表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Ink Violet Snow  作者: E-theL
3/3

700年以上前の遠い昔のお話 ー最終章ー

ヴァンパイアになる前のヴァルシュタイナーとヴァンパイアであるニヴェアのお話、最終章になります。


ベッドに横たわるヴァルシュタイナーの額に静かにキスをし、手を握り、隣のソファに腰をかける人影があった。

その人影の腕からは血管に差し込んだチューブが垂れており、その先はヴァルシュタイナーへと繋がっていた。

ヴァルシュタイナーの腕にも同じように血管にチューブが差し込まれており、ソファに座っている誰かから、輸血をしているところだった。

ニヴェアは十分な食事をしていなかった為、目の前のチューブから流れる血を見ないようにしていた。

輸血を行う誰かは、手の甲にシワが幾つもあり、高齢者だという事が見て伺える。

その者がふと、口を開いた。

「ニヴェア様、私に気を使わなくても良いのですよ。どうぞ遠慮なく、お食事をとられてください」

優しい声色でニヴェアにそう伝える誰かは女性であり、ニコッと微笑み、ニヴェアが吸血鬼であることを知っていながら、一切物怖じせずにいた。

「…分かったわ、怪しいことをしたら殺すわよ」

女性を脅しつつササッと家を出るニヴェア。

それでも落ち着いた様子で微笑む女性であった。


ーーー


数時間後にニヴェアが戻った時には、女性は冷たくなっており、ソファに座ったまま、安らかな顔で静かに亡くなっていた。

ヴァルシュタイナーには十分に輸血がされ、次第に顔色に血色が戻っていった。


一日経って、ようやく目を覚ましたヴァルシュタイナー。

まだ若干の目眩があったが、体は回復した。

ダブルベッドの右側で眠っていたヴァルシュタイナーだったが、左側にはニヴェアが静かに眠っていた。

彼女の姿を確認し、ホッとした様子のヴァルシュタイナー。

ソファに目をやると、彼は目を見開いてベッドから立ち上がった。


「ルヴ!」


ソファに腰をかけ動かない女性、それはヴァルシュタイナーの使用人であるルヴィアンだった。

急に立ち上がったヴァルシュタイナーはふらっとよろめき、軽いめまいに襲われたが、すぐに体勢を立て直し、咄嗟にルヴィアンを抱きしめた。

その瞬間、ヴァルシュタイナーは怪訝な顔をしてルヴィアンから体を離した。

ひんやりと冷たい体から生気は感じられず、顔を確認すると、僅かに微笑みを感じられる口元は紫色をしていて、顔色は青白かった。

「ルヴ?…ルヴ?ねぇ、ルヴィアン?」

何度呼びかけても返事のない体は、肩を揺らすと腕がだらんとするのみだった。

「……」

ヴァルシュタイナーはこの時ようやく、ルヴィアンが死んでいることに気がついた。

目に涙をためて、ルヴィアンの肩を何度も揺らした。

「い…いやだよぉ…ルヴ…起きてよ…」

震える声で目の前の亡骸に話しかけるヴァルシュタイナー。

嗚咽混じりにしゃくりあげながらボロボロと涙を流し、冷たいルヴィアンの体を精一杯抱きしめた。

「死んじゃ嫌だ…」

泣きながらルヴィアンの体をぎゅっと離さずに、しばらくの間、そのままでいた。


その音に目を覚ましたニヴェアは、ヴァルシュタイナーの悲しげな後ろ姿をじっと見つめていた。

そしてようやく口を開く。

「ヴァル」

突然の呼び掛けに振り向いたヴァルシュタイナーの顔は、涙でぐちゃぐちゃだった。

「ニヴェア!ルヴが…ルヴが起きないんだよ!なんとかしてよ…」

急く勢いでヴァルシュタイナーはニヴェアにすがりついた。

「……」

「お願いだよニヴェア!ルヴを助けて」

「悪いけど、もう手遅れよ」

冷たく言い放ち、ニヴェアは自分の服を掴むヴァルシュタイナーを振り払ってベッドから立ち上がり、身支度を始めた。

「ルヴはどうやってここにきたの?ニヴェア…キミが?」

腫れた目でニヴェアを見る。

ニヴェアは何も言わずに、大きなカバンに荷物を詰めていた。


ーーー


20時間ほど前…


ヴァルシュタイナーの輸血のための血液を探しに外に出ていたニヴェア。

てきとうに人間を連れてきて、輸血後は自分の食事にしようと考えていた。

森の中を、人間には到底真似できない速さで走り、人のいる場所まで急いでいた。

その道中、たまたま森の小道を歩く老女を見つけた。

木の上に留まり、しばらく老女の様子を伺う。

お年寄りから輸血しても問題は無かったが、ニヴェアは若くて美味しい血液を求めていたため、そのままその場を去ろうとした。

だがその時、その老女に声をかけられた。

「あの、もしかして…」

木の上の自分に老人がまさか気がつくわけがないと思っていたので、びっくりしたニヴェアだったが、急いでいた為そのまま無視して次の木へ移った。


「…ニヴェアさま、でしょうか?」


突然、ヴァルシュタイナーにつけてもらったお気に入りの名前を呼ばれ、ピタッと足を止めたニヴェア。

誰も知らない(最近アロイシウスに知られたが)はずの名を呼ぶ老女が気になって、ニヴェアは木の上からスっと降りた。

白銀の髪に、真っ赤な瞳、赤いカチューシャをつけた、美しい女性。

その姿を確認すると、老女は嬉しそうに微笑みを浮かべた。

服にはベッタリと血がつき、顔や手にも血がついていたにも関わらず、老女は怖がるどころか、自らニヴェアに歩み寄っていった。

「あぁ、なんと…!」

近づいてきた老女はニヴェアの手を取った。

「ちょっと!なに!?」

じっくりと顔を見られ、眉をひそめるニヴェアに、老女が優しく話しかけた。

「はじめまして、ニヴェア様。わたくしはヴァルシュタイナー様の使用人をやっております、ルヴィアンという者でございます」

「…はぁ?」

突然の自己紹介、ヴァルシュタイナーの使用人という事に、驚くニヴェア。

「…ニヴェア様で、間違いないですよね?」

「そ、そうよ、だから何よ?」

ニヴェアの上からな物言いに、ルヴィアンはクスッと笑った。

「ヴァルシュタイナー様からお話を伺っていたものですから、一度お目にかかりたいと、思っておりました。本当にお綺麗で、可愛らしいお方ですね」

綺麗と可愛いのコラボレーションはニヴェアには効果抜群だ。

褒められたニヴェアは、自慢げに笑った。

「は!美しいのは当然よ!」

ヴァルシュタイナーが数日帰ってこないことに心配したルヴィアンは、彼を探しに森に出ていたことをニヴェアに伝えた。

ニヴェアの口から、彼が瀕死の状態だという事を聞かされると、自分を彼の元に案内して欲しいと言うので、ニヴェアはルヴィアンを抱えて来た道を急いで戻った。


家に着き、ベッドに横たわるヴァルシュタイナーを見て、駆け寄るルヴィアン。

ルヴィアンは、病気のヴァルシュタイナーの為に父が探した、医師としての技術や知識も併せ持つ特別な使用人だった為、ニヴェアの説明を聞くまでもなく、すぐさま輸血の準備をした。

ヴァルシュタイナーに何かあった時の為に、道具は普段からカバンに入れてあった。

チューブを繋ぎ、輸血を開始する。

ルヴィアンは、心臓の弱いヴァルシュタイナーが、極度の貧血でどうやって生きていたのかをニヴェアに聞いた。

吸血鬼であるニヴェアが彼を助けたことを聞いて、まるでおとぎ話だと、嬉しそうに会話を続けた。

ルヴィアンは、ヴァルシュタイナーが毎日欠かさず口にしている飲み薬や、応急処置用の薬や注射器などが自分のカバンに入っていることを話した。

そして使い方や、いつ使うかなど、全てニヴェアに伝えると、少し疲れた様子で息を吐いた。

あまりこちらを見ないでいるニヴェアに、ルヴィアンは気づく。

ヴァルシュタイナーを救い、力を使い、きっとお腹が空いているだろうと。

自分は少し眠るといい、ニヴェアに食事をとるように促した。


そしてニヴェアは家を後にし、戻ってきた時には、ルヴィアンは息をしていなかった。


ーーー


カバンに荷物を入れ終え、割れたガラスの破片で自分の姿をチェックしながら、ニヴェアは化粧直しを始めた。

大切な人の死を目の当たりにして悲しむヴァルシュタイナーとは裏腹に、冷静沈着なニヴェア。

二人の温度差は目に見てわかるほどだった。


ルヴィアンが自らの意思でここに来たということを知り、ヴァルシュタイナーは再び涙を流しながら、冷たいルヴィアンの手を握りしめ離さなかった。


今までずっと、人間を嫌い、殆どの時間をヴァンパイアの仲間と過ごしていたニヴェア。

人間と時を過ごすことも何度かあったが、金や血液を奪う為の僅かな時間であった。

最近までは、ヴァンパイアの仲間とつるむことも無くなり、殆どを独りで過ごしてきた。

人間と一緒に長期間を共にするのは、長いことなかったニヴェアにとって、ましてや自分に好意を寄せる優しい人間など初めてで、どんな風に接してどんな言葉をかけたらいいか、分からなかった。

決して感情が無いわけではなく、ニヴェアもヴァンパイアになる以前は、心優しい女の子だったのだ。


「母さん…父さん…チャリオット…ルヴ…みんな居なくなっちゃうんだね…」

家族を失い、幼い頃から知っている使用人までも失い、ヴァルシュタイナーは意気消沈していた。

「あの犬、アンタの…」

ニヴェアがボソッと呟く。

その一言に、ヴァルシュタイナーは握っていたルヴィアンの手をそっと離した。

「チャリオット、知ってるんだ」

俯いたまま、ヴァルシュタイナーが問いかける。

その声色は、いつもとは違って、若干低音で、重みを感じられる。

「……」

ゆっくりと顔を上げるヴァルシュタイナー。

「ニヴェア、君なんだね」

ニヴェアの出現から続々と家族が死んでいったことに、ヴァルシュタイナーは、薄々と気づいていたのだ。

彼女が、みんなを殺した、と。

「どうして…」

こちらを見る瞳からは、悲しみや絶望、そして怒りが滲み出ていた。

ニヴェアの瞳がほんの少し揺らいだのをヴァルシュタイナーは見逃さなかった。

「…きらいだ」

涙混じりに呟いた一言を聞いて、ニヴェアがピタッと手を止めた。

ヴァルシュタイナーは項垂れ、その姿は見る者も切なくなるくらい悲しげだった。

「出てけよ…もう顔も見たくない」

「……」

ニヴェアはカバンを手に取り、ヴァルシュタイナーに背を向けた。

「言われなくても、そのつもりよ」

その後ろ姿はどこか寂しく、ニヴェアはゆっくりと部屋の入口まで歩いていった。


あんなに優しかったヴァルシュタイナーが、初めて見せた、怒りの感情。

ヴァルシュタイナーの家族や犬を食料として殺害していたことは全て事実だった。

だが彼の家族だということは、後々知ったのだ。

ニヴェアに、罪の意識がなかった訳では無い。

生きる為には、仕方がなかった。


部屋の入口まで来たところで、ニヴェアは一度振り返った。

だが、ヴァルシュタイナーは俯いたまま動かなかった。


一人ポツンと取り残されたヴァルシュタイナーは、しばらくの間、呆然としていた。

甘い香りのするニヴェアの部屋は、家具や服などが散らばり、初めて来た時とは全く別の場所のようで、つい最近来たばかりなのに、まるで遠い昔に訪れたような、そんな気分だった。

ソファにもたれ掛かるようにして座っているルヴィアンの亡骸の下で、ヴァルシュタイナーがようやく顔を上げた。

「僕は…」

なんてことを言ってしまったのだろう。

ニヴェアは自分にとって、かけがえの無い存在だ。

だが同様に、家族も大切だ。

いろんな思いが込み上げてきて、頭の中がぐちゃぐちゃだった。


重たい身体にムチを打ち、ヴァルシュタイナーは立ち上がる。

壁に手を置きながらゆっくり階段を登り、白銀の世界へ飛び出す。

シャツに厚手のベストを着ていたが、氷点下の世界では凍えるほど寒い格好だ。

おまけに、アロイシウスに服を破かれて首元ががっつり見えているので、相当寒いはずだ。

「ニヴェア!」

名前を呼ぶと、声は森にこだました。

返事はなく、ニヴェアの姿はどこにも見当たらなかった。

息を吐く度に、ヴァルシュタイナーの口元から白い煙が立ち上った。


ニヴェアの部屋に戻ったヴァルシュタイナーは、ルヴィアンの亡骸を外に運び出して、祖母の時と同じように、冷たい土の中へと埋めた。

土を掘るのには半日以上かかり、病気ゆえに元々人より体力の少なかったヴァルシュタイナーの体は悲鳴をあげていた。


「さようなら、ルヴ」


土の上に一輪の花を置き、ヴァルシュタイナーは再びニヴェアの部屋へと戻っていった。


ーーー


ニヴェアの居ない彼女の部屋で、眠り、起き、一日を過ごした。

いつかニヴェアはここに戻って来るだろうと思い、散らかった部屋を片付けた。

そして彼女の事を思いながら、夜を迎えた。

その日は帰って来なかった。

次の日も、ニヴェアは帰らなかった。

あの時、ニヴェアは大きなカバンに荷物を詰めていた。

そもそも帰って来るつもりなんてなかったのだ。

わかっていたヴァルシュタイナーだったが、体が回復するまではここを離れられなかった。

嫌いだ、とニヴェアに言い放ってしまったヴァルシュタイナーだったが、それは決して本心ではかった。

その場任せに出てしまった言葉によって、彼女を傷つけてしまったに違いないと、ヴァルシュタイナーは後悔した。

謝るためにも、彼は再び、ニヴェアを探すことにした。


一ヶ月が過ぎた頃、ヴァルシュタイナーは街中の小さな酒場に居た。

普段、お酒は飲まない…というより、飲めないヴァルシュタイナーだったが、この日は少しだけ体に酒を入れていた。

街の人たちにニヴェアのことを聞いてまわっていたが、とくに情報は得られずに、途方に暮れていた。


大きな屋敷にはもう自分しか居ないので、帰っても寂しいだけだった。

最後に見たニヴェアの顔は、悲しい顔だった。

自分も取り乱していたので、よくは覚えていなかったが、あの時、最後に放ったニヴェアの声は、僅かだが震えていた。

謝りたい。そして何より、彼女と再び一緒に過ごしたくて、ヴァルシュタイナーは必死に彼女を捜した。


ふと、後ろの席の年配の男たちの会話が耳に入ってきた。

「また出たんだろ?吸血鬼が!」

「あぁ、だがここいらのハンターは今ではかなり優秀らしいぞ?」

「そうでなくちゃ困る!おっかなくて外も出歩けねぇ!」

三人組の男たちが話す内容がヴァンパイアについてだったので、ヴァルシュタイナーは耳を澄ました。

「ハンターたちが躍起になって捜している一人の吸血鬼が、すげーべっぴんさんらしいってな!」

「おれも血を吸われてぇ」

「ぶッ!お前それ本気か?何人もの死人が出てるんだぞ!馬鹿か!」


ヴァルシュタイナーは手に持っていたグラスをコトン、とカウンターに置いた。

そして立ち上がり、後ろの三人組の元に向かって歩き出した。

髭の生えた男たちのテーブルにサッと何かを置くヴァルシュタイナー。

「なんだ?」

男のひとりがそれを手に取り、目を見開いた。

「おぉ!こいつは…かなりのブツじゃねぇか!」

ヴァルシュタイナーがテーブルに置いたのは、屋敷から持ち出していた高価な懐中時計だった。

驚く男たちに顔を近づけ、ヴァルシュタイナーは口を開いた。

「その死体が出たという街はどこかな?」

高価な懐中時計のおかげか、男たちはあっさりと答えてくれた。

今ではヴァンパイアハンターは精鋭だらけで、特殊な銃弾を使い、精鋭部隊に見つかって逃げきれたヴァンパイアは一人もいないという。

色々と教えてくれた男たちにお礼を言って、ヴァルシュタイナーは急いでその街に向かった。


ーーー


ニヴェアのことを考えながら馬車に揺られ、3時間ほど経過しただろうか…。

いつの間にか眠ってしまっていたヴァルシュタイナーは、御者に「着きましたよ」と起こされ、外に出た。

夜明け間近で外は薄明るくなっており、霧が立ち込めていた。

自分の住んでいた地域より、積雪は少なく、比較的歩きやすい雪道をゆっくりと進んで行った。


初めて来る街は新鮮だった。

これが旅行だったら良かったなと、ヴァルシュタイナーは思っていた。

ニヴェアと二人で、色んなところに行きたい。

そんなことを考えながら歩いていたら、辺りは段々と明るくなってきていた。

近くに村を見つけて、ヴァルシュタイナーは小走りに村へと向かった。

すると何やら村人たちが神妙な面持ちで外に集まっていた。

「何かあったのかな?」

ヴァルシュタイナーは村人に問いかけた。

「ちょうど今朝、息子が物音を聞いたって言うもんだから、外を覗いたんだ…そしたら噂の吸血鬼がうろついていたんだ!」

「うちにも来たわよ!この目でしっかり見たわ…あれは間違いなく吸血鬼に違いないわ!」

立て続けに村人が話した内容を聞いて、ヴァルシュタイナーは詳しく聞くことにした。

すると十歳未満であろう子供がヴァルシュタイナーに近づき、口を開いた。

「ぼく、そのおんなのひとがケガをしていたから、ちかづいたんだ」

女の人と聞いて、ヴァルシュタイナーは息を呑む。

ニヴェア、彼女かもしれない。

「女の人は怪我をしていたのかい?どんな見た目かな?」

「うでから血がでてたんだ。かみのけがまっしろで、目がまっかだったんだよ!しずかにしてないと、ころす!っていわれた!」

真っ白な髪の毛に、赤い瞳……ニヴェアだ…!

ようやく近づいた、彼女に。

だが怪我をしていると聞いて、心配だった。

急いで向かわなくては!

ヴァルシュタイナーは話を聞き終えるとすぐさま森へと急いだ。


森の中へと入り、少し歩いた先に小さな小屋を発見した。

しかし小屋に続く道には血の跡があり、うっすらと積もる雪を赤く染めていた。

点々と続く血の跡を見て、ヴァルシュタイナーは不安になった。

ニヴェアは怪我をしていると、子供は言っていた。

もしかしたらニヴェアの血かもしれない。

だがよく考えてみたら何かがおかしい。

傷の治りが早いはずのヴァンパイアがいつまでも血を流しているなんてことがあるのだろうか。

不安な気持ちが強まる中、小屋の扉の前まで来たヴァルシュタイナーは、ゆっくりと扉を開けた。

ギィィと音を立てる扉を最後まで開くと、目の前には鹿の死骸が転がっており、干からびた様な見た目から、恐らく血を抜かれたのであろう事がうかがえた。

外の血の跡が鹿のものだと分かりホッとしたヴァルシュタイナーは、小屋の中をしばらく調べてみた。

ニヴェアが居たであろう痕跡はなかったが、きっとここに居たのはニヴェアに違いないと、ヴァルシュタイナーは確信した。

なぜなら、小屋の中は獣臭と血の匂いがしていたが、その中に微かに甘い香りがしていたのだ。

この香りはヴァルシュタイナーのよく知る香りだった。

残り香からして、ニヴェアが小屋を出たのは恐らく数時間前か。

ヴァルシュタイナーは小屋を出ようと立ち上がった。

するといきなり、パァンと遠くの方から銃声が聞こえてきた。

びっくりして小屋を出ると、二度三度と銃声が鳴り響き、森の木々から鳥たちが飛び立っていった。


銃声のする方へ歩き出すヴァルシュタイナー。

走ったり歩いたりを繰り返しながら森の中を進んでいくと、再び銃声が聞こえてきた。

先程とは違い、かなり近くから音がした。

騒々しい人の声も聞こえてきた。

更に近くまで行って、枯れた草木に覆われた岩陰に身を潜めるヴァルシュタイナー。

ガサガサと人が森を走る草木の音と、地面を踏む雪や土の音。

森の中は物々しい雰囲気が漂っていた。


ようやく人の姿が確認でき、会話が聞こえてきた。

「くそ!見失った!奴はどっちへいった?」

「手分けして探すぞ!俺はあっちを探す、お前はそっちだ」

誰かを追いかけている様子の男たちは、銃を手に持ち、背中には見たことの無い形の剣や手斧を背負っていた。

制服を着た男たちはヴァンパイアハンターの精鋭部隊だ。

そのことに気がついた時、ヴァルシュタイナーは再び不安な気持ちに駆られた。

精鋭部隊から逃れられたヴァンパイアの話を聞いたことがない、と先程、村人たちから聞いていたからだ。

精鋭部隊に捕まって、酷い拷問を受け死んでいったヴァンパイアの話も聞かされた。

ヴァルシュタイナーは、一刻も早くニヴェアを見つけたくて岩陰から飛び出した。


ニヴェアの残した甘い香りを頼りに、ヴァルシュタイナーは精鋭部隊の目を盗みながら森の中を進んで行く。

ヴァルシュタイナーが進む方とは反対側の方で、精鋭部隊の騒がしい音や声が聞こえた。

「いたぞー!」

心臓が裏返ったかのようにヴァルシュタイナーは一瞬ドキッとした。

だが自分の進む先に、血溜まりがあるのを見つけた。

ニヴェアの甘い香りも強まっていた。

精鋭部隊が見つけた者がニヴェアではないことを祈りながら、ヴァルシュタイナーは足を進める。

血溜まりを通り過ぎたところに、小さな洞窟を見つけた。

よく探さないと分からないくらい茂みの奥にあり、ここはいい隠れ場所になるとヴァルシュタイナーは思った。


森の枯れ木に囲まれ、雪をかぶった、何十年も誰も訪れていないであろう手入れされていない洞窟に、足を踏み入れた。

洞窟の中は外よりも寒く、ひんやりとした空気に、肺が凍りそうだった。

明るいところから急に暗いところに入ったので、ヴァルシュタイナーの視界は一瞬真っ暗になった。

目を凝らして中の様子を見てみると、大きな石の側で、人影のようなものが動いたのが見えた。

暗く静かな洞窟の中で、微かに聞こえる女性の呻き声。

そちらに近づきながら、ヴァルシュタイナーは目が慣れてきたので、人影の顔が段々と鮮明に見えてきた。

「ヴァル…っ」

苦しそうだが聞き覚えのある声が、洞窟の中に響いた。

ヴァルシュタイナーの顔を、驚いた様子で見上げているのは、間違いなくニヴェアだった。

自分の名前を呼ぶニヴェアを確認するやいなや、ヴァルシュタイナーは犬のように駆け寄りニヴェアを抱きしめた。

「ぁあっ」

突然の抱擁に呻き声を出すニヴェア。

「ん"ん"…痛いわよッ」

お構い無しにニヴェアをぎゅっと抱きしめるヴァルシュタイナー。

体を離し、ニヴェアの顔をまじまじと見つめ、ようやく気づく。

その顔は覇気がなく、ただでさえ真っ白な肌がさらに青白く、口には血を流した跡があった。

自分の服や顔にベッタリと血がついており、ニヴェアは血だらけだったのだ。

眉間に皺を寄せ、痛みに耐えながらニヴェアはヴァルシュタイナーを睨んでいた。

「あぁ…ニヴェア!血だらけだよ!?」

ニヴェアの体にはあちらこちらに穴が空いており、そこから血が流れ出ていた。

腕や足、首には銃弾がかすめていった様な傷跡と血の跡があり、何発も銃で撃たれたことが見てわかる。

すぐに血が止まり傷が塞がるはずであるヴァンパイア。

ニヴェアの傷は、なぜか自然治癒せず、だらだらと血が流れ続けていた。

ニヴェアは自分の服を引きちぎって止血をしていたみたいだったが、その服も真っ赤に染まり、傷が治る様子など微塵も感じられなかった。


ニヴェアは激しく咳き込み、口から血を吐き出した。

ヴァルシュタイナーは一番血の流れが激しい腹部の傷口に力強く手を当て、止血を試みた。

だが彼の手はあっという間に血に染まってしまった。

「どうしよう!?血が止まらないよ!」

ニヴェアの流れ出る血液は容赦なくヴァルシュタイナーの服も汚した。

「どうして治らないんだ!?」

パニックになるヴァルシュタイナーだったが、ニヴェアの傷口はゆっくりとほんの少しだけ塞がりつつあった。

「……銀よ」

「銀?なんのこと!?」

「傷が治らないのは、アイツらの…銀の銃弾のせい…ヴァンパイアは、銀に弱いのよ」

不死身であるヴァンパイアの唯一の弱点、それは銀であった。

精鋭部隊は銀の銃弾を使っていた。

自然治癒能力は長年ヴァンパイアハンターを悩ませていたが、新たな発見により、今ではその悩みも解消されていた。

薬莢に銀を入れることにより、始末できるヴァンパイアの数は大幅に増えたのだ。

「そんな…」

目に涙をためながら、ニヴェアの傷口に手を当て必死に血を止めようとするヴァルシュタイナー。

そんな様子を見て、ニヴェアはクスッと笑った。

「!?」

この状況で笑うニヴェアを見て、ヴァルシュタイナーは泣きそうになりながらも驚きの表情を見せた。

「アンタって…いつも泣いてばかりね」

目に溜まった涙が抑えきれずにこぼれ落ち、頬を濡らすヴァルシュタイナーを、今にも眠ってしまいそうな表情で見つめるニヴェア。

「実はね、初めてアンタと出会った日…アンタを食べようって、思ってたのよ」

時々痛みに顔を歪めながらも、ニヴェアは語り出した。

「でも、発作で苦しむアンタを見て、なんだか…昔の自分を見ているみたいだったのよ…そしたら、おじいちゃんをね、思い出したの」

鼻をすすりながら、ニヴェアの話をヴァルシュタイナーは静かに聞いていた。

こんな風に弱ったニヴェアを見たのは初めてで、力無く震える姿は、普通の人間の女の子とまるで違わなかった。

「ヴァンパイアになる前は、アタシ、病気だったのよ?…意外、でしょ?」

これだけの怪我をして、これだけの血を流しながらも、ニヴェアは笑っていた。

「知らなかったよ…」

そんなニヴェアに合わせるように、涙でぐしゃぐしゃの顔で微笑み返すヴァルシュタイナー。

「おじいちゃんが、アタシをヴァンパイアにしたのよ…アタシがもう死ぬって分かっていたから、なんとしても…助けたかったんでしょうね…」

時折咳き込むニヴェアに、もう喋らないでと泣きながら訴えたが、ニヴェアは話をやめなかった。

「100年後、おじいちゃんは、死んだの。人間に…焼き殺された。アタシの、目の前で」

よほど大切な人だったのか、ニヴェアは目に涙を溜めていた。

「それからずっと、人間のことが大嫌いだったのよ…300年間、ずっとね」

頷きながら黙って話を聞いているヴァルシュタイナーの頬に、ニヴェアは手を伸ばした。

「でもね…アンタと出会ってから…何かが、変わった」

頬に触れた彼女の手は冷たく、今にも離れていきそうだったので、ヴァルシュタイナーはその手に自分の手を重ねた。

目を瞑り、ヴァルシュタイナーは小さく首を振った。

「キミは、人間と何も変わらないよ…時々すごく怖いけど」

笑いながらそう言うヴァルシュタイナーに、ニヴェアは牙を見せたあと、再び笑った。

横たわるニヴェアの華奢な体を片腕で支えながら、ヴァルシュタイナーはじっと彼女の瞳を見つめた。

ニヴェアもうっすらと微笑みながら、ヴァルシュタイナーの揺れる瞳を見つめていた。

「……ゲホッ」

ニヴェアは再び口から血を吐き出した。

「ニヴェア…!」

ヴァルシュタイナーはそっとニヴェアから手を離し、コートを脱ぎ、マフラーを外した。

首元を締めていたシャツのボタンを外したあと、石に寄りかかるニヴェアの肩にそっと手を置いた。

「……」

ほんの少し、二人の間に沈黙が流れた。

数秒後、ヴァルシュタイナーが口を開いた。

「あげるよ」

「……?」

「僕の血をあげるから」

ヴァルシュタイナーの声色には、確かな意志があった。

「なに、言ってるのよ…アンタの血は飲まないって…」

「いいから、お願いだよ」

露出した首元をチラッとみたニヴェアだったが、いっこうに何もしないニヴェア。

「ニヴェア、キミには死んで欲しくないんだ」

「言ったでしょ…アンタの血は、不味いのよ」


以前、ヴァンパイアにとって、人間の血液が食料だけでは無いという話をニヴェアから聞いていたヴァルシュタイナー。

自然治癒能力も、生きた人間の新鮮な血液が重要不可欠で、血に渇いたヴァンパイアは傷の治りも遅くなるのだ。

銀によって治癒能力を奪われている今、ニヴェアにとって、生きた人間の血は一番の治療薬なのだ。


瀕死の状態でも尚、頑なに血を飲もうとしないニヴェアに、ヴァルシュタイナーは自分の腕を切って見せた。

「ッ……!ほら!」

腕からたらーっと流れる血をニヴェアに見せつけ、自分を噛ませようと必死になるヴァルシュタイナーだったが、ニヴェアは驚いただけだった。

ここまでしても血を飲もうとしないヴァンパイアは恐らくニヴェアだけであろう。

瀕死の状態で目の前に新鮮な血液があればヴァンパイアであれば普通、迷わずに吸血するところだ。

昔のニヴェアだったなら、今頃ヴァルシュタイナーはとっくに吸血されていたであろう。

共に過ごしてゆく中で、互いにかけがえのない存在になっていったのだ。

大事な人を犠牲になど、できなかった。


ヴァルシュタイナーはその事に気づいていた。

自分が吸血されれば死ぬことも分かっていた。


「さぁ、ニヴェア、僕を…」

「嫌よ…」

自分の首元を噛みやすい位置になるよう頭を差し出し、そのまま彼女を抱きしめる。

「やめて、嫌よ、離しなさいッ」

ニヴェアは力無くヴァルシュタイナーの背中を叩いた。

体を離したヴァルシュタイナーは、目を真っ赤にして泣いていた。

ポタポタと、ニヴェアの脚に涙を落としながら、ヴァルシュタイナーは彼女の肩に手を置いたまま、真っ直ぐに瞳を見据えた。

「僕はもう…長くないんだ」

突然の告白に、ニヴェアは驚いた顔をした。

そんな彼女の手を、優しく握った。

「お医者さんにね、もってあと数年だって…」

「こんな時に冗談?…笑えないわ」

ヴァルシュタイナーの言葉を信じたくなくて、ニヴェアは彼から目を逸らした。

ヴァルシュタイナーは、握ったニヴェアの手に顔を近づけて、手の甲に口付けをした。

そしてその手を離し、彼女の頬に触れ、背けた顔を自分に向かせた。

親指で優しく口元の血を拭い、ヴァルシュタイナーは小さく微笑んだ。


「ごめんね」


一言放ち、今にも泣きそうなニヴェアの顔の目の前に、ヴァルシュタイナーは顔を近づけた。

そして、彼女の震える唇に、自分の唇を重ねた。

別れを惜しむように、ニヴェアの柔らかい唇にしばらく自分の唇を押し当て、最後に軽くひと噛みした。

血の味がしたが、ヴァンパイアの血は人間のそれと全く変わらぬ、鉄の味だった。

ヴァルシュタイナーの優しい口付けに、彼の想いが全身に伝わったニヴェア。



唇を離した時、ヴァルシュタイナーの口元にはニヴェアの血がベッタリとついていた。

「生意気よ…」

その声は震えていた。

顔を歪め、今まで見たことがないくらい悲しい顔をしたニヴェアの頬は、涙で濡れていた。

初めて見るニヴェアの涙に、ヴァルシュタイナーはニッコリと微笑んだ。

「ニヴェアも、涙を流すんだね」

「ヴァル…」

ニヴェアの伸ばした腕はヴァルシュタイナーには届かず、彼は途端に苦しみ出した。

「んんんッ!」

ヴァルシュタイナーは、体の異変にどうすることも出来ず、苦しそうに胸を押えた。


以前、ニヴェアからヴァンパイアについて詳しく教えてもらったことがあった。

その中で、どうやってヴァンパイアになるのか、という話を聞いた。

人間がヴァンパイアになる為に必要な物は、ヴァンパイアの血である。

ヴァンパイアの血液が人間の体内に入り、結合できれば、その人間はヴァンパイアへと変わるのだ。

だがしかし、それは必ず上手くいく訳では無い。

大きなことにはリスクがつきもの…ヴァンパイアの血が人間の血と結合出来る確率は50%であり、残りの半分は、結合出来ずに死んでしまうのだ。


ニヴェアの血を体内に入れてしまったヴァルシュタイナーは、全身に痛みを感じ始めていた。

「うぅぅううッ」

自分は数年後に死ぬということを分かっていたヴァルシュタイナーに、迷う時間など必要なかった。

愛する彼女に、生きて欲しかった。

涙を流し、くしゃくしゃの顔でヴァルシュタイナーの頬に手を添えるニヴェア。

その姿は人間と変わらず、まるでか弱い少女の様だ。

決心した様子で自分を見つめるニヴェアに、ヴァルシュタイナーは小さく微笑みながら頷いた。

そして、ヴァルシュタイナーの首筋に、ニヴェアの鋭い歯が突き刺さった。

皮膚にグッサリとくい込んだ歯は血管を突き破り、魅惑の血液がニヴェアの口内いっぱいに広がって、喉を潤していく。

「…ッ!」

全身の血液を吸い取られている感覚は言葉に表せないほど不思議な感覚で、だが痛みは無かった。

ゴクゴクと、ニヴェアが自分の血液を飲み込む音が耳元で聞こえる。

体が宙を舞うような、ふわふわとした感覚に襲われ、ニヴェアの背中にまわした手を離しそうになる。

再び全身の痛みに襲われ、ヴァルシュタイナーは必死に耐えた。

ヴァンパイアになるか、死ぬか、確率は半分だが、自分はたぶん、死ぬだろうと思った。

どのみち死ぬ運命だったヴァルシュタイナーは、それでもいいと思った。

今はただ、目の前にいる彼女を救いたい、それだけだった。


段々と体が重たくなっていき、意識が遠のいていく。

ニヴェアの背中にまわした手はだらんと垂れ下がり、殆ど彼女にもたれ掛かるように、ヴァルシュタイナーは力無く項垂れていた。

彼の血液が全身に巡り、ニヴェアの傷口は瞬く間に塞がっていた。

回復し、力も戻ってきたニヴェアはようやく彼の首から顔を離した。

重くのしかかるヴァルシュタイナーをゆっくりと地面に横にさせて、頬に手を添えて彼の名を呼んだ。

「ヴァル!…ヴァル!」

何度も呼びかけるが、ヴァルシュタイナーは目を閉じたまま、動かなかった。

「嫌よ…ひとりにしないで」

動かなくなったヴァルシュタイナーの傍でぽつんと座り込み、溢れる涙を膝に落とすニヴェア。


「…ゔぅ!ぁ…アァッ」

すると、死んでしまったと思っていたヴァルシュタイナーが、途端に叫びながら動きだした。

「ヴァル…!」

痛みは激しさを増し、ヴァルシュタイナーは悶え苦しんでいた。

よだれを垂らしながら痙攣している彼を、ニヴェアは押さえ込んだ。

「そうよ…!耐えるのよ…!」

「ゔあ゛あ゛あ゛あ゛ッ!」


何分が過ぎただろうか。

悶え苦しむヴァルシュタイナー、それを必死に抱きしめるニヴェア。

ようやく痛みが治まったのか、ヴァルシュタイナーは静かになった。

だがその顔はあまりにも青白く、痛みや苦しみに耐え凌ぐように歪んでいた。

「死んじゃダメよ」

そう言うと、ニヴェアはヴァルシュタイナーを抱きかかえて、どこかへ向かって走っていった。


ーーー


彼女が向かった先は、数日前まで生活していた空き家の地下だった。

ベッドにヴァルシュタイナーを下ろし、彼の腕をベッドの柱に縛り付けた。

「大丈夫よ…アンタなら、乗り越えられる」

「ゔぅ…んんっ」

何度も呻き声をあげるヴァルシュタイナー。

この部屋に向かう道中でも彼はずっと呻いていた。

「…ア゛ア゛ッ!」

突然、叫びながら身をよじらせるヴァルシュタイナー。

全身に力を入れ、縛られた腕を精一杯引っ張るので、縄がギリギリと音をたてている。

ヴァルシュタイナーは何度も叫び続けた。

痛みの襲来が止まったのか、彼はとうとう力尽きた様に、ベッドの上で仰向けのまま、動かなくなった。


数時間後、ずっとそばで見ていたニヴェアは、恐る恐るヴァルシュタイナーの胸に手を当てた。


彼の心臓の音が聞こえる。

その音は至って正常で、病気だった頃の音ではなくなっていた。

それを意味するのは、彼が結合できたということ。

そう、ヴァルシュタイナーは、生き延びたのだ。


ニヴェアは彼の腕をきつく縛る縄を解いた。

拘束から解放された腕は痛々しく真っ赤になっていた。

「ぅうん…」

ヴァルシュタイナーは全身汗でぐっしょりと濡れていた。

弱々しくゆっくりと瞼を開けると、隣にいるニヴェアを見た。

彼女と目が合った瞬間、ヴァルシュタイナーはものすごい勢いでニヴェアを抱き寄せた。

「ニヴェアぁ〜!」

泣きながら嬉しそうに何度もハグを繰り返して、彼女の名を何度も呼んだ。

お人形さんの様にされるがままのニヴェアは、キョトンとしていた。

「生きてるよぉ…ニヴェアが生きてる…」

ヴァルシュタイナーは、ニヴェアの顔や体をペタペタと触りながら、先ほどまで死にそうだった人とは思えないほどニコニコしていた。

ここでようやくニヴェアは我に返り、自分を触り放題のヴァルシュタイナーを突き飛ばした。

「生意気よ!」

うっすらと目に涙を浮かべ、怒るニヴェアだったが、その顔はとても嬉しそうだった。

「ニヴェア、痛いよ…」

突き飛ばされてベッドに仰向けの状態で、ヴァルシュタイナーは眉をしかめたが、口元は緩み、ニヤニヤしている。

「…なんだか、不思議な感覚だね」

「ヴァンパイアになったことが?」

「うん、すごく喉が渇いたような…お腹がすいたような…そんな気がするんだけど、全然違うというか…」

天井を眺めながら話すヴァルシュタイナーの視界に、バッとニヴェアが映り込む。

彼女が勢いよく彼の上に跨り、ベッドがぐわんと揺れる。

彼のシュッとした鼻筋を人差し指で優しくなぞり、そのまま唇を通り、顎に辿り着いたところで、口を開く。

「ヴァル…あたし」

何かを言おうとしたニヴェアだったが、ヴァルシュタイナーの勢いのある抱擁によってそれは遮られてしまった。

上にまたがっていたニヴェアはいとも簡単に押し倒されて、二人の位置は逆転した。

「ずっとやってみたかったんだ」

目をキラキラさせて、ヴァルシュタイナーはニヴェアの首筋に噛みついた。

今まで自分がされていたのと同じように、ニヴェアの血を吸い、飲み込んだ。

「あぁ!ヴァル!?」

ニヴェアのびっくりした声と同時に、ヴァルシュタイナーは苦しそうに咳き込み出した。

ニヴェアの血でベッドに少量シミを作ったが、噛まれた首筋の穴は瞬く間に消えていった。

「まっ…まずい!!…うっぷ」

えずくヴァルシュタイナーは再びベッドに横になった。

「アンタって本当にバカね。共食いは出来ないのよ?しかも、味は最悪よね」

「早く言ってよ…ゔっ」


人間だった頃はニヴェアの血はただの鉄の味しかしなかったはずなのに、吸血鬼になった途端、その味は一変、想像もできないくらい不味かった。

舌がビリビリと痺れ、喉には棘が刺さったように違和感が残り、口内には苦味が残った。


トイレに駆け込むヴァルシュタイナーを蔑んだ目で見送るニヴェアだったが、一人になった瞬間、なんとも言えない感情が湧き上がってきて、クスッと笑ってしまった。


ヴァンパイアとして生きてきて、嬉しいことや楽しいことはいくらでもあったのに、この時の気持ちは、吸血鬼になって初めてのものだった。

心の底から、喜ぶ気持ち、そして、愛する者がそばにいるということ。

ずっと独りだったニヴェアにとって、これは新たな人生を意味するものであった。


ーーー


その後、二人は何百年も共に時を過し、いつまでもずっと、仲良く暮らしましたとさ。


時々ケンカ(ニヴェアの暴力)もしながら。


そして時は現代――――


「ニヴェアをどうしても助けたくてさ…あの時、ニヴェアは僕の為に泣いてくれたんだよ?」

嬉しそうにそう語るのは、ヴァルシュタイナー。

「へぇ!そうなんだ!全く想像つかないよ、泣いたところなんて見たことないから…怒った顔しか見たことないから、てっきりニヴェアには喜怒哀楽の"怒"しか感情がないのかと」

ヴァルシュタイナーの話にびっくりした表情で返答したのは、ヴァルシュタイナーとニヴェアの友人である、ハルだ。

本名はフィリップ·クレイス·ハミルトンであるが、ヴァルシュタイナーやニヴェアによってハルとニックネームをつけられ、以後ずっとそう呼ばれている。

「ねぇちょっと、聞こえたわよ」

怪訝な表情を浮かべ、二人の元に現れたのは、我らが女王、ニヴェア様である。

「やぁニヴェア!あのね、君が僕をヴァンパイアに変えてくれた日のことをハルに教えてあげていたんだよ」

「このくそがき!怒った顔ばかりさせてるのはアンタたちでしょ!」

喋るヴァルシュタイナーに重なるように、ニヴェアはキレながらハルの肩を掴んだ。

キシャアッ!と鋭い牙を見せ、今にもハルの細い首筋に噛みつかんとしていた。

「うわあぁあっ!た、助けてよヴァル!」

「生意気よ!」

なんとか力づくでニヴェアの顔を押さえ込み必死に抵抗するハル。

「あ!ダメだよ!ハルの血は今日もう貰ったんだから

!」

ギリギリのところで、ヴァルシュタイナーが止めに入り、ニヴェアはハルから引き離された。

「ガルルル!」

引き剥がされてなお唸るニヴェアを見てハルはため息をついた。

「はぁ…やっぱり怖い」

「な、ん、で、すって?」

血が欲しいニヴェアと、噛まれるのが好きじゃないハルのこんなやりとりは、日常茶飯事である。

「い、今のうちに逃げて!」

またしてもハルに飛びかかりそうになったニヴェアを押さえ込むヴァルシュタイナー。

「ハルはあたしの食料よ!離しなさい!」

ジタバタと暴れるニヴェアだったが、ヴァルシュタイナーの力は緩まなかった。

「ハルは、僕たちの友達だよ。血液ならパックがあるじゃないか」

現代、新鮮な人間の血や動物の血を特殊な袋に詰めて保存されている血液パックというものが存在している。

これは、生きた人間を狩る必要がなく、現代ならではの優れた代物なのだ。

「あと、君は離さないよ!ずっとこうしててもいいかな?」

「はぁ?」

ニヴェアを後ろから押さえ込んでいたヴァルシュタイナーだったが、そのまま彼はニコニコしながら彼女の首元に顔をうずめた。

「いい匂いがする…」

「あら、そう…?他には?」

「うん、可愛いよ、顔も声も、ぜーんぶ好きだよ」

「ンフッ!生意気ね♡」

「エヘヘッ♡」

二人はイチャイチャモードへと移行した!

それを傍らで眺めていたハルは眉間に皺を寄せた。

「ここ、僕の部屋なんだけど」


二人(と友達)の物語は、まだまだ続く…のかもしれない…

過去話はここで一旦終了です。ヴァルやニヴがどのようにして吸血鬼へとなったのか、それを書きたかったんです。こんなふうにして出会ったんだよーってのが伝わってもらえたら嬉しいです。

ハルは現代人で、人間なので、ハルがこの先おじいちゃんになってもヴァルと二ヴは変わらずそのまま……って想像したらなんだか切なくなった:’(

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ