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目を覚ましてからは、特典として与えられてしまったのだから、受け入れるしかない…… と割り切った。
そして、今後どう過ごしていくべきかを考えるために、どうすれば相手の心の声が聞こえるのかについて、申し訳ないと思いながら、お屋敷の使用人相手にいろいろと試してみた。
結果、相手に対する意識を5秒以上向けると心の声が聞こえてくるという事がわかった。5秒経つ前に違う事を考えたり、他の人に目を向けると心の声は聞こえてこない。
その結果に辿り着くまでには一日半かかったが、学院に入るまでに対処方法がわかった事で、学院に行く気が失せずに済んだので、ひとまずホッとした。
対峙した人の心の声が聞こえてくるなんて、恐ろしくて部屋に引き篭もるしかないと半ば絶望していたのだが、なんとか普通に過ごす事が出来そうだ……
本当に良かった……勝手に心の声を聞いちゃったメイドのみんな、ごめんね、と心の中で謝った。
人の心の声を聞く事は、完全にプライバシーの侵害だ。なるべくこの能力が発揮されないように、5秒経つ前に意識を逸らすようにしていこう、と心に誓った。
ペットを飼うどころではなくなってしまった。人の心の声が聞こえないように日々配慮して生きなければならないのだから、ペットと仲良くなりたい戯れたいという考えは吹き飛んでしまった。
だって、対峙している相手と5秒話すだけで心の声が聞こえてしまうなんて……恐ろしすぎる……
元々アイリーンはあまり人と話す方ではないけれど、学院生活で人と話さずに過ごす事は絶対に無理だ。5秒経つ前には他の人に意識を向けたり、お菓子のことでも考えないと……と、学院生活では常に気を張って過ごさなければならない。屋敷に帰ってからペットのお世話をする余力は絶対にない。当初のペットとの楽しい会話は完全に諦めた。とにかく平穏無事に暮らす事が課題となった。
翌日、お祖父様とお祖母様に笑顔で挨拶をして領地を出た。朝早く出発すれば途中昼食休憩をとっても、夜までにはタウンハウスに着く。この世界に車はないが、街道は整備され、馬車自体も乗りやすく改良されているため殆ど揺れない。魔獣の血を引く馬が馬車を引くため速度も速かった。外の景色をみながら時折うたた寝すれば、すでにタウンハウスだった。
神様から与えられた能力については、そもそも能力を使うつもりがないので、家族にも誰にも伝えない事にした。
タウンハウスに到着すると、知らせを聞いたお母様とお姉様がエントランスで出迎えてくれていた。
「おかえりなさい、アイリーン。お父様とお母様はお変わりなかったかしら?」
「おかえりなさい、アイリーン。領地でゆっくり出来たかしら?」
とお母様とお姉様が微笑みながら言う。
「はい。お祖父様もお祖母様もお元気でしたわ。ケリーに乗ってお散歩したりと、ゆっくり過ごしました。次は三人で伺いますと約束してきましたの。次のお休みには三人で一緒に行きたいですわ」
「そうね。学院の長期休みになったら三人で行きましょう。さぁ、晩餐の時間は遅くしてあるから、ゆっくり湯浴みしていらっしゃい」
「疲れたでしょう?ゆっくり湯槽に浸かるといいわ」
お母様とお姉様の言葉に頷き自室へ向かった。
学院は13歳から成人となる16歳までのため、昨年からお姉様は次期伯爵となるべくお母様の元で学んでいる。学院中に懇意となったマーシャル侯爵家の次男であるアルバート様と昨年婚約を結び、お姉様が18歳となったら結婚する事になっていた。
(学院の間に懇意になった方とそのまま婚約を結ぶ方が多いけれど……私にもそんな方が出来るかしら?この能力を使わないように人と接しなくてはならないから……そもそも人と懇意になれる気がしないわね)
と、湯槽に浸かりながらため息を吐いた。神様は幸せになってくださいと言ったけれど、この能力はそれと真逆の道となるとしか思えない。アイリーンも愛も引き篭もり体質である。この能力はマイナスにしかならない……と少し神様を恨んだ。
(まあ、でも対処方法に常に気を付けていれば人の心の声を勝手に聞く事はないのだし。普通に生活は出来るわよねっ)
と、来週から始まる学院生活を平穏無事に送ってみせる!と、湯槽に浸かりながら小さくガッツポーズを決めたのだった。
翌週から学院が始まった。通うのは王都にタウンハウスを持っている貴族の子供のみのため子爵家と男爵家の子供はいない。今年の新入生は子息が15名、令嬢が11名の26名だった。
ロックウェル伯爵家は姉が継ぐため、アイリーンはお嫁に行かなくてはならない。侯爵家以上では従属爵位を次男以降が相続し領地を引き継ぐ場合があるが、伯爵家以下の場合、次男以下は大抵は騎士や文官、魔術師などの王宮勤めの領地の持たない準貴族となる。商才があって商人となったり、なりたい職業があった場合には貴族令息でも自ら志願して平民となることもあった。
そのため、高位貴族の長男と公爵や侯爵家の令息達は、高位貴族のままでいたい令嬢達にとって、いわばターゲットとなる。学院で見初められて婚約者の座を得ることが一般的なため、令嬢達によるライバル争いは入学直後から始まる。新入生15名の令息の内、爵位を継承するであろう者は、公爵家の三男であるセドリック、侯爵家の次男であるリチャードとフランシス、侯爵家の三男であるランセル、ジェフリー、伯爵家長男のフィリップ、ルドルフ、レオンの8名で、彼らの周囲には常にクラスメイトや上級生の令嬢が群がっていた。
愛であるアイリーンは平民となる事に一切抵抗はなかった。貴族子息達に見初められなくていいので、ただただ平穏に暮らしたい、と休憩時間は一人本を読んで過ごした。仲の良い侯爵家の次女のダイアナと伯爵家長女のソフィアは平民になりたくないから、ライバル争いに果敢に参戦している。ランチタイムでは、彼女達の話しを聞きながら、意識をどちらかに集中しないように気を付けて食事を摂った。クラスメイト達との会話も、印象が悪くならないように配慮しながら必要最低限にとどめ、ディスカッションでも一人に意識を5秒以上向けないように配慮した。さすがに教師の顔を見ない訳には行かなかったが、講義内容に意識を集中するので、教師の心の声が聞こえる事はなかった。
社交シーズンが始まる長期休みまでは7ヶ月あったが、最初の3ヶ月は誰の心の声を聞く事なく平穏に過ごす事が出来ていた。
なので、少し油断していたのだと思う。
4ヶ月目に入ったある日、クラスで4グループに分かれて異国文化についてのディスカッションをする事になった。
長テーブルの両端にセドリック様とランセル様が座り、セドリック様の両脇にはクラスメイトの令嬢二人が向かい合う形で座った。私と伯爵家のカイル様がランセル様の両脇となる配置で6人が一つのテーブルを囲み、ディスカッションを始めた。
開始10分経ったころ、セドリック様の発言を聞いている際に、
(セドリック様の声って、イケボなんだよね……アニメの声優の声に似てるのよね)
と、つい声に意識を集中してしまった上、顔もアニメの第二王子に似ていたな、と顔もじっと見てしまったのだ。そしてそこで、セドリック様の顔色が青白い事に気付く。唇の色も白っぽいな、と感じたその時、
(まずいな……吐きそうだ……この両隣の香水の匂いが混ざるとこうも気持ち悪くなるのか……っ、耐えろっ俺。気づかれないように息を止めれば何とかなるっ)
と、心の声が聞こえてきてしまったのだ。すでに5秒経ってしまっていたらしい。
だけど、なるほど、と顔色が悪いのは香水の匂いのせいかと納得した。確かに隣の令嬢は花のような香りの香水がやや強い。対して向かいの令嬢の香水はバニラっぽい甘い匂いがする。セドリック様には香害になっているようだ。
講義中の途中退室はマナー違反とされるため、席を立ちづらいのだろうと判断し、このまま我慢して吐かれる方が大惨事となるため、セドリック様を救出する事とした。
「皆様、ディスカッション中に申し訳ございません。少し体調が優れなくて……サミュエル先生、申し訳ございません。医務室へ行ってもよろしいでしょうか?」
と教師に向かって声をかける。
「ああ、もちろん。一人で大丈夫か?」
「はい。大丈夫です。では、皆様大変申し訳ございませんが少し席を外させていただきますわね」
とゆっくりと立ち上がり、セドリック様のところまで歩いた。セドリック様の横に来た時にセドリック様の方へわざと倒れ込む。咄嗟にセドリック様が立ち上がって肩を支えて下さった。
「だ、大丈夫か?」
「大変申し訳ございません……少し目眩がしてしまって……」
(よかったー。ぶつかる前に支えてくれて)
「私が医務室まで送ろう。エスコートしても構わないだろうか?歩けないようなら抱き上げさせてもらうが……」
「だ、大丈夫です。歩けますっ。ですが……エスコートをお願いしてもよろしいでしょうか?辿り着ける自信がありません……」
(抱き上げられるのは勘弁だけどっ)
「途中でまた倒れるかもしれないからな。サミュエル先生、私も席を外します。皆、すまない。医務室に送ったら戻ってくるので、そのまま続けていてくれ」
セドリック様が私の腕と肩を支えてゆっくり歩き出す。少しセドリック様の腕に体重をかけながら歩いた。
(これで何とか具合悪そうにみえるわよね)
「大丈夫か?歩くのが辛かったら言ってくれ。抱き上げられるのは嫌かもしれないが、早く横になった方がいいから」
(体調が悪いアイリーン嬢には申し訳ないが……実際大変助かった…… あの匂いにあれ以上晒されたら俺がだいぶ不味いことになっていただろう……)
「ありがとうございます……ご迷惑おかけして申し訳ございません……」
そっと顔を伺うと顔色が戻っていた。気分が良くなったらしい。
「気にしなくていい。ゆっくり行こう」
(アイリーン嬢は、香水をつけていないのだな。ほんの少し髪から香りがする程度だ。みんなこの程度にしてくれれば気分が悪くならないのだがな……)
香りに敏感なのだろうと察した。私は基本引きこもりだから、香水はつけない。令息の気を引くつもりがないので夜会でもつけなかった。
医務室には学院の医師が常に在中している。……はずなのに、何故か医務室に行っても医師がいなかった。お手洗いかしらね?と首を傾げていると、セドリック様が張り紙を見つける。
「所用で一時間程不在となるらしい。教師の控室に行って誰か先生を呼んでくるよ」
「あ、いえ!少し横になれば問題ございませんので…… あの、そのっ!令嬢にはよくある事ですのでっ!大丈夫ですっ!」
(演技だからっ 大事にされたら困るのっ)
「えっ?あっ!す、すまない。配慮が足りなくてっ! では、ゆっくり休んでくれ。俺は戻るよっ」
セドリック様が焦って早口で言う。おそらく、月経による貧血だと思っているのだろう。
「はい。ありがとうございます。助かりました。私はこのまま少し休みますので、しばらく教室には戻りません。皆様とディスカッションしやすいように、どうぞ私の席をお使いください」
「わかった。皆にも伝えておくよ。ではゆっくり休んでくれ」
(助かった!教室に戻るのが憂鬱だったが、あの匂いが片方なら何とか大丈夫そうだ。素晴らしい提案をしてくれたアイリーン嬢には感謝しかないな)
爽やかな微笑みを向けながら、軽く手を挙げて医務室を出て行った。
普段、誰の顔もあまり見つめないように注意しているため、爽やかかつ整った顔の公爵令息の微笑みに、うっかりときめいてしまった。
免疫のない女子には、イケメンのスマイルは破壊力が強い、と言う事を身を持って知ってしまう。
なんて事だ……私、チョロ過ぎない?いや、でもこの世界の貴族、私も含めてだけど顔面偏差値高いんだよね……何故かスタイルもいいし……
イケメンに微笑まれてときめかないのは少数派だと思いたい。
いや、でも、う〜ん……ライバル争いに参戦するつもりなかったんだけどなぁ〜……セドリック様が気になる存在になってしまったのは否定できない。心の声を聞いちゃったからっていうせいもあるのだけど……でも、もちろん、これ以上勝手に聞くつもりはない。うん。気をつけなきゃ。
私、平穏に暮らしたいんですっ!どうかこのときめきが恋心に発展しませんように…!
……と願ったが、13歳の恋愛初心者である愛ことアイリーンである。ときめいた時点ですでに恋に落ちてしまっていたので、その願いは無意味であった。




