第3章-3
私の無事を確認すると、大和さんは私をぎゅっと抱きしめた。
「よかった、無事で。大地が『羽美がひったくりに襲われた』なんて携帯に電話してきたから、心配で他の捜査投げ出してきちゃったよ」
大きな手で私の頭をくしゃくしゃっと嬉しそうに撫でる。
おそらく大地が気をきかせて一一〇番ではなく、直接刑事である大和さんを呼んでくれたのだろう。
「や、大和さんっ」
私は早まる鼓動を感じながら、喜んでいる大和さんをぐいっと引き離した。
「友達がバッグをひったくられた時に怪我したの。だから、よくないの」
大和さんに久しぶりに会えたことも、私の無事を喜んでくれたことも嬉しかったけど、紗雪の事を思ったら素直に喜べない。
ドキドキした自分を戒める。
「大地が川野辺先生の所へ連れて行ったの。たぶん捻挫だと思うけど、かなりショックだと思うし、彼女の事情聴取は落ち着いてからでもいい?」
急に引き離されて一瞬キョトンとしていた大和さんは、すぐに真剣な顔になる。
「わかった。とりあえず、何があったか羽美ちゃんから簡単に説明してくれる?」
三人がひったくりにあった事、逃げてきた犯人を私たちが捕まえた事を簡単に説明すると、大和さんは辺りを見回して状況を確認し、パトカーを降りた所で待っていた制服の警官に駆け寄って話を始めた。
と、美月と清花が私に飛びついてきた。
「な、何?」
「大和さんって呼んだよね」
にやっと笑う清花。
「昼休みに話してた人でしょ。仲いいんじゃない、抱きしめられたりして」
艶っぽく微笑む美月。
ひったくりでショックを受けていたはずの二人なのに、私の片思いの相手が登場したことでそっちに興味がいって、すっかり元気が出たようだ。
さすがというか、なんというか…。
「子ども扱いしてるだけ。女だと思われてない証拠だよ」
「そう?すごく大切にされてるみたい…」
美月はそこで言葉を切る。
大和さんがこちらに戻ってきていた。
「二人は向こうのパトカーでひったくられた時の状況を説明してもらってもいいかな?話せる余裕があればでいいんだけど」
気遣う表情の大和さんに、二人は大丈夫ですと答えるとパトカーに歩いていく。
途中で二人して振り返り、頑張ってとでも言うように意味ありげに微笑んだ。
もう。そんな状況じゃないのに…。
「彼が、空くん?」
二人がパトカーの中に入ったのを確認してから大和さんが口を開いた。
「あれ?私、空の名前言ったっけ?」
美月たちの手前、捕まえた時の状況はまだ詳しく話していない。
空の名前も出した記憶がなかった。
「師匠から事情は聞いてるよ」
「おじい様が?」
「何かあったら相談にのってやってくれって」
私が一番相談しやすい大人が誰か、おじいさまはよくわかってらっしゃるようだ。
私が手招きすると、犯人の脇に佇んでいた空がこちらへやってきた。
「空。こちらは佐々原 大和さん。私と大地が小さい頃からお世話になってるの」
「はじめまして、空くん」
笑顔で手を差し出した大和さんを、空はじっと見つめた。
少ししてから、ためらいがちにその手をとる。
大和さんはそんな空を見て、穏やかに微笑んだ。
「じゃ、捕まえた時の状況をありのまま、詳しく話してもらえるかな?」
未だに気を失ったままの犯人達をちらっと見て大和さんは言った。
美月たちや警官と引き離して事情を聞くということは、空がとんでもない捕まえ方をしていないか用心しているのだろう。
確かに、スピード出したスクーターを片足一本で止めたというのは、常識ではありえない。
私は起こったことを忠実に説明した。
私の考え無しの行動に眉をしかめたり、空と大地の活躍に驚いた顔をしながら大和さんは話を聞いていた。
話が終わると、大和さんは私をコツンと軽く頭を叩く。
「無茶しちゃダメだろ」
そう言うと、大和さんは次に空に頭を下げた。
「羽美ちゃんを守ってくれてありがとう」
空は不思議そうに大和さんを見た。
「…なぜ、お前が礼を?」
「何でって、大切な人が無事なのは嬉しいからだよ。だから、守ってくれた人に感謝したんだ」
「…そんなものなのか?」
いまいちよくわかっていない空を、大和さんは暖かい眼差しで見つめる。
「君にも大切な人が出来た時、きっとわかるよ」
「………」
空は黙って、少し考え深げな表情を浮かべていた。
「それにしても、調書になんて書こうかなぁ」
大和さんが苦笑いを浮かべてそう言った。
確かに、そのまま書いたら信じてもらえないか、空がどんな人間か疑問をもたれそうだ。
「嘘書いても、犯人に供述されたらわかっちゃうしね」
「そうなんだよなぁ…」
「うーん……」
「適当に書いとけよ。いきなり止められて吹っ飛んだんだ。奴らも何がおこったかわかっちゃいねーよ。わかってたら襲ってこねーだろ、普通」
二人で困っていると、背後から呆れた声が聞こえた。
振り返ると、走ってきたのだろう、軽く息を切らせた大地が立っていた。
「大地!紗雪は?」
不安顔で詰め寄る私の頭を、大地は優しくぽんっと叩く。
「ただの捻挫。たいしたことない。家に連絡したらご両親がすっ飛んできたから、任せてきた。親の顔見たら安心したみたいだし、心配ないと思う」
「よかった」
ほっとした私を見て大地は微笑むと、今度は大和さんに向き直った。
「落ち着いたとはいえ、繊細な子だし、事情聴取は後日でもかまわないだろ?」
「ああ」
大和さんは笑顔で頷いてから、ごんっと大地に拳骨を食らわす。
「いてっ!なんだよっ」
「嘘の通報をするな。心配しただろ」
「ああ言えば、大和さん早く来るじゃないか。襲われたのは事実だし」
「お前はもー…」
呆れ顔でため息をつく大和さん。
「おかげで、聞き込み中の先輩を置き去りにしてきたんだからな。あとで思いっきり説教されるだろうし、責任は取ってもらうぞ」
そう言いつつも、大和さんの眼差しは優しい。
「なんだよ、責任って」
「久しぶりに、羽美ちゃんの美味しい手料理が食べたいな」
「だってよ、羽美」
よかったな、といった眼差しの大地がこちらを見る。
だけど、正直複雑な気分だ。
可能性のない恋は、優しくされるほど切ない。
でも、会えるというだけで嬉しくもある。
「いつでもどうぞ。翠さんもご一緒に、ね」
大和さんの婚約者の名前をだすことが、自分の気持ちを抑える精一杯の行為だった。
「今度の休みに遊びに行くよ。たまには道場にも顔出したいしね」
そう言って笑うと、大和さんは仕事に戻った。
無線で何か連絡したり、犯人の意識を取り戻させて話を聞いたり、私の知っている大和お兄ちゃんから、私の知らない刑事の顔になっている。
きっと、翠さんの前ではもっと違う顔を見せているのだろう…。
「そんな顔すんなよ」
「えっ?」
大地の声で、我に返る。
「…会いたくなかったか?」
少し不安げな大地。
気付けば空までが怪訝な顔で私を見つめている。
よっぽど変な表情で大和さんを見つめていたのだろう。
「そんなことないよ。ありがと、大地」
「…ならいいんだけどさ」
慌てて笑顔を浮かべたが、大地は複雑そうな表情のままだった。
それから私たちは、事件の処理がすみ、大和さんが車で送ってくれるまで、無言でその場に佇んでいた。