心のカタチ
初投稿になります。よろしくお願いします。
今日は少し特別な日。
私は普段それほど派手な服は着ない。でも、今日ばかりはさりげなくボディラインが協調されたファッションを意識してみた。ショーウィンドウのガラス越しに自分の全体を確認する。少し肌の露出が多かったかもしれないと気恥ずかしくなったがまあよしとしよう。
目的の場所に着いた。普段よく乗り降りする駅だ。時計を確認してみると待ち合わせ時間までまだ1時間ある。いつも遅れないことを心掛けているがいくらなんでも早すぎたので時間つぶしのつもりで街を散策してみることにした。駅から街道沿いを歩いていくと、見覚えのない新鮮な景色が続いている。そしてそのお店を見つけたのは全くの偶然だった。
お店には看板らしきものは掲示されておらず、その名前すら確認できなかった。怪しい、いや見方によっては何の変哲もない外観。西洋風のレンガ造りであり、三角の形をした屋根には煙突までついている。人の出入りはない。だがなにかしらのお店であることは確認できた。小さな看板が店の扉の脇においてあり、そこには「記憶と引き換えになんでも叶えます」と書かれていたからだ。私は時計をみた。まだ時間は十分にある。今日は私と彼の一周年記念、遅れるわけにはいかないが時間つぶしにはちょうどよいかもしれない。それになにか面白い話のネタになるかもしれない。
私は木造づくりの扉に手をかけた。それは見かけによらずとても重かった。私は静かな動作で扉を前に押し、周囲に視線を配りながらゆっくりと店内に進んだ。まるで、注意深いスパイが標的の建物に忍び込むように。
店内は最低限のペンダントライトが天井からぶらさげられていた。それは赤や青や緑のガラスで構成された外見で、ゆるやかな暖色系の光が店内を最低限に照らしていた。周囲にはいくつかの商品棚が配置されており、そこには古美術品のような類の品がディスプレイされている。詳しくはないのでよく分からないが、象牙や中東系の織物などを主な商材としているようだった。一部は埃がかぶっており、店主はあまり商品に興味がないように見受けられた。薄暗い奥には大きな木製のカウンターが設置されており、その奥に小さな老人が一人で座っていた。奇妙な形のゆったりとしたフードをかぶっており、その顔は影で判断がつかなかった。だが店全体としては、いわゆる「身の危険を感じる」ようなお店ではなかった。
「あのすいません、外の看板になんでも叶えると書いてあったのですが?」私はその店主に尋ねてみた。店主はゆっくりと顔をあげて、こちらに視線を向けた。少なくとも、私をみているという雰囲気はあったが影でその表情、性別さえ判断できない。
「そうですよ、性格を変えたり、小さな頃からやり直したり。でも友人を作るという類の願いは無理ですよ。できるのはあくまでもあなた自身の事だけです」
歳をとった女性の声だった。「ああそれから」と店主は付け加えた。「お金は入りません、私のような老人にとってもはやなんの価値もないからです。ただ、お題として記憶をいただきます。正確には記憶ではないのですけどね」
お金は価値がないが記憶は価値があるということだろうか。それに記憶といってもどうやってそれを渡すことができるのだろうか。店主のいうことは私の理解をはるかに超えているようだった。
私はそのことについて考えを巡らせてみた。何か困っていること、すぐに思い当たるのは肌のコンディションくらいだろうか。ストレスからくるものかもしれない。いままで私に対してとても甘かった上司から、堅物の厳格な上司に変わったのだ。あるいは最近変えた化粧水のせいかもしれない。あるいは歳のせいかもしれない。いづれにしても悪いことは確かだ。それにこの程度のことなら大きな影響はないだろうという根拠のない想像もあった。
「肌荒れを直してください」
私はそれから店主に言われた通り、店主の正面においてある背もたれ付きの固い革製の椅子に座った。目の前には金属製の大きな機械が置いてあり、そこに手を通すように言われた。いままで一度もみたことのない形をしている。私は少しこの店に入ったことを後悔した。何かおかしなことをされたらどうしようか。左腕のブラウスの裾をまくり、手のひらを上向きにして妙な機械の上に差し出した。まるで健康診断の血液検査のようだった。
それから店主がその装置を少し触ると小さなうなり声をあげはじめた。外からは特に変わった様子は見受けられなかった。手は痛くもなんともなかった。むしろ麻酔をきかしたように自分の腕ではなくなったように触覚がなくなった。
私はふいに昔のことを思い出した。
ある日、美しかった母は自殺した。私が朝起きたときには寝室で宙釣りになっていた。それは父が失踪して3カ月後のことだった。やせ細ったその小さな体を私はただじっと見つめていた。母の葬儀が一段落した後、私は家に残っていた多くの父の荷物をすべて処分し、それから別の場所に引っ越しをした。
私は椅子の上で眠っていたのだろうか、ふと気が付いた時には椅子に座っていた。さきほどまでブラウスの袖をまくっていたような気がしたがそのような形跡はなかった。店主が腕を伸ばし、私に小さな石をみせてくれた。小さな藍色で、店内の照明は薄暗いのに特別に輝いているようだった。店主はそれを木箱にゆっくりとしまった。それから口元に僅かな笑みを浮かべながら言った。「またおいでなさい」
私は待ち合わせでよく使っている駅に近い公園のベンチに座った。手鏡を取り出して自分の顔をまじまじといろんな角度から見渡した。たしかに私の肌はとても美しくなっていた。記憶の方はどうだろうか。なにかを忘れてしまったような気もする。だが最近昨日夜食べたものも思い出せない私だ。そう考えるといつもと変わらないようにも思えた。記憶をとられたからといって何の支障も無いようだった。
待ち合わせの場所に彼はやってきた。
「なんか雰囲気が変わったね」と彼は驚いた。冴えない友人だった。そういえば今日はどこで遊ぶ予定だっただろうか。
「ちょっといつもと違うと思わない?」私は彼に言って、顔を近づけてみる。彼は引き気味に表情を強張らせた。私はどうしてこんなに近い距離間で友人と話をしているのだろうか。友人との間に築くパーソナルスペースを少し侵していたかもしれない。
彼との最初の出会いは、このベンチだった。私が仕事の帰りに座り携帯電話をさわっている間、いつの間にか彼は私のすぐ隣に座っていた。そして独り言のようにつぶやいた。
「みてください、私のカバンについているキーホルダー。あなたの傘についているものと同じだ」
私はその独り言に気が付いていたが知らぬふりをした。自分に対して言っているのか分からなかったからだ。しかし、私のカバンには確かにキーホルダーがついていた。それはデフォルメされた熊の小さな人形であり、たしかに彼が所持しているものと同じもののようだった。どこで購入したものかも私は思い出せなかった。
それから彼はすこし考えてから眉をひそめて言った。
「とても奇妙だ。もしかしたら、何かのヒントになるかもしれない」
何を言っているのだろう、たしかに、同じものをつけている理由はよくわからなかった。偶然じゃないだろうか。それから私は彼と連絡を取り合うようになった。
それから数週間経った。私は体調が思わしくなかった。寝つきが悪くなり、寝起きも不安定になった。以前はいつも6時にはしっかり起きることができていた。それから最近嫌な事ばかりを思い出すようになった。彼は以外にももてるということだ。人たらしなのか、天然なのか、女性の気持ちのつぼをわきまえているのか、よくわからない。私には何も考えていないし謀っていないようにしかみえない。しかし彼はよく女性から声をかけられた。そして彼は私には告白してこない。
それなりに長い付き合いなのに告白してこないのはなぜなのだろうか?私を異性としてみていないのだろうか?しかし一方で自宅に彼の衣類をみつけたことがあった。不思議な事態だった。彼が私の部屋にきたことはないはずだった。ふと、こないだ彼と二人で話していた女の子のことを思い出した。とてもかわいらしい男受けのよさそうな女の子だった。
気が付けば私はまたあの店にいた。今度は「究極の美しさ」をもらうことにしたのだ。
記憶を奪う以外にもなにか症状はあるのかと聞くと店主は答えた。
「美しい記憶の引替えに、つらかった記憶は残って、そういった記憶が思考を埋めてしまうかもしれないね」
美しさの前にそんなことはたいしたことではないように思えた。以前と同じように機械を使い、私はとてつもなく美しいからだを手に入れることになった。家に帰り、鏡をみて私はため息がついた。私が思い描いていた理想の美貌を備えた容姿だった。
私はいつものように待ち合わせ場所に向かった。とても楽しい日になるはずだった。これほどの美貌を手に入れたのだからなにもかもが好転するはずだ。でも誰もこない。そもそも、誰を待っていたのだろうか。
「まぁいいか」と私は一人つぶやいた。通り過ぎる男たちはみな私に視線を向けてきた。
当たり前だろう、これほどの美人はなかなかいない。それにしてもいつからこんな美貌を兼ね備えていただろうか。例の店に行ったのはいつだっただろうか。そもそも、例の店とはどんな店だっただろうか。
私の周りにはおかしな男ばかりがよってきた。というよりも男とはみなそういうものなのだろう。そろってなにかをプレゼントしてくれた。私は何も求めていないというのに彼らは押し売りしてくるのだ。そうやって私の好意を引き出そうとする、男たちの下心が透けてみえた。そして彼らは私の心をまったくくすぐらないのだった。美しさは人を不幸にするのかもしれない。もしかしたら、美貌などないほうがよい男と出会えるのかもしれない。
私は男たちの誘いをすべて断った。私はとにかくうんざりしていた。次第に化粧もせず、服にも気をかけなくなった。美しさを捨てることに迷いはなかった。仕事休みの日は公園でぼんやり過ごすようになった。周囲にある木々をただじっと眺める。たまに小鳥が周囲に気を配りながら地面をつついている様子を観察するのだ。それは私の心をとても楽にしてくれた。だが、空虚だった。何が足りないのか、思い当たるものがなかった。お気に入りのイタリアンレストランのボンゴレ・ロッソでないことは確かだった。
ある時、私のとなりに男が座った。
男は私にちらちらと視線を向けてきた。冴えない男だった。特別とりあげることのない目と耳と鼻だった。私はみられることにはなれていたがそれはいつもとは異なる類のものだった。「ねぇ」私は男に声をかけてみた。「わたしと付き合いたいの?」
ぶしつけに聞いてみた。だが男はそれにはすぐに答えなかった。しばらくしてから、首を傾げながら言った。「どうして私と同じカサをもっているのか考えていたんです。それに、ほら、同じキーホルダーをつけている」
たしかにそうだ。どうして同じ熊のデフォルメされたキーホルダーを彼は所持しているのだろうか。彼はさらに神妙な顔をして続けて言った。
「なにかのヒントになるかもしれない」
私は彼の顔を眺めてみた。まったく見覚えのない顔だった。少なくともここ数年間彼と話を交わしたことはない。かすかな記憶を懸命に捜索していると、やがて思い当たる僅かな欠片があった。
「あなた、もしかして私と同じ高校に通っていた?でも、おそらくは同じクラスになったことはない」
男は驚いて、私に向き直った。それから私が名前を名乗ると、彼も名乗った。やはり彼は私の同級生だったかもしれない。
彼は言った。「さらになぞは深まった。これは実に不思議だ」
「たしかにそうね」
それからしばらくの沈黙があった。「そういえば」と私は言った。「あなた、どこかであったことがあるわね」
「ぼくもちょうどそう思っていたところだ」と彼は頷いた。
私は何を忘れているのだろう、そして、彼は何を忘れているのだろう。
私たちはその出会いをきっかけにして連絡をとりあうようになった。そして互いの高校生の時の品を見せ合った。互いに大切なものは箱にしまっておく性分のようだった。私がもっていた写真には確かに彼が映っていた。彼はしばらくその写真を凝視していた、そして、晴れやかな表情で言った。
「僕たちは修学旅行で同じ班になった。ぼくと君はそこで初めて話した。そして、僕は君にキーホルダーを買ったということだよ」
私は笑って言った。
「そうだったかな?全く記憶にない。でも急になぜわたしにキーホルダーを?」
「君はクラスで人気者だった。そして、僕は話しかけることができなかった。そういうことかもしれない」
彼は言った後、しばらくしてから少し気まずそうにはにかんだ。
おわり




