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第3話 他人を識別するものだったはずなのに

 アワムという名前の花を知っていますか。季節を問わず限られた時間帯にだけ咲く、はずかしがり屋なものなのですが……とてもきれいで。

 エマからの手紙の一部をアイはあらためて読み、庭でジョーロを傾けているカンナのほうを見た。

 カンナに声をかけようとしたところで、いつぞやの頬をふくらませている黒髪の彼女の姿が浮かんでしまいアイは口をつぐむ。

 和室にある座椅子ざいすにあぐらをかくアイに呼ばれた気がしたからかカンナが振り向く。

「わたしのことを呼びましたか?」

 アイは首を横に振る。

「そうですか……アイぼっちゃんに呼ばれたような感じがしたんですけどね」

 カンナがふたたび花の手入れに集中をしはじめたことを確認してからアイは息をついた。

「白ネコに聞いてみるか」

 アイは立ち上がりカンナに気づかれないようにかふすまを音を立てないように開き、和室を出ていく。

「アイぼっちゃんは変な気のつかいかたをするようですね。わたしはそこまで子供でもないのに」

 わたしのための行動だと思いましょうかね……とカンナはほほえんでいた。




 アイは白ネコのお気に入りの場所の一つである、すみの部屋に向かった。日によって山や火が壁一面に筆で描かれるが……今日は雨だった。

 黒い墨の絵のあまりの迫力に、アイは襖を開けたまま呼吸のしかたを忘れてしまうもなんとかすぐに思い出せた。

 襖の閉じる音に反応してか耳を動かしつつも丸くなっている白ネコの隣にアイが座る。

 ついさっきまでまぶたを閉じていた白ネコがひげをびくつくせると黒髪の彼に顔の正面を向けた。

「どうかしたのか? ボン」

 眠たそうに白ネコは目を細めている。

「聞きたいことがあって」

「とうとう女の落としかたを覚えるつもりになったか、ずいぶんと遅かったがボンも色気の必要性が」

「女の子の口説きかたはまた今度でいいよ」

「つまらん」

 鼻から勢いよく空気を吐き出して、白ネコは起こした身体をふたたび丸くする。

「白ネコはアワムという名前の花を知っている?」

「アワム……アヤカシの花だな。普段は雑草にしか見えないが特定の条件と時間帯を満たすと」

 そういえば最近はまったく見かけなくなったなと白ネコがあくびをした。


「そのアワムがどうかしたのか?」

「エマさんに見たことありますかって聞かれたからどんなものなのかなと思ってさ」

「アヤカシの花ではあるが、そのへんに生えている植物と大した違いはない」

「アワムの花言葉とか知っていたりする?」

「花より団子だ。おれに聞くよりも花の世話をしているカンナお嬢さんに聞くほうがはやいだろう」

 アイの返事がないからか白ネコが顔を動かす。

 黒髪の彼の心の動きを読み取ったようで白ネコはなんとも言えない種類の鳴き声を響かせた。

「えらくカンナお嬢さんがお気に入りのようだな。相手がリン姉ならそこまで気をつかわないと思うんだが」

「リン姉さんと違って愛情表現が露骨だから」

「おれからすれば似たような愛情表現に見えるが」

「リン姉さんのはからっとしていて……カンナさんのは」

 唇を動かすのをやめたアイが首を傾げる。

「どうかしたか?」

「ネコにもわかるように上手く言語化できなくて」

「ボン。別に勉強やテストじゃないんだ……おれに理解させる必要はない」


 自分の中でその気持ちがわからないなら問題ではあるがな、と白ネコは言う。

「ぼくにはいいなずけがいるんだけど」

「ボン以外の人間が勝手に決めたことだろう。いざとなれば反故ほごにしてしまえばいい」

「誰かに迷惑がかかるよ」

「お利口さんになった結果、ボンの人生がこわれるよりはマシだ。お前の人生はお前のもの……それに生きているだけですでに迷惑がかかっている」

「白ネコが言うと説得力があるね」

「だろう。ムダに長く生きてないからな」

 白ネコがにやりと笑う。

「それにボンが思っている以上に自分以外の存在を好きになるのは理屈通りにいかないのさ」

「そうなの? 白ネコだったらコントロールできるんじゃないの。女の落としかたを知っているし」

「ほれた女には上手くいった試しがない」

「ふーん、本当に好きな人だと緊張するからとか」

 そんなところだろうな、と返事をしながら白ネコがゆるやかにしっを動かす。

 眠くなってきたようでアイは白ネコを枕代わりにする。慣れているようで白ネコは動揺してない。

 かつて白き獣とも呼ばれていた、アイを包みこむほどに大きな本来の姿に白ネコは戻っていた。




 白ネコは過去の出来事を夢で見ていた。

 アワムの花が咲く、しんとした明るい満月のかがやいている夜。白ネコは男と出会う。

 男の着ている服はボロボロで血で汚れていた。

 今にも呼吸がとまりそうな男を、白ネコはなんの感情もなさそうに見下ろす。男の近くにはアワムの花がいくつもあった。

「アヤカシ……頼みたいことがある」

 男が自分に話しかけていると思ってないかのように白ネコは反応をしない。

 そもそも男が死にかけていることさえも白ネコは興味がなさそうだった。

 ただただ白ネコは美しく咲くアワムの花をじっと見つめている。

「おれには女がいる。つがいというやつだ……アヤカシのお前たちにも似たような言葉があるはず」

「それがどうかしたのか」

 やっと白ネコが返事をしてくれたからか男がうれしそうに笑う。

「おれに化けてくれ。アヤカシなんだ、いとも簡単にできるだろう?」

 白ネコが軽く鼻息を吐き出す。


「なぜ、おれがそんなことをしなければならない」

「おれの姿が見えたからだ。アヤカシ、お前はおれと似ているから見えてしまったんだろう」

 運が悪かったな、と男は笑うと……ふっと消えてしまい。一面に咲いているアワムの花だけがその場に残った。

「男の言う通り、見えたということはあなたと魂の性質が似ていたんでしょうね」

 白ネコの頭の中でアワムの花の声が響く。

「だからといって、おれがその男の願望をかなえる理由はないと思うが」

「おかしなことを言いますね……本当にそう思っているのであればさっさと立ち去ればよいではありませんか」

 わたしと会話している時点であなたは自分と似た魂を持った男を気がかりだと考えているのでは? というアワムの花の言葉に対して白ネコがだまってしまう。

「食えないやつだ」

「あら、花までも食べようだなんて食いしん坊なんですね」

 白ネコは男の姿に化けた。

 鼻を動かし、自分の化けた男のにおいをたどる。

「物好きですね。白くてきれいなケモノさんは」

 一面に咲いているアワムの花が風もないのに左右に揺れていた。




 鼻をひくつかせる白ネコは武家屋敷のような建物をしばらく見上げてから……堂々と玄関の引き戸を開ける。

「おかえりなさい」

 白ネコの化けた男は頻繁ひんぱんにふらりと自分の家からいなくなるタイプの人間だったのか、まったく足音をさせずに近づいてきた彼の妻であろう女は怒った様子もなく出迎えてくれた。

 赤い目をした女の腹は大きく、新たな生命をつくろうとしているようだった。

「悪かったな。長いこと留守にしていて」

「なにか変なものでも食べました? いつものことじゃないですか」

「変なものは食べてない。食べそこねたというべきかもしれないな」

 男に化けた白ネコの冗談の意味はわからなかったはずだが腹の大きな女がほほえむ。

「お腹がすいているようですね。すぐにつくりますから待っていてもらえますか」

 簡単な返事をして、男に化けた白ネコはブーツのような靴を脱いで廊下をゆるやかに歩く腹の大きな女を追いかける。

 男に化けた白ネコが歩くたびにきしんだ音がする廊下を、不思議なことに腹の大きな女は静かに移動していた。


「相変わらず面白い音を聞かせてくれますね」

 男に化けた白ネコの前を歩く腹の大きな女が振り返りながら言う。

「腹の中の赤子に気をつかってないからだろう」

「わたしのために愉快な音楽をかなでてくれているのですから、よいではありませんか」

「すまなかったな。留守にしていて」

「本当に今日は変ですね。疲れているんですか」

 いいや……と男に化けた白ネコは否定した。

「こちらで待っていてもらえますか。すぐに食事を用意させてもらいますから」

 客人をもてなすように男に化けた白ネコを、腹の大きな女は和室へと案内。

 木製の長方形のテーブルの近くにおずおずと男に化けた白ネコがあぐらをかく。

「今日は座椅子をつかわないんですね」

「気分じゃないんでな……個人的には丸くなるのが一番落ち着く」

「そうだったんですね。知りませんでした」

 首を傾げつつも腹の大きな女は男に化けた白ネコにそれ以上は言及しなかった。

 腹の大きな女が台所のほうへ姿を消し、しばらくすると。


「おしりパンチ!」

 奇妙な技名を叫び……走ってきた小さな女の子がヒップアタックを男に化けた白ネコにくらわせる。

 微動だにしない男に化けた白ネコのリアクションが不満だったようで小さな女の子がだんを踏む。

「わたしと遊べ!」

「食事が終わってからな」

「今すぐ遊んでくれないとおしりビンタするぞ」

「肩車をしてやるから勘弁してくれ」

 小さな女の子の表情がぱあっと明るくなった。

 しばらく時間が経ち、男に化けた白ネコの異様な姿を見てか料理を運んできた腹の大きな女が不思議そうにする。

「その状態も落ち着くんでしょうか?」

「色々とあってな……この状態で食事をしなければならなくなったんだ」

 あぐらをかく男に化けた白ネコに、肩車をされている小さな女がきゃっきゃと楽しそうに笑う。

 男に化けた白ネコは小さな女の子が腹の大きな女の娘かどうかは確認しなかった。

 提供をされた肉じゃがを男に化けた白ネコが一口食べる。

「お口に合いますか? アキトさん」

 と腹の大きな女に名前を呼ばれ、はじめて白ネコは化けている男の存在を認識した。

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