第7章-10
ようやくの登校日。
警戒しながらの通学だったが、幸い何事もなく無事に学校に着く。
教室が事件の現場となった我がクラスは、生徒の心境を考えて空き教室へと移動になっていた。
移動になった教室に近づくと、なんだか騒がしい。
ニュースでも報道されるほどの事件だったから、話したい事もたくさんあるからだろう。
そう思って教室の扉を開ける。
「おはよう!」
その瞬間に、すっと騒ぎが引いた。
クラスのみんなが、私を…その後にいる空を見つめていた。
決して好ましいとは言えない視線。
「おはよ。どうしたの?」
大地が嫌な空気をものともせず、いつも通りの天使の笑顔で話しかける。
戸惑うように視線をそらす人が多い中、慌てた仕草で何かを隠していた森田だけが大地の視線を受け止めた。
教室をよく見れば、黒板には何かを慌てて消した跡。
「なんでもない。いきなり開いたからびっくりしただけだよ。な」
クラスのみんなに微笑みかけると、何人かが調子を合わせるようにぎこちない笑みで頷いた。
でも、どう見たって不自然だ。
「何隠してるの?」
明るく穏やかに微笑みつつも、有無を言わせぬ雰囲気で森田に歩み寄る大地。
「え、いや、何もっ!!」
「なーに?」
目の前で大地に愛らしく小首を傾げて微笑まれ、森田は冷や汗をたらして固まる。
その隙を狙って、すばやく伸ばした手で森田の背後から何かを奪う。
どうやら写真らしいそれを見た大地を、教室中がどんな反応をするか固唾を呑んで見守っていた。
「へぇ…よくできた合成写真だね。誰が作ったの?」
「いやっ、朝来たらもう貼ってあったみたいで…」
「こんな偽写真見て騒ぎ立てて、楽しい?」
止めようとする森田を無視して、クラスメイト全員に問う大地。
柔らかな声とは裏腹の怒りに気づいてか、皆気まずそうに目をそらすだけだ。
「大地、合成写真って?何が写ってるの?」
傍に歩み寄ると、大地は何も言わずに私に写真を渡した。
そこには、拳銃を持ち、返り血を浴びた空の写真…。
先日の事件のものではない。
「何…これ……」
呆然と呟く私の背後で、空が静かに首を振った。
自分ではないという事だろう。
「こういうくだらない嘘の画像、最近は素人でも簡単に作れるからね」
そう静かに言うと、今度はゆっくりと黒板に歩み寄る大地。
乱暴に消された文字達は、よく見れば何が書いてあったか少しわかる。
『犯罪者』『殺人犯』
読み取れない文字達も、こんな酷い事が書いてあったのだろう。
「なんで、こんな事…」
「神崎、朝来たらこうなってたんだ。うちのクラスの奴じゃない」
きゅっと唇をかんでうつむいた私に、森田がフォローするようにそう言った。
「だから、みんなで写真をはがしたし、黒板の文字も消した。お前らが来る前にって思ったんだけど…」
「じゃ、その視線は何なのかな?」
天使の笑みも穏やかな口調も崩さないものの、いつもは隠している瞳の奥の冷たさが滲み出ている大地に、クラスメイトは萎縮する。
静まり返る教室の中、誰かがたまりかねたように『でも…』と声を発した。
「朝宮は、平気で銃を撃ったじゃないか…」
その言葉で口火を切ったかのように、クラスメイトの間から、次々とつぶやきのような声が漏れ始める。
「そうだよ…。神崎が人質に取られてたのに…普通じゃないよ」
「他の二人を倒したのもさ…」
「だよな。強すぎだよ…。おかしくないか?」
「血を見ても、顔色一つ変えないし…」
悪意のない言葉たちが、一つ一つ胸に突き刺さる。
あの恐怖の体験で、みんなの心が普通の状態じゃないのはわかっている。
あの場を一人で収めた常人とは違う動きの空に、恐怖を重ねてしまうのも理解できなくわけじゃない。
みんなだって被害者だ。
悪くないのはわかってる。
でも、それでも、そんな眼差しで空を見て欲しくなかった。
「空が、みんなに何かした?」
震える私の声に、再び教室が静まり返る。
「何か、みんなに危害を加えるような事、一度だってした事がある?」
気まずそうにうつむくクラスメイト。
空はただ静かに、私の後ろに立っている。
「あの時だって、みんなを守るために動いただけじゃない。早くみんなを助けたかったから、やった事じゃない。それの、何がいけないの?人と違う事が、そんなに悪い事?」
重苦しい空気。
大地だけが、優しい眼差しで私を見つめている。
「ちゃんと、空を見てよ。今、ここにいる空を見て。今までと、何か違う?いつもと同じ…優しい空だよ」
悔しくて、悲しくて、思わず涙が零れ落ちた。
空がそっと優しく頭を撫でてくれる。
それが、さらに涙を誘った。
「神崎…」
目の前にいた森田がそっとハンカチを差し出してくれる。
それを借りて、ぐいっと涙を拭った。
他のクラスメイト達はうつむき、何も言葉を発しない。
「勉強もできる。運動神経もいい。ルックスもよくて、無口でミステリアスだけど、ちょっと天然っぽい所がまた可愛い…。そうやって、自分達の予測できる範囲の時は騒ぎ、頼り、憧れる。だけど、それだって勝手にお前らが抱いただけのイメージだ」
突然少し乱暴な口調になった大地に、クラスメイトが驚いて顔を上げた。
大地の顔を見れば、天使の笑顔は剥ぎ取られ、凍りつくような冷たい眼差しをクラスメイトに向けていた。
「それが、自分達の理解の範疇を超えたとたん、恐れ、軽蔑する。冗談じゃねー。勝手に期待して、勝手に裏切られた気分になって、当人は何一つ変わったわけでもねーのに、手のひらを返したような嫌な視線向けやがって」
だんっと怒りを込めた拳を黒板にぶつける。
その激しい音に、何人かがびくっと身をすくめた。
「自分は何一つかわっちゃいないのに、勝手に期待されて、勝手に失望されて…。それがどれだけ人を傷付けるのか、わかってんのか?人の事ちゃんと見ようとしねーくせに被害者面してんじゃねーよ。お前らがしてることは、たとえ悪意がなくても、最低の事だっ!!」
そう叫ぶように言うと、大地は大またで私のところまで歩いてきて、ぐいっと手を掴んだ。
そして、空を見上げる。
「帰るぞ、朝宮」
頷く空を引き連れて、私を引っ張るようにして教室の入り口に向かう。
「だ…大地」
おずおずと名前を呼ぶと、大地は教室を一歩出た所で立ち止まり、クラスメイトを振り返る。
そこには、いつも通りの天使の笑顔。
「それじゃ、みんなバイバイ」
愛らしい声でそう言って、ぴしゃりと扉を閉める。
静まり返っていた教室からは、爆発したような勢いでざわめきだす。
空の写真よりも、大地の豹変の方が衝撃らしい…。
人との関わりが苦手で、だからこそいつも穏やかな笑顔の仮面をつけていた大地。
「なんて顔で見てんだよ、羽美」
つないだ手を離さぬまま、大地が苦笑いを浮かべてそういった。
「だって…」
「羽美を泣かせるような奴らに、作り笑顔浮かべてられるわけねーだろ」
「…なるほど」
当然っといった顔の大地に、空がなにやら納得している。
堪忍袋の緒が切れた理由が私というのは、大地らしいといえば大地らしい。
「ま、あいつらも根はいい奴らだから、しばらくすれば目が覚めんだろ。俺らはその間に、諸悪の根源を片付ければいい」
手をつないで歩きながら、大地はそう言った。
みんなを嫌いになったわけじゃないと、ほっとする。
そう。悪いのはみんなでも空でもない。
この事件を起こした、組織の残党なのだから……。