第3章-4
紗雪との電話を終えて居間に戻ると、夕飯を終えたおじい様と空、そして大地がお茶を飲んでいた。
「どうだった?」
大地が私を見て尋ねる。
「ん。思ったより大丈夫みたい。足もそんなに痛まないし、精神的にも家に帰ってだいぶ落ち着いたみたいだよ」
「優しそうな両親だったしな。自営業とはいえ、仕事中でもすぐにかけつけてさ」
そう言いながら、大地の瞳に影が落ちる。
理由はわかっていた。
自分の家族との違いを感じているのだろう。
「大地」
「ん?」
隣に座って名前を呼ぶと、大地は伏せていた目をこちらに向けた。
その瞳をまっすぐに見つめる。
「大地になにかあったら、どこにいても、何をしてても、私が一番にかけつけるからね」
「…サンキュ」
目を細めて、大地はお茶を口に運んだ。
そんな私たちを笑顔で見ていたおじい様は、次にぼーっとニュースを見ている空に目を向ける。
「こちらでの生活はどうだ?空」
おじい様が空に声をかけると、彼は少し首をかしげた。
「…もっと、平和な国かと」
「そうか」
苦笑いを浮かべるおじい様。
ニュースでは、心の痛むような事件が多々流れていた。
空自身も、昨日は先輩に絡まれるし、今日はひったくりに遭遇。
以前の生活よりはましだろうけど、日本に来て数日にもかかわらず、平穏とは言えない日々だ。
おじい様は空だけでなく、私たちも順番に見てから口を開いた。
「どこの国でも人の心は同じだからな。この国でも、戦地でも、いい人間もいれば悪い人間もいる。どんなに平和な国でも、争いのない世界はない。平和というのは、与えられるものじゃない。それぞれが努力して作り上げていくものだぞ」
「…なるほど?」
言葉とは裏腹に全然わかっていなさそうな空を見て、おじい様はまた苦笑いを浮かべた。
正直、おじい様の話は私でも難しいと思うときがあるのに、お礼を言われて不思議がる空には難易度が高い気がする。
「ま、わしと話すより、羽美たちと話しをするほうが色々と学びやすいだろう。先に失礼するよ」
おじい様は静かに立ち上がり、颯爽と立ち去った。
年長者だからといって、押し付けがましく話をしない所が私は好きだった。
と、先ほどまで姿勢よく座っていた大地が、ぱたんと横になる。
「疲れた?今日は泊まってく?」
「いや、寝には帰る。たぶん、父さん帰ってくるし…」
「そっか」
なんだか元気がないと思ったらそういうことか、と納得する。
大地の家は、あまりいい家庭とは言えない。
二重人格のような性格も、家庭の事情が原因だった。
「もうちょっとくつろいだら帰る」
そう言って、ころんと転がって私のほうに身を寄せる。
目を閉じている大地の頭を、私はそっと撫でた。
大地にとって、これから感じるであろう精神的苦痛に耐えるための心の栄養補給だ。
が、はっと気付いたように大地は突然目を開き、空を見た。
じーっと大地を見つめていた空が口を開く。
「…邪魔?」
「別にっ」
がばっと起き上がった大地の顔は真っ赤になっていた。
どうもまだ、空がいるということに慣れていないらしい。
空も気配なく静かに座っているし、いつもの習慣がみについているのか、気を抜くと空の事を忘れて行動している。
「やっぱ帰る」
甘えようとした所をみられたのがよっぽど恥かしかったのか、大地はすっくと立ち上がり、鞄をつかんだ。
「師匠によろしく」
そう言うと、振り向きもせずに玄関へ向かう。
私は不思議そうな顔をしている空に微笑を向けてから、大地の後を追った。
「夜中でも電話していいからね」
靴を履いている大地にそういうと、ちょっとふてくされていた大地は黙って頷いた。
「じゃーな」
「大地!」
玄関を出る大地の背中がいつもよりも心細そうで、思わず声をかける。
「大好きだよ!」
「っ…!?」
何もないところでつまずく大地。
そして振り返り、満面の笑みの私を見てため息をついた。
「ひどーい。好きだって言ってるのにため息ついた」
「軽々しく言うなっ!そんなもん」
「ほんとのことじゃん」
「それは、まぁ…」
さらに深くため息をつくが、硬い表情は崩れていた。
「サンキュ、羽美」
「気をつけて帰ってね」
「あぁ、おやすみ」
笑顔で私の頭をくしゃっと撫でて、大地は帰っていった。
少し元気の戻った背中にほっとして、居間に戻る。
空はお茶が気に入ったのか、湯飲みになみなみと注ぎ足している最中だった。
最初はお茶の注ぎ方も知らなかったけど、何でものみ込みが速いのか、空は色んな事を次々と覚えていた。
「…飲むか?」
「ありがと」
二人でのんびりとお茶をすする。
当初の不安が嘘のようだ。
空はちょっと世間一般からはずれた所もあるし、異常に強い。
でも、父様に騙されているんじゃないかと疑いたくなるぐらい良い子だ。
殺伐とした世界で生きてきたとは思えない、穏やかな性格だと思う。
まぁ、大事な娘と同居させる気になるんだから、危険なわけがなかったのかもしれない。
「お風呂沸いてるから、先に入って休んだら?」
しばらくして、ただぼーっとテレビを眺めている空に声をかけると、彼は頷いてゆっくりと立ち上がった。
自分の湯飲みを片付けてから部屋に戻る所が、なんだか可愛い。
私も家の戸締りをしたり、明日のお弁当の下ごしらえなどをしてから部屋に戻った。
そして、空が出た頃を見計らってからお風呂に入り、ベットに潜り込む。
目を閉じると大和さんの顔が浮かび、あわてて目を開けた。
予定外に会えたこと、抱きしめられたことで、いつもよりも脳裏に大和さんがしっかりと焼きついているらしい。
「あー、もう。ダメじゃん…」
ため息をつきながら、思わず独り言をいう。
もう、諦めているはずなのにどうして「違う好き」になってくれないんだろう。
考え始めたら、目がさえてしまった。
さらに大地も今頃どうしているか気になるし、紗雪も眠れているか心配になってきた。
ベッドのながでごろごろしながら考え事をしているうちに、どんどん時間がたっていく。
「…ホットミルクでも飲むか」
いったん落ち着こうと、部屋を出て台所に向かう。
途中で空の部屋の前を通った時、中から何か声がした気がして私は立ち止まった。
ドアの前で、聞き耳を立てる。
聞こえてきたのは、苦しそうなうめき声。
「…空?入るよ?」
声をかけてから、そっと扉を開ける。
薄暗い部屋の中に、空の苦しげな息遣いが響いていた。
「空?」
ベットの上でうなされている空に駆け寄る。
苦悶の表情で、何かを捜し求めるように手を宙に伸ばしている空。
私は、思わずその手をぎゅっと握る。
「空、大丈夫だよ」
何が大丈夫なのかよくわからないが、そう言っていた。
「安心して眠っていいんだよ」
手を握りそっと頭を撫でていると、空の呼吸は次第に落ち着いていき、やがて穏やかな寝息に変わっていった。
よっぽど悪い夢を見ていたのだろう、汗をびっしょりとかいていた。
拭いてあげた方がいいと思って洗面所からタオルを取ってくる。
元暗殺者でも声かけても無防備に寝てるんだな、などと考えながら戻ってくると、空は再びうなされていた。
驚いてまた手をとると、次第に落ち着いていく。
汗を拭き、部屋に戻ろうとするとまたうなされ、手をとると落ち着く…。
やっぱり、空は心の闇を抱えているのだろうか。
穏やかになった空の寝顔を見ながら、ちくりと胸が痛んだ。
そして私は、いつのまにか空の手をとったまま眠りについていた。




