第四話:約束
柊は、向かいに座る白雨紡という作家を改めて見た。
たった十数枚の静止画が、記憶だという。
そういえば、と柊は白雨の文章を思い出す。
時折、絵画を見ているようだと感じたことがあった。
主にメッセージでのやり取りを希望した理由。
「記録に残るから」と言っていたのではなかったか。
両手のひらを開いては閉じる白雨を、柊は複雑な心境で見つめる。
私も、その指の隙間から、零れ落ちていくのだろうか。
白い蛍光灯の光が、静かな部屋に満ちている。
ノートパソコンの小さなファンの音が、よく聞こえた。
気づいた時には、口から言葉が零れ落ちていた。
「……私が、あなたの記憶になりましょうか」
ゆっくりと、白雨が柊を見た。
ひとつ瞬きをして。
首を傾げた。
柊は、首を傾げないよう、耐えた。
なぜ言ったのか。
自分でも、分からない。
しかし、不思議と後悔はない。
しばらく見つめ合った後。
白雨が傾いたまま、口を開いた。
「わたしの代わりに、覚えてくれるってこと?」
「……一緒にいる時間で、よければ」
白雨が口を開きかけて、閉じた。
そして、机に突っ伏した。
「ちょっと…タンマください……」
「どうぞ」
小さく、鼻をすする音がした。
柊は、黙って冷めたお茶を口に運んだ。
数分後、白雨が顔を上げた。
少し赤い目元。
柊は少しだけ視線を下げる。
「……はじめて、言われました」
「そもそも、記憶の話をしていないだけでは?」
「たしかに……いや、そうじゃなくて!」
白雨は、じとっと柊を見上げた。
「自分でも、びっくりするほど嬉しくて。取り乱しました」
言葉を切った白雨は、姿勢を正した。
「覚えてくれるのなら、お願いします。今夜のことだけで、構いません」
「今夜だけ、ですか?」
白雨が、頷いた。
「今の、気持ち。忘れたくないけど、忘れちゃうから。…覚えていて、ほしい」
潤んだ目を、柊は見つめた。
ふと、祖父のことを思い出した。
認知症だった彼は、幼少期の壮一郎を、叔父の名で呼んだ。
怒りとも悲しみともつかなかったあの瞬間が。
今は何故か、とても穏やかな気持ちで思い出された。
柊は、自然と柔らかい表情を浮かべた。
「……忘れません。約束します、生涯忘れないと」
白雨が、微笑んだ。
柊は、零れ落ちた雫を目で追った。




