第三話:白湯と赤ワイン
入浴、着替え、そして心の整理。
紡がすべてを済ませて、隣に来るまで……あと、どれくらいだろうか。
ノートに、一行書き加える。
『19:50 — 入浴』
リビングのソファの脇に、ウールのブランケットを置いておく。
壮一郎はキッチンへと移動した。
小鍋に赤ワインを注ぎ、シナモンスティックとクローブを入れる。
オレンジの皮を削って加え、弱火でゆっくりと温める。
香りが、部屋に広がっていく。
照明を調整し、足元は見える程度に。
壮一郎は、温まったワインをマグカップに注ぐ。
手近にあった本とマグカップを手に、ソファに座った。
リビングには、穏やかな静寂が満ちている。
紡が吐き出した「毒」も、預けてきた「種」も、部屋の隅に追いやった。
ただ、彼女を甘やかす。
本を開き、ワインを一口含む。
甘さと、スパイスの刺激。
体が内側から温まっていく。
壮一郎は、目を閉じた。
ドアが少しだけ開く気配。
壮一郎は本を閉じ、ソファに深く背をもたれ、足を組んだ。
「……何をしているのですか。さっさと入りなさい」
ドアが、ゆっくりと開く。
湯上がりの紡が、入って来た。
髪はまだ少し湿っていて、頬は上気している。
白いシャツとゆったりとしたパンツ。
手には、花模様のマグカップ。
壮一郎は、隣を示した。
「座りなさい。あなただけの特等席です」
「…うんっ」
紡が、ゆっくりとソファに腰を下ろす。
「……今日も一日、よく頑張りましたね」
紡の瞳が、わずかに潤む。
「飲み物は、何にしましたか?」
「さゆ…」
紡が、マグカップを持ち上げた。
無色透明の液体が揺れる。
「……白湯、ですか」
マグカップに口をつける紡。
緩めたネクタイの端が、少しだけ紡の服に触れるくらいの距離。
それぞれの飲み物を口にしながら、穏やかな沈黙が流れる。
紡の視線が、壮一郎の寛げた首元に止まる。
壮一郎は、マグカップに視線を落としたまま、口を開く。
「そんな風にじっと見られると、落ち着きませんね」
「…だって」
白湯のマグカップを両手で包んだまま、紡が小さく呟いた。
「目の毒です…」
壮一郎は視線を逸らしたまま、鼻先で短く笑った。
「お好きなだけ、見ていいですよ?」
マグカップの中のワインが、揺れた。
目線を落としたまま、巡らせる。
紡を見ると、潤んだ瞳でこちらを見ていた。
「――こ」
紡が声を絞り出す。
表面上を繕ったまま、続きを待つ。
「こういう、心が揺れる感覚、大好物です……!」
壮一郎は、苦笑した。
「……『大好物』、ですか」
つくづくひどい人だ、と心の中で独り言ち。
壮一郎は紡の肩をそっと引き寄せた。
「気分よく、入眠できそうですか?」
紡が真っ赤な顔で壮一郎を見上げた。
「柊さんのそばは、いつも心地いいです…不思議な、くらいに」
「…それは、きっと」
そっと、マグカップを取り上げて、テーブルに置く。
「毎日、あなたを記録していますから」
紡が両手で顔を覆った。
触れているところから、彼女の体温が伝わっている。
この温もりを、彼女は明日覚えていないのだろう。




