Program.03【ようこそ“HELL✕CIRCUS”へ!~交渉~】
葉月十六夜の三作品目です。
強欲区の“ふくよかな街路”の中央で圧倒的な存在感を醸し出し佇む城―――“強欲ノ城”。
城壁は全て希少価値の高いプラチナで固められ、強度を補強する為に所々にタングステンが埋め込まれていた。
金に物を言わせて建てたと思われるその城は決して上品とは言い難いが、城としての外観の派手さと威圧感は他の七大罪の城より圧倒的に高い。
そんなド派手な城の城門前にたった一人でやって来たジェーン。
城の門番達が警戒態勢に入るも、相手が何者か確認すると、武装を解き、一人の門番が急いで城内へ伝令に走った。
暫くすると伝令に走った門番は戻って来て、城の門が開かれる。
ゴゴォ…と重量感の音と共に開く門の奥から、一人の男が姿を現した。
皺一つ無い上等な燕尾服を着こなすシルバーグレーの髪と髭の老人。
片目にモノクルからジェーンを覗き見るエメラルドグリーンの瞳は優しい眼差しとも言えるが、一度低級悪魔が目を合わせれば、底知れぬ恐怖に支配されてしまうような謎の感覚に陥ってしまうのだ。
「ようこそいらっしゃいました。ジェンヌクロー様」
「久しぶりだなゼゼット。俺に敬称は不要だ」
深々と頭を下げて挨拶する執事・ウィムゼゼットグラスこと、ゼゼット。
以前から面識があり互いに友好的な間柄でもあったジェーンは、ゼゼットに敬称を外す様に促す。
すると頭を上げ、凛々しかった執事の表情から少し気を抜いた笑みを浮かべたゼゼット。
それはまるで、可愛い孫に向ける優しいお爺ちゃんの顔だった。
「いやはや。お気遣い感謝致します、ジェーン殿。しかしながら貴方様は私如きが足元にも及ばぬ程の上級悪魔で在らせられますので。それに、貴方様に不敬を働こうものならば、我が主にお叱りを受けますので…」
「あぁ…マダムにね」
「ええ」
ジェーンが『マダム』と呼ぶ相手は、ゼゼットの仕える主人にして、ジェーンがストリートでショーを行う為に許可を求めに来た相手―――“強欲”の七大罪・マモングリードの事だ。
「急な訪問で申し訳ない。マダムに謁見願いたいんだが、今は都合が良いか?」
「ふむ。ご用向きを伺っても?」
「以前マダムには話したんだが、我らが王女殿下がサーカス団を結成された。その宣伝と集客目的で、ストリートでのショーをする許可を頂きたいんだ」
「そう言う事でしたか。ご用件は承りました。どうぞ中へ。ご主人様の元へご案内致します」
「あぁ。よろしく」
ゼゼットに連れられて、ジェーンは“強欲”マムの城の中へ進んだ。
一際目を引く外装のその内側は、外壁と同じくプラチナとタングステンで構成され、更には様々な宝石を散りばめられた廊下の装飾に出迎えられた。
天井から垂れ下がる煌めくシャンデリアの光を廊下全体が反射して、屋内なのに常夏の様に眩しい。
ハッキリ言ってジェーンには悪趣味にしか思えないが、他人の趣味にいちいち口を出す程野暮ではない。
そもそも所有物に己の異名を現す細工を施すのは七大罪の特徴だ。
かく言う地獄の王・サタンラースも“憤怒”の七大罪の異名を持っている。
故にサタンラース陛下の城―――“憤怒ノ城”は憤怒区の中央に位置する活火山の中に存在している。
サタンロードの膨大な魔力によって暑さや熱の影響を受けず、陛下の機嫌が損なわれない限り噴火する事も無い。
見えない魔力の結界によって城を避ける様に溶岩が流れる火山の中は、外の天候にも左右されず寒暖差も気にならない故に、意外にも快適なのである。
当然、陛下の機嫌が損なわれなければ……の話だ。
「ジェーン殿。主はこの奥でお待ちで御座います」
「あぁ」
金ぴかな廊下を進んで行けば、突き当りに一際大きくド派手な扉が現れた。
大きな二枚扉にはそれぞれ、幻獣ゴブリンと、動物の狐が向き合う形で描かれている。
それ等はいずれも七大罪の“強欲”を象徴する生物だ。
「ご主人様。ジェンヌクロー様がお目通りをしたいと申されております」
『お入り』
大きな二枚扉の奥から落ち着いた女性の声が返って来た。
直後に扉が重厚感のある音を立てながらゆっくり開いていく。
開かれた扉の先から現れたのは、外装や廊下の煌々とした見た目と相反する薄暗さ。
壁までの距離や天井の高さが定かではない不思議な空間に、ぼんやりと白く照らし出された数多の道。
ゼゼットが先導して、照らされる数多の道の中から一本の道を選んで進んで行き、その後ろをジェーンは逸れぬ様について行く。
自分達が歩いている白く照らし出された一本道と、その他の数多の道。
この道は一つのセキュリティの役割を果たしている。
ゼゼットのみが真実の道を知り、その道から外れてしまえば地獄の最下層―――奈落へ落とされてしまう。
この空間は“強欲”マモングリードの魔力によって支配されており、彼女の許可無くして部外者が魔法を使う事は出来ないのだ。
故に飛行能力が備わっている悪魔も、此処では羽根の捥がれた鳥同然…。
暫くゼゼットについて一本の道を歩いていたジェーン。
不意にゼゼットの歩みが止まり、彼の背を見ていたジェーンの視線が更に前方へ向けられる。
「マダム・マム。ジェンヌクロー様をお連れしました」
「ご苦労様」
いつの間に其処に現れたのか、全く分からない。
視線を上げたジェーンの視界の先には、直前まで確かに何もなかったはずの薄暗い空間から打って変わった煌々とした、まるで西洋の貴族の庭の様な、真っ赤な薔薇が咲き乱れる真昼の庭園が姿を現した。
地獄なのに、陽の光が燦燦と降り注ぐ薔薇の庭園。
勿論そんな場所は地獄に存在していない。
所謂、幻術と呼んで然るべきその五感を狂わせてくる光景に、昔から付き合いのあるジェーンは慣れたものだった。
薔薇園の中央に設置された真っ白なガゼボ。
その下には既に紅茶が注がれたティーカップを口元に運んで、優雅に香りを愉しんでいる、紫色のドレスを着たふくよかな女性の姿があった。
それなりに大きなガゼボのはずが、彼女の大きな身体が空間の半分を埋め尽くし、小さく見えてしまう。
ドレスの上からでも分かる程に膨れ上がった腹部と胸部。
履いているハイヒールもはち切れそうな程に膨れ、ティーカップに添える指は人差し指一本だけでもカップの取っ手に通らない。
青系のアイシャドウでグラデーションに彩られた瞼の下で、狐の様に切れ長な目から覗くオレンジ色の瞳。
二重どころか三重に重なる顎の上部で真っ赤に映える口紅を塗った唇が、全体の見た目に反してお淑やかに弧を描く。
「ご機嫌よう、ジェーン。変わらず可愛らしい坊やのままで安心したわ」
「ご機嫌よう、マダム。貴女も相変わらずお美しいですね」
(主にドレスが…)と、心の中で付け足すジェーン。
誰がどう聞いてもお世辞にしか聞こえないその言葉を当の本人、マムだけは素直に受け取って満足そうに微笑んだ。
かなり狭められたガゼボの席の端っこに腰を下ろすジェーン。
いつの間にかジェーンの分の紅茶を注ぎ入れていたゼゼットから良い香りのする紅茶を受け取り、一口飲む。
香りに負けない程、美味い紅茶だ。
「それで、今日はどういった御用かしら? まぁ、貴方からの依頼と言う事はお姫様関連でしょうけれども」
「お察しの通り。彼女がサーカス団を結成した話は以前したよな?」
「えぇ。何度聞いても面白いお話だわ。地獄に娯楽だなんて」
真っ赤な口紅が良く映える唇の隙間から零れ出る「ンフフフ」という控え目な笑い声。
嘲笑か、あるいは本当に愉快に思っているのか定かではないが、ジェーンはこの時には既にマムがこの取り組みに対して少なからずの興味を示してくれていると確信を持った。
それもそのはずで、マムは“強欲”を司る大悪魔。
人間の三大欲求で言う所の性欲は“色欲”が、食欲を“暴食”が、睡眠欲を“怠惰”が示すものとするならば、単純に“強欲”は“金銭欲”を現していると言って良いだろう。
故に、『上手く乗っかれば金を生む事が出来る話』にマムは必然的にアンテナが反応してしまうのだ。
そして、マムのアンテナが反応した話は十中八九の成功を収めるのだ。
「チャチャ……王女殿下には何度か会わせた事があるからもう理解していると思うが、彼女は発想こそ程面白く、行動力もあるが、少々計画性が無くて段取りが悪い。約一年前からサーカス団結成に向けてかなりの速足で計画を進めてきたが、優秀な団員集めに目が行き過ぎていて、肝心の集客が疎かだった」
「あらぁ? 貴方が側に居ても?」
「そりゃあ俺だって手を尽くしたさ。それでもこんな前代未聞な話、地獄生まれの者なら誰だって困惑するだろ」
「まぁね~」
「寧ろ初の試みでよくここまで現実化出来たもんだ」
正直、途中で断念するんじゃないかと甘く見ていた節があるジェーン。
それでも初日の開演までやって来られたのはチャチャのやる気と根気、そして頑固さの賜物だ。
「それでだ。聡明なマダムならば、俺が此処に来た理由は察してくれたと思うんだが?」
「勿論よKiddo。サーカス団の宣伝にウチの島での活動許可が欲しいのでしょ?」
「流石だ。話が早くて助かる」
「ンフフフ~♪」
愉快そうに微笑むマダム・マム。
しかし次の瞬間には、オレンジ色の瞳が二回りほど小さいジェーンを射殺す様に見つめる。
その時、偶然か……否、圧倒的な魔力の圧に当てられて、ジェーンの手にしていたティーカップの縁に小さなヒビが入る。
ジェーンは物怖じする事無く、ヒビの入ったカップをソーサーの上に戻した。
ジェーンの血の様に深紅な瞳が煌々と輝き、マムに負けじと劣らぬ気迫を纏った圧を、自らも放ち対峙する。
そして両者は真っ直ぐに見つめ合う。
一触即発かと、その場に他の悪魔が居れば恐怖で震え上がる空間だろうが、幸いにもこの場所はマモングリードの領域内。
対峙する二人の悪魔以外には、この光景を何百回と間近で見守って来たゼゼットしか居ない。
マムはジェーンに向ける覇気を抑えず、長くて真っ黒に染めた爪の生えた人差し指でジェーンの顎筋をなぞる。
「ねぇ、Kiddo? まさかとは思うけれど、無償で許可を求めてる訳では無くてよね……」
―――この“強欲”に…?
折角の美しい薔薇園の景観がマムの覇気に当てられて、あっという間に茶色く枯れ果てた荒野の様に変わってしまった。
本当に枯れた訳ではなく、マムの作り出す幻術ではあるが、まさに地獄絵図と表現出来そうな豹変っぷり。
幻術とは言え、まるでマムの心情を現しているような演出だ。
下級悪魔であれば、この光景だけで恐怖し、最悪心が折れてしまうだろう。
しかしジェーンは一切臆する事無く、マムの覇気を一頻り浴びた所で―――……ニッコリと微笑んだ。
「そんな訳無いだろマダム。俺が貴女に無償で頼み事した事無いって知ってるくせに?」
「ンフフ~! 勿論冗談に決まってるじゃないの~? やーね本気にしないで頂戴な?」
直前までの気迫は何処へやら。
マムは再びお淑やかな笑みを浮かべてティーカップを口へ運んだ。
茶番(?)が終わった事を確認して、ゼゼットは空かさずジェーンのティーカップを取り換える。
「当然それ相応の謝礼を支払わせてもらうよ。それも今回は陛下の懐から出して頂ける」
淹れ直された紅茶を口にして、ジェーンは何事も無かったかのように交渉の話に戻った。
陛下―――つまり地獄の王・サタンラースの有り余る財産からサーカス団の資金が支払われるのだ。
究極の親馬鹿……もとい、世継ぎである王女殿下の夢を支える為に…。
「あらまっ。それじゃあ思ったよりも高値で取引出来そうね?」
「あまり値を張り上げないでくれよ? 俺の立場が危うくなる」
「ンフフ~。私に交渉を持ちかけた時点で予想出来てたでしょう?」
「まぁね」
とてもではないが、金銭面で七大罪級の悪魔に張り合えるとは思っていない。
陛下は娘の事もあって協力的ではあるが、他の上級悪魔とスポンサー契約を確立するのも、サーカス団相談役である自分の役目だと、ジェーンは自負していた。
だからマムが陛下の財産でも賄えないくらいの高額請求をして来た場合の対抗措置として同じ七大罪級の大悪魔を何人か味方につけておきたいのが本音である。
でないと金を巡って七大罪同士の争いが勃発した日には、地獄が更なる地獄へと変貌を成す事となる。
ましてや“憤怒”を司る陛下が本気になればどうなるか……―――想像するのも恐ろしい。
「分かったわ。お気に入りのKiddoに免じて大目に見てあげるわ」
「ありがとうマダム」
「ただし―――」
話がまとまったと気が抜きかけたジェーンに、マムはソーセージのように太い人差し指をピンッと立てて見せた。
「まだ何か?」
ジェーンは嫌な予感がして、思わず眉間に皺を寄せた。
その顔が面白かったのか、マムは大変愉快そうに微笑んだ。
「そんな顔しない頂戴? ただウチの島でショーをする前に、先ずは私に見せてほしいってだけよ。貴方には悪いけど、許可を出すだけ出して粗末な物を見せられたとあっては、他の子達も納得しなくてよ?」
「それはそうだが…」
「あぁ。場所なら気にしないで。私が直々に出向てあげるからね?」
「………そうか」
―――面倒だな…。
マムは強欲区の頂点。
そんな彼女が街中に堂々と姿を現しては、他の下級悪魔達が委縮してしまって盛り上がってくれない。
こういうのは先客が乗りに乗ってくれた方が後続もつられて盛り上がってくれるものだ。
とは言えここでマムの提案を断れば、あっという間に今回の交渉は破談となる。
―――流石に勿体無いな…。
「分かった。じゃあ他の団員達が待機してる場所まで案内する。そこから出来れば人目に付きやすい場所に移動してやりたいんだが?」
「他の子達は何処で待ってるの?」
「“ふくよかな街路”」
「そこで十分じゃない。一番人目に付きやすいわ」
「商売の邪魔にならないか?」
「ん~? ウチに気を使ってくれるのは有難いけれど、最初の好機を逃すのは今後の悪影響になるわ。その辺りは誰よりも貴方がしっかり見定めなさいな」
「………勉強になるよ」
「でしょ。これからも精々私から学びなさいな、Kiddo」
“強欲”なクセして、こういう所で寛大なのがマムを嫌いになれない要因の一つだ。
ジェーンは先程のマムへの不満に罪悪感を覚えつつ、安堵の笑みを浮かべて席を立った。
「―――マダム・マム。我がサーカス団の晴れ舞台。その最初のお客様となって下さる貴女様にご満足して頂けるだけのショーをお届けしましょう」
慣れた動作で完璧なボウアンドスクレープをするジェーン。
その姿に“強欲”の七大罪―――マモングリードは至極愉快そうに笑みを浮かべた。
「実に楽しみだわ。支配者級悪魔の吸血鬼・ジェンヌクロー」
ゆっくりと頭を上げるジェーン。
その眼は、悪魔である己が司る“血”を閉じ込めた様に、深紅に輝きを放った。
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