第4章-2
庭で奏でる虫の音を聞きながら、静かに時が流れていた。
しばらくして、目を伏せたまま空がぼそっと呟いた。
「…変な奴だ」
「私の事?」
頷く空。
しばらく考えた結論がそれって…。
「空に言われたくない」
拗ねた声を出すと、空は目を上げて私を見た。
「…今まで、そんな事を言う奴はいなかった」
私の不平を無視して、空は話を続けた。
瞳から、戸惑いは消えていない。
今まで空が浴びてきた言葉に、私の言葉は負けたらしい。
大多数が普通で、少数の私は変だという事だろう。
「今までいなくても、これからはみんなそう言うかもよ?」
「……」
疑わしそうな眼差しの空。
意外と頑なだけど、仕方がない。
ずっとそんな環境にいたのだから、急に受け入れられるほうが稀だ。
「だって、事情知ってても平気な顔してるの、私だけじゃないでしょ?おじい様も父様も、大地もそうだし、大和さんだって平然としてるじゃない。一~二週間で五人って、結構多いと思うけど」
「…奴らは男だし、そこそこ強い」
「女の方が度胸はあるのよ」
「…度胸だけでは身は守れない」
「だから、空から身を守る必要性がないでしょ?」
空とこんな屁理屈合戦のようなことが出来るとは思っていなかったので、言い合いをしながらもなんだか楽しい。
少しずつ、空の心が見えてくる気がする。
「あのさ、空」
再び黙り込んで何やら考えている空に、私は改まって声をかけた。
空は私の瞳をまっすぐに見つめ返す。
「空の過去を知って怯える人がいるのも事実だよ。でも、空の事を信じている人がいるのも事実なの。世の中には色んな考えの人がいるんだよ。どっちか一つが真実じゃない。これは理解できる?」
空は少し迷うように瞳をゆらすだけで、頷きも、首を傾げもしなかった。
答えが出せないということだろうか。
時計の針と虫の音しか聞こえない空間の中で、しばしお互いに考え込む。
静かな時の中で、私は改めて空をじっと見つめた。
綺麗な顔に、翳りのある表情。
鍛え上げられた体には、今は服で隠されているが無数の傷跡…。
空が歩んできた人生は、私が想像しているよりももっと苛酷なものだったのだろう。
人の闇があるからこそ成り立つ仕事にいて、簡単に人を信じることなど出来るはずがないのかもしれない。
それでも、話すことで、一緒に過ごすことで、少しずつでもわかっていってほしいと思うのは、傲慢だろうか?
「じゃあ、理解できなくていいから聞くだけ聞いて。私はこう思ってるって事」
空は小さくこくんと頷いた。
「空が自分といたら恐がるとか、平気なはずがないって思うのは、自分がしてきたことがよくない事だってわかってるからだと思うんだ。そして今、人を傷付けないようにしてるのは、それまでも空が望んで人を傷つけていなかったってことじゃないかな」
一瞬、目を伏せ自分の心を覗き込むような様子をみせた空だが、すぐにまた迷いのある目で私を見つめた。
別に、今はそれででいい。
きっかけになる可能性があるだけで、いいんだ。
「私だって空と同じ状況だったら、空と同じことしたかもしれない。遊ぶお金がほしかったとか、ムカついたからとか、そんな理由で人を傷付けることは絶対にしない自信はあるけど、今ならともかく、子供のころに自分の身の危険と引き換えにしてまで、そんな組織には逆らえないと思う。それは、空のせいじゃないよ」
こんな時、もっと頭がよければと思う。
そうしたら、きっともっといい言葉がすんなりとでてくるのに。
伝えたいことが、ちゃんと伝えられるのに。
「だからね、過去に犯した罪は消えないし、殺めてしまった人や、その人を失って哀しい思いをさせた人への贖罪の気持ちは忘れてはいけないけど、それ以外の人が空を責める理由はないと思うの。ってゆうか、責める人がいたら私が許さない」
最後の私の言葉に、空は首をかしげる。
「私が今の自分でいられるのは、今まで育ってきた環境があるから。何が良くて何が悪くて、何が好きで何が嫌いか、色んな価値観も性格も、違った環境で育ったならきっと今とは違ったものになったと思う。人の命を大切に出来る。そう育てられただけ、私は幸せなんだと思う。空だって、事件に巻き込まれなければきっと人を殺めることなんてなかったよ。辛い思いをしてもなお、人を思いやれる気持ちをもってるもん。だから、それを知らずに、なんの被害も受けてない人が正義面して空を責めるなんて、私は嫌なの」
思わず拳を握り締め力説する私を、空は不思議そうな顔で見る。
どうやら、熱くなりすぎてしまったようだ。
私は照れ隠しにこほんと咳払いをし、話を続けた。
「だからさ、何が言いたいかというとね、過去は消えないし、受け入れて前に進むしかないけど、傷付けてしまった人たち以外にまで過去を背負うことはないのよ。大切なのは今と、これからなんだから。それに、傷付ける為に得た力も、今度は人を守るために使えばいい。今までに得た知識も運動神経も、人の心の痛みも、これからに活かしていけばいいの。今までに得たものと、これから得るもの、両方を大切にしていこう」
にっこり笑いかける私に、空は僅かに頷いてくれた。
「明日の体育祭も、楽しもうね。みんなで同じ目標に向かって頑張るのも、いいものだよ」
新たな体験が、空の心を少しずつ溶かしてくれればいいと願う。
そう思っていった言葉に、空が素直に頷いてくれて、私は自然と笑みが浮かんだ。
「じゃ、夕飯再開」
すっかり冷めた夕飯を、再び食べ始める。
さっきよりも美味しい気がしたのはきっと、空の表情が先程よりも穏やかになっているからに違いなかった。