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神様気取りの堕天使

六話目



 

 視界が真っ黒に染まっている。ジョンの冷たい体温を感じながら、彼の鼓動に耳を澄ます。ジョンの呼吸に合わせて揺れ動く体からは、血が流れ続ける。ジョンと体温が同じになる感覚。もうすぐ死ぬのかと悟るには十分だった。

 朦朧とする意識の中、ジョンの腹部が小刻みに揺れるのを感じた。

 

「ほんっと、お嬢は馬鹿だよねー」

「……じょ、ん?」

「……本当に、馬鹿だよ。お嬢はさ」

 

 彼がそう言って額を合わせれば、腕と腹部の痛みが消えた。

 

「……無理しないでよ、お嬢」

「……死ぬときはね、ジョンの目の前で、ジョンの為に、別の誰かに殺されてやろうと思ってたから」

「は? 普通に地雷だけど。そもそもさあ、俺がお嬢を守れず、死なせるわけないじゃん」

「今危なかったけどね」

「……うん、ごめんね」

 

 本当に、無事で良かった。なんて声を震わせた彼に抱き寄せられれば、先程まで冷えていたお互いの体が熱を持っていることに気付いた。

 どうやったかは不明だが、失った血液すら治してくれたのか。と、頬が緩む。本当に優しい、私だけ悪魔だ。

 綺麗になったスーツに頬ずりをすれば、彼は擽ったそうな声を漏らした。


 

 突然、びちゃっ、と、背後から音がして他物病刃が動いたことを察した。恐怖からか、反射的に振り返った。

 振り返って後悔するのはもはや方程式になっていて、今回もそれは変わらなかった。

 他物病刃が怒りを露わに立っている。その下に転がっているのは肉の塊。真っ赤な血液で本来の色が分かりづらくなっているが、赤に映えるオレンジが綺麗だった。グレーのベランダが、真っ赤に染まっている。その中心に立っているのが、他物病刃だ。

 金の髪が風で揺れれば、彼の足元にひしゃげた”なにか”が上から落ちてきた。

 

 「……ぁー、もう、腹立つなぁ」

 

 ぼそりと溢された声にジョンのスーツを掴んだ。今までのが可愛く思えるほどの、漠然とした、強大な恐怖があった。死という抽象的な物が、形を成してそこにある気がした。金の髪に隠れたオッドアイが風で見えれば、全身を切り裂かれるような気がした。言葉にはできない確かなモノが、そこにある。

 

「……相変わらず、品のない殺し方するよなー」

「っは、人間相手じゃないのに、気を使って殺せって言ってんの?」

「そうじゃねえよ。でも、お嬢に見せるもんじゃねえだろ」

 

 ひしゃげた、元はサッカーボールサイズだったのだろう何かは、こちらを見つめていた。虚ろな生気の宿らない瞳が恐ろしかった。私の魂を奪うような気がした。

 恐怖ではない涙が零れた。距離の近い真っ赤な瞳が怖いのに、それよりも悲しかった。

 何故二人が、元は球体のソレに触れないのかが不思議で、私だけが見える特別なものに思えた。これが彼らと人間の違いだと、心のどこかでは理解していても、どうしてそこまで薄情になれるのか分からなかった。

 

 「ソラト。お前も、こうはなりたくないだろ?」

 

 と、歪んだ笑顔をうかべた他物病刃がひしゃげたモノを蹴った。転がることなく宙を舞って落ちたのは、私の足元だった。

 

「お互い苦労するよなー。破壊と災厄の象徴なんだからサ」

 

 からかうようなジョンの声に、他物病刃はさらに眉間に皺を寄せた。

 

「じょん」

「んー? なあに、お嬢」

「そいつを、とらえて」

「……は?」

「そいつを、捕えなさい。ジョン・ドウ」

「……ん、お嬢の仰せのままに」

 

 楽しそうな声を漏らしたジョンが、他物病刃と向き合った。

 約五分、彼らは争った。視認できなかったが、風が四方八方から吹き荒れ、大きな音と共に床が揺れた。

 家具は全て粉々になり、床は隆起し、天井には穴が開いた。最上階で良かったと、今日ほど自分の選択を褒めることもないだろう。

 目の前で潰れている炎備くんの頭を撫でていたが、丸々としたそれは面影もなかった。


 彼のオレンジ色の綺麗な髪には赤黒い液体が絡みつき、異様に距離の近い赤い瞳は虚ろに見つめてくる。

 半開きの下は真っ赤に染まっていて、舌は引き抜かれているのか見当たらない。

 鼻はひしゃげて元の形何て分からなくなっていた。

 ズルリッ、と、嫌な音を立てて地面に右目が落ちた。

 

「お嬢ー」

 

 ジョンの声に顔を上げれば、他物病刃の関節を抑え込んで上に座っていた。他物病刃の顔には割れた窓ガラスが突き刺さっていて、血が流れているのが見えた。

 ジョンの大きな手は他物病刃の髪を掴んでいて、いつでも真下の窓ガラスに叩きつけられると脅しているようにも思えた。

 

「ケムエル。賢いお前なら、状況は分かるよな?」

「……それを言うなら、お前だろ」

 

 他物病刃は鼻で笑い飛ばし、私に視線を動かした。しっかりと目が合って、にやりと笑い、

 

「ソラトに命令してよ」

 

 と、告げてきた。その言葉に首を傾げれば、彼は腹立たし気な声を出した。

 

「あんたが言えば、コイツは離すしかないだろ? 死にたくないなら、命令しろ」

「……ジョン。離して」

「えー、やだ。めっちゃ苦労したんだよー?」

「……は? ちょっ、ソラト? なんで逆らえんだよっ!?」

 

 私たちの会話に、他物病刃は大きく目を見開き、困惑を表現していた。そんな彼を見て、ようやく意図を理解した。

 

「ジョンは、使役されてないよ」

「なんっ、だっ、さっき……」

「お嬢はさあ、馬鹿なんだよね。そりゃ、もう救いようのない馬鹿。あの時、お嬢がどう出るか、俺も気になったんだよねー。お嬢になら、使役されてもいいと思った。だから、お嬢が真名を呼ぶなら受け入れる気でいた。でも、お前の声にかぶって聞こえてきたのは”ジョン・ドウ”だった」

「ジョンは自由な方が似合うし、飼いならせないから」

「ちょっとお嬢ー? 今までの一年は何だったのかなー?」

 

 そう告げはしたが、本当の理由は違う。

 私にとってジョン・ドウという悪魔は、これ以上になく鬱陶しくて最悪だけど、同時に優しい人だった。重要なことで嘘を吐かない、誠実さもあった。だから、彼の言葉を信じようと思ったのだ。お嬢の血があれば百人力。その言葉に賭けたかった。もし賭けに負けたら、私は二人と共に死ぬ気だった。ジョンが居ない世界で生きていける自信なんてなかった。というより、ジョンのいない世界なんていらなかった。

 

「その血が、そうさせたのか……」

 

 全てを理解したように失笑した他物病刃は抵抗する気力も失ったのか、ジョンの下で大人しくなった。

 

「わたし、あなたを許せない」

 

 その言葉に、他物病刃は死を悟った顔を見せた。

 ジョンは彼を抑え込んだまま、成り行きを見守ってくれている。

 

「あなたには、それ相応の苦しみを味わってもらいたい」

「僕に? どうやって?」

「……お嬢。コイツ、使役されんの嫌いだよ。人間も嫌いだし、親父の事も嫌ってる」

「……そっか。お父様に協力を仰ぐことはできないから、何がいいかハッキリしたね」

「……ぁー、くっそ。スッゲー嫌だけど、お嬢が望むなら、協力するよ」

 

 不服そうなジョンが他物病刃を仰向けにして無理やり口を開かせた。何をされるのか理解していなかった他物病刃も、この次の行動を悟ってしまったのか、再度抵抗を始める。そんな彼をジョンは軽々と抑え込んでいた。

 

「ジョン」

 

 と、左手を差し出せば、彼は望み通り切り傷を付けてくれた。音を立てて流れる血液を見て、他物病刃と距離を詰めた。

 怯えて顔を顰めている彼が揺れる瞳を向けてきた。向かって右側が赤く、左が青い瞳は、よく見れば魔法陣の様な黒い模様がある。奈落の黒がジョン達よりも多いな。なんて、場違いなことを考えて居た。

 キョロキョロと忙しない瞳は、白に近い明るい金髪の先で逃げる手段を探しているようにも見えた。

 手を伸ばせば、彼の真っ白な肌に血が落ちた。空に浮かぶ雲の様な肌は赤い血のせいで汚れていった。

 ボタボタと彼の口に血を垂らせば、抵抗した彼が口を閉じた。その口をジョンは再度無理やり開かせ、それでも飲み込まずに抵抗する他物病刃にため息が漏れた。

 口に溜まっていく血液を眺めながら、彼の横にしゃがみ込む。こちらを恨めしそうに睨んでくる彼に笑いかけ、迷わず彼の鳩尾を殴った。ゲホッ、と、咳込んだ他物病刃の喉が上下するのが見えた。

 

「うっわー、お嬢良いパンチすんねー」

「ジョンに言われると馬鹿にされた気分になる」

「えー、チョー褒めてんのにー」

 

 ゲホゲホと何とか吐き出そうとする他物病刃だが、その口を覆う様に顔を掴めば、泣きそうな目を向けてきた。

 

「い、やだっ、おねがいだ、やめてくれ」

「えー? お嬢に使役されるなんて、チョー幸せだよー?」

「嫌だっ、嫌だっ……! 人間だけは、絶対に嫌だっ!」

 

 やめてくれ。お願いだから。人間は嫌だ。その三つを壊れたように繰り返す他物病刃が不思議だった。

 

「ソラトにしてくれ、お願いだっ、人間だけは、いやだっ」

 

 抵抗して蹲った彼は何も聞えぬように耳を覆って、拒絶の言葉を続けた。これでは埒が明かないとジョンを見れば、にんまりと笑顔を浮かべて羽交い絞めにした。

 名前を呼ばれると思ったのか、必死に抵抗していたが、その力は傍から見るとかなり弱々しい。

 

 「どうして人間は嫌なの?」

 

 抵抗を続けていた他物病刃は質問に固まり、顔を歪めた。ぽたりと彼の綺麗な瞳から涙が落ちた。言葉を発せない彼を見ていれば、ジョンが問答無用で彼の頭を引っ叩いた。

 手加減なしで叩いたのだろう。頭から血を流した他物病刃は、諦めたように、淡々と話を始めてくれた。




 

 光のない瞳が虚を見つめていた。ジョンから解放された彼は逃げることなく、だらりと腕を下ろし、力なく座っていた。そんな彼に本来ならば情が沸いただろう。それでも、今だけは別だった。

 

「人間は、すぐ死ぬ。そんな弱い奴らに使役なんてされたくない」

 

 吐き出された言葉は、とても悲しく響いた。

 

「一緒に過ごしても、俺を置いて、すぐ死ぬ」

 

 止まることのない彼の涙が水溜まりを作っていった。

 

「余計な記憶だけを置いて、死ぬ奴らなんて……大っ嫌いだっ、」

 

 何かに耐えるように絞り出された声は、私の心臓を締め付けてきた。

 

「それで、次に会った時は、記憶なんてなくなっているっ、……いつも、俺にだけ、余計な記憶を残すんだっ、」

 

 ぐっと握られた拳は震えていて、今の彼は同情するには十分な相手なのだろうと思っていた。

 彼は一度語れば、次々と言葉を吐き出していった。


 昔、一度だけ使役された彼のパートナーは、五十歳を超える男だった。十年連れ添ったある日、水難事故で死んだ。

 人間は寿命に逆らうことは出来ない。死神は寿命が来た人間を殺し、迎えの物に魂を差し出す。殺しだけに特化した彼らは何人もの人間と関り、やがて、感情を殺すことにした。

 関りを持って生かしたいと願う相手が出来ても、時が来たら他の死神が殺してしまう。彼は、それならいっそ、自分で殺してあげようと考えた。主人となった男を老衰で殺せば良かったと後悔し、苦しまずに逝ける方法で刈り取れば良かったと懺悔し、やがて彼は人間を刈り取ることに戸惑いや躊躇をしなくなった。

 

「笑えよ。唯一の男が見せしめの様に殺されて、今でも人間の世に語り継がれる事故になったんだ」

「語り継がれる?」

「……船が、氷山に当たった。氷が浮かぶ海に放り出される者もいた。生き残った者もいるが、大勢の死者を出した。映画にもなってるだろ?」

「……」

「あの事故をきっかけに、俺達は人間に使役される恐怖を覚えた。関わるとろくなことが起きないと、人間を避けるようになった」

 

 気まぐれで数ヶ月共に過ごした女性も殺されたのだと彼は続けた。人間と違って色々な情報が飛び交う彼らは、人間と関りを持つと其の人間が殺されると思い込んでしまった。

 

「それよりもずっと前から、何世紀にもわたって、俺達は人間と関わることに怯えていた。それがあの事故で覆せないものになった。……なあ、昔の事故や事件が、本当に人間が起こしたものだと思うか?」

「……それって、」

「全部、俺らが起こしてきたんだよ。災害を起こし、気まぐれに人間を惑わし、そうして一気に寿命が近い人間を排除する。戦争が、本当に人間だけで起こしてきたと思うか? 眠りについた人間を惑わし、幻覚や幻聴で正気を奪い、戦争に発展させていく。

 大災害は全て俺達が関わっている。津波は氷水が。火災は炎備が。地震は大地が。鎌鼬で疾風が。歴史に残るウイルスは全部俺がやってきた。有名な話は全て、俺達が巻き起こしてきたものだ」

 

 学生時代、教科書に載っていた歴史を動かす事件の数々が、死神たちの手によるものだと言って、誰が信じるというのだろう。人ならざる者といえど、たった五人だ。炎備くん達の様に自然災害を起こせるのならまだしも、他物病刃はそれ以外の担当だ。とてもじゃないが、捌ききれるとは思えなかった。

 正直、戸惑いが強かった。彼の話を全て信じきれない自分がいた。他物病刃はそれに気づいたのだろう、くっと瞳を細めて笑った。

 

「少しのきっかけでいい。それだけで、人間はすぐにパニックを起こすんだ」

 

 悲しそうな声で告げてきた彼と目が合えば、全身が痒くなった。耐えられずに掻きだせば、赤い発疹が全身に広がっていった。

 

「人間は、痒みを我慢できない」

 

 広がっていく発疹に蕁麻疹だと理解しても、彼の言う通り痒みを我慢できずに悪化させていった。

 ガリガリと痒みが走る場所を爪で刺激する。腕がピンクから、段々と赤黒いものに変わっていった。

 

「お嬢が死ぬからやめろ」

 

 血が流れ、肉が抉れても、痒みが止まらない。抉れた肉の下に発疹があるかのように、手が止まらなかった。

 骨が見え始めたとき、ようやく痒みが止まり、体中に激痛が走った。

 痛みで床に倒れ込み、蹲る。その動きでさらに痛みは増す。風が吹けば、直接神経を撫でられているかのようで、痛みで気が遠くなる。

 

「人間は、簡単に殺せるんだよ。ほんの少し、症状を強くしてやるだけでいい」

 

 血が止まって肌が治った。ジョンに礼を言おうとしたら、呼吸が苦しくなった。息を吸えている気がしない。過呼吸だ。

 腕で口を覆って呼吸を整えようとするが、それは徐々に悪化していった。

 それが収まれば、次は焼けるような喉の痛みに襲われた。次は嘔吐を繰り返した。次は体に力が入らず、全身の肌が黒く染まってきた。次は膿塗れの水泡の様な物が体中に広がった。

 それが治まって脳を占めるのは――恐怖だった。

 ガチガチと奥歯を鳴らしながら、涙を流し、子供の様に彼の視界から逃げようとしたが、体が動かなかった。とにかく首を横に振ることで意思を伝えようとした。

 

「……もうやらないよ。ソラトが限界みたいだしね」

 

 オッドアイに見つめられるだけで、予備動作なく襲い来る病気の数々に、本当に大丈夫なのか不安だった。死にかけたと感じる症状の数々に恐怖は離れて行ってくれなかった。

 ガタガタと大袈裟に見えるほど震える私を見て、他物病刃は顔を伏せた。

 

「治す術は、天使が気まぐれに人間に教えている。教えないのは、人間を見放した時だけだ」

「……それ、って、」

「そうだよ。病がこの世から根絶されないのは、心のどこかで人間を救う意味を見出せないからだ。人間はそれを、神の与えた試練だ。なんて美談にしてるけどね」

 

 たった一つでいい。口実さえあれば、天使は人間に手を貸すことを躊躇わない。例え己の身を亡ぼすことになっても、それが父の願いだからと。人間を無償の愛で救える。だが、長年に渡る人間の破壊活動に、天使は疑問を抱くようになった。例え父の願いだとしても、自分勝手に命を削り続ける人間を救うのは良いのか。と。

 人間は傲慢にも、簡単に他の動植物の命を奪う。地球という大きな生命を削っていく。気まぐれに教えた技術は発展し、やがて自分たちの為だけに命を奪うようになる。捕食する側だと勘違いをし、捕食される時になって初めて心の底から神に祈る。人間は野生では最弱の生き物だと忘れている。簡単に命は消えるのだと忘れている。偽善を並べる人間は少なくないが、それが本心からの言葉なのはごく僅かだ。

 そこまで言った他物病刃は、苦しそうに顔を歪めた。

 

「だから、人間にだけは、使役されたくないっ、」

 

 願い乞うような声に何も言えなかった。

 

「あんたもどうせ、ソラトたちがいなきゃ、すぐ死ぬんだ」

「……そっか」

「どうせ、あんたもっ、すぐに、また俺を忘れるんだ……っ!」

 

 彼の言葉に、彼の涙に、呼吸が詰まった。

 

 どうして、今まで忘れていたのだろう?

 私は、彼を知っている。ずっと彼を見てきた。彼と会わなかった日なんてなかった。彼を見かけない日なんて存在しなかった。

 生まれて間もない私を抱えた母の写真に彼は写っていた。物心つく頃、よく公園で遊んでいた。

 小学校に通い始めれば、登下校で彼とすれ違っていた。中学の頃も同じで、部活で他所の学校に行った時もすれ違っていた。高校では家庭教師をしてくれた。ずっと熱心に教えてくれた。

 ゾンビ家族との時は、スーパーでぶつかった。巨大ミミズの時は、歩道橋で苦笑していた。外を見れば、いつも彼は見えるところを歩いていた。歩けばいつも彼とすれ違っていた。

 側で過ごし続けてくれた彼は、いつも人ならざる者を追い払ってくれた。

 本当に、どうして忘れていたのだろう?

 彼はずっと、近くで守ってくれていた。人間が嫌いだと言いながら。記憶もないときから、彼は守り続けてくれた。

 

「……それでも、私と、人間と関わったのはなぜ?」

「……別に。絶望する顔が見たかっただけだ」

「嘘つき」

「……悪魔で、死神だからね」

 

 泣きそうな笑顔を見せた彼とジョンが重なって見えた。

 ジョンも彼と同じなのだとしたら、置いて行かれる恐怖を抱えて、突き放す言葉をあえて選んでいたのかもしれない。なんて、少し期待してしまった。

 

「俺は、人間から忌み嫌われている方が、楽なんだよ」

 

 と、彼は呟いた。でもその顔は、とても本心からの言葉とは思えないもので、分かりやすく言うと、情が沸いた。

 

『笑顔が見たいから、側にいたいんだ』

 

 なんて、少し彼という存在に夢を見過ぎだろうか?

 そんな声に聞えたせいで緩みそうになった頬を抑え込んだ。

 

「もし、私が側にいろって言ったら、どうするの?」

「……あんた、俺の話聞いてた?」

「うん。聞いてるよ。だから、聞いてるの」

「意味わかんない。俺はそんなの望んでないって言ってるだろ」

「……そっか。うん、じゃあ、側にいてよ。――ケムエル」

 

 手を差し出せば、彼は止まったはずの涙を溢れさせた。

 今度こそダムが決壊したのか、涙は次から次へと溢れていき、私は差し出した手で彼の涙を拭った。

 

「……んで、だよ」

「ごめんね」

「っ、ソラト! なんで協力したんだよ!」

「えー? だって、お嬢を囲ってるのが俺らだったら、お嬢が死なずに済むじゃん。お嬢の危険は出来る限り排除したいんだよねー」

「え、てっきりジョンは私にはやく死んでほしいんだと思ってた」

「まあ、そしたらお嬢の血肉を独り占めできるから良いんだけどさあ。でも、そうなるとお嬢の手料理食べれないじゃん」

「……は?」

「俺、お嬢の手料理も負けず劣らず好きなんだよねー」

「死んだら食べられないね」

「うん。それは嫌だし、それに……もうちょっとお嬢で遊んでいたいからさ」

「せめて”お嬢で”じゃなくて、お嬢”と”にしてくれる?」

 

 ケラケラと楽しそうに笑うジョンだが、その顔はどこか満足そうに見えた。それに頬を緩ませれば、視界の端で呆然としている他物病刃がいた。

 どうかしたのかと彼に視線を向ければ、彼はゆっくりこちらを見た。

 

「ソラト達がいるんだから、俺が居なくても、いいだろ」

「んー、でもほら、苦しんでもらわないと炎備くんに申し訳ないし。それに、長い年月変わらない凝り固まった意識が、私一人で変えたってなったら気分いいじゃん」

「悪魔かお前は」

「え、欲に忠実過ぎない? お嬢って本当に人間?」

「悪魔たちにそこまで言われるのは心外なんだけど」

 

 腹立ちを隠さず告げれば、二人は少しだけ頬を緩ませた。

 

「なんか、そこまで言われて腹立つし、僕一人だけ恥を晒すのもフェアじゃないから言わせてもらうんだけど」

「え、なに?」

「コイツ、ずっとお前のストーカーしてたよ」

 

 と、他物病刃は親指でジョンを指しながら言った。

 それにジョンは慌てて他物病刃の口を塞ごうとするが、残念ながらまだまだ余力があったようで、先程と逆の立場になって笑っていた。

 

「お前が受精卵になってまだ一週間ほどだった。僕が人間観察をしていたら、コイツがお前の母親を見つけ、それ以来ずっと付け回していたんだ。僕は周りの奴らを牽制するだけだったが、コイツは近づく奴も害をなす奴も皆殺しにしていた」

「……えっと、」

「いざお前が生まれれば、近くから離れなくなった。僕の事すら牽制し、自分の物だと言い張っていた」

「ケムエル! いい加減にしろ!」

 

 ようやく他物病刃の拘束を解いたジョンは怒鳴ったが、それどころではなかった。

 彼の言う事が真実なら、あんな平然と初対面のフリをして近づいてきたジョンに驚きを隠せない。私が人として形になる前から守ってくれていたという事だろうか?

 ジョンが暴れたせいでただでさえ荒れている部屋が原型を留めなくなっていくが、怒るのは後回しにして彼のスーツを引っ張った。ジョンは顔を赤く染めながら恐る恐る振り返り、目が合う前に背けられた。

 

「ジョン。本当なの?」

「……」

「答えてよ」

「……黙秘しマス」

「……答えなさい。ジョン・ドウ」

「ぁああああぁあ!! もう! そうですー! だったら何か問題なんですかあ!?」

 

 ケムエルのせいだからな。と他物病刃に怒鳴ったジョンは、普段とは全然違う表情をしていて、炎備くんが言っていた通り感情があるのだとようやく理解できた気がした。

 ジョンに説明するように言えば彼は観念したのか、両手を顔の横に設置して降参のポーズを見せながら、少し拗ねたように語ってくれた。

 

 初めは美味しそうな匂いに惹かれただけだった。周りに集まる人ならざる者達を押しのけて自分が手に入れれば、それはそれは愉快な顔を見せてくれるだろうと期待して、そう行動した。だが、やがて危険を呼び込むような胎児を放っておけなくなっていた。自然と母を守るようになった。

 いざ私が生まれれば、人ならざる者たちは集ってきた。押し寄せてくる奴らをジョンはひたすら共に過ごして守ることにした。時折向けられる笑顔に絆されていく感覚はあったが、それを無視することができなくなっていた。

 成長していけば炎備くんが父を迎えに来た。燃え盛る中、私と目が合った彼はその場で燃やそうとしたが、私の背後でジョンが威圧して追い払っていた。

 それからも成長を続ける私をジョンは近くで守り続けた。気付けば、手放せなくなっていた。飽きたと他に行こうとしても、私が脳を過り、結局戻っていた。気付いたときにはもう手遅れになっていた。

 そして、あの日。目の前に迫った人ならざる者達を見て、いつも通り背後から威圧して散らしたが、怪我をしていた私に近づいた。このままいっそ食べてしまおうと思っていたが、私の機転により仮契約することに落ち着いた。

 

 そこまで話したジョンは、もう勘弁して。と、真っ赤な顔を隠してしまった。

 

「……ジョンって、そんなに私のこと好きだったんだ?」

「だ、ったらなに!? お嬢のコトなんとも思ってなかったら、ここまでやりませんけど!? 迷惑ですかねえ!?」

「全然。だってあなたは、私だけのジョン・ドウでしょ?」

「……ぁ、むり」

 

 そう呟いた彼に苦しいくらい抱き着かれ、よしよしと腰に密着する彼の頭を撫でれば、自然とひしゃげた炎備くんを見ていた。

 その視線に気付いたのだろう。他物病刃は私の目を覆った。

 

「ソラト、焼け」

「お前が命令すんな。俺に命令していいのは後にも先にもお嬢だけだ。あと、お嬢が命令していいのも俺だけ」

 

 子供の様な言動に溜め息が出た。他物病刃の手を退けて、ジョンの頭を軽く叩けば、彼は笑顔を浮かべて黒炎で炎備くんの体を燃やしてくれた。

 黒い炎で灰に変わっていく炎備くんの体は、ぺりぺりと何かが剥がれていくように消えていく。それを見て、彼が本当に人ならざる者だったのだと少しだけ悲しくなった。

 可愛らしい少年の見た目をしていたせいで時折忘れてしまう。それはもちろん、ジョン相手にもそうだ。この先もそれは変らないのだろう。どれほど人間に見えても姿を変えてしまう。どういうわけか、私の血を求めてくる。突然変わってしまうかもしれない。実体化しなければ、他人には見えない。

 炎備くんだったものが消えれば、黒炎も姿を消した。フローリングに燃えていた形跡はない。初めから炎備くんは存在しなかったかのように、消えてしまった。

 

 出会いと別れは誰にでも平等に訪れる。時間というものは誰にとっても平等だ。選択を間違えるだけで突然別れが訪れるのだと、嫌でも日々痛感する。

 ただ受け入れるだけで日常は楽しめるものだと彼らは教えてくれた。人間とは違う生き方をしている彼らなら、私が死ぬまで一緒に過ごすのだと思っていた。それでも違った。やはり、死という別れは平等に訪れた。

 命という見えない物は、儚く、尊いものだと教えてくれたのは、他でもない人ならざる者たちだった。一緒に過ごすと思っていた父は死んだ。成長を見守れると思っていた弟も死んだ。私を看取ってくれると思っていた炎備くんも死んだ。事故の様なものだ。死を回避することは誰にもできない。

 

 

 ちらりと他物病刃を見れば、目が合った。

 

「君の呼び方は後々決める。君は僕を好きに呼んでくれて構わない。僕たちは名前に愛着はないからな」

 

 と、少しだけこちらを気遣うような目を向けてきた。

 

「ま、お嬢ならすぐに決められるでしょ。俺ちんの時もそうだったし」

 

 と、腰に抱き着いたままのジョンに、甘ったるい目を向けられた。


 

 この先、どうなるかは分からない。だが、彼らと過ごせるのなら、共に過ごす間は、これ以上になく愛情を捧げようと思った。

 割れた窓から雪が舞い込んできて、それが炎備くんの灰と混ざり合うのを見ながら、密かに自分に誓った。

Nola、カクヨムにて多重投稿してます

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