辺境に追放されたお人好しの聖女、あふれる善意で救った結果——王都が壊れた
「エリシア・ブランシェ、おまえは聖女ではなく、魔女だ。ここにおまえとの婚約は破棄し、王都から追放する」
王太子レオンハルトが王城前広場に集まった観衆に向けて宣言した。
エリシアにとってその断罪と婚約破棄は青天の霹靂だった。
「王国中に広まる流行病も不況も治安の悪化もおまえが聖女になってからのもの。つまりおまえが呼び込んだ災厄だ!」
王政府が王国に蔓延する諸々の問題に対応しきれず右往左往している様子を見てはいたが、まさかそれがエリシア自身のせいだとは思いもしなかった。
しかし、はっきりとそう言われてみるとそうなのかもしれないと思わされてしまう。
王城前広場に集まった観衆も王太子に同調する。
「魔女は出ていけ!」「疫病神め!」
人々は激しい罵声をエリシアに浴びせ、石を投げつけた。
辺境の村で育ったエリシアは、16歳の成人の際に受けた教会の祝福適性試験で、たまたま聖女の適性を見出された。
聖女適性が見出されてまもなく、王都の大教会に連れてこられ、到着したその日にわけもわからぬまま王太子と婚約させられた。
王都の人々には、田舎娘とバカにされ、王太子との婚約を妬まれ、心休まらぬまま、気づいたら王国中のあらゆる問題の責任を押し付けられ、婚約破棄までされてしまった。
王都移住も王太子との婚約もまったく望んだものではなかったので、少し安堵した気持ちもあったが、王太子や民衆に非難されるのはとても悲しく、その気持ちを抱えて辺境に戻るのには気が滅入った。
「エリシア様、お待ちください」
王都の城門を出たところで、エリシアの後ろから呼び止める者があった。
振り返ると聖女の守護騎士のユリウスが走って追ってきていた。
「ユリウス……そんなに慌ててどうしたの?」
ユリウスは乱れた息を整える。
「……僕はエリシア様の守護騎士です。エリシア様がどこに行こうとお守りします。
だいたいあなたが『魔女』だなんてバカげています。少しでもあなたのことをちゃんと接していれば、あなたがすばらしい聖女だとわかるはずなのに……」
「それは言い過ぎよ。本当に私のせいで王都がひどいことになってしまったのかもしれないし」
「そんなわけないじゃないですか。どう考えたって偶然だし、うまく対処ができない王政府があなたを贄にしただけですよ。僕はそれが納得いかないんです。いいからついて行かせてもらいますよ」
「でも……あなたは大教会の騎士じゃないの」
「僕の職責はあなたの守護です。大教会が認めないなら教会所属の騎士は辞めますよ」
エリシアは困ったように笑った。
お人好しすぎて頼りないところもあったが、ユリウスの優しさだけが、王都でもエリシアの支えになっていた。
「……ありがとう、ユリウス」
※
エリシアの故郷の村への旅路は長く険しいものだった。
流行病や困窮のせいか、見回りの兵もおらず、野盗や魔物に何度か襲われることがあった。
いずれも守護騎士ユリウスが難なく撃退したが、魔物との戦闘で、エリシアをかばった際に腕に軽い怪我を負ってしまった。
「ユリウス……もしよかったら怪我を治療させてもらえないかしら」
「こんなのかすり傷ですよ。気にしなくて大丈夫です」
「そんなこと言わないで。守護騎士が怪我をしていたら、私の身だって危ないでしょう?」
エリシアが気を遣わせないために自分の身を引き合いにしていることはわかってはいたものの、そう言われてユリウスが断ることはできなかった。
「でも初めての魔法だからもし問題があったらすぐに教えて」
ユリウスは内心ぎょっとしたが、そこは顔を出さなかった。
「遠慮なくお願いします。僕は体だけは丈夫ですから、少しくらい失敗しても問題ないですよ」
エリシアはうっすらと血の滲むユリウスの右腕の傷に手をかざし、詠唱を始めた。覚えたての「治癒」の魔法だった。
「うわーっ!」
ユリウスが叫んだ。
傷口はきれいに消えているように見える。
「どうかしたの!? ユリウス、大丈夫? 痛むの?」
ユリウスがエリシアをまじまじと見る。
「本当にこれは初めての魔法なのですか?」
「そうよ。王都では魔法を使う機会も与えられなかったから、ユリウスが初めての患者さんだったんだけど……うまくいっていないようだったらごめんなさい」
「違うんです。信じられない。腕の傷が治るどころか、身体中に力が漲って、気分もとてもよくなりました。これが聖女の力なんですね。チート能力とはこういうことを言うのか……」
そう言ってユリウスはエリシアに笑顔を向けた。
「自信を持ってください。あなたは紛れもなく本物の聖女です」
ユリウスは、エリシアが王都で「魔女」のように扱われたことに落ち込んでいたのを知っていた。
「よかった……」
エリシアは照れたように微笑んだ。
「ぜひその笑顔を忘れないでください」
「ユリウスがいなければ落ち込んで魔物に殺されて、村に帰ることもできなかったかもしれないわ。本当にありがとう」
ユリウスもまた照れたように微笑む。
「聖女様に比べたら、僕なんてぜんぜん大したことないですから」
※
辺境の村もまた、王都と同じようにひどい状況で、多くの人々が流行病に倒れ、貧困に喘いでいた。
それでも村の人々は、「よく帰って来たな」とエリシアとユリウスを温かく迎え入れた。
ろくな食糧がないにも関わらず、動ける村人たちが食べ物をかき集めて、二人をもてなした。
村と王都との大きな違いは、困窮にあえいでいても、人を攻撃したり、盗みを働く者がいないことだった。
「エリシア様、治癒魔法を病の人々に施してみたらどうですか?」
もてなしの席で、ユリウスが唐突にエリシアに提案する。
「そうね……。でも私なんかの治癒魔法で大丈夫かしら」
「絶対に大丈夫です。僕が経験した中でも、聖女エリシア様の治癒魔法は圧倒的な効果です」
「そんな無理せんでもいいよ。病人に近づいたら健康なあんたらにも病がうつってしまうかもしれん」
村長がそう口を挟んできた。
「そんなこと仰らないでください。ぜひ治療させてください」
自信なさそうにしていたエリシアが急に態度を変えた。村の役に立ちたい気持ちが勝ったようだった。
翌日からさっそくエリシアは病人のいる家を訪ねて回った。
はたして、ユリウスが予想したとおり、どの病人もたった一回の「治癒」で全快になった。どの患者も一様に、すべての病気も傷も治り、気分もすぐれたと言った。
それほど人口もない村だったので、一日で村のすべての病人が回復したのだった。
※
翌日には村人たちは畑仕事に出てきた。
農地は荒れ、実っている作物はほとんどなかったが、エリシアの治療により元気を取り戻した村人たちは少ない作物の収穫を行い、また畑を耕した。
人々の様子を見ていたエリシアがふとつぶやいた。
「また魔法を使おうかしら」
「え? もうみんな元気になっていますよ」
横にいたユリウスが反応した。
「違うわよ。『治癒』以外にもいろいろ魔法の勉強はしたのよ」
「そうですか。じゃあ僕に『強化』の魔法をお願いします。僕が十人分畑仕事しますよ」
「そんなのよりもっといいのがあるのよ。いいわ、試してみる」
そう言うと、エリシアが一つの畑に近づき、詠唱をする。
「肥沃」
エリシアが魔法を発動する。
すると畑の土がまるで沸騰でもしているかのように脈動し始めた。すると地中から無数の芽がふき出し、みるみる成長し、ついには実をつけていった。
それを見た村人たちは驚き、そして口々に感謝の言葉を述べた。
エリシアは他の畑にも向かい、魔法により作物を実らせ、村人たちは喜んで収穫に勤しんだ。
※
一方、王都では「魔女」エリシアを追放したにも関わらず、流行病も人々の困窮も一向に改善していなかった。
そんな折、辺境の村で流行病が収まり、作物も豊作になっているという噂が王都にまで届くようになった。
すると一部の王都の民が、王都にいては生き延びられないと考え、エリシアのいる辺境の村にやって来た。
その王都の民たちは村に黙って侵入し、収穫されたばかりの芋や野菜を強奪しようと考えていた。
王都の民は、自分たちより教養も能力もない村人たちが運良く豊作に恵まれ、生き延びるのが許せなかった。村の食糧は、王都の民である自分たちが手にするべきものだと考えた。自分たちが生き延びた方が、王国のためにもなるのだ、と。
しかしその企みを、彼らは村に侵入してすぐに諦めることになる。
「ユ、ユリウスだ。なぜ王都最強の騎士がこんな辺境の村にいるんだ……」
ユリウスが村人たちと談笑しているのを見た彼らは、力づくで食糧を奪うのは無理だと考えた。かと言って、そのまま踵を返して王都に引き返すには、彼らは疲れ切っていた。
絶望に項垂れる彼らにユリウスが気づき、歩いて近づいていった。
命乞いをしようとする彼らに、先にユリウスが口を開く。
「この辺境の村にお客様が来るとは。とてもお疲れのようだ。よかったら食事でもどうですか?」
彼らは耳を疑った。
勝手に村に侵入した彼らを、ユリウスは警戒することもなく「お客様」などと言ったのだ。
それは王都の常識では考えられないことだった。
「王都はいまだ酷い状況です」
王都からの客は、ユリウスや村人たちが驚くほどお人好しであることをすぐに見抜き、同情を誘う作戦に出たのだった。
「流行病はますます広まり、物資も底をつき、死人が日に日に増えているような状況なのです」
ユリウスも、他の者たちも、その話を聞きながら涙ぐんでいた。
客人たちは心の中でうまくいきそうだと笑いながら、悲痛な表情を崩さなかった。
「この村は豊作に恵まれ、食糧に余裕もあります。よかったら持てるだけ持ち帰ってください」
村長はそう提案すると、彼らは自分たちの勝利に、心の中で喝采をしていた。
「ただ、流行病は食糧ではどうにもならんだろうな……」
村長は申し訳なさそうにそうも言った。
「村の方々はどうやって病を治したのですか?」
彼らはさらに欲を出し、もう一つの問題についても解決できないかと考えた。
「聖女様の奇跡による治療のおかげです」
「え? 聖女?」
彼らは気づく。そこに「魔女」エリシアがいることを。
——エリシアは「魔女」ではなかったのか?
「なるほど。しかし、聖女様に王都に来て治療をしていただくわけにもいかないですよね……」
エリシアは王都の人々にとっては追放された「魔女」なのだ。仮に災厄をもたらした元凶ではなかったとしても、王都に入ることはできないだろう。
そもそも「魔女」を連れ帰ったとわかれば、彼らも攻撃の対象になりかねない。
すると、ユリウスが「あっ」と声を上げた。
「エリシア様、ポーションを作れませんか?」
「ポーション? 作り方なんてわからないわ」
エリシアは答える。
「この村にはきれいな水が取れます。その純水を媒体にして、エリシア様の魔法を込めてみましょう」
さっそくユリウスが川から水を汲んできた。
桶の中の透き通るきれいな水に、エリシアが「治癒」を込めた。
水が一瞬光り、エリシアの魔力を吸収した。
王都からの客人たちはほくそ笑んだ。
物資を強奪しにきた自分たちが、撃退されることもなく、食糧もポーションも差し出させることに成功したのだ。
やはり王都の自分たちは賢く、辺境の田舎者は愚かなのだと再確認し、彼らは王都に凱旋することになった。
※
辺境から王都に戻った彼らは、村で無償で手に入れた食糧やポーションを、商人として王都で売り捌くようになった。
食糧はもちろん飛ぶように売れた。
ポーションについては、効果を疑う者も多かったが、藁にも縋る思いで買い求める者も少なくなかった。
病に伏せる者たちがポーションを飲むと、瞬く間に病は完治した。それどころか気分がすっきりし、高揚感すら覚えるのだった。
ポーションの噂は瞬く間に王都中に広まった。
王家までも蓄えた金と財宝に物を言わせ、ポーションを買い込んだ。
病に伏せっていない者までも、高揚感を得るためにポーションを飲むようになった。それはまるで麻薬のような依存性を持っていた。
辺境の村の物資とポーションを売る商人となった者らは、この利益を独占するため、入手元が辺境の村だということを決して明かそうとはしなかった。
しかし、その後も定期的に物資やポーションを運ぶのに人手が必要だったため、運搬のための人夫は雇わざるを得なかった。
物資やポーションを仕入れるのに、彼らが一銭たりとも代金を払うことはなかった。代わりに、彼らが支払ったのは偽りの涙だった。
彼らは村人たちに言う。
「王都は人口が多く、まだまだ物資も薬も足りません。どうか助けてください」
村人たちやエリシアらは狙いどおり彼らに同情し、食糧もポーションも惜しみなく与えた。
彼らは自分たちの賢さに酔いしれていた。
やがて王都から流行病はなくなり、物資も充実するようになった。
王太子レオンハルトが王城前広場に人を集め、宣言する。
「王都の民よ、見よ! 私がすべての元凶であった『魔女』を王都から排除したことにより、ついに病を撲滅し、生活も豊かになったのだ!」
観衆は王太子に拍手喝采した。
商人たちは思う。——確かに、愚かな王太子がお人好しの聖女を辺境に追いやってくれたおかげで、自分たちが大きな利益をあげられることになったのだ、と。
王都とはこのような者たちの集まりだった。
※
その頃、辺境の村ではある問題が起こっていた。
相次いで貴重品の紛失が発生していたのだった。ある者は農具の鉄の部分を無くし、ある者は先祖から引き継いだ銀の指輪を紛失したという。
村には貴重品と呼べるようなものは数多くはなかったが、その数少ない貴重品の多くが消失していたのだった。
王都にいたユリウスとエリシアは、それが盗難なのではないかと疑いを持った。
しかし盗まれた当事者たちが盗難ではなく紛失だと言い張った。
「エリシア様、僕は村人たちが何かを隠しているように思えます」
ユリウスが言った。
「そうね、私もそう思うわ」
「このまま事件を放置して、万が一にでも村の治安が脅かされることは避けたいですね」
「……一つ使えそうな魔法があるのよね」
エリシアはそう言いながらも、いつものように自信なさげにしていた。
「エリシア様、もっと自信を持ってください。あなたの力は本当にすばらしいのですから」
ユリウスに促され、エリシアはある魔法を使った調査を始めた。「真言」というその魔法は、対象となった者から隠し事や本音を暴くものだった。
盗難の被害者たちにこの「真言」をかけ、彼らから情報を集めていくうちに、一つの共通点が浮かび上がってきた。
紛失の直前に、彼らは必ず王都からの客人を自宅に招き入れているのだった。しかし同時に、誰一人として彼らを盗人として疑う者はいなかった。それどころか、彼らが疑われるのを避けるためにあえてそのことを言わなかった、と言うのだった。
ユリウスもエリシアも、王都の客人たちを疑いたくはなかった。しかし状況を鑑みると何らかの関与は疑わざるを得なかった。
いつものように王都から助けを乞う客人らがやってくると、ユリウスが彼らに言った。
「あの……申し上げにくいのですが、多くの人々が、あなた方を自宅に招いたときに貴重品が無くなったと申しているのですが……」
彼らはお人好しの村人たちがそのことを告発するとは考えてもおらず、驚いた。
証言が出ているからには、ユリウスに逆らうことはできないと考え、彼らは盗みをしていたことを白状した。
「本当に申し訳ありません。しかし、いくらご支援をいただいても王都での生活はまだまだ苦しく、つい出来心でいくつか品をいただいてしまいました」
村人たちは王都の客人たちが盗みを働いたと疑いすらしていなかったので、驚きを隠せなかった。
しかし村人たちは、それでも犯人を責めるどころか、むしろより同情した。——盗みを働くまで王都の人々は追い込まれてしまっているのだ。
そして彼らにこう告げた。
「盗みなどせずとも、必要なものはなんでも差し上げるから、言ってくれ」と。
「本当に愚かなほどお人好しだな」と、彼らはまた心の中で村人らを見下し、笑った。
彼らはいつものように食糧とポーションを受け取り、さらには多くもない村の金品も搾り取って、意気揚々と王都に帰っていくのだった。
※
ユリウスとエリシアは王都の状況に心を痛めていた。
「エリシア様、僕は思うのですが、王都の治安が悪く盗みも日常的に起こっていることが原因で、物資をいくら提供しても状況がそれほど改善しないのだと思うんです」
「うん、それはありうるわね。王都にいたときは、人々がお互いを疑い合うような関係で、自分の利益のことばかりを優先していたように思うわ。あれでうまく物資も行き渡っていないかもしれないわ」
「はい、あの王都の客人たちのように、王都を憂いている者ばかりではないと思うのです。例えば、村が提供した物資の多くを王政府に徴収されているのではないかと僕は疑っています」
「もしそうだとしても、私たちにはどうすることもできないわ……」
「いえ、僕に考えがあるんです。もし『真言』を王都にも広めたら、王都の治安も改善するのではないでしょうか」
エリシアは少し考えて言った。
「そうね。あの王都のお客様たちを見る限り、王都の人々も本音はお互い助け合いたいと考えているはずですものね。『真言』の効果で本音を言い合えるようになれば、お互いを疑い合うのはやめて、助け合いを始めるはずだわ」
ユリウスもエリシアも、この辺境の村人たちの善意にあたりすぎて、人は皆、本性に善性を持つものだと思い込んでしまっていた。
それからエリシアはさっそく作業に入った。
王都が平和な場所になることを夢想し、嬉々として「治癒」と「真言」の効力を新しいポーションに込めていった。
ほどなく王都の商人たちが村を訪れ、エリシアが何日も夜通し大量に製造したポーションを持ち帰っていった。
そうしてエリシアとユリウスの善意のこもったポーションが王都へと流通していったのだった。
※
辺境の村にまた新たな問題が発生した。
王都からの人々の出入りが多くなってきたせいか、人を追ってきた魔物が村にたびたび侵入してくるようになった。
ユリウスがそのたびに魔物を撃退してはいたのだが、複数の魔物が同時に入り込んだときに、ついに村人に怪我人が出てしまった。
ユリウスとエリシアがすぐに駆けつけ、魔物を倒し、村人も治癒され大事には至らなかったものの、村人は魔物の脅威に怯えることになった。
「エリシア様、いつも頼ってしまい申し訳ないのですが……」
「わかっているわ。村に結界をはります」
「おお……ついにご自身に自信が持てるようになったのですね」
「自信がなくたってやるしかないじゃない。誰かが傷つくのは耐えられないもの」
そうしてエリシアは村の四方に魔法陣を描き、村全体を覆うように結界を張った。それは邪悪な存在の侵入を防ぐ強力な結界だった。
その結界がはられてから、村に魔物が侵入して村人を襲うことはなくなった。
村人たちは数少ない金品も差し出し、財産と呼べるほどのものもなくなってしまったが、それでもエリシアの能力により、飢えることはなくなり、病や怪我に悩むこともなく、平和で穏やかな日々を過ごせることに満足していた。
村人たちの唯一の懸念は王都の苦境であったが、やがて王都からの客人がやってくることもなくなり、村の支援が不要な程度に王都の状況はよくなったのだと、村人らは安堵した。
※
辺境の村人たちの想像に反し、王都は大きな混乱の中にあった。
すべてのきっかけは、エリシアの「真言」入りのポーションを多くの人々が飲み始めたことだった。
売り捌いた商人たち自身もすでにポーション中毒になっており、真っ先に「真言」入りポーションを飲んでしまっていた。
そして彼らは大量に仕入れた食糧やポーションが、辺境に追放された聖女の能力によるものだと自ら明かし、利益を独占するために王都に誰にもそれを教えなかったのだとも告白した。
その話はすぐに王都中に広まり、妬み深い王都の人々の、商人への怒りを誘った。
「奴らは自分たちだけうまい汁を吸っている」「俺たちはひどい搾取を受けている」
特に「真言」入りポーションを飲んだ者たちはその怒りが抑えきれず、商人たちの屋敷を襲い始めた。
屋敷に蓄えられていた金品を根こそぎ奪い、その家族に暴行を加え、それでも怒りが収まらない暴徒たちは家を破壊し、商人たち本人を痛めつけようと考えた。
しかし商人たちはすでに王都から逃亡しており、民衆は暴力の標的を失ったことに気づいた。
そのとき、ある者が言った。
「そもそも聖女を追放したのは王太子ではないか。聖女の奇跡さえあれば、王都には病も苦しみもなかったはずなのだ」
すると別の者も言う。
「そもそもの苦しみは王政府の悪政のためではないか」
行き場を失うかと思われた民衆の怒りは、王太子と王政府に向かい、群衆が王城へと迫った。
王城を守るべき衛兵たちは、その大軍を目にすると怖気付き、むしろ彼らも王家への日頃の不満から、民衆を抑えつけるどころか、王城扉を開き、その群衆に合流した。
王城内の広間には外出しようとしていた王太子レオンハルトがいた。
「何なのだ、貴様らは!?」
突然王城内に侵入してきた群衆たちにレオンハルトは気圧された。
「いたぞ! 王太子だ」
「いかにも。俺は『魔女』を王都から排除した英雄レオンハルトだ。ひれ伏せ! そしてその汚い足をこの王城から退かすのだ」
それを聞いた群衆は、ひれ伏すどころか嘲りの表情を浮かべ、レオンハルトは狼狽えた。
「『聖女』を王都から追いやった愚か者だ!」「王家こそ悪の元凶だ!」「破滅させろ!」
群衆はレオンハルト目がけて駆け出し、割れ先にとレオンハルトに殴りかかった。レオンハルトは血走った人々の目にこれ以上ない恐怖を覚え、なす術もなく暴力を受け続けた。
このままでは死んでしまうと、レオンハルトは隙を見てポーションを飲んで回復を試みた。ところが傷が治ったレオンハルトを見た群衆は、まだ暴力が振るえると目を輝かせて再び暴行を始めた。
まもなく王太子が息絶えると、群衆はさらに王城の奥へと進んだ。王政府の重臣たちや国王、王妃も誰彼構わず暴力に晒され、王政府の宝物庫が開放された。
王城を荒らし尽くした群衆はまだ怒りと興奮の中にいた。それはもはや狂気と言うべきものだった。
群衆は王城を出ると散り散りになり、それぞれが日頃から怒りを覚えていた隣人や友人や家族のもとに向かっていった。
王都の各所で喧嘩が始まり、怪我人が出始めた。
傷ついた人々はポーションを飲み、回復すると同時に、「真言」によって怒りを発露し、攻撃の輪が次々と広がっていった。
暴力は歯止めが効かなくなり、ついには王都のあらゆるところで殺し合いが始まり、王都には死体が溢れかえった。
一方、王都に留まっては無事ではいられないと考えた人々は王都を離れることを決めた。その中には家を襲われ、財産をすべて奪われた商人たちもいた。
彼らは王都にとどまることはできなかったため、辺境の村に移住し、村人たちのお人好しに付け込んで村を乗っ取ることを考え、大挙して村を目指した。
しかし、彼らは辺境の村の手前で目に見えない壁のようなものにぶつかり、それ以上前に進めなくなった。
別の道を探したが、どこからどう進もうとしても見えない壁に阻まれた。
それはエリシアの結界だった。
その結界は、邪悪な魔物だけではなく、邪な精神を持つ王都の民衆も受け入れなかったのだ。
そして、稀代の聖女、エリシア・ブランシェの類いまれな能力で組み上げられた結界は、人間程度の力ではいかにしても破ることはできなかった。
王都から来た暴徒は、自分たちに残された選択肢が絶望的なものしかないことを認識した。
王都で狂気の中にいる人々に殺されるか、あるいは王都には戻らず、飢えに耐え、野生の魔物の脅威に晒されるか……
※
「エリシア様、愛しています。死ぬまで、いえ、死んでもエリシアを守り続けたいです」
唐突にユリウスがエリシアに言った。
「何をバカなこと言っているのよ」
エリシアは恥ずかしそうに顔を赤くした。
そして、本当に効果があったのか確かめるため、「真言」の効力の込められたポーションをユリウスに飲ませたことを思い出し、エリシアはより顔を赤くした。
効果が出ているのであれば、ユリウスは本音を言ったのだ。
ユリウスもまた、自分の発言があまりに直接的だったことに恥ずかしくなり、エリシア以上に赤面していた。
もう二度とポーションは飲むまいと心に誓い、彼は見事にポーションの依存性にも勝つことになる。
辺境の村は今日も平和だった。
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