第3章-5
「くしゅんっ!!」
大きなくしゃみをすると、隣の席の空が少し心配そうにこちらを見た。
朝起きたら私が空のベッドで寝ていて、空は椅子に座って窓の外を眺めていたのだけど、空が起きるまでの間にけっこう冷えたらしい。
若干鼻声にもなっている。
「羽美、風邪?」
教室に入ってきた大地が、おはようも言わずにそう聞いた。
「おはよ、大地。ちょっと風邪気味かも。昨日、空の部屋で寝ちゃって…」
「…へぇ」
心配そうだった大地の顔が、冷たい笑顔に豹変する。
「仲良く同じ部屋で寝たんだ」
「えっ、いやっ」
「羽美はすぐに誰にでもなつくからなー」
ふぅっとわざとらしくため息をつく。
怒っているわけじゃないが、少々気分を害したらしい。
「神崎!」
どうしようかと思っていたら、大地の後からやってきた森田に声をかけられた。
大地は、一瞬にして営業スマイルに戻る。
「今日の放課後からリレーの練習するから、よろしくな!今日は部活無しでグラウンド使えるし」
「あー、そういえば」
体育祭の一週間前から、クラス対抗リレーの練習をする予定だった。
私は男女それぞれ二人ずつの代表選手の一人に選ばれていた。
「で、朝宮も代表選手になったので、よろしく」
「えっ?いつの間に」
「この間の体育の時間に」
そう笑って言うと、森田はさっさと去っていく。
「だって、空。リレーってしたことある?」
ふるふると首を振る空。
「ま、大丈夫だろ。練習するんだし」
話題がそれたからか、いつもの大地に戻っている。
この様子だと、家でもたいした問題は起きなかったようだ。
「大地は選ばれてないんだっけ?」
「目立つの嫌いだから」
本気で走れば間違いなく選ばれるのに、わざと手を抜いたらしい。
この間のサッカーは、めずらしくむきになって本気を出してたのに…。
「じゃあ、放課後どうする?練習見てく?」
登校はその日によってまちまちだが、下校は用事がなければたいてい一緒に帰っている。
「いや、先に帰るよ。めずらしく、父さんがしばらく家にいるみたいだからさ」
そう言うと、大地はにっこりと笑って自分の席に戻っていった。
強がっているように見えて、私の胸に不安がよぎった…。
「頑張れ~!朝宮くん!!」
放課後、ただの練習だというのに清花の黄色い声援が飛んでいた。
その隣では美月がゆったり座って見学をしている。
「俺への声援は?」
休憩にはいると森田がすねたように二人に声をかけた。
「あら、心の中で応援してるわよ」
「声に出そうよ。うちのクラスの美女二人に応援されたら、俺ももうちょっと早く走れるかもよ」
「いうじゃん、森田。私が応援してあげるよ」
美月に微笑まれてでれっとしていた森田は、私の言葉にはしらけた目線を送る。
「美女限定」
「失礼なっ」
むっとする私を見て楽しそうに笑いながら、森田はごくごくとスポーツドリンクを飲んだ。
「紗雪は?」
空にそそくさとドリンクを渡していた清花に訊ねると、彼女はにやりと笑う。
「まだ足が痛むから先帰るって言ったら、大地くんがおくっていったの。大地くんは羽美のことが好きなんだと思ってたけど、羽美が大和さん好きなのも知ってるし、紗雪を病院に連れてったことといい、今日のことといい、意外と二人はくっついちゃったりして」
「それはないない」
楽しそうな清花をあっさり否定すると、彼女はぷぅっと頬を膨らました。
「なんでー、見た目的にもけっこうお似合いじゃん。顔は大地君のほうがかわいいけど、身長とか、二人とも穏やかな感じとか」
「それはそうだけどねー」
話題に乗り気じゃない私を見て、美月がくすりと笑う。
「大地くん取られたくないんじゃない?」
「なっ?」
「そっかー。なるほど」
からかうような、二人の視線。
本当にそんなんじゃないのに、否定すればするほど面白がられそうだ。
「大地に好きな人が出来たら応援するよ、私は」
これは本当の気持ち。
ただ、今のところ大地が恋してる姿を想像はできない。
怪我をしていたり、お年寄りだったり、手助けをしたほうがいい人には親切だけど、大地は基本的には人間嫌いだ。
「えー、じゃあ、私たちも応援して」
清花が空のほうを見つめながらそう言う。
「それは別問題!さ、練習再開!!」
けちーと背後で叫ばれながら、逃げるようにグラウンドに戻る。
恋愛話じゃ、あの二人には敵わない。
「んじゃ、さっき決めた順番で一回走ってみるか」
森田がバトンを一番走者の女子に渡す。
そのあとが森田、私、そしてアンカーが空だ。
先ほどまでのルール説明と、バトン練習で、空もリレーとは何か理解したらしい。
それぞれ位置につき、第一走者が走り始めた。
バトンが森田に渡り、そして私が受け取る。
走ってくる私を見てスタートするタイミング、バトンの受け渡し、空はすでに完璧な出来だった。
そして、グランドをかける空の姿。
涼しげな顔で、風のように軽やかに走る空に思わず見とれる。
「こりゃ、余裕勝ちだな」
隣にやってきた森田も見惚れたように呟いた。
一週間の特訓は、必要なさそうだった。