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九州大学文藝部・2022年度・学祭号

撤去

作者: 海苔子

 やってしまった。寝坊してしまった。


 アナログ時計なら見間違いの可能性はあるが、デジタル時計は誤魔化しようがない。どう見てもこれは七時五十分。乗る予定だったバスは既に十分前に発車している。


 とにかく連絡をしなければ。


 震える指先で指紋認証を解除し、スマホの画面を開くとすぐにメッセージアプリのアイコンを押した。




『おい、どこにいる。殺すぞ』




 まずい、殺される。


 僕はすぐさま謝罪の言葉を送信した。




「ごめん! 今から出る! ホントにごめん!」


(既読)


「すぐに行くから! お願いだからそこにいて!」


(既読)


「お願い!」


『うざい。返信する暇あるなら支度してよ。てか、寝坊したの?』


「昨日楽しみすぎて眠れなかった(汗)。ホントにごめん。今からチャリ飛ばせば次のバスには乗れると思う」


『たるんでない? 私帰っていい?』


「ごめんて! すぐに行くから!」


『あっそ』




 今まで彼女からは聞いたことがないような冷ややかな返信。


 本当にこれはヤバいやつだ、と僕の全身に冷や汗が流れた。


 マコと僕は三か月前から付き合っている。今日は二人が恋人になってから三か月記念のデートだった。そんな大事な日に僕は寝坊してしまったのである。


「寝ぐせはまあ……これでいいか。一応歯は磨いたし、服もまあ、大丈夫。財布よし、携帯よし、時計よし、指輪……よし。これで全部だな」


 鏡を見ながら自分の姿を入念にチェックする。そして最後に薬指にはまった銀の指輪を撫でて、僕はカバンを握りながら急いで自転車小屋まで走った。




 鍵を外し、サドルに手をかけて自転車を動かそうとすると、“ソレ”はガシャンと音を立てて前輪の動きを止めた。


「え?」


 何が起こったか分からず、僕はもう一度自転車を後ろに押した。しかしやはり前輪は何が引っかかったかのように動かない。


 黒い何かがライトの下に取り付けられていると気づいたのは、その二分ぐらい後のことだった。大きさはちょうどピンポン玉一個分。見れば前輪を止めていたのは金属製の黒い南京錠だった。


「嘘だろ。こんな時に悪戯かよ」


 慌ててカバンに手を入れるが、当然、ペンチのような物は入っていない。


 このままだと本当にマコが帰ってしまう。


 そう思った瞬間、「ピリリリッ」と甲高い着信音がバックから響いた。


「え、……マコ? も、もしもし?」


 痺れを切らして、「今日はもう帰る」とでも言われるのだろうか。そう思いながら黙っていると、電話の向こうで笑い声が響いた。


「ま、マコ?」


『あはッ、あはははは! あははははははっはははははははっはははっははははっはははははははっははははっはははははっははっははっはははははっはははははははっはははははっはははははっは』


「ちょ、まこ? 一体どうしたんだよ」


『あははははははっはは……はぁ』


 笑い疲れたようなマコの声が小さく聞こえる。


『はーあ……ねえ、あんた今朝、少しおかしなことなかった?』


「おかしなことって……おいまさかこの鍵、マコがやったのか⁈」


『え? まだ気づいてないみたいね。あんたってやっぱり面白いわ』


 くくく、と再びマコが笑い始める。


「ま、マコ。何が言いたいんだよ。早く言えって」


『あーもう分かったわ。す、ま、ほ。スマホを見て見なさいよ』


 スマホ?


 眉をひそめながらスマホの画面を見つめる。ホーム画面の背景、は変わっていない。アプリも、消えているものはない。あとは時計、カレンダー、バッテリー残量…………


「ちょ、ちょっと待てよ。なんでまだ七時なんだ?」


 バッテリー残量の横に表示されているデジタル時計。そこにははっきりと「07:00」と表示されていた。


『あははははははは! やっぱり気づいてなかったのね! 昨日あんたの家に行ったときにこっそり家にある時計全部一時間ずらしておいたのよ。まあさすがにバレると思ったけど、まさか引っかかるなんて!』


 ひぃひぃと過呼吸を起こしながらマコが笑い転げる声がする。


 なんだ、それでは僕は寝坊などしてなかったのか。そう言えば、辺りはまだ少し暗いし、長袖とは言え若干寒い。


「なんだよ……驚かすなよ」


『ごめんごめんって。でも、おかげで寝坊は回避できたじゃない。あたし、もうバス停に来てるから早く来てよ。なんだかあんたの顔がとっても見たくなったわ』


 趣味が悪い、と思いながら僕は二、三言交わして電話を切った。醜態を晒した気分だったが、記念日に遅刻はしていなかったので少しほっとした。


 しかし、と僕は自転車の前輪を見た。


 前輪には黒い南京錠が付けられている。これを外さない限り、僕は自転車に乗ることができない。 


 マコの仕業でないなら一体誰が……。


そう思った瞬間、僕の後ろで爆音が響いた。


「えっ……」


 鍵から手を放し、後ろを振り返る。見れば僕の部屋である209号室から黒々とした火の手が上がっていた。


「な、んで……」


 呆然としながらスマホを地面に取り落とす。




『んな訳ねぇだろ、カス』




 カシャンと割れた画面に一瞬、そんな通知が来たような気がした。



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