第6章-2
「ただいまー」
家に帰ると、道着に着替えた大地が台所にいた。
「おかえり」
まるで我が家のように、冷蔵庫を開けて牛乳を取り出しながら答える大地。
買ってきた食材を片付ける私と空を、コップに注いだ牛乳をのみながら見つめていた。
「なに、今日はハンバーグ?」
「そ。食べてく?」
「どうしよっかなぁ」
大地が考えるそぶりをしている間に、片づけを終えた空はちらりと私と大地を一瞥してから着替えに部屋へ戻っていった。
それを見た大地は、首をかしげる。
「買い物の間に、何かあった?」
「は?なんで?」
「朝宮がなんか変。無表情のわりに、あいつは意外とわかりやすい」
大地も、空に慣れてきたんだとしみじみと思う。
ほんの少しの態度の違いをよく見ている。
「大した事じゃないよ」
「たいした事ないなら言えるだろ?」
ごまかそうとする私に、食い下がらない大地。
下手に隠さないほうが無難だろうか…。
「いや、別に…。大地のお母さんに会っただけなんだけど」
「っ!?はぁっ?どこで??」
思わず牛乳にむせそうになりながら、眉をひそめた大地が問う。
「商店街」
「……」
大地はしばらく困惑した表情を浮かべ、それからふうっとため息をついた。
「どうせ、どっかの男と遊びに行って、途中で喧嘩でもして車降りたんだろ。たまたま、商店街の近くだったから通り抜けたってところだな」
呆れたような、諦めたような、複雑な表情。
それから、はっとしたように私を見つめた。
「なんか言われたのか?ごめん」
「え?あ、違うよ。大丈夫」
「ほんとに?」
心配そうに訊ねる大地に、ずきんと胸が痛む。
大地は、どれだけの言葉を浴びてきたのだろう…。
「ほんとに!挨拶したら無視されただけ。気にしてないよ」
「そっか…。なら、いいけど」
微笑む大地に元気はない。
コトンとコップをテーブルに置き、小さなため息をつく。
それから大きく息を吸って顔を上げた大地は、もういつもの笑顔に戻っていた。
「じゃ、稽古に行ってくる」
「今日、泊まってく?」
部屋を出ようとした大地の背中にそう問いかけると、大地は肩越しに振り返り、少し嬉しそうに微笑んだ。
「大丈夫。どうせ明日学校行く前に制服取りに戻らなきゃいけないし。でも、夕飯だけごちそうになってこうかな」
「了解」
敬礼した私に満面の笑みを浮かべると、大地は道場へと向かっていった。
入れ替わりに、着替えた空が戻ってくる。
「……大丈夫なのか?」
途中ですれ違った大地の背中を見つめながら、空が首をかしげた。
大地も空の事をよく見ているが、空も大地の事をよくわかっている。
意外と、いいコンビなのかも知れない。
「大丈夫ではないけど…私にはどうする事もできないんだよね…」
力なく微笑む私を、不思議そうに見つめる空。
昔から、大地の抱えるこの問題だけは、いくら考えても答えなど出せないでいた。
ただ、傷ついた大地を癒す事しかできない。
傷つかないようにする事は、どうしてもできなかった…。
「…手伝う」
うつむいてしまった私の手から玉ねぎを取ると、空はキッチンへと立つ。
包丁を手にし、器用に刻み始める。
「空…」
「…だいたい覚えている。休んでいろ」
一度包丁を置き、私の頭をそっとなでる空。
今日は、気を使わせてばかりだ。
「ありがと」
空はこくんと頷くと、料理を再開した。
キッチンの椅子に腰掛けながら、空の背中を見つめる。
身も心も、きっと沢山の傷を負ってきた空。
心を失いそうになりながらも、優しさは忘れなかった空。
それは、生まれ持ったものなのだろうか?
それとも……。
「ねぇ…空はご両親の事覚えてる?」
一瞬手を止める空。
そして再び手を動かしながら、ゆっくりと首を振った。
「ごめん。そうだよね。小さかったんだもんね」
「…ただ…・・」
「何?」
「…誰だかわからないが」
「?」
「…最後まで諦めるなと、生きていればいつかまた幸せな時が来ると、誰よりも愛していると…そう、誰かに言われた気がしなくもない」
淡々と述べる空。
「…ずっと、忘れていた」
凍っていた心が、少しずつ溶けてきたのかもしれない。
心の片隅に残っていた記憶。
でも、きっとそれは間違いなく、ご両親の残した言葉だろう。
空は亡くなった両親にとても愛されていた。
空の優しさは、ご両親が残してくれた最後のプレゼント。
そう信じたい想いが胸を暖かくすると同時に、大地の事を思うと胸が痛かった。