第5章-8
しばらくして少し落ち着きを取り戻した紗雪に、大地が柵越し微笑みかける。
「とりあえず、こっちこい。それから、ちゃんと謝れ。自分が悪い事をしたと思った相手にな。後悔したってやっちまった事は変わらないんだ。まずは、誠意を持って謝る。そこから、また新たに始めればいい。それでもくじけたら、話くらい聞いてやるよ。また、新たに頑張るためにな」
照れながらも本当の自分を出して紗雪に向き合う大地を見て、私も思わず微笑が浮かんだ。
冷たくしてしまいながらも、ずっと気がかりだったのだろう。
人と本音で関わる事をできるだけ避けてきた大地の世界が、少し広がったような気がした。
「ありが…とう」
紗雪が小さく呟いた時、背後の扉がばんっと開く。
そして、数人の足音。
「紗雪っ!?」
叫ぶように名を呼んだのは、清花だった。
振り向くと、清花と美月、そしてあせって屋上の扉を閉めてその後ろの人を遮った森田がいた。
扉の向こうからは、どうした!?と声をあげる担任の声。
「な、なんでもないので、もう少しお待ちください」
動揺しつつも、大事にならないように気を使って扉を閉めてくれたのだろう。
「なんて場所にいるの、紗雪」
蒼白になった美月がフェンスに近寄りながら、震えた声でそう言った。
清花は泣きそうな表情になっている。
「二人とも…」
先ほど勢いで言ってしまった事を思い出してか、紗雪もまた不安げな表情に戻っていた。
「気付かなくて、悪かったわよ。いつも紗雪は言いたい事を胸に閉まっちゃうから、勝手に羽美の事を怒ってるんじゃないかって思い込んで、勝手に暴走して悪口言いまくっちゃって、それで紗雪を傷付けてるなんて思わなくて…。でも、だからって、そんな…」
その先を口にするのが怖いかのように、清花はぎゅっと唇をかんだ。
美月は蒼白になりつつも、凛とした瞳で紗雪を見つめる。
「バカな事はやめてちょうだい。私たちに償いもさせてくれないの?そんなに、嫌いになった?でも、私はあなたが必要なの。嫌われたとしても、大好きなのよ。今までもたくさん我侭を聞いてくれたけど、これが最後の我侭にするから、だから…お願いだから自分を大切にしてちょうだい」
二人の真摯な瞳に見つめられ、紗雪の瞳から再びぽろぽろと涙が零れ落ちる。
それは悲しみの涙より、ずっと美しい雫。
「こんな私で…いいの?」
『あたりまえじゃない!!』
紗雪の問いに、即答で声をハモらせる二人。
その答えに泣きながら微笑を浮かべた紗雪からは、いつもの穏やかな空気が漂っていた。
「っ!?」
これで一段落と判断したのか、突然空が紗雪を肩に担ぎ上げる。
驚きで硬直したままの紗雪を気にもせず、軽々とフェンスの向こうからこちらに飛び降りる空。
それなりの高さがあるにもかかわらず、それを感じさせない動きがさすが空といったところか。
「あ…ありがとう」
とん、と地面に下ろされた紗雪がそういうと、空は頷いてそっと紗雪のそばを離れる。
と、同時に美月と清花が紗雪に抱きついた。
「ごめんね。美月ちゃん、清花ちゃん」
「謝るのは、私のほうだわ。気付かなくて、ごめんなさい」
「また暴走しちゃって、ごめんね」
抱き合いながらお互い謝る三人を見て、大地と私は目を合わせて微笑んだ。
三人の絆はしっかりと結ばれたいた。
それなのに、少し言葉が足りなかっただけで、少し心がすれ違っただけで、危うく壊れそうになったりもする。
人とのつながりの難しさと、素晴らしさを感じながら、しばしの間三人を見守る。
が……。
「えぇっと…感動の場面で悪いんだが…そろそろ限界かと…」
おずおずと言った森田の言葉で、屋上にいた空を除く全員がはっとする。
そうだ、先生…。
三人が涙を拭ったのを確認してから、森田がそっと屋上の扉を開ける。
と、恐ろしく不機嫌な担任がその場に座り込んでいた。
幸い、他の先生方は来ていない。
「えぇっと…」
森田が冷や汗をたらしながらにっこりと微笑むと、すっくと立ち上がる。
「…俺って、そんなに信用ないか」
「あら、信用してるに決まってるじゃないですか」
怒っているのか落ち込んでいるのか、ふてくされた表情の担任に、お得意の微笑を浮かべた美月が近づく。
「ただのケンカでしたの。先生のお手を煩わせる事じゃないと思っただけです」
「そ、そうか?」
色香漂う美月の微笑に、顔を赤らめる担任。
「えぇ。ご心配なさらずに、先に戻ってHRを始めてください。私達もすぐに参ります」
「お…おぅ」
残してきた生徒も気がかりなのか、先生はしぶしぶと屋上を立ち去ろうと踵を返す。
そして、森田にちらりと視線を送る。
「察してくださってありがとうございます」
その視線に答えるように森田がそういうと、先生は少し肩をすくめた。
「大きな騒ぎにしたくなかったんだろ。俺もそれほどバカじゃないぜ」
「わかってますよ」
森田がそう答えると、先生はひらひら手を振りながら、階段を軽やかに降りていった。
「さて、俺もいないほうがいいよな。後はごゆっくり」
「あー、僕も戻るね。ほら、朝宮も」
気を使ってか、森田と再び猫を被った大地が、空もつれて屋上から去っていった。
残された女子四人の間に、しばし沈黙が流れる。
なんて声をかけようか悩んでいる間に、先に沈黙を破ったのは紗雪だった。
「ごめんね。羽美ちゃん。妬んだりして」
「えっ、いや…」
「ほら、美月ちゃんも、清花ちゃんも一緒にあやまろ?」
気まずそうにしていた二人は、紗雪の純粋な瞳に見上げられ、小さくため息をつくと私の目をまっすぐに見た。
「紗雪の事でむかついたのもホントだけど、他の事でも嫉妬して、ひどい事言ってた。ごめん」
「私もきっと、あなたに妬いてたのかもしれないわ。ごめんなさい」
紗雪の時のように優しい表情ではなく、少しふてくされているものの、素直な謝罪の言葉だった。
しかし、紗雪はともかく、二人に嫉妬される事など思い当たらない。
空の事で、そこまで嫉妬するような二人ではないはずだ。
「こっちこそ、ごめんね。なんか、何もわからずに傷付けたみたいで…」
「謝らないで。余計嫌になるから、自分が」
「え?」
清花の言った意味がよくわからずに、首をかしげる。
「私たち、あなたのその天然な優しさに嫉妬してたのよ。自然体でみんなに愛されてるあなたにね」
美月が付け加えるように言ったが、それでもいまいち理解できない。
「そんな…美月や清花のほうがよっぽどもてるじゃない?」
「見た目につられてるだけよ。それだって、努力して、自分を取り繕って、好かれるように必死に努力してるだけ。でも、羽美は違う。心から大切に思われてるじゃない」
「そうよ。だって、羽美の事悪く言ったって、それにのってくるのは下心のあるバカな男だけ。他はみんな羽美の味方で、それが悔しくって、羨ましくもあったの」
いつも自信有り気な二人がまさかそんな事を思っているとは思わず、私は思わずぽかんとしてしまう。
本当に、私は何もわかっていなかったのかもしれない。
「何よ、その顔…」
「もう。こっちは恥を忍んで本音を言ってるのよ」
顔を赤らめる二人を、紗雪は優しげな瞳で見上げていた。
その笑顔に励まされるかのように、二人はじっと私を見つめている。
「ありがと。本音を話してくれて。でも、私もそんなに立派なものじゃないよ。私だって二人に憧れてる。私の持ってないもの、たくさん持ってるじゃない」
「そんな事…」
「だから、お互い様なんだよ。美月も清花も私のいい所を見てくれてる、私も二人のいいところが見える。自分の悪い所も意識したりするけど、相手の持ってるいい所に近づけるように、もっと素敵な人間になれるように、一緒に成長しよう」
そう言って差し出した私の手を、二人はためらいがちにそっと握ってくれた。
「また…よろしく、ね」
「うん」
すぐには、前のようになれないかもしれない。
でも、また築き上げられる関係は、きっと前よりも強い繋がりになれるような気がした。