第6章-4
霧雨で少し霞んで見える庭を、私は縁側に座りながらボーっと眺めていた。
大地は冷えた体を温めるために、お風呂に入っている。
私の頭の中では、ぐるぐると色んな考えが浮かんでは消えていた。
今、自分が何を考え、何を求めているのか、よくわからなくなっていた。
と、とんっと私の横に何か置く音が耳に入った。
ふっと我に返ると、湯飲みを持った空が私の横に座るところだった。
視線を落とすと、私の手元にも湯飲みが置かれている。
部屋に行っていたはずなのに、いつの間に下りてきたんだろう。
「ありが…と」
そう言うと、空はただこくりと頷いただけで、霧雨に濡れる庭を眺めている。
手に取った湯飲みから伝わってくる温もりが心地よい。
何も言わずただ傍にいてくれる空も、心地がよかった。
「…なんで、子供を産んだりするんだろうね」
思わず、言葉が零れ落ちた。
事情を知らない空に言っても、意味がわからないとわかっているが、それでも傍にいてくれる安らぎが私の口を開かせていた。
「愛せないなら…必要ないなら…どうして……」
ずっと前から時折胸に渦巻く想い。
空は俯き気味の私の横顔を、しばらくじっと見つめていた。
「…月也も星良も、面会にくるたびにお前の事を話していた」
「え?」
突然空の口から両親の名前が出て、私は顔を上げた。
「…沢山の写真を…いつも見せてくれた」
「私…の?」
空はこくんと頷く。
「…お前の事を話している時、二人とも幸せそうだった」
「………」
私はきゅっと唇をかんだ。
大切に思ってくれていることはわかっている。
頭では、ちゃんと理解しているんだ。
でも……。
「そんなの…自己満足だよ」
私の言葉に空は何の反応もせず、ただ私をじっと見つめている。
それに促されるように、言葉が後から溢れてくる。
「ずっと仕事ばかりで、傍にいてくれる事なんて殆ど無くて…。口だけで愛してるなんて誰だって言える。写真だけ眺めて幸せぶるなんて…ずるいよ」
大地の事で悩んでいたはずなのに、いつのまにか自分の想いに摩り替わっていた。
ずっと…小さい頃からずっと傍にいてくれることを願っていた。
一緒にいられないのは自分がいい子じゃないからかもしれないと、いい子になろうと必死だった。
それでも、二人は私を自分達の傍には置いてくれなかった。
誕生日だって、クリスマスだって、お正月だって…何回一緒にいられただろう?
送られてくるプレゼントだけで、本当に喜ぶ子供がいるだろうか?
寂しくて…せめて一緒にいるおじい様に可愛がってもらいたくて、武道を始めた。
おじい様は、いつも武道に夢中だったから。
武道を始めなければ、自分を見てもらえないと思っていた。
「遠い場所から言葉を伝えるだけ、お金を送るだけ。一緒にいてくれたことなんてほとんどなくて…。育てる事もできないのに、何で産んだりしたんだろう」
愛してると言ってくれるのは嬉しい。
でも、実感はいつもなかった。
空虚な言葉。
大地のように、傍にいて必要ないと言われるほうが辛いと思う。
でも、愛してると言いながら全く傍にいてくれなかったのは、必要ないと言われているようだと、いつも心のどこかで不安に思っていた。
だから…同じ想いがいつもどこかにあったから、大地と分かり合えたのかもしれない……。
「……すまない」
「え?」
空の言葉に、耳を疑って聞き返す。
「…すまない」
空は、もう一度繰り返すようにそう言った。
「空は、悪くないよ。空に私の事を話してたっていうのは、嬉しいと思うよ」
「…違う」
「何が?」
空は、僅かに目を伏せた。
「…オレのせい…だから」
「だから、何が?」
私と両親の関係に、何故空が謝るのかわからなかった。
しかし、空は関係ないと思っていないようだった。
「…本当は、一緒に暮らすつもりだったと言っていた」
「私と…両親が?」
こくんと空が頷く。
「…だが、オレの両親が殺された。オレも…行方不明になった」
淡々と、悲しい過去を話す空。
何が言いたいのかまだよくわからなくて、私は空をじっと見つめていた。
「…両親は、月也と星良と同じ仕事をしていたらしい。国際的な警察組織…」
そう、私の両親の仕事はそういうものだった。
おじい様も元警察官。
そういう家系だった。
「…オレと、同じ目に合わせたくなかったらしい」
「……」
「…傍において危険な目に合わせるよりも、安全な日本で暮らした方が、お前のためだと…。それに…敵を討つまで、仕事をやめるわけにもいかなかったと…」
「………」
「…オレが…事件に巻き込まれなかったら…お前も両親の傍にいられた。だから…オレのせいだ。……すまない」
言葉が出なかった。
両親の気持ちはわからなくはない。
昔からの親友であり同僚だった空の両親が事件に巻き込まれ、その愛息子までが危険な目に合ったら、私は安全な場所に置いておきたかっただろう。
大切な人を失って、そのまま何もせずに仕事をやめられる人たちじゃないのもわかる。
予想外の事件で、両親も身を切る思いで私を遠い日本に送るしかなかったのかもしれない。
でも…それよりも、空の気持ちに涙が出そうだった。
一番辛い思いをしたのは空のはずなのに、何故私に謝るんだろう。
両親が健在なのに、愛していると言われているのに、それでもそれ以上のものを求めて贅沢を言っている私に…。
空は…何一つ悪い事などしていないのに……。
「空のせいなんかじゃないよ。それに…空が今ここにいてくれるのは父様たちが仕事をやめなかったからだよね。だったら、いい。今まで寂しかったけど、悲しかったけど、その代わりに空が助けられたのなら…今ここにいてくれるのなら、いいよ。その事が、何よりも嬉しいと思えるから」
涙目で微笑む私を、空はじっと見つめる。
表情は相変わらず乏しいが、感情はずいぶんと豊かになったと思う。
瞳の奥に、優しい光が見える気がした。
綺麗な眼差しに吸い込まれそうになっていた時、すっと空の顔が近づいてきた。
何が起きているのかよくわからなくて、私は近づいてくる空の綺麗な顔をぼうっと眺めるだけだった。