第5章-6
私は紗雪の瞳をまっすぐに見つめた。
うっすらと涙を浮かべた眼差しで、紗雪も私を見ていた。
「紗雪が今どんなに苦しいかは、私には想像しかできない。人の苦しみは、誰かと比べられるものじゃないから。他の人があなたは恵まれているって言ったとしても、その人自身が苦しんでるのなら、その苦しみが真実だから」
紗雪の瞳から、再び涙が零れ落ちる。
「でも、そのまま終わらせちゃだめだよ。立ち止まってもいい、休んでもいい。でも、その苦しみのまま終わらせちゃいけない」
悲しみが、苦しみが溢れ出るかのように、涙はとめどなく流れている。
でも、私をしっかりと見つめ、私の言葉に耳を傾けてくれていた。
「誰でも、絶望しそうな時は周りが見えなくなると思う。そこから逃げたくなると思う。でも、夜の闇の中でしか見つけられない美しい星の輝きの様に、心の闇の中でしか見つけられない大事なものもあるはずだよ。心の闇に怯えて目を閉じないで。落ち着いて目を開けば、暗闇の中でも少しずつ見えてくるものがある。何の光もない、本当の闇なんてないよ。勇気を出して辺りを見回せば、光の中では見つけられない、そこでしかわからない大事な輝きを見つけられるよ」
「…私には、そんな自信ないよ」
「一人じゃ無理なら、一緒に探そう」
そう言って手を差し伸べた私に、紗雪は大きく首を振った。
肩まであるサラサラの黒髪が揺れる。
「これ以上、誰にも迷惑かけたくない。それだったら、私なんかいないほうがいい」
「迷惑なんかじゃないよ!友達じゃない!!」
「でも……」
うつむいた紗雪の涙が、乾いたコンクリートに次々としみこんでいく。
駆け寄って、抱きしめてあげたかった。
言葉だけじゃ足りない気がした。
でも、フェンスの向こうにいる紗雪をこれ以上刺激する事もできない…。
「何様のつもりだよ」
突然の響いた冷たい声に紗雪はびくっと肩を震わせ、そして確かめるようにゆっくりと顔を上げた。
「麻生…くん?」
「そうだよ。俺だ」
紗雪の瞳は驚きに満ちていた。
大地はそんな紗雪を気にすることなく、不機嫌そうな表情のまま言葉を続ける。
「もう一度言うが、何様のつもりだ?これ以上迷惑かけたくない?いないほうがいい??なめてんのか?」
止めようと思ったが、先に大地に目で牽制される。
大地なりの考えがあっての事だと信じて、私は口を閉ざした。
「誰にも迷惑かけず、誰も傷付けず生きられる人間がいるとでも思ってんのか?そんな人間いるわけねーだろ」
今まで見た事のない大地に、紗雪は戸惑っているようだった。
涙が止まっている。
「生物の中には一匹で生きていける奴もいる。でも、人は一人では決して生きていけない。何故か。支えあって生きていくためだろう。傷付けあう代わりに、もっと大切な物も授かってるだろうが」
怒鳴るような大地の言葉に紗雪が戸惑いの表情を浮かべたその時、紗雪の背後にすっと影が降り立った。
紗雪がはっとして振り向く前に、空が紗雪の肩にそっと手を置く。
「…これでいいのか?」
「ナイス、朝宮」
そういう事か…と、ほっとした私は思わずその場に座り込んでしまった。
大地で紗雪の注意をひいている間に、身軽な空が身の安全を確保。
いつの間に打ち合わせしたのやら…。
大地は座り込んでいる私の頭をぽんっと叩き、そのままフェンスの方まで歩いていった。
そして、フェンス越しに紗雪を見つめる。
「傷つけたら、その分優しさを返せばいい。迷惑かけたら、今度は支えてやればいい。それでいいんだよ。嫌な部分もいい部分も持っててこそ、人間だぜ」
紗雪はかくんと膝をついた。
声もなく泣いている。
「俺も羽美も朝宮も、あんたが知らない心の闇を持ってる。いつも、あがいてる。あんたと一緒だよ。弱い者どうし手を取り合ったって、迷惑なわけねーだろ。お互い様だ」
「でも…やっぱり私は…私には自信がないよ。自分の、悪い所しか見えない…」
大地はふぅっとため息をつき、私を振り返った。
バトンタッチという事か…。
「ねぇ、紗雪」
私もフェンスのそばまで行き、膝をついて紗雪と目線を合わせた。




