第三話:引力
数日後。
白雨紡を、柊は編集部へ呼び出した。
しんなりと座る白雨の前に、缶ジュースを置く。
「一向に原稿が届かない理由は?」
「ええと…なんかこう、分からなくて」
「分からないとは?」
缶ジュースに手をつけず、白雨が眉を下げた。
「お金がもらえて、居場所がある。そう思っている人を、やめさせる理由、でしょうか?」
「身体的リスク、搾取される可能性、将来の選択肢の減少。これらの理由ではいけませんか?」
「だって、今、困っていないんです」
結露が浮かび始めた缶を見ながら、白雨が続ける。
「何も困っていなくて、生活できている。やめろって言われても、理由が見つからない」
柊は目を細めた。
「それは、あちら側の視点ですか」
「……はい。手を差し出そうとすると、何が悪いのって返される。私は、答えられなくて」
結露が一滴、流れ落ちた。
ジュースを眺める白雨に、柊は天井を仰いだ。
「……テーマを変えますか?」
柊の質問に、白雨は首を横に振った。
机の上のカレンダーを確認する。
設定した締め切りは、10日後。
「……あと三日待ちます。書けないようなら、もう一度相談しましょう」
「はい……」
柊は結露を拭き取り、缶を白雨に握らせた。
白雨を駅まで送る。
いつもに比べて、口数が少ない。
ふと、すれ違った女性を、柊は目で追いかけた。
立ち止まった柊に、白雨も足を止めた。
「…柊さん?」
柊の視線を白雨が追う。
「あの女性、夜の街で見かけた方ですね」
「えっ」
白雨が、ふらふらと足を踏み出した。
「…白雨さん?」
「お昼。何してるのか、知りたい」
柊は顔を引きつらせた。
「白雨さん、待ちなさい」
白雨が振り返る。
「それを世間では尾行と言います」
「……観察、です」
「変わりません」
柊は白雨の腕を掴んだ。
白雨は、女性が消えた方向を見て。
それから柊を見上げた。
「……物語が、動く気がします」
柊は目を閉じた。
一秒。
二秒。
…ここで止めたら、知らないところで危険に飛び込みそうだ。
「……五分だけ。それ以上は止めます」
「はいっ」
柊は掴んでいた腕を離し、白雨とともに歩き出した。
女性はファーストフード店へと入る。
柊と白雨も店内に入り、注文をした。
女性の動向を気にしながら、白雨が口を開いた。
「人とごはん食べるの、何年ぶりだろう」
「…友達とか、いないんですか」
「んー…」
視線は女性に固定したまま、白雨は少し考えるそぶりを見せた。
「人といるの、ちょっと大変で。忘れちゃうから、お互いしんどくなるというか」
柊は顔をしかめた。
失言した。
少し考えれば、分かることだった。
「…すみません、余計なことを」
白雨が柊を振り返った。
「え? ぜんぜん大丈夫です!」
目を丸くして、わたわたと説明を始めた。
「記憶が苦手だって気づいてからは、ちょうどいい距離感、見つけましたし!」
「…距離感、ですか」
「はい、基本はメッセージのやり取りするとか。…あれ、でも」
白雨は柊をじっと見て、首を傾げた。
「そういえば、柊さんとは普通に話せてますね? なんででしょう?」
「……どうしてでしょうね?」
注文したものが来て、会話は途切れた。
十数分後、店を出た彼女の後を歩く。
五分ですよ、と声を掛ける度、「もうちょっとだけ…!」と懇願され。
気付けば、もう1時間近くが経っている。
ドラッグストアへ入った彼女に続き、白雨と店内へ入る。
「……私は、何をしているんでしょうか」
遠い目をする柊の横で、白雨はさりげなく女性を観察する。
化粧品を選ぶ女性に、店員が話しかけた。
二言、三言。
ふと、女性の表情が和らいだ。
白雨が、呟いた。
「つながった」
白雨がスマホを取り出した。
メモアプリを開き、文字を入力する。
『ドラッグストア、化粧品を販売する人』
柊はその様子を見ていた。




