第1章-2
客間へ行くと、私はとりあえずお茶をいれた。
和室に慣れていないのか、空の正座はなんだかぎこちない。
全員の前にお茶の入った湯のみを置き、私もテーブルにつく。
私の隣におじい様。正面に父様。その横に彼。
「じゃあ、改めて紹介するね」
父様がにっこり笑う。
「この子が僕の娘の羽美ちゃん。羽美ちゃんの事は色々話してあるから、紹介はいいかな?」
父様が彼に向かってそういうと、空はこくりと頷いた。
「それで、こちらが朝宮 空くん。羽美ちゃんと同じ、今年で十六歳だよ。僕と星良の親友夫妻の息子さんなんだ」
「…はじめまして。神崎 羽美です」
紹介の意図が分からず、頭の中で色々思考をめぐらしながら挨拶をする。
親友の息子…。うちの両親ののりだと、『婚約者だよ!』とかいいかねない。
いや、でもさっきの妙な気配もあるし……。
「今日からこの家で一緒に暮らしてもらうことになったから、よろしくね!」
「……」
一瞬、何を言っているのかわからなかった。
予想外の言葉に、頭の中がフリーズする。
「明日から羽美ちゃんと同じ高校に通うから、ちゃんと学校案内してあげてね」
「……」
緩やかに頭が働き始め、爽やかな笑顔の父様を私は無言で睨み付ける。
何故、重要な話をこうも唐突に適当に報告出来るのだろう、この人は…。
「あれれ?」
冷や汗をかきながら、おじい様に助けを求める視線を向ける父様。
おじい様は穏やかに微笑んで、説明役を引き継ぐ。
「空くんは、星良達の親友の忘れ形見なのだよ。他に親類もおらぬそうだから、うちで引き取ることになった。部屋も余っておるし、広い屋敷で二人暮しは寂しいと、羽美も言っていただろう?」
「そう言っていたこともありますけど…」
「それとも、羽美は自分と同じ歳の身寄りのない少年を、世間の荒波に一人放り出した方が良いと?」
仏頂面の私に、意地悪く言葉を投げかけるおじい様。
「そこまで言う気はありません。ただ、あまりに突然だったから…」
事情が事情なだけに、反対する気はない。
ただ、同じ年齢の見知らぬ異性と同居することに、ためらいを抱くのは当然のはず。
なぜ事前に報告してくれなかったのか。
年頃の娘に心の準備くらいさせてくれる気はないのだろうか、この親は…。
「い、色々と事情があってね。な、仲良くしてね?」
父様は私の機嫌を伺うように顔を見ながらおずおずと声をかける。
私は、はぁっとため息をついた。
怒った所でしょうがない。
報告が遅かったことを、今更どうこう言ったところで何も変わらない。
彼自身に非があるわけでもないし、この事実を受け入れるしかないだろう。
「よろしくね。朝宮くん」
「……空…で、いい…」
「じゃ、私も羽美でいいよ」
こくんと頷く空。
挨拶もろくにできなかったり、態度が微妙におかしい感じがするのも、両親を亡くした悲しみからかもしれない。
「じゃあ、空くん。部屋に案内しよう」
私が落ち着いたのを見て、おじい様がすっと立ち上がる。
空はおじい様の後について、部屋を出た。
「じゃ、私もシャワー浴びてきます」
「ちょ、ちょ、ちょっと待って!」
立ち上がろうとした私を父様はあわてて止める。
「まだ羽美ちゃんに話があるんだよ」
「…明日じゃダメですか?」
めったに会わない父様と二人きりになるのは苦手だし、なにより稽古着のままなので汗でべたべたして気持ち悪い。
突然の事態に落ち着いて色々考えたいこともある。
「いや、今じゃないと…。僕も、明日の夕方には戻らなきゃいけないし…」
おずおずと言う父様。
私が物心つく頃から母様と二人、海外で仕事をしている。
私をおじい様のもとに預け、帰ってくるのは年に数度。
それも、たった一日や二日。
私が産まれた時から、そばにいてくれた時間など数えるほどしかない。
母様は電話やメールを定期的にくれるが、父様はそれすらもごく稀だ。
確かに、今までだって明日でよかったことなどない…。
「…手短にお願いします」
座りなおして父様の顔を見ると、困ったような笑顔を浮かべている。
いつだって変なテンションなのは、娘への接し方が分からないからだと最近になって気付いた。
「あのね、大事な話だから…落ち着いて聞いてね?」
父様がまじめな顔になる。
「空くん…なんだけどね、彼のご両親は彼が四歳の時に亡くなっているんだ」
「え?」
それだと、話がよく分からなくなる。
四歳から今までの十二年間、子供一人でいたはずがない。
だとしたら、なぜ今さら我が家で引き取るというのだろう?
「質問は、全部話してからにしてね」
少し眉をひそめた私を見て、父様が先手を打つ。
私が頷くと、父様は話を続けた。
「朝宮夫妻はね、僕達と同じ海外で仕事をしていたんだけど…十二年前に事件に巻き込まれて亡くなったんだ。空くんは、その時行方不明になった」
ふっと、父様の瞳に影が落ちる。
「いい家族だったんだけどね。優しくて温かい家庭…。一度だけ、羽美ちゃんもあったことあるんだよ。覚えていないだろうけどね」
悲しげに私の瞳を見つめる。
「空くんの行方は全くつかめなくてね…もう、亡くなってるかと思ってたんだ。でも、奇跡的にまた出会えた。親友の忘れ形見に…」
父様は静かに息を吐いた。
「…そのわりに、心から嬉しそうじゃないですね?」
父様の様子に、思わず口を挟む。
父様は、視線を落とした。
「嬉しかったよ。生きていてくれた、それだけで嬉しかった。でもね、彼の過ごした十二年間を思うと、なんでもっと早く見つけてあげられなかったのか…それが悔やまれるんだ」
次の言葉が出るまで、しばらく時間があった。
心の整理が必要なのかもしれない。
今度は黙って父様を待った。