりと起き上がった。


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