表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/14

6

「リリーちゃん、いつもアルフレッドがごめんなさいね。おばさん、明日は王都に行くから、リリーちゃんの好きなクッキーをお土産に沢山買ってくるわね」

「ほんと? おばさん有難う!」


 懐かしい夢を見た。

 おばさんと呼んでいるが、アルフレッドの母親で、つまり公爵夫人のことだ。幼児だったといえ恐ろしい。

 公爵夫人は十二年前に他界している。何故急に夢なんて見たのか。オーウェン家の邸にいるからだろう。

 寝ぼけ(まなこ)を手で擦る。枕が変わると眠れない人種が存在するらしいが、リリーにその心配は不要だ。他人の家でこんなに眠り込んでよいのかと疑念を抱くほどぐっすり眠った。時計を見れば、十時を回っている。これは流石に拙いのではないか。急いで身支度を整えて階下に降りると、コレットではない侍女と遭遇した。


「おはようございます」


 既にお早くないが「こんにちは」も可笑しい気がしてリリーは言った。


「おはようございます、リリー様」


 コレットよりかなり年配だ。ここの使用人は主と違いみんな感じがよい。


「すみません。グダグダ寝てしまって」

「長時間馬車移動なさってお疲れだったでしょう? 寛いで頂けたようで良かったです」

「アルフレッド様は?」

「出勤されました。お昼にリリー様をお送りするよう申しつかっております」


 これは後でアルフレッドから嫌味を言われる案件だな、とリリーは苦笑いした。


「朝食をすぐにご用意します。お部屋にお持ちしますね」

「有難う」


 今十時で、後二時間すれば昼だ。朝食抜きでも差し障りなかったが、用意してくれるというので頂くことにする。部屋まで運んでくれるとは、ホテルのルームサービス並だ。食堂へ行きます、と答えるべきだったろうか。郷に入れば郷に従えというので、素直に頷けばいいか、とリリーは部屋に戻った。

 このタウンハウスには現在アルフレッドしかいない。父親のリオルド・オーウェン公爵は領地に滞在している。来る前に挨拶に行ったので知っている。公爵家の現当主はオーウェン公爵であるから、いくら息子の横暴といえど、当主の留守中に勝手に王都の邸へ上り込むのは良識に欠けると判断したのだ。屋敷を訪ねると、オーウェン公爵は快く迎えてくれ、


「あいつが我儘を言ったのだろう。リリーちゃんには迷惑ばかり掛けるな」


 と申し訳なさそうに言った。


「いえ、大丈夫です」


 とリリーは答えた。「そんなことないですよ」と言わないことがリリーとオーウェン公爵の関係性だ。今は流石に「オーウェン公爵」と呼ぶが、昔は普通に「おじさん」と呼んでいた。

 オーウェン公爵は四十半ばだが、相当な美丈夫でアルフレッドとよく似ている。オーウェン公爵を見ていると将来のアルフレッドの姿が暗に想像できるほど。しかし、性格は雲泥の差だ。オーウェン公爵は社交家で明るく人好きするタイプで、高位貴族で政府の要人でもあるのに驕ったところはまるでない。リリーのことも昔から可愛がってくれている。だから、王都行きを反対されることはないと予測していたが「愚息を宜しく頼む」と頭を下げられて困惑した。それで逆に行かざるを得なくなってしまったのだ。

 

――あんな腰の低い父親からあんな暴君が生まれるのが、謎すぎる。


 リリーはしみじみ思った。しかし、オーウェン公爵が領地に滞在していることは幸甚だった。いくら気心が知れているとはいえ、公爵と共に生活するのは緊張する。ならば、アルフレッドはよいのか。腹は立つが、気が休まらないことはない。リリーは、アルフレッドの悪態に参ってしまう細い神経ではないし、アルフレッドに無理に好かれようともしていない。この二つ、特に後者はアルフレッドに接する時の強みだ。例えば、彼に恋焦がれる少女ならば、その一挙手一投足に煩悶して生きた心地がしないだろうから。



 

 部屋で朝食を平らげると、コレットがドレスを着付けし髪を結ってくれた。自分の服を着ようとしたが、


「是非、こちらをお召しください」


 とアルフレッドの用意したドレスを勧められた。リボン型のサッシャベルトが付いた花柄刺繍のチュールレースドレスだ。執拗に勧められて、主人からの指示なのだろう、と察して身を任せることにした。


「とてもお似合いです」


 コレットが鏡の中のリリーに向けて言う。薄桃色で何というか凄く可愛い。改めて見ればドレッサーの中のどのドレスも要所要所にリボンやレース、花柄の刺繍がついている。洗練された大人の女性というより、純真無垢な可愛い少女系。リリーに似合うから選んだという気はしない。つまりこれはアルフレッドの趣味なのだろう。リリーは田舎で日に焼けて育った割に色白だ。昔から周囲に羨ましがられた。逆にそこしか賞賛されるべき部分がなかったとも言える。白い肌に淡いピンクは良く映えるし、このドレスが似合わないとは思わないが、フローラの方が確実に可愛く着こなせる。アルフレッドはフローラを選んだ理由をなんだかんだと説明していたが、外見も好みであることが窺い知れる。


――隠さず言えばいいのに。男らしくない。


 リリーは、自分のドレスに着替え直したくなったが、鏡越しに微笑んでいるコレットを見ると言い出すことはできなかった。



 


 貴族院は王都の真ん中にある。

 煉瓦造りの重厚な建物だ。しかし、馬車が停車したのは並立するレストランの前だった。食堂が一般開放されているというより、隣接しているレストランが貴族院の食堂も兼ねている。

 十二時前に到着し、店内に入りアルフレッドからの指示通りオーウェンの家名を告げた。案内係に窓際の席へ通される。全面ガラス張で開閉式。気候のよい時期はテラス席になる。窓の外にはアーチ型の鉄扉と鉄格子、その更に向こうに貴族院の中庭が見える。まもなく昼休みのベルが鳴れば、鉄扉が開閉し職員達が流れ込んでくる。ランチは十一時半から十六時まで提供され、一般客は混雑時を避ける傾向にあるため、今店内には人は疎らにしかいない。ランチ時のメニューは肉か魚のいずれかをメインにした日替わり定食のみだ。為政者達からの支援で食料の仕入れ値がかなり安価で抑えられている。コストパフォーマンスは高い。料金は平民の通常の昼食の三日分だが「貴族と同じ物が食べられる」と日々の贅沢として人気だ。


「ご注文はお決まりですか?」

「少し待って貰えますか」

「はい」


 リリーは運ばれてきたレモン水を飲みながら貴族院の方に目をやった。丁度十二時になったらしい。傭兵が門を開けるところを見られた。続いて職員が続々と現れる。


――女性も多いのね。


 意外だな、とリリーが物珍しげに客の観察をしている間に、店内が混雑し始めた。注文もせず居座るのは肩身が狭くなり、近くにいたウェイトレスを呼び寄せて肉と魚のランチを一つずつ頼んだ。アルフレッドが来たら好きな方を選ばせてやればいい。アルフレッドは冷めた食事などまず口にしないが、時間には正確な男だから直に来るはずだ。リリーはまた窓の外に視線を注いだ。どんな顔をして歩いてくるか見ておいてやろう。悪戯を仕掛けるようで楽しい。リリーが必死でアルフレッドを捜していると、


「何を見ている」


 不機嫌な声と共に前の空席が埋まった。


「びっくりした! 何処から来たのですか?」

「入り口に決まっているだろ。ぼやっとせず、もっと周囲に注意しろ」


 不意打ちに心臓が跳ね上がり動悸がする。入り口側から来るとは卑怯だ。怒られる筋合いはないだろう。いろいろ全部呑み込んで、


「注文しときましたよ。混んで来たから長居するのは申し訳ないので」


 とリリーは取り敢えず告げた。


「何の心配をしている。まぁいい」


 常識的な気遣いだと思うが。

 わけもわからぬうちに向き合って座っている。アルフレッドは紺の燕尾服姿だ。アマリエ伯爵家を訪ねてきた時も、昨夜も、きっちりした格好をしていた。自宅ではシャツにトウラザーズというラフな服装なので、体裁を整えていることがわかる。次期侯爵らしい身だしなみ。リリーにドレスを指定するのも同様な理由だろうか。


「ドレスお借りしてますよ」

「……あぁ」


 アルフレッドは興味なさげに頷いた。


「貴方はこういう可愛い系が好みなんですね」

「は?」

「レースとかリボンとか? 女の子っぽい感じのドレスです」

「好きなわけあるか」

「いやいや、隠さなくてもいいです」


 リリーが生暖かい笑顔を作る。一言言ってやらねば気が済まなかった。


「……俺が間抜けだった。お前の頭が鳥並みであることを忘れていた」

「どういう意味ですか?」

「もういい」


 アルフレッドが心底憎らしげに言う。理不尽極まりないが、ちょうど、ウェイトレスが料理を運んできたので、リリーは黙った。トレイをテーブルの真ん中に置いてもらう。サラダ、スープ、舌平目のムニエル、ロールパンがセッティングされている。肉料理の方は直ぐに持ってくる、と残しウェイトレスはテーブルを離れた。


「肉と魚があると聞いたので、別々のを頼みました。どっちがいいですか?」

「お前が選べ」

「え」


 リリーは優柔不断だ。こと食べ物に関しては好き嫌いがない分とても迷う。昨日は注文を勝手に決められて内心で毒づいたものの、選べと言われると困る。


「いえ、どうぞ選んでください」

「好きな方を選べばいいだろ」

「貴方が選んでください」


 何の茶番なのか、押し問答が続く。こんな時アーサーならば「じゃあ半分こにしようか」と笑って言ってくれる。何を思い出しているのか。馬鹿だな、と自嘲するが、


「じゃあ、シェアするか」


 アルフレッドが言うのでリリーは混乱した。


「え、嫌ですよ」


 ほぼ無意識に答えていた。何故拒否したのか自分でもよくわからない。心を覗かれたようで居心地が悪かった。断らなければならないと咄嗟に出てしまった。


「お前、人の親切を」


 アルフレッドは思い切り眉を寄せた。


「いや、だって、美味しいところ独り占めして、わたしにサラダばっかり食べさせる気でしょう」

「……は?」


 怒りより蔑むような目を向けられる。失礼だ、とリリー自身も思うが、他に言い訳が浮かばなかった。


「お前……俺がそんなケチくさいことしたことあるか?」

「ありますよ」

「いつの話だ」


 アルフレッドは憤慨して言うが事実だ。アルフレッドがお菓子を貪るのを黙って見ていた光景が脳裏に浮かぶ。独り占めしてくれなかったじゃないか。あの時、アルフレッドはリリーが家来として合格か不合格か試した。リリーが怒って帰っていれば、二人の関係は全く別の物になっていた。アルフレッドは覚えていないのだろうか。やった方は忘れるものだ。


「……昔のことですからもういいです。時効ってやつです」

「じゃあ最初からくだらんことを言うな」


 リリーが黙るとアルフレッドは舌打ちして、


「分けるか、好きな方を取るか、好きにしろ」


 と不機嫌に言った。リリーはそれでもじっとアルフレッドを見つめた。


「なんだ」

「いえ、じゃあ分けますね」


 最初に素直にシェアする提案にのればアルフレッドが切り分けてくれたのだろうか。それはないか。リリーが不器用に舌平目を切っているうちに、もう一方のランチが運ばれてきた。メインは鴨肉のポワレ。それも丁寧に切り分けた。


「料理人の盛り付けを水の泡に帰す所業だな」


 アルフレッドにはぶちぶち文句を言われたが、側から見れば料理を分け合う仲睦まじい関係に見えるはずだ。リリーはアルフレッドの命令に従い恋人の振りをする心構えがある。アルフレッドはというと、あまりやる気が見えない。別にこっちは復讐が失敗しても成功しても構わないが、上手くいかなかった腹いせに「アーサーに暴露する」とごねられたら困る。


「この後も仕事ですか?」

「あぁ、今日は遅くなる」

「え。夜会に行かないのですか?」

「なんだ。ノリノリだな」


 アルフレッドがニヤついて言う。ノリノリなわけがない。嫌々だ。昨日から一度でも嬉しい反応を見せたか。鳥頭なのはどっちなのか。リリーは呆れた。


「喜べ、明日の夜会には参加する」

「……そうですか」

「ブラッデル伯爵の邸宅だ。郊外だが、まぁ一時間も掛らん」


 アルフレッドは嬉々として語る。どんな気持ちでいるのか、想像しかねる。本気で復讐なんてする気だろうか。夜会というのは社交の場だ。昨夜のように不躾な人間を追い払うのとはわけが違う。話し掛けられれば、にこやかに応じる必要がある。誰彼構わず攻撃できない。第一、エスコートしている令嬢が不遜な態度をとれば、オーウェン公爵家の沽券に関わる。アルフレッドはそれがわからない馬鹿ではない。大体、父や義兄には()()()()話をしていたから、やろうと思えば()()()()出来るはずだ。リリーに対する振る舞いは、地ではあるが、多分、わざと。


「リリー、お前は哀れな奴だな」

「は?」


 失礼な男であることは重々承知だが、毎回考えの上をいく発言をしてくる。パンを頬張る直前に言われて食べるタイミングを逃した。仕方なくパンを一旦口元から下げる。


「なんです? 突然」

「お前のような、見るべきところのない女が婚約破棄されて、この先どうなるか想像するに容易い。好きでもない男の元へ嫁いで一生後悔して生きるんだ。何故、アーサーと結婚しなかった?」

「……理由は言ったはずです」

「金の工面なら俺がしてやる。今から婚約破棄を撤回してこい」

「何を無茶苦茶言っているんですか? そんなことできるわけないでしょう」

「今すぐ小切手を切ってやる」


 既にそういう次元の問題ではない。アーサーとメアリは思い合っている。今更のこのこ出戻ってどうなると言うのか。リリーは質の悪い冗談を言うアルフレッドを睨みつけた。が、その表情に微塵も揶揄うような気配はない。「わかりました」と答えればきっと金を払う。そうなれば必ず婚約解消の撤回を宣言させられる。リリーがやらなくても自分でやりに行くだろう。頭がおかしいのだ。


「結構です。お金の問題じゃありませんから」

「じゃあ、何の問題だ」

「わたしの矜持の問題です」


 他の女性を好きな男と結婚なんてしたくない。紛れのない本音だ。リリーはどんっと構えて真っ直ぐアルフレッドを見た。


「矜持……」

「そうです。わたしにだって矜持くらいあります」

「……そうか。だったら許そう」

「許す?」

「俺の勝ちだよ。リリー」


 アルフレッドは笑った。再会して以来、恐らく初めて本当に笑った。ずっと怒りを向けられていたことには気づいていた。何故急に許す気になったのか。そもそも許されることなど何もないのだが。


「勝負なんかした覚えありませんよ。貴方の言うこともやることもわたしには理解できません」

「当たり前だ。リリー、だが、俺にはお前の気持ちがわかるよ。だから、どうだ? 傷を舐め合って楽しく過ごすのは」

「楽しく?」

「あぁ」


 信用ならないな、と言うのが正直なところだ。アルフレッドが楽しいことで、リリーが楽しかったことなどないのだ。


「傷を舐め合ってって?」

「俺もお前も、惚れた相手には好きになってもらえなかった。特にお前は千載一遇のチャンスを逃して好きでもない男に嫁ぐことになるんだから、今のうちに好きなことをしておけ」

「わたしだってこれから好きな人を見つけて結婚する可能性はあります」

「ない」

「わたしと仲良く過ごしたいなら失礼なこと言わないでください」

「事実を言っただけだ」

「仲良くできませんね」

「……」


 アルフレッドは黙ってフォークを動かしている。言い返さないことは少しは反省しているのか。仲良くしたいと思われていることに驚きだ。


「なら、何かお前の願いを聞いてやるよ」

「え」

「考えておけ」


 アルフレッドは言うと立ち上がった。ふと見ると、サラダは全部残しているが、いつの間にやら他は食べ終えている。リリーの皿はまだ半分残っている。早食いは健在だ。


「仕事に戻る」


 アルフレッドが伝票を手に取るので、リリーは慌てて止めた。


「ここはわたしが払いますよ。昨日奢って貰ったので」

「馬鹿か。恥をかかすな」


 アルフレッドが人殺しのような目で睨みつけて去って行く。ここはロマンス小説ならば、スマートに会計を済ませるヒーローに胸をときめかせるシーンではないか。びっくりするくらい不快なのは何故だろうか。多分、アルフレッドはヒーローではないし、自分がヒロインではないからだ。リリーは伸ばした手をおずおず引っ込めて、残りのランチに一人、口をつけた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ