第2話 知らなくても、新しくても、信じているし
この世界にはよくわからないものがいる。
一般的に妖怪やアヤカシと呼ばれる存在。
個体によっては人間に化けるタイプのアヤカシもいる……カンナさんもそうなのだろう、たぶん。
擬態できるレベルのアヤカシはほとんどおらず、数もとても少ない。
知能が高いからか、人間への興味が薄いからか、共存をするほうが食料を確保しやすいからかは様々だが、どのアヤカシも基本的には人間に危害をくわえることはないらしい。
だから、擬態したアヤカシを見抜くことのできる目を持つぼくもそれほど特別な存在ではない。
他人よりも視力がよい、という感じだった。
「これがうわさの人間に擬態したアヤカシを見抜く赤い目ですか。きれいですね」
どうしてこうなった、とでも言いたそうな表情をしつつもアイは目の前で正座をするカンナのほうをまっすぐに見つめていた。
「もうそろそろいいですか」
二人きりの和室にほかの誰かが入ってこないかと気にしてかアイはそわそわとしている様子。
にんまりとカンナが笑みを浮かべた。
「もっと見てくださいよ……じゃなかった。もっと赤い目を見せてくださいよ」
どんな風に見えるんですか? 切り替えなんかも可能なんですか? わたしのことは好きですか? と矢継ぎ早にカンナが質問をする。
「目とは関係のない質問があったような」
「一番重要な質問ですね」
「どうしても答えないとダメですか」
「別に答えてくれなくてもいいですよ……エマさんからの手紙の返事のお手伝いをしなくなりますが」
笑顔のままでカンナがさらりと言う。
顔を動かさずに、アイが木製の長方形のテーブルの上に置いたエマからの手紙を横目で見た。
カンナのアドバイスもあったおかげかエマからの手紙の文面の量は以前より倍増。おそらく許嫁である自分への関心が強まっている結果なのだろうとアイは考えていた。
「悩むということはアイぼっちゃんは自分の好きな相手以外には愛の言葉を伝えたくないようで」
「単純にはずかしいという気持ちもあるかと」
「どこまでも正直者ですね。アイぼっちゃんは」
この場限りの嘘でいいんですよ、わたしはそれで満足できますから……とカンナがささやく。
「ダメだと思います」
「どうしてですか?」
「許嫁とはいえ、ぼくには愛している女の子がいるんですから。カンナさんやほかの異性に好意を抱くような言葉は伝えられません」
カンナの目を見ながらアイは言う。予想外の返事に黒髪の彼女はおどろいていたようだが……すぐに元の表情に戻る。
「だったらしかたありませんね。わたしもアイぼっちゃんに意地悪するのが楽しかっただけなので気にしないでください」
意地悪だったんですか、とでも言いたそうな顔をアイがする。そんな黒髪の彼の無垢な反応を見てかカンナが身体を震わせた。
「抱きしめたくなるような可愛らしい反応ですね」
「できることならやめてくれると助かります」
ずいっと近づいてくるカンナと距離をあけるためかアイが両手を前に出した。黒髪の彼の両手を包みこむように握ろうとするも逃げられてしまい、黒髪の彼女が唇をとがらせる。
「抱きしめてもいいでしょうか?」
やんわりとした口調だがアイの赤い目を見たいと言ったときと同じように意見を曲げるつもりがないようで、じっと黒髪の彼を見つめていた。
アイが顔をそらそうとしてもカンナはどこまでも追尾をする。
「膝枕で手を打ってくれません」
「抱きしめるのはダメなのに膝枕はいいんですか」
不思議そうにカンナが首を傾げた。
「カンナさんに納得してもらうためにこちらの条件を緩和した感じです」
「条件の緩和ということは……本来なら愛している女の子以外に触れるのもダメだということですか。アイぼっちゃん的には」
カンナの言葉に対してアイがうなずく。
「条件をゆるめてくれるのであれば抱きしめさせてくれてもいいのでは? 異国ではあいさつのようなものでもありますし」
「この国ではあいさつではないので。膝枕だったらぼくの赤い目を見下ろすこともできるかと」
「アイぼっちゃんのやわらかそうな頬に触れさせてくれるのも追加してくれれば手を打ちましょう」
「頬だけですよ」
「わかっていますって。わたしもアイぼっちゃんと同じでやわらかくて、あたたかいものに触るとドキドキしてしまいますから」
女の子のやわらかい胸とかね……とカンナに言われてかアイが身体をびくつかせた。
「アイぼっちゃんは嘘をつくのがとても苦手なようで助かります」
「ち、違いますよ」
「アイぼっちゃんが嘘をつくのが苦手だということがですか? 上手だったら、がんばって見抜きますのでお気になさらず」
アイが口をつぐむ。わざとか、黒髪の彼の言っていることがわからないという表情をするカンナ。
唇を動かしかけるが結局アイはカンナに弁明するのをやめてしまった。
自分が口にするどんな言葉もカンナにとっては、おもちゃのようなものなのだろうとアイは諦めたのかもしれない。
「おしゃべりはおしまいですか? アイぼっちゃんとの会話はぞくぞくさせられて面白いのに」
返事をせずアイは寝転がった。自分の太腿に不意に頭をのせてきた黒髪の彼の行動に対してか正座をしているカンナが目を見開く。
ごろりと身体を動かし、膝枕をされているアイがカンナと目を合わせた。
アイの両目は宝石のように赤くかがやいている。
「思っていたよりも素直に甘えてくれるんですね」
「カンナさんには抵抗してもムダだと諦めました」
「やっぱり抱きしめさせてくれてもよかったのではありませんか」
「ぼくにも意固地なところはあります」
「新しい一面というやつですかね。それをわたしに見せてくれたのは信頼の証で?」
カンナに返す言葉を考えているのかアイがまぶたを閉じる。
「もっと赤い目を見せてくださいな」
頬にすべすべとした手が触れてかアイが反射的にまぶたを開けた。にやつくカンナの顔を黒髪の彼が見上げさせられる。
「約束通り、わたしは頬しか触っていませんよ」
質問の答えを教えてくれませんか? とカンナが念を押すように言う。
「はじめからカンナさんのことは信じてますよ」
「赤い目を持っていてわたしの正体がわかっているからこそ」
「この赤い目は嘘を見抜いたりできません。なんというか気が合いそうだと思っていました」
カンナさんがぼくに合わせてくれているだけかもしれませんが、とアイが口にすると。
黒髪の彼のやわらかな頬を、黒髪の彼女が左右に軽くひっぱった。
「そんなことはありえません」
子供っぽく頬をふくらませたカンナ。黒髪の彼女の意外な反応にアイがおどろく。
「ごめんなさい」
「謝る必要はありませんよ。これからお互いに知らないことを知るために仲良くなるんですから」
今日はアイぼっちゃんが女の子のやわらかな胸が好きだということもわかりましたし。カンナの言葉に反論しようとするがアイはやめてしまう。
「おしゃべりしましょうよ。女の子のやわらかな胸は大きいほうが好きなんですか?」
「ノーコメントでおねがいします」
「大きいほうが好きと」
「勝手に決めつけないでください」
「では勘違いのないようにこっそりとわたしにだけ教えてもらえますか」
観念をしてかアイは正直に答えた。
「なるほど。それじゃあ、女の子のやわらかなお尻についてはどうでしょうか?」
「肉体的な話ばかりですね」
「アイぼっちゃんがどんな容姿の女性が好きなのか気になっているだけですよ。人間同士でそういう話を楽しそうにされると聞いたこともありますし」
偏った知識だということをアイはカンナに指摘をしなかった。
許嫁であるエマの手紙にも似たような質問の文面があったことをアイは思い出す。
最近の女の子は自分が思っているよりもそちらの方面の知識についてオープンなのかもしれない。
とアイは女の子に対する考えかたをアップデートさせていた。
「わがままになっていますね。自重しないと」
などと口にしながらも、アイとのやりとりを思い出してかカンナは笑う。なにかを見つけてか黒髪の彼女が目を見開く。
「今日もかつおぶしをさがしているんですか」
カンナに声をかけられて廊下を歩いていた白ネコが動きをとめる。黒髪の彼女を見上げた。
「煮干しに大根おろしをかけてみようと思っているんだが、どうやってもこの身体ではムリだからお嬢さんをさがしていたところだ」
「今日はぜいたくなものを食べたがるようで」
台所へと向かうカンナを追いかけるように白ネコも移動していく。到着すると黒髪の彼女は注文の品を提供した。
「なかなかいけるな」
「それはよかった……ですがネコって大根を食べて平気なんでしょうか」
「百年ぐらいは生きたんだ。今更だろう」
「達観をしてますね。わたしはせめてぼっちゃんの寿命がなくなるまでは生きたいものです」
「つつましい願望だな」
舌なめずりをする白ネコの言葉を聞き、カンナが首を傾げた。
「そうですか? わがままだと自分では思っていたんですけど」
「人間の基準ではわからないが好きな相手と天寿をまっとうしたいは普通だろう」
それにお嬢さんの場合は、ぼっちゃんがこの世界からいなくなれば迷わずあとを追いかけるはずだ。と白ネコが続ける。
「おや、ばれていましたか」
「お嬢さんのぼっちゃんへの入れこみようを見れば誰でもわかる」
そこまでぼっちゃんに執着する理由はわからないがな……白ネコが大きくあくびをした。
「理由は色々ありますが、一番は反応が面白いからでしょうか」
「ダウト」
「白ネコさんには嘘をつけませんね」
「言いたくないのなら別にいいさ。おれとお嬢さんは天寿をまっとうしたいほどに仲がよいというわけでもないんだし」
「ネコじゃらしであそびたいぐらいには、好きなんですけどね」
カンナが白ネコの頭をなでる。ごろごろとのどを鳴らしていた。