第4章-7
部屋の片隅で一人、幼い少年が膝を抱えて座っている。
大きな瞳に長い睫毛、愛らしい唇はまるで少女のよう。
しかし、その瞳は虚ろだ。
何か気配を感じたのか、こちらを見ると笑顔をつくる少年。
でも笑えていない。
瞳は虚ろなまま、口元だけ笑みを無理に浮かべようとしているが、それがなんだか痛々しい。
その少年の周りを、どこから来たのか、同じ年頃の男の子達が取り囲んだ。
口々に悪口雑言をあびせ、中には蹴ったりぶったりしている子もいる。
やめなさい
そう言いたいのに、言葉が出てこない。
体が動かない。
いじめられている少年は、悲しそうな瞳をしているのに、あの無理に作った笑顔を浮かべたままだ。
それが気に障るのか、少年達のいじめはよけいひどくなる。
何故泣かないの?
何故怒らないの?
そこに一人の少女がやってくる。
いじめていた少年たちは、少女を見ると慌てて逃げ出す。
少女は少しかがんで少年を見つめると、にっこりと微笑み手を差し伸べた。
少年はそれを見て、ほんの少し瞳に光が燈った。
そうだ。
これは子供の頃の私と大地。
泣く事もできず、まともに笑う事すらできず、いつも人の顔色を見て怯えていた幼い大地。
感情をうまく表現できなかった、あの時の大地。
あの頃に比べれば、今のほうがまだ人付き合いがうまくなったかもしれない。
「……ちゃん」
私に固執していても、他の人とも一見普通に接しているし…。
「……みーちゃん!」
でも、もし私がいなくなったら大地はどうなるんだろう?
「うーみーちゃんっ!風邪ひくぞっ!」
「ふぇっ!?」
ぷにっと頬をつままれて驚いて目を開けると、目の前にふわふわとやわらかなウェーブのかかった髪が見えた。
そして、私を覗き込むように見ている、大和さんの婚約者の翠さんと目が合う。
「み、翠さん?」
「もー、羽美ちゃんてば。そろそろ涼しくなってきてるから、縁側なんかでうたた寝なんかしてたら風邪ひくぞ」
にっこり笑う翠さんを見ながら、私はゆっくり起き上がる。
どうやら、いつのまにか寝ていたらしい。
さっきの大地は、『夢』ということか。
昼休みの後も紗雪に冷たくする大地を見ていて、私を一番に考えすぎる大地をどうしたものかと思っていたから、久々に子供のころの夢など見たのかもしれない。
「で、どうしたんですか?」
翠さんが用もなくうちに来るはずはない。
訊ねると、翠さんはふふっといたずらっ子のような笑みを浮かべる。
「羽美ちゃんの新たな素敵ボディーガード君を見に」
「はっ?」
「空くんだっけ?この間、かっこよく守ってくれたらしいじゃない」
「あー…」
ひったくり事件の事を大和さんに聞いたのだろう。
「空なら、たぶん二階の自室にいますけど…。呼んできますか?」
「んー…」
翠さんはじっと私を見つめると、ふるふると首を振った。
「後でいいわ。本当は、大和のお師匠さまに、式の日取りが決まったからご報告にきたの。まだ稽古が終わるのには早いみたいだから、空くんを見に来たんだけど…」
そこまで言って、翠さんは再び私をじっと見つめた。
少し茶色い柔らかな髪、はっきりとした二重のくりっとした瞳。花びらのような可愛らしい唇はうっすらとグロスが塗られ、落ち着いた大人の女性の美しさがある。
ふんわりとしたキャミソールにカーディガンを羽織り、綺麗なラインのスカートをはいている翠さんは、とびきり美人というわけではないが、女の私から見ても可愛らしい人だ。
じっと見つめられると、なんだか妙に照れてしまう。
「なな、なんですか?」
「いや、元気なさそうだなーっと。大和をちょうだいって相談以外ならなんでものるわよ!」
「ちょ、ちょうだいって…」
思わず苦笑する。
「だって、大和だけは譲れないもの。いくら羽美ちゃんが昔から大好きだとしても」
「翠さん…はっきり言い過ぎ」
「あら、遠まわしに言っても事実はかわらないじゃない」
邪気のない笑顔でそう言われると、もうなんとも言えない。
でも、私はこんな翠さんだから大和さんを諦められた。
嘘のない人。まっすぐに、大和さんを愛している人。
見た目はとても女らしいのに、優しすぎる大和さんを引っ張っていくだけのパワーに溢れている。
「それで、何で元気ないの?」
そして、人の気持ちに敏感な人だ。
寝起きで、大して話もしていないのに…。
勝てないな、そう思う。
「あの、ですね…」
翠さんなら、話してもいいと思った。
大地のことも、よく知っている。
恋愛経験も、私よりはあるだろう。
私は、大地と紗雪の事を話し始めた。




