怪事体験記~笹木はるかの場合~
チャイムが鳴る。部活後の、生徒に下校を促すチャイムだ。
ぐずぐずしていると先生に怒られるので、私は友達のみーこ、さやと一緒に急いで校門へと向かう。
「先輩、さよならー」
「ほい、またねー」
途中で追い越した先輩へと挨拶しつつ、三人駆け足で校門を抜ける。先輩達はのんびりしているが、あれで怒られないのだから不思議だ。たぶん、怒られないギリギリのペースってやつを掴んでるんだと思う。
そんなことを考えたりしながら、部活終わりのいつも通りの帰り道を三人でお喋りしながら進む。
「暑いー、アイス食べたいよー」
「ほんと、暑いよね。これから、もっと暑くなると思うと、嫌になるよ」
うだるような暑さにだれるさやに返しながら、私も暑さにうんざりする。今は七月。梅雨も明けたばかりで、暑さが本格的になるのはこれからだ。
「じゃあさ、涼しくなる話。してあげよっか?」
二人でうだってると、みーこがそんなことを言ってきた。
何ごとかと、さやと一緒に話の続きを待つと、みーこが少し先の曲がり角を指し示した。
それは私達の家の方へと通じる裏道。家に帰るには近道になるけど、普段は通らない道だ。
私は気にしないのだが、暗いし、なんか気味が悪いこともあって、さやが通るのを嫌がるのだ。
「あそこがどうしたの?」
「あそこの道……出るらしいよ」
尋ねると、みーこはたっぷりと溜めた後に答えた。合わせて、両手を顔の前に持ってきて、うらめしやーとばかりに手をだらんとさせる。
「ちょっと、やめてよ」
そのポーズから、何が出るのかを察したさやが眉をひそめた。本気で嫌がってる時の声だ。
冗談にならないことを察したみーこも、直ぐに両手を合わせる。
「あはは、ごめんごめん。もう言わないね」
「ん、お願いだよ」
「うん。あ、じゃあ口直しってことでこんなのはいかが? ……ミッチー、子供生まれたらしいよ」
また少し溜めてから、話したみーこの言葉に、今度は二人で驚く。
「え? ほんとに!?」
「うわ、おめでとうじゃん!」
さやのテンションが一気に上がる。
話題がコロコロ変わるのは私達の間ではいつものこと。すぐに期限が直ってちょろいなとは思うが、実際テンションが上がる話題だから仕方ない。
その後、男の子なのか女の子なのか、どっちなのだろうと話しながら、私達は真っ直ぐ家へ帰った。
「ただいまー」
玄関から大きめの声で、居間にいるであろうお母さんへと声をかけつつ自分の部屋へと入る。
ご飯の前に数学の宿題をやろうと思って、鞄を覗いたのだが。
「……あれ?」
教科書が見つからない。他の科目のはあるのに、数学だけ鞄に入っていなかった。
今日の学校でのことを思い出す。そういえば、教科書を忘れてきた他クラスの友達へ貸したんだっけ。その子の数学は六限で、返しに来てくれるのを待ってたら部活に遅れるからって、私の机に入れといてってお願いした気がする。
「うわ、完全に忘れてた。よりにもよって数学だよ」
数学の先生は宿題を忘れてきた際の罰が大きいことで有名だ。
この前忘れた男子は、確か放課後居残りで課題をやらされていた。
……部活の時間が短くなるのは嫌だな。
時計を見る。六時半。今から急いで学校に取りに戻ったら、暗くなる前に帰ってこれるかな?
善は急げだ。私は制服のまま部屋を出た。
「おかーさん、ちょっと学校に忘れ物取りに行ってくるね」
「今から? 気をつけなね」
「うん」
居間へと声を掛けて、家を出る。駆け足で学校へと戻り、まだ残っていた先生に声をかけて、教室の鍵を開けてもらった。
「あー、あったあった。良かったぁ」
友達はちゃんと、机の中に返してくれていたので、教科書はすぐに見つかった。
叱ってくる先生に謝りつつお礼を言い、再び帰路につく。
校門を出た所でスマホが鳴った。
確認すると、みーこからの電話だった。
「――あ、はる。テレビ見てる?」
「ううん、見てない。忘れ物取りに学校行っててさ」
「え、大丈夫?」
私が学校の傍にいることを伝えると、驚いた声を上げるみーこ。
「うん、今から家に帰るとこ」
「そっかー、気をつけてね」
「ありがと。それで、テレビがどうしたの?」
みーこにお礼を言いながら、先程の続きを促す。
「あ、そうそう。今日のMテレで須藤君、出るみたいだよ」
「え? 嘘!? そんなの予告で無かったよね?」
Mテレは七時から放送している音楽番組で、須藤君は私が好きなアイドルだ。
その須藤君がMテレに出るなんて、聞いてない。
「なんかサプライズゲストだって」
「そうなんだ。うわっ、早く帰らないと」
わざわざ電話を掛けてきて教えてくれたみーこに再びお礼を伝えると、通話したまま急ぎ足で家へと向かった。
早く帰らないと、須藤君の出番が終わっちゃうかもしれない。
焦りながら、視線を先に見つめると曲がり角が目に入った。
さっき、みーこが出るって言ってた裏道だ。
ここを通れば、近道になるけど……まぁ大丈夫か。
私は一瞬迷った後、裏道へと足を踏み入れた。
「ねぇ、須藤君の出番はまだきてない?」
「うん、まだだよー。でもさっき学校出たとこなら間に合わないかも。番組、録画しとこうか?」
「裏道通ってるから、たぶん間に合うと思う」
「え、大丈夫なの?」
「大丈夫でしょ」
裏道、の言葉だけでみーこは何のことか察したみたいだった。
尋ねてくるみーこに大丈夫と返しつつ、再度質問を重ねる。
「それより、須藤君はまだだよね?」
「うん、ま――」
みーこが何かを言ったみたいだが、聞き取れなかった。
突然、ザザっという雑音が入ってきて、言葉を遮ったのだ。
耳障りな不快音に、思わずスマホから耳を離す。
電波が悪いのだろうか?
疑問に思いつつ、ゆっくりスマホに耳を近づける。
「みーこ?」
「……どうしたの?」
雑音はもうしてなかった。
「あ、うん。何か雑音がしてびっくりしたの」
「そっかー」
「須藤君はまだかな?」
「ん、須藤君? あぁ、うん。まだだよ」
みーこの言葉に少し安堵する。
これなら間に合うかもしれない。
そんなことを考えた時だった。
背後から何か聞こえてきた気がして立ち止まった。
「――足音?」
誰かが走っているような音がする。
振り返った途端、足音が止んだ。姿は見えない。
――気の所為かな?
そう思って前を向くと、また足音がした。
振り返ると同時に、止む。
「え……何?」
不気味な感じがして、前を向くと、私は少し足早に家へと駆けだした。
私のペースに合わせるように、足音がついてくる。
――気の所為じゃない。私、追われてる。
「ね、ねえ。みーこ」
もはや駆け足状態で進みながら、みーこへと声を掛ける。
「どうしたの?」
「今日話してた、裏道で、出るって話。具体的、なこと、知ってる?」
「……何かあったの?」
駆けながら喋っているので、途切れ途切れになりながら尋ねると。
察しが良いみーこが聞き返してきた。
「何か、誰かがっ、迫ってきてる、みたいで」
「大丈夫?」
足音は少しずつ近づいてきている感じがした。
「どうしよっ……追いつかれそう!」
「それ、幽霊じゃなくて不審者の可能性もあるんじゃない?」
真剣なみーこの声に、はっとする。
言われてみれば確かにそうだ。その可能性はある。
変質者が迫ってくることを想像して、血の気が引く。
余計に足を急がせる。
「落ち着いて。そこから、ちょっと方向変えたら警察の脇に出るはずだよ」
「そういえば、あった、かな?」
言われて、帰り道の途中にある派出所を思い出した。
そこの傍に出るということだろうか。
普段裏道をそこまで通らないから、ちゃんと覚えていなかった。
「どう通ったら、行けるの?」
「途中の突き当たりを右だよ」
途中? ――あそこか。
記憶を探って裏道の構造を思い出す。少し先に突き当たりがあったはずだ。
通り過ぎていないことに少し安心して進んでいると、想像してた突き当たりが目の前に迫ってきた。
家に帰るなら左に折れないといけないが、警察に駆け込むことを優先して右に向かう。
足音は以前ついてきた。
焦りながら、みーこの指示に従って走っていく。
「もうすぐだよ!」
みーこの言葉と共に角を曲がった所で、私は思わず足を止めてしまった。
「……ここ……通るの?」
息を整えながらみーこに訴える。目の前に広がる道は闇だった。太陽はほとんど沈んでいて辺りは薄暗いが、それ以上に道の先は真っ暗だ。
こんな所に入ったら、暗すぎて周りが何も見えなくなりそうだ。
「そうだよ! 大丈夫だから」
闇に飛び込むことを躊躇していると、みーこが促してくる。
同時に後ろから足音が迫ってくる。
焦りから、一歩前に踏み出そうとして――。
「急がないと。私を信じて、はるか!」
「――え?」
私はその足を再び止めた。
暑さからではない、別な意味での汗が出てくる。
それは、直感だった。
嫌な予感。心に浮かんだ疑念に従って、私はみーこへと尋ねた。
「……ねぇ、みーこ。ミッチーの話、もっかいして」
「どうしたの急に?」
「いいから! お願いっ!」
切羽詰まった声を出す私に対して、電話先のみーこはあくまで落ち着いた口調で返してきた。
「ミッチーのお母さん、子供生まれたんだよね。弟か、妹、どっちができたのか、気になるよね」
体温が一気に下がった気がした。
今まで走ってきた疲れの感覚も、とうに無くなっている。
「どうしたの?」
「……あなた、誰?」
みーこへと尋ねる私の声は震えていた。
「何言ってるの? 私、みーこだよ」
「嘘、そんなはずない!?」
「どうしたの? 何で急にそんなこと言うの?」
続きを言うのが怖い。
でも、自分の口じゃないみたいに、吐いた言葉は止まらなかった。
「だって、ミッチーは学校の先生だもん」
――瞬間、電話の向こうが静かになった。
震える口調で言葉を続ける。
「子供を産んだのはミッチー。弟妹じゃなくて、できたのは子供。そんなの、みーこなら知ってるはずだもん」
本当に電話先の人がみーこなら、ミッチーのお母さんが子供を産んだなんて言うはずが無い。
それを間違えるってことは、今話している相手はみーこじゃなくて――別の誰かってことだ。
「あははははは」
「ひっ」
沈黙を保っていた、電話先から急に笑い声が聞こえてきて、思わず小さな悲鳴が出た。
「……失敗したなぁ」
声はみーこのまま。けど、電話先の誰かはもはや、みーこだと偽っていなかった。
明らかに雰囲気がこれまでと違う。
「何で気づいたの?」
誰かが尋ねてくる。
「みーこは私のこと、はるかなんて呼ばない」
「あちゃー、そんなことでかぁ。私もまだまだだよ。もう少しだったのに」
失敗したなぁって再度呟く誰か。
今の状況に合ってない、その能天気な口振りが逆に怖かった。
どうしよう。最初は間違いなくみーこだったよね? いつから変わったの? みーこは大丈夫かな。
そういえば、追われてたんだ。足音は今はしない。もうそこまで来てる?
逃げないと。どこに?
目の前に踏み出すのはもう嫌だ。
様々な感情が頭を巡る。
前に進むのは躊躇わられ、かと言って後ろにも戻れない。どうしようもできないでいると突然、背後から何者かに肩を掴まれた。
「きゃあ」
思わず叫んで、掴まれた手を振り払おうとした。
「――はるかちゃん、落ち着いて! 僕だよっ、祐介だ!」
聞き覚えのある声にハッとする。
動きを止めて、相手の顔を見る。
そこに居たのは、みーこのお兄さんだった。
「お兄さん!? ど、どうして?」
「みーこに頼まれたんだよ」
どうやら、電話が急に切れて、繋がらなくなったことで心配したみーこがお兄さんに連絡したらしい。
塾から帰る途中だったお兄さんは私のことを心配してくれて、わざわざ探しに来てくれたのだ。
私を追ってきていた足音は、お兄さんのものだったみたいだ。
「あ、ありがとうございます」
「気にしなくて良いよ。はるかちゃんが無事で良かった」
そう言って微笑むお兄さん。
その笑顔に幾分、安心感が湧く。
「それより、何でこんな所まで走ってきたの?」
「あの、私さっきまでみーこに似た何かと話してて……それで、警察に向かおうとしてたんですけど」
尋ねられたので答えようとするけど、上手く説明できない。
みーこに似た何かって何だ。自分でも分かってないのに、説明できるはずがない。
「ん、警察? ここは行き止まりだよ?」
そんな私の心の内を知ってか知らずが、お兄さんがそんなことを言ってきた。
「え、いやいや。この暗い道を……って、えっ!?」
お兄さんに説明しようと振り返って、再び驚愕した。
そこは突き当たりの壁になっていた。さっきまで広がっていた闇の道なんて、どこにも無かった。
「あれ? さっきまで道があったのに、何で?」
初めは驚きと疑問で壁を見つめていたが、遅れて恐怖がやってきた。
あの電話先の誰かは、私を存在しない道へ誘おうとしていたのだ。
その誘いに乗って、闇に足を踏み入れていたらどうなってしまっていたのだろう。
最悪なケースを想像して、冷や汗が止まらない。
「大丈夫?」
「あ、は、はい。すみません」
「そう、それなら良かった。それより、早く帰ろう」
そう言うと、お兄さんが元きた道へと振り返った。
私も慌てて、お兄さんの後を追って歩きだす。
その場を逃げるように離れて、気持ちが少し落ち着いた所で、右手に握っていたスマホが振動しているのに気づいた。
画面を見る。みーこだ。
「もしもし?」
「ようやく繋がった! はる、大丈夫!?」
「うん、大丈夫」
ホッとするようなみーこの声。でも、私はすぐには信用できなかった。
「みーこ、さやの飼ってる犬の名前って何だっけ?」
「どしたの、急に?」
「ん、ド忘れしちゃって」
惚けた振りをする。
「あ〜、ド忘れした時って、もやもやするよねー。チャーリーだよ」
「あ、そうだそうだ。さすがみーこ」
「ふふふ、任せてくれたまえ」
声の調子から、みーこがドヤ顔してるのが目に浮かぶ。
良かった、今度は本物みたいだ。
「みーこ……ありがとね」
私を心配して、何度も電話掛けてくれたり、お兄さんにも連絡してくれたのだ。
私はみーこに心からのお礼を伝えた。
「ん、そこまでお礼言われる程の事じゃないよ?」
「そんなこと無いでしょ」
笑いながら返した私は、ふとその場で足を止めた。
……何だろう、何かがおかしいような。
「ん、どうしたの?」
私が立ち止まったことに気づいたお兄さんが振り返った。
「あの、お兄さん。つかぬことをお伺いしたいのですが……」
「何?」
優しい笑顔で私の言葉の続きを待つお兄さん。
その顔を見ながら、私はまた心臓が高鳴ってきているのを感じた。
「来月、みーこの誕生日ですけど、プレゼントは贈るんですか?」
「あー、そうだね。まだ決めてないけど、何かは贈るつもりだよ」
喜んでくれるか分からないけど、と笑いながらお兄さんが続ける。
「――っ」
血の気が引くような音がした。
スマホを持つ手が震える。みーこが何か言ってるような気がしたけども、耳に入っては来ない。
それどころでは無かった。
「はるかちゃん、どうしたの?」
尋ねてくるお兄さん。
口にしちゃダメだ。
ダメだと理解してるのに、私は言葉を飲み込めなかった。
「みーこの誕生日……先月ですよ」
――瞬間。優しい笑顔だった、お兄さんの表情が変わった。
目は無表情に、口の端だけ吊り上がる。
背筋がゾクッとするような不気味な笑みだった。
その表情のまま、お兄さんが喋った。
「――また、バレちゃったね」
そこから、どうなったのかは詳しく覚えてない。
気づいたら、息も絶え絶えな状態で家に辿り着いていた。
スマホからはみーこの心配する声がしていたことだけ、記憶の片隅にある。
電話していたのが誰だったのか。
裏道で出会ったお兄さんは何だったのか。
あそこで闇の中へと飛び込んでいたらどうなっていたのか。
今となっては分からない。
けど、一つだけ理解したことはある。
心霊スポットというものは実在しているのだ。
そして、私はあの裏道をもう二度と通らないと心に誓ったのだった。