的中率0.02%の占い師ですが、騎士様は結果に大変ご満悦です
「占いなんて信じるのは馬鹿だろ?」
以前、酒場の客が酔っ払ってそんなことを言っていた。
ええ、まったくもってその通り。
私、リリア・メイヴィスは、『絶対に外れる占い師』として大人気なのだから。
◆
私、リリア・メイヴィスは酒場《黒猫亭》の看板娘だ。
着替えながら目の前の鏡の自分と目が合う。
黒く艶やかなストレートロングヘアは、毎日の手入れの成果で、滑らかに光を反射している。髪がサラサラと流れる感覚が好きで、少しでも触れると、嬉しくなるくらい自分でも満足している。
蜂蜜色の瞳は、ちょうど夕日のように温かな色をしていて、でもちょっとだけツリ目なのが気になってしまう。もう少し柔らかな目元だったらよかったのに。
普段はビールを運び、陽気な客の相手をしているが、週に一度だけ、叔母の経営する占いの館で《蜜猫のミラ》としてアルバイトをしている。
最初はお手伝いのつもりだった。専門的な勉強もしていない私の占いは外れ続け、単に頭数を揃えるだけの気楽なアルバイト占い師だった。
けれど、私の占いが的中率0.02%――つまり『99.98%外れる』という驚異的なデータが発覚した途端、なぜか大人気になった。
たとえば、「あの人と結ばれますか?」と聞かれ、「ええ、最高の相性です!」と答えれば、99.98%の確率で破局する。
「あなたの商売は大成功します!」と占えば、99.98%の確率で大失敗する。
ーー結果的に、私は『的中率99.98%』の大人気占い師となっているのだ。
今日も私は《蜜猫のミラ》として占いの館に入る。私のブースの前には、すでに長蛇の列ができていた。
「次の方、どうぞー!」
列を次々と捌き、また次の迷える子羊を誘導する。
カーテンを恐る恐る開き、少女が不安げな顔をして入ってきた。
「せ、先生! わたし、彼に二股されていて……彼は私を選んでくれますか?」
「ふむふむ、なるほど……」
適当にカードをめくり、何かが見えているフリをする。カードの意味は全くわからないが、何となく絵柄から勝手に想像して答える。
(まあ、どうせ外れるし)
「ええ、大丈夫! あなたたちは運命で結ばれています!」
少女の顔がみるみる青ざめる。
「そ、そんな……じゃあ彼とは絶対にダメなんですね……」
「そういうことになりますね」
「やっぱり、私を大切にしてくれる人じゃないとダメよね……ありがとうございます! 先生のおかげで目が覚めました!」
少女は晴れやかな顔で去っていった。うん、これでいいのだ。
「次の方、どうぞー!」
カーテンが開く音がする。
(さて、次はどんな相談者ーー)
「…………」
え?
目の前に立っていたのは、全身黒ずくめの騎士。
身長は190cm近くありそうで、鋼のような体躯に、深い夜の闇と見紛う紺色の髪。鋭い灰色の瞳がこちらを見下ろしている。
王国最強の騎士、ゼイド・ヴァレンティス。
私が密かに恋焦がれている相手だ。
他の人たちは「顔が怖い」とか「近づき難い」と言っていたけれど、私はそれがただ無表情なだけで、ゼイド様は実はとても気遣いをしてくれる優しい人だということを知っている。
以前、私が酒場で客に絡まれていた時も、ゼイド様は颯爽と助けに来てくれた。彼の真摯な態度や、普段は厳ついのに時折見せる柔らかな表情に、私は何度も心を奪われてきた。無理に笑顔を作らずとも、そのままの彼の姿が、私にはとても魅力的に映る。
(そんなゼイド様が……なんで、こんなとこにいるの!?)
私だけでなく、彼の後ろで待機していた他の客たちも固まっていた。そりゃそうだ。
だって、この占いの館は若い女性の恋愛相談が9割なのだ。
そんな場所に、厳つい騎士様が現れたのだ。
「う、占いのご相談ですか?」
「……ああ」
ゼイド様は無表情のまま、カーテンを閉め、静かに腰を下ろした。
「想い人と結ばれるか、占ってほしい」
……え!?
い、今なんて?
(ゼイド様に、好きな人が!?)
そんな噂、一度も聞いたことがない。
(……どこのどいつよ!!)
冷静を装いながらも、内心は大荒れだった。
(……ま、待って、落ち着いて。今の私は人気占い師、《蜜猫のミラ》なのよ)
「わかりました。では、占わせていただきますね」
私はカードを手に取る。
(ゼイド様の想い人……いったい誰なのよぉぉ……!)
しかし、私の心が乱れすぎたせいか、占いの内容がズレてしまった。
「想い人と結ばれるか」ではなく、「誰と結ばれるか」を占ってしまったのだ。
その瞬間、カードが妖しく光ったような気がした。
普段は見えもしない結果を適当に告げるところだが、この時は何故かーーこれしかないとばかりに、まるでカードが確たる未来を指し示しているかのように感じた。
出た結果はーー
「あなたの運命の相手は……リリア・メイヴィスです」
…………は?
(……え?)
(ちょっと待って!?)
(……今、なんて?)
自分の言葉に耳を疑った。
いやいやいや、そんなわけ――
「……そうか」
ゼイドは静かに頷くと、満足そうに席を立った。
「ありがとう。これで心が決まった」
「ま、待ってください!!今の結果は、その、ええと……」
「いや、十分だ」
「でも、私の占いは――」
「恩に着る」
カーテンが閉まる。
そして、私は絶望する。
「……終わった」
私の占いは99.98%外れる。
つまり、ゼイド様と私は99.98%結ばれない。
彼はそれを知って喜んで帰っていった。
(あああああ!!! なんでよりにもよって、ゼイド様との恋が破れることを自分で証明しちゃうの!?)
酒場に戻ったら、ヤケ酒しよう……。
占いの館の壁に頭を打ち付けながら、私は深いため息をついた。
ーーこうして、私の叶わぬ恋が確定したのだった。
でも、この後のゼイド様の予想もしない行動を、この時の私はまだ知らなかった。
◆
あの日から数日が経ち、酒場でゼイド様の姿がよく目に入るようになった。
最初は偶然だろうと思っていた。
でも、どういうわけか、ゼイド様が酒場に現れることが明らかに増えている。
(前は月に数回くらいだったのに、最近はほぼ毎日、しかも一人で……ひょっとして、ゼイド様の想い人って……!?)
倉庫から小麦粉の大袋を持ってきて裏口から店に入ると、今日もゼイド様がちょうど来たところだった。
ゼイド様は誰かを探しているようだった。そして、カウンターで目線を留める。
カウンターには、常連さんと話をしている同僚、カンナさんがいた。
カンナさんは私と同じく黒猫亭で働く数少ない(というか私以外唯一の)若い女性だ。
(そっかぁ……カンナさんなら、納得)
悔しいが、ゼイド様が好きになるのもわかる。カンナさんはすごく魅力的だ。
柔らかい茶色の髪と透き通った新緑の瞳、ふんわりとした雰囲気と女神のような慈愛の笑顔、優しい会話……キツく見られる私とは正反対だ。常連さんはみんなカンナさんにメロメロで、かく言う私もカンナさんの大ファンだ。
ため息をついて、小麦粉を運ぶ。小さな子どもくらいの重さがある大袋は、倉庫から運ぶだけでも一苦労だ。
よろよろと通路を歩いていると、古い床板の段差に躓いてしまった。
(あっ……落ちるっーー)
間一髪で、誰かの腕が、よろけた私と小麦粉を支えてくれた。
「あ、ありがとうございます……って、ゼイド様!?」
そこにいたのは、先ほどまでカンナさんに熱い視線を送っていたゼイド様だった。
助かった……けど、何故かものすごく怖い顔をしている。
「どこに運ぶ?」
ゼイド様はぶっきらぼうに、それだけ言った。まったく感情が込められていない。ただ淡々と、まるで命令口調のように。
(……すみません、カンナさんに話しかけるタイミングを潰しちゃって……)
私は申し訳なく思いながら答えた。
「あ、厨房にお願いします」
ゼイド様は何も言わずに私から袋を取り上げた。
その時ーー私の手とゼイド様の手が、触れた。心臓が一瞬だけ早く波打つ。
そして……ゼイド様はその瞬間、手を大袈裟に引き離した。まるで私と触れたくないかのように。
無意識のうちに、私は心の中で自分に言い聞かせる。
(そりゃあ、絶対に運命の相手じゃない女性の手なんか、触りたくないよね……)
また、気分が落ち込んだ。ゼイド様が私に気があるわけないことは、もうわかっている。それなのに、どうしてこうも期待してしまうのだろうか。
ゼイド様は無言で厨房へと歩いていく。私はその背中を見ながら、着いていくことしかできなかった。
◆
次の日、またゼイド様が来ていた。
(昨日、カンナさんと話せなかったからかな)
そんなことを思いながら、私は忙しく動き回るカンナさんを横目にゼイド様の席へ向かう。
「ゼイド様、ご注文は?」
そう声をかけると、ゼイド様はゆっくり顔を上げた。
そして、私を――睨みつけた。
(えっ……!? なんで!?)
ゼイド様の視線があまりにも鋭く、私は思わず身を引いてしまう。よく見れば微妙に口元が引きつっている。
これはどう見ても「なぜお前が来た」という顔だ。
私はもう、確信してしまった。
申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら、私は心の中で必死に謝る。
(カンナさんじゃなくてごめんなさい……! ほんとごめんなさい……!!)
だけど、どうしようもない。私はカンナさんにはなれないし、カンナさんは他の仕事で忙しそうだし、注文を取るのも私の仕事だ。
「……えっと、今日もいつもの、でよろしいですか?」
小さな声でそう尋ねると、ゼイド様はゆっくりとうなずいた。
(無言……絶対怒ってる……!)
私はしょんぼりしながらそそくさと注文を取り、逃げるようにカウンターへ向かった。
(ゼイド様が毎日来るの、きっとカンナさんと話したいからなんだろうな……私のせいで邪魔しちゃってる……)
そう思うと、なんだか申し訳ないような、でもちょっと寂しいような、そんな気持ちが胸に広がった。
◆
また別の日。大通りを歩いていたら、ふと見覚えのある背中が目に入った。
(……ゼイド様?)
まさかこんなところで会えるとは。声をかけようか迷っていると、ゼイド様はショーウィンドウの前で足を止めた。
そこには――可愛らしい細工の施された女性用のバレッタが並んでいた。
ゼイド様は腕を組み、 真剣な表情でそれを見つめている。
(え、すごい悩んでる……やっぱり、カンナさんへの贈り物なのかな……)
胸がきゅっと締めつけられる。でも、それは仕方のないことだ。
(カンナさん、羨ましいなぁ……)
なんて、そんなことを思ってしまう自分が少し情けない。
その日の夜。
ゼイド様はいつものように黒猫亭に現れ、私に視線を送ると、また無表情で「裏に来てくれ」とだけ言った。
(え、なに……なんの呼び出し!?)
心当たりがなさすぎて震えながら裏に行くと、ゼイド様は無言で懐から小さな包みを取り出した。
「これを……君に渡す」
そう言って差し出されたのは、昼間ゼイド様が見ていたバレッタのお店の箱だった。
私は驚きつつ、理解する。
(あ、そうか……私に預けるってことね)
きっと、カンナさんに直接渡すのは気恥ずかしいのだろう。私が仲介役ということだ。
「……わかりました、お預かりします。ちゃんと、後でカンナさんにお渡ししますね!」
なんとか繕った笑顔でそう言うと、バレッタの箱を差し出したゼイド様の表情が凍りついた。
「……は?」
「え?」
(え、違った!? 後でって言ったから? 今すぐ渡せってこと?)
ゼイド様の反応に戸惑いながらも、私は自分の考えを確信する。
「すぐにお渡しした方がいいですよね? でも今、カンナさん忙しいので……」
「……違う」
「え?」
「これは……」
ゼイド様は何かを言いかけて、 ギリッと歯を食いしばる。
そして――
「渡さなくていい。忘れてくれ!」
とだけ言い残し、ものすごい勢いで去っていった。
(えっ……なんで怒ってるの……!?)
バレッタを受け取ろうとした手を差し出したまま、私はただただ、ぽかんと立ち尽くすしかなかった。
◆
あの日以来、ゼイド様の行動が ますます不可解になった。
最近では酒場に来る頻度はほぼ毎日。
しかも、カンナさんに話しかけるわけでもなく、私のことをじっと見てくる。
……怖い。
いや、ゼイド様のお顔は決して怖くない、むしろ好きなんだけど、目線が怖い。
たぶん私がカンナさんにバレッタを渡さなかったせいで怒っているんだ。きっとそう。
(ごめんなさい、ゼイド様……! 次はちゃんとご協力します!!)
そんなある日――
「リリア、君の好きなものは何だ?」
「……え?」
突然、ゼイド様に話しかけられた。
「甘いものは好きか?」
「え、まあ……」
「どんなものが好きだ?」
「えっと、角のお店の焼き菓子とか……?」
「ふむ」
(え、何この尋問!?)
「肉は?」
「は、はい……? 好きですけど……」
「魚は?」
「……は?」
ゼイド様は真顔で「ふむ」とか「なるほど」とか呟きながら、何かを考え込んでいる。
(えっ、なんか探られている……?)
そして極めつけは、ゼイド様が遠くからじっと私を見ていることだった。
振り向くたびに、どこかで目が合う。
(……監視されてる!?)
カンナさんに、私が何かするんじゃないかって思われてるんじゃ……!?
そんな日々が続き、 私は完全に意気消沈していた。
だけど――
ある夜、酒場の片隅で、ゼイド様が騎士団の人たちと酒を飲んでいるのを見かけた。
その時、私は久しぶりにゼイド様の自然な笑顔を見た。
「……あれ?」
ゼイド様が笑っている。しかも、とても楽しそうに。
(えっ、最近は怖い顔しかしていなかったのに……)
気になって耳を傾けると、どうやら団員さんたちと誰かの話をしているみたいだった。
「で、どうしたんですか? 例のバレッタ」
「……まだだ」
「ははっ、ゼイドさんらしいですね。焦らなくても、リリアさんならきっと――」
「……」
(えっ、私の名前出た!? なんで!?)
会話の内容はよくわからなかったけれど、なぜか胸がざわついた。
◆
次の日、私は運が悪いことに街中で絡まれるという状況に陥った。
「ちょっと、やめてください!」
「いいじゃねぇか、少しくらい付き合えよ」
(うわ、最悪……! 誰か……!)
「……何をしている?」
低く冷たい声が響いた。
次の瞬間、 ゼイド様が私の前に立っていた。
「ゼ、ゼイド様……?」
「……」
ゼイド様が鋭い眼光を向けると、男は蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
「……ケガはないか?」
「……はい、大丈夫です……」
(え、なにこの安心感……)
さっきまでの怖さが嘘みたいに、胸がじんわりと温かくなる。
やっぱり、ゼイド様はかっこいいし、優しい人だ。
(……やっぱり好きだなぁ)
改めて、そんな気持ちを自覚した。
でも、私はそこでまた落ち込んだ。
(私は絶対にゼイド様の運命の人じゃないんだよね……)
◆
「ーー俺は、どうすればいい?」
夕刻、ひっそりとした占いの館。
ゼイド様は椅子に腰掛け、目の前の私ーー占い師ミアをじっと見つめていた。
ローブの奥で、私は必死に冷静を装う。
まさかまたゼイド様が相談に来るなんて思わなかった。
「運命の相手のはずなのに……うまくいかない」
その言葉に、私の心臓が跳ねた。
的中率0.02%の私の占いの結果は、『ゼイド・ヴァレンティスの運命の人はリリア・メイヴィスである』ということーーすなわち、私だけはゼイド様の運命の相手ではあり得ないということだ。
(……あれ?)
ということは、ゼイド様は『私ではない誰』が自分の運命の人かはわからないはず。想い人ーーカンナさんが運命の人だと確信しているのだろうか。
ゼイド様は悩みを吐露し続ける。
「俺なりに彼女にアプローチしようと努力しているつもりだが、なぜか彼女は俺を避ける。怖がらせているつもりはないが……うまく距離が縮まらない」
「彼女が重い小麦袋を運ぼうとしていて、手伝おうとした時に手に触れてしまったのがよくなかっただろうか」
「笑顔を見せようとしているが、緊張してうまく笑えない」
「彼女をつい目で追ってしまう。目が合ったら逸らされてしまった」
「好きなものを聞いたら、怪訝な顔をされた」
「贈り物をしようとしたが、なぜか他の女性宛だと勘違いされてしまった」
……なんだか、覚えがあるエピソードが次々と出てくる。
「あの、運命のお相手、とは……?」
念のため確認した私に、ゼイド様は迷わず答えた。
「先日占ってくれただろう。もちろん、リリア・メイヴィスだ」
(へっ!? ゼイド様は私の占いを信じて喜んでいたの?)
「あなたは『的中率99.98%』の凄腕占い師だと聞いた。俺はあなたの占いの結果ーーリリアが俺の運命の相手だということを信じている。」
なんと、ゼイド様は私の評判を誤って知ってしまっていたようだ。
(……ということは、ゼイド様の想い人って、まさか……私!?)
心の中でその考えが走った瞬間、まるで世界が一瞬止まったように感じた。
どうしよう、すごく嬉しい……!
でも、今の私は《蜜猫のミラ》。自分の気持ちを伝えるわけにはいかない。
それに、占いを誤解しているゼイド様をそのままにもしておかない。
「あの、自分で言うのも何ですが、私の占いの的中率は0.02%でして……よく当たると言われていますが、ほぼ確実に外れるから、逆に信頼できると評判で……」
ゼイドはその言葉に顔色を変え、驚きの表情を浮かべた。
「……つまり、リリアは俺の運命の相手じゃない……?」
「あ、あの、0.02%の確率で運命の人かもしれません!」
……自分で言っていて虚しい。
ゼイド様が絶望的な表情を浮かべて、肩を落とす。その姿を見て、心が痛んだ。まさか、自分の占いが彼をここまで追い込んでいるなんて……。
それでも、ゼイド様の気持ちが少しでも救われればと思い、必死に続けた。
「運命を信じるあまり、心が固まってしまっていませんか?」
私は彼を見つめ、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「大事なのは運命ではなく、あなた自身の心です。気負いすぎて表情が固くなっていたり、焦ってはいませんか? 占いの結果ではなく、あなたの心が信じるお相手と、落ち着いてよく話してみてください。そうすれば、運命なんて自分の手で掴み取れるはずです」
ゼイド様はその言葉に耳を傾け、何かを考えているようだった。
そして、しっかりと私を見つめーー力強く頷いた。
「ありがとう」
その表情は穏やかで、心を決めたようだった。彼はゆっくりと立ち上がり、迷いなく歩みを進めた。
私はゼイド様の背中に向かって呟いた。
「……あなたの運命のお相手は、あなたの言葉を待っていますよ」
◆
次の日。
黒猫亭の扉が開く音がして、私はいつものように笑顔でその客を迎え入れた。
「いらっしゃいませ、ゼイド様」
ゼイド様がいつもの席に座る。
なんだか今日は、いつも以上に顔が険しい気がする。もともと真顔のときは少し怖く見えるけれど、今日は眉間の皺がさらに深く刻まれていた。
何か話したそうにしているけれど、結局何も言わず、ただじっとこちらを見ている。なんだかすごく緊張しているように見える。
(……ひょっとして……)
とりあえず、いつも通りお水を出そうと、ピッチャーを持ち上げた。
その瞬間ーー
「あっ、ごめんなさいね」
背後で配膳をしていたカンナさんが、不自然なくらい絶妙なタイミングで私にぶつかった。
「きゃっ!」
ガタンッと体が揺れ、持ち上げたばかりのピッチャーが傾く。
ーーざばぁっっ!
冷たい水がゼイド様の頭から降り注ぐ。
「……」
ゼイド様は動かない。静かに、水を被っている。
(うわぁぁぁぁ!!!)
酒場の空気が一瞬で凍りつく。
「……あらら、やっちゃったわねぇ」
飄々とした声が響いた。
「ごめんなさいね、ゼイド様。大丈夫ですか?」
カンナさんは驚くほど動じずに、軽い調子で謝ると、すぐに私の背をぽんっと押した。
「リリア、ゼイド様を奥の部屋にお通しして、拭いて差し上げて」
「えっ、あ、はい!」
私は慌てて、びしょ濡れのゼイド様を奥の従業員用の部屋へと誘導した。
◆
「申し訳ありませんっ!」
私は急いでタオルを取りに行く。
「そこの椅子に座ってください! すぐに拭きますね!」
ゼイド様は無言のまま座っていたが、私が髪を拭こうと手を伸ばすと、一瞬驚いたように目を見開いた。
(あれ……? やっぱり、ちょっと怒ってる……?)
緊張しながらも、私はゼイド様の髪をそっと拭く。
(……わぁ)
想像していたよりも、髪が柔らかい。普段はきちんと整えられているのに、濡れて無造作になった髪が妙に色っぽく見える。
水滴が首筋をつたって流れていく。
それを見ていたら、思わずドキドキしてしまった。
「やっぱり……かっこいいなぁ」
ふわりと漏れた心の声。
ーーその瞬間。
「……今、なんと言った?」
「へっ!? えっ、なななななな何も言ってませんよ!?」
「いや、言った。確かに聞こえた」
ゼイド様がじっとこちらを見つめる。
(し、しまったぁぁぁぁぁ!!!)
私は真っ赤になりながら、必死に誤魔化そうとするが、ゼイド様は少し眉をひそめた。
「俺の顔が……怖いか?」
「えっ?」
ゼイド様の声には、少しだけ不安が滲んでいた。
(まさか……私が焦ったから、怖がられたと思ったの?)
「そ、そんなことありませんっ!! むしろ……」
「むしろ?」
(ううぅ、言っちゃえ!)
「むしろ、すごく……かっこいいと思います!」
ゼイド様の目がわずかに見開かれる。
私はこれ以上ないくらいに真っ赤になり、心臓がバクバクと音を立てていた。
しばしの沈黙の後、ゼイド様が深く息を吐く。
「……君がそう言ってくれるなら、良かった」
その言葉に、ホッとしつつも、ゼイド様が少しだけ緊張を解いたのを感じた。
「俺はずっと、顔が怖いと言われていた。その自覚もある。だが、君はいつも普通に接してくれた。それが、嬉しかった」
「ゼイド様……」
そんな風に感じてくれていたなんて。心に仄かな灯りがともる。
「だけど、最近、君が俺を避けているように見えた。俺は……嫌われたのかと思った」
「えぇっ!? そんなことないです! ただ、ゼイド様が……最近、なんだか様子が変だったので……」
「……そうか」
ゼイド様は小さく頷き、少し視線を逸らした。
「占いで……君が運命の相手だと言われた」
「えっ……?」
「俺は……ずっと君のことが気になっていたが、占いで確信してしまって……それから、意識しすぎて、うまく話せなくなった」
(そうだったんだ……あれ? でも……)
リリアはふと、ある人物の顔を思い浮かべた。
「ゼイド様の好きな人って、カンナさんでは……?」
「違うっ!!」
ゼイド様が、はっきりと否定する。
「俺は……君のことがーー」
ゼイド様は、熱のこもった視線をこちらに向けている。
「君のことが、好きなんだ」
低く落ち着いた声が、まっすぐに私の心を打つ。
(ゼイド様が……私のことを、好き……)
ミアとしてゼイド様の気持ちは聞いていたけれど、それでも私に、リリアに向けてくれた言葉がすぐには信じられなくて、何度もまばたきをする。
けれど、ゼイド様の瞳は真剣そのもので、微塵も冗談には見えなかった。
「占いで運命の相手だと言われたからじゃない……そんなことは関係なく、君が好きなんだ」
胸が、ぎゅっと苦しくなる。
「君は、俺が怖い顔をしていても、変わらずに接してくれた」
「君が笑顔で注文をとりに来てくれると、心が温かくなる」
「君が……可愛すぎて、他の男が君のことを見ていると不安になってしまう」
不器用に重ねられる言葉が、とても優しく響いた。
涙が溢れそうになる。でも、私は笑っていた。
「私も……好きです」
自分の心をそのまま言葉にして、ゼイド様に差し出した。
ゼイド様の瞳が見開かれる。
「……本当に?」
「はい」
自分の胸に手を当てて、心臓の高鳴りを確かめる。
(本当に……本当に、私はゼイド様が好きなんだ)
言葉にした瞬間、心が温かくなって、自然と笑みがこぼれた。
「私も、ゼイド様のことが好きです」
そう繰り返した途端、ゼイド様の表情が一瞬で和らぐ。
「……そうか」
低く囁くような声が心地よくて、耳が熱くなる。
ゼイド様の大きな手が、そっと私の頬に触れた。
「……少し、濡れてる」
「えっ……」
(た、確かにさっき水をこぼしたし……)
ゼイド様の指先がそっと頬をなぞっただけで、心臓が跳ね上がる。
「本当に……好きなんだ」
「えっ?」
「俺は今、君に触れているだけで、こんなにも幸せだ」
優しく笑うゼイド様を見て、私の顔はより一層赤くなった。
(ず、ずるい……!)
「そ、そんなこと言われたら……恥ずかしいです……!」
「恥ずかしがる君も、可愛い」
「~~~っ!!」
(だ、だめ! こんなに甘い雰囲気になったら、私、どうしたらいいの!?)
「……リリア」
耳元で囁かれて、びくっと肩が跳ねる。
「今、俺がキスをしたら、怒るか?」
「えええええ!?」
ゼイド様は冗談ではなく、本気の顔をしている。
(えっ、えっ、キス!? い、いや、嫌じゃないけど、心の準備が……)
私がわたわたしていると、ゼイド様は小さく笑った。
「……今は、やめておく」
「えっ……?」
「君が、もっと俺を好きになってくれるまで、待つ」
(えっ、それって……)
「だから、覚悟しておいてくれ」
そっと髪を撫でられ、私は一瞬で全身が熱くなった。
(も、もう無理……!)
「ゼイド様の意地悪……!」
「ははっ、そうか?」
ゼイド様の笑顔が、いつもより少し柔らかくて、私の心がドキッと跳ねる。
彼の表情が、どこか少し照れているようにも見えて、私はその笑顔に引き寄せられるように視線を合わせた。
そして、その瞬間、私はつい言ってしまった。
「こんなに好きなのに、どうやってもっと好きになったらいいんですか……」
自分でも驚くほど、素直な気持ちが声になった。
ゼイド様は一瞬、驚いたように目を見開き、そしてすぐにその瞳に強い決意を宿した。
「……っ!」
次の瞬間、ゼイド様は私を強く引き寄せ、その唇が私のものに重なった。
急に押し寄せてきたキスに、私は一瞬息を呑む。
ゼイド様の唇は熱く、荒く、まるで抑えきれない感情を抱えているように、私の唇を強く求めてきた。
彼の手が私の背中を抱き寄せるように滑り、私はその熱を全身で感じて、心臓が早鐘のように打ち始める。
その瞬間、すべてが静まり返ったように感じた。
彼の温かさ、彼の唇が私に触れる感覚が、私を包み込んで、まるで時間が止まったかのようだった。
「……は、ぁ……今はやめておくって言ったのに」
名残惜しそうに離した唇から漏れるゼイド様の少し荒い息の元で、私は胸が高鳴るのを感じながら、口の中に残る彼の温もりに震えていた。
「俺を煽った君が悪い」
ゼイド様の声が低く熱を帯びていて、私の背中を包み込んだその手が、もう一度強く私を引き寄せる。
そして、再び彼の唇が私に触れる。ゼイド様の手が、私の髪に優しく触れ、まるで私を傷つけないように、今度はゆっくりと、丁寧にキスを重ねてきた。
彼の唇は、まるで私を守るかのように優しく、だけどその中に込められた熱い想いが、私に伝わってきて、胸がどんどん高鳴る。
その瞬間、私の心はゼイド様に溶けていった。
唇が触れるたび、心が一歩ずつ近づいて、私はその優しさに包まれながら、彼をもっと深く感じたくなった。
「ゼイド様……」
名前が、自然と私の唇からこぼれ、彼の腕の中で全身が温かく満たされていくのを感じた。
ゼイド様が私を抱きしめ、少しだけ離れた後、私の瞳を見つめ、もう一度、優しく微笑んだ。
その笑顔に、私はもう何も言えなかった。ただ、心の中で彼の気持ちが、私の気持ちが、確かに通じたことを感じていた。
私は小さく息を吐いて、ゼイド様を見上げた。
「今、すごく幸せ……」
ゼイド様の表情がほんのりと緩んで、微笑んだ。
「俺もだよ、リリア」
その一言が、私の心にまた温かさを広げる。
「君と一緒にいると、俺はすごく幸せだ。どんどん君が好きになっていく。さっきの瞬間より、今はもっと。明日は、きっともっと好きになっているだろう。」
私はゼイド様の言葉と熱い視線を受け止め、胸が高鳴った。
「私もです。これから先、どんどんゼイド様のことがもっと好きになって、もっと幸せになっていくと思います。」
どれだけ好きでも、まだ足りないと感じる。
その言葉がゼイド様に届くと、彼の表情は柔らかくなり、ほんのりとした笑みが浮かんだ。
「じゃあ、これから一緒に、もっと幸せになろうな」
その言葉に、私の胸はどこまでも温かく、幸せで満たされていった。
二人の気持ちが完全に通じ合った瞬間、まるで世界が一瞬だけ止まったように感じられた。
ーーこうして、的中率0.02%の占い師と、寡黙な騎士の恋は、ようやく成就したのだった。
◆
「そういえば、俺の占いをしてくれたのは、的中率99.98%の占い師だったんだ。彼女は謙遜していたが、素晴らしい占い師だったよ」
ゼイド様が真剣な顔で呟く。
私は思わず吹き出しそうになりながらも、平静を装って微笑んだ。
「0.02%は外れるらしいから、信じすぎないようにね?」
「そうか……まあ、あの占い師はすごく当たるから、今度一緒に相性占いをしてもらおう」
「……!」
思わず顔が引きつる。
(私がミラだって、いつ言おうかしら……)
ゼイド様の嬉しそうな横顔を見ながら、私は密かに悩むのだった。
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