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 連れて行かれたのは大箱のカジュアルレストランだった。一階と二階に別れていて、二階はVIPルームらしい。アルフレッドの顔を見ると、奥から支配人らしき男がせかせかと出てきた。一言二言交わして二階へ誘おうとするのをアルフレッドが制した。支配人は戸惑いを見せるも、すぐに切り替えた表情で、一階の窓際の席へ案内する。リリーは強い視線をあちこちから感じて、嫌な予感に動悸がした。客層からして、若い貴族の集まる店のようだ。夜会の前の予行演習といったところか。

 アルフレッドは席に着くとリリーに意思確認することもなく、一人でメニューを見て注文を終えた。リリーに好き嫌いはないが、食べたい物と食べたくない物は気分によって異なる。金払いのよい男なので奢ってくれるだろうが、選択権を与えてくれてもよいのではないか。図々しいか。アーサーはいつもリリーの食べたい物に合わせてくれた。というより二人の嗜好は似ていた。いや、やはり合わせてくれていたのか。リリーは男性と言えば、父親、義兄、アーサー、後は極たまに会う従兄弟くらいしか知らない。いずれもみんなリリーに甘い。尤もアルフレッドと比べれば誰でも紳士なのだが。

 黙っている間にワインが運ばれてきた。社交界デビューをすれば飲酒も解禁だ。リリーは酒に強い。最初、果実水と間違えてがぶがぶ飲んでしまったのだが、全く酔わなかった。以来、勧められれば飲むが、取り立てて好きというわけでもない。アルフレッドは、ウェイターがワインの説明をして下がるとリリーに勧めもせずグラスに口をつけた。常識ある淑女ならばこんな時、姿勢を正して待つのか、困った表情をするのか。そもそもこんな男とディナーなんてしないだろう。気を使うのも馬鹿馬鹿しいので、「いただきます」とだけ言ってグラスを手に取りぐいぐい飲んだ。アプリコットに似た濃厚な強い甘味がする。眼前の不機嫌そうな男が同じ味のワインを飲んでいるのかと思うと笑える。


「もう少し楽しそうに振る舞った方がいいですよ」

「は?」

「見られてますから」

「自意識過剰か」

「不感症なんですか?」


 明らかにこのテーブルに視線を注いでいる人間が複数いる。女性連れをアピールする為に、個室のVIPルームを避けたのだと思ったが、違うのか。注目を集めることに慣れすぎてわからないのだろうか。リリーの疑惑の眼差しに対して、アルフレッドが無言で睨み返してくる。


「田舎から出てきた初恋の恋人と楽しいディナーなのでしょ。なんでそんな顰めっ面なんですか。演技力なさすぎます」

「田舎から出てきた初恋の恋人と楽しいディナーでは、俺はこういう顔をするんだよ」

「貴方、これまでどういうデートをしてきたのですか?」

「なんだ。嫉妬か」

「いえ、純粋な興味です。まさかこんな不機嫌な態度だったわけじゃないでしょう?」


 アルフレッドは、ふんっと鼻で笑った。


「俺がへらへら笑って『きみの瞳に乾杯』とグラスを傾けたと思うか? アーサーみたいに」

「アーサーはそんなこと言いません」

「じゃあ、何と言ったんだ?」

「……何と言われても」


 アーサーと婚約していた期間は十年。人生の半分以上だ。子供の頃はほぼ毎日会っていたし、学校に通い出してからは週に一度程度、互いの屋敷を行き来していた。兄であり家族。恋人ではまだなかった。だが、全く恋人らしいことをしなかったかと言われれば、していないこともない。誕生日には薔薇の花束をくれたし、ネックレスや指輪を貰ったこともある。観劇に行ってカフェでお茶を飲んだことも。確かにお互いデートと認識して出掛けていた。だって婚約していたから、二人で出掛けるのはデートだ。


「望むことをしてやった」

「え?」


 リリーの答えを待たずにアルフレッドが不貞腐れたみたいにぼやく。


「花束を贈り、ドレスを仕立てて、宝飾品をやり、夜会でエスコートをしてやった」


 言い方な、とリリーはアルフレッドを見つめた。だが、不快感を抱いたのはそれが原因ではない。


「好きだからそうしたのでしょ?」

「貴族の結婚だ。求婚するなら誰でもするだろ。教科書通りだ」

「……何が言いたいの?」

「聞いたのはお前だろ」


 アルフレッドは皮肉に低く笑った。全てを見通しているみたいに。苛々する。イラつかせる為に言っているだろうことにも腹が立つ。しかし、言い返したら負けに思えた。何処へも持って行き場のない感情を抑えたくてワイングラスに手を伸ばす。強い甘みが口内に広がり鼻に抜けていく。アルフレッドは自分の話をしただけだ。アーサーのことじゃない。過敏に反応しすぎている。短気は損気。冷静になろう、と考えて再びアルフレッドを見やると、


「アルフレッド様!」


 ほぼ同時に背後から声が掛かった。


「……フローラ嬢。奇遇だな」


 アルフレッドの視線を追ってリリーも振り向き、フローラと呼ばれた相手を確認する。同い年くらいか。胸のざっくり開いた華やかな淡い紫のドレス姿。美人というより可愛い系。童顔で巨乳の庇護欲を唆るタイプだ。しかし、にこにこしているが、全くこちらを見ようとしないことにリリーは敵意を感じた。そもそも釣り合いが取れているかどうかは別として、男女が二人でディナー中だ。わざわざ声を掛けてくる意図は? リリーが姿勢を戻すと、アルフレッドが期待に満ちた瞳を向けてくる。まともな人間はいないのか。全力で巻き込まれたくない。だが、フローラはおかまいなしにリリーを通り越してアルフレッドに近づいて行った。


「お会いできて嬉しいです! わたしもすっかりこのお店が気に入ってしまって。もしかして、いらっしゃるかなと期待して来たんです。初めて二人でお出掛けした日に連れてきて頂いたお店ですから!」


 なんという明け透けな嫌がらせなのだろうか。感心してしまう。


「……そうか。リリー、こちらはテナー男爵家のフローラ嬢だ。同じ学校へ通っていた。フローラ嬢。こっちはアマリエ伯爵家のリリー嬢だ。俺の恋人だ」


 アルフレッドはどうということもなくつらつら述べた。不穏な間の後、フローラはゆっくりリリーに目線を下げる。一瞬の間に舐め回すように査定された。


「初めまして。学校ではお目に掛かったことございませんわね」

「はい。領地の学校に通っていたので」

「そうなんですね。こんなに可愛らしいお相手がいらっしゃるなんて、知りませんでしたわ。アルフレッド様は一度もお話ししてくださいませんもの」


 そりゃあそうだろう、とリリーは頷くが、めちゃくちゃ喧嘩を売られていることも理解した。それから、フローラが運のない女だと言うことも。何故ならリリーは今、猛烈に機嫌が悪いのをやっとの思いで抑えているところだったから。


「えぇ、色々事情がありまして余程親密な方以外には秘密だったんです。だから貴方が知らないのは仕方ありませんわ。フローラ様は同級生の方?」 

「……いえ。学年は違いますが、生徒会でご一緒させて頂いていました。とても可愛がってもらっているんですよ。そうだわ! アルフレッド様、ご相談にのって頂きたいことがあるんです! 今度お時間頂戴できますか?」

「なんだ。今言え」

「いえ、でも……」


 フローラがちらちらリリーを見る。自分で話題を振っておいて部外者がいては話せないと言わんばかりの態度。常識を疑うのだが、贔屓目で見ればこっちに気を使っているように見えなくもない。なのでこちらも優しく返してあげることにする。


「アルフレッド様、こんなに可愛らしい女性が困っていらっしゃるのだから、別の日にお時間をとって差し上げたら? 今は二人の時間を邪魔されたくありませんし。フローラ様も気を使ってくださっているのよ」


 リリーはアルフレッドに向けて微笑んだ。愛されている者の余裕で。フローラの顔は一切見ずにやりきる。修羅場上等だ。正直、顔は負けている。アルフレッドの馬鹿は巨乳好きらしいのでその部分も。だが、爵位と底意地の悪さなら負けていない。仮にフローラの方が爵位が上であったにしても、アマリエ伯爵家はオーウェン公爵家の傘下であり、アルフレッドの意を汲むことが重要だ。


「ね、アルフレッド様、そうして差し上げて?」


 甘えた感じで上目遣いに言ってみる。ロマンス小説に出てくる頭の弱い当て馬女みたいに。リリーはアーサーに恋をしてから殊更にロマンス小説ばかり読む様になっていた。アルフレッドは珍しく目を見開いたが、直ぐに口元が綻んだ。要望に応えられたらしい。


「……フローラ嬢、すまないが、やはり今度にしてくれ」

「ごめんなさいね」


 リリーは心のこもっていない謝罪をし目を細めてワインを飲んだ。


「……いえ。では、いつにしますか? いつもの場所がいいですよね」


 既に敗者であるのだから大人しく引き下がればよいものを、まだ煽るようなことを言う。フローラが熱っぽくアルフレッドを見つめるのをリリーは視界の端に捉えながら思った。フローラは自分の容姿が武器になることを熟知している。こんなに愛くるしい子に言い寄られたら確かに悪い気はしない。リリーも可愛い女の子は好きだ。だから、とても残念だ。


「いつもの場所? 意味深ね。面白くないわ」


 リリーがアルフレッドを責めるように言う。あくまで視線を向けないでいるが、フローラの顔から笑みが消えるのは肌で感じた。


「生徒会の連中がよく使用していたカフェだろう。フローラ嬢、彼女は嫉妬深いんだ。誤解を招く発言は謹んでくれ。迷惑だ」

「いえ、わたしはそんなつもりは……!」

「リリー、悪かったよ。機嫌を直してくれ」


 アルフレッドがフローラを無視して甘い声で懇願する。リリーは寒気に見舞われながらも、


「嫉妬なんてしないわ。彼女が貴方の好みじゃないことは一目見てわかりましたから」


 とツンと澄ましてアルフレッドに告げると、


「フローラ様、お悩みが解決すればいいわね。ご機嫌よう」


 フローラに目を合わせて微笑んだ。フローラは露骨に傷ついた表情をつくり大きな瞳を潤ませてアルフレッドに訴えかける。割としつこい。というか往生際が悪すぎる。リリーはある種の感動を覚えた。


「これ以上、邪魔をするな」

「……わかりました」


 流石にアルフレッドの冷えた声に諦めたらしい。フローラはリリーにだけ見える角度で睨みを利かせて去って行く。甘いな、とリリーは笑えた。


「アルフレッド様! 今、彼女、凄い形相でわたしを睨んだわ。何かしたかしら? 今度()()()会う機会があれば謝っておいてくださる?」


 背後でフローラが振り向いた気配を感じた。アルフレッドの視線はフローラを追っていたが、直ぐにリリーに戻して、口の端を上げた。完全勝利。こっちはグルなのだからフローラに勝ち目があるはずもない。


「流石、俺の家来なだけあるぞ、リリー。昔とった杵柄ってやつか」


 アルフレッドがいい笑顔で言った。何を褒められているのか。リリーは自分のことを優しい人間とは思っていないし、寧ろ、やられたらやり返したい質だ。さりとて諍いを好むわけではない。アルフレッドに同類扱いされたくない。しかし、前科はある。思い出したくない黒歴史が脳裏に走り苦い気持ちになった。

 

「彼女がクソ女ですか?」


 リリーは話題を逸らしたいことと、これでお役御免になるのでは? という期待を抱いて尋ねた。


「結婚しようと思っていた女だ」

「え?」


 いやいやいや、とリリーは目を剥いた。彼女が婚約者ならば、今自分がしたことは何だったのか。アルフレッドの発言は大体まともではないが、これは特大の爆弾だ。


「ちょっと待って!」

「なんだ」

「今のが婚約者なら、貴方はあの子と婚約破棄して、わたしに乗り換えて、わたしはこれみよがしに嫌味を言いまくった陸でもない女ではないですか」

「婚約なんかしていない。結婚しようと考えただけだ」

「は?」

「結婚するとは言っていない」


 どういうことですか、と尋ねる前にウェイターが前菜を運んで来た。聞かれていい話ではないのでリリーは口を噤んだ。ウェイターに耳慣れない新種野菜の説明をされるが全く頭に入ってこない。奇妙に赤い丸い何かと千切りされた濃い緑の何かに特製のドレッシング。ウェイターが下がると、アルフレッドはサラダを全部リリーの皿に移した。アルフレッドは昔から野菜嫌いだ。自分で注文したなら食べろ、と思うが、今はそんなことはどうでもいい。


「フローラ様とは付き合っていただけなんですか?」


 リリーが会話を再開するとアルフレッドは笑った。


「なんだ。嫉妬か」

「いえ、正常な疑問です。婚約破棄に追い込まれたからクソ女に復讐するのじゃなかったんですか?」

「結婚を考えたが、婚約はしていない。結婚するかどうか考えていた最中に駄目になった」

「つまり付き合っていただけなんですね」

「何度か食事に行って、強請られたから夜会用のドレスを仕立ててやった。高位貴族に言い寄る傾向にあるから、結婚したら公爵夫人として巧くやるだろうと踏んだが、楽して暮らしたいだけのようだ。尤もうちの家系は女に仕事はさせない主義だからそれは別に構わんが。ただし、男に色目を使いすぎだ。浮気くらい許容してやらんこともないが、あいつに対してはそこまでしてやる必要はない。その上、調べさせたら、以前別の学校で婚約者のいる男に近づき破局させ、相手の男が廃嫡になると逃げてきた事実が判明した」


 情報が多すぎて処理が追いつかない。人を婚約破棄に追い込み、のうのうと転校してきた上、新たな獲物を狙っているとは、フローラの仮面が想像より分厚かったことにぞっとした。そして、アルフレッドに対して勝手な勘違いをしていると気づいた。アルフレッドは好きな相手ができて結婚を考えたわけではない。公爵家の嫡男として相手を選んでいる。すとんと腑に落ちて納得した。納得したが非常に不愉快。何がどうと聞かれても理由は出てこないが。


「……女の趣味が悪いんですね」


 兎に角、何か抗議してやらねば、と怒りを買いそうな発言をしてしまったが、


「知っている」


 アルフレッドは涼しい顔で答えた。顔には笑みさえ浮かべて。不気味な上、またもや肩透かしを食らって、リリーはどうとも返せず、大人しくサラダを食べ始めた。現実逃避だ。アルフレッドが寄越した分と二人分でもさほどの量はない。昔、アルフレッドの屋敷で食事をご馳走になる度、嫌いな物を押し付けられていたことを思い出した。会話はぶつ切れになったまま、アルフレッドがワインを飲み、リリーはサラダを食べている。これはどんな地獄の時間なのか。


「お前は食べている時は大人しいな」


 最後に残ったトマトをフォークで刺し、頬張ったところで、アルフレッドが言った。


「昔からそうだったな」


 それはアルフレッドが異常な早食いで、ゆっくり食べると怒られるからだ。必死で咀嚼して飲み込んでいた。何を懐かしいほっこり話みたいに語ってくれているのか。昔できなかった抗議をしてやろうかと思ったが、それより現状の把握をすることを優先させた。


「ちょっと思ったのですけど」

「なんだ」

「フローラ様が貴方の婚約者候補から外れたことと、クソ女に何の関係があるんです?」

「お前はさっきから食事の場で品性に欠ける言葉を吐くな」


 正論だが理不尽。リリーはむっとしてグラスのワインを飲み干し、わざとらしく笑顔で言った。


「じゃあ何とお呼びすれば? その女性の名前を教えてください。そしたら会った時わかりやすいですし」

「あの女のことは話したくない」

「話してくれないと失敗しますよ」

「うるさい」


 アルフレッドがぴしゃりと言う。こういう男だ。話したくない宣言をしたから、もう話さないだろう。リリーは溜息を呑み込むと、


「……下手に復讐なんかしようとするから囚われるのでは? 忘れる努力をする方が健全ですよ」


 無駄だと思うが説得を試みる。すると、アルフレッドは静かに笑った。皮肉気でも、愉快気でもなかった。なんだろうか。向かいあって座っている。九年ぶりに見るアルフレッドは、その美貌に拍車が掛かり麗しい青年に成長したが、不遜な態度、不機嫌な表情、内頬を噛む癖、荒い語調といった面影は仕草の端々に色濃く残っている。でも、こんな表情は知らないな、とリリーは視線を彷徨わせた。


「……リリー、お前はどうなんだ?」

「わたし? わたしが何?」


 単純に質問の意味がわからないだけなのに、はぐらかすなと言わんばかりに睨みつけられる。


「……アーサーのことだ」

「アーサー? 最初から復讐する気なんてないですよ」

「違う」

「じゃあ何ですか」

「もういい」


 悟ってちゃん体質は止めて欲しい。どうしたものか。微妙な沈黙が続いたところへ、ウェイターがスープを運んできた。


「白アスパラの冷製スープです。ワインのお代りはいかがされますか?」

「もう少し軽いものを」

「畏まりました」


 リリーは普段飲酒しないし、酒に強い体質なので度数を気にしたことはないが、先ほどのワインは軽めな気がした。


「お酒弱いんですか?」

「弱くない。……果実酒は口当たりはいいが度数は高いんだ。お前、なんでもかんでも疑いもせずに飲むんじゃない」


 一体何を怒られているのか。選んだのは貴方でしょうよ、と心底思った。


「わたし、酔わない質なんで」

「そう言う奴ほど危ないんだ」

「気をつけます」


 素直に返事をしたのに睨まれる。どう答えても結果は同じだろうけれど。面倒なので話題を変える。


「貴方って暇なんですか?」

「は? 馬鹿か。俺は今死ぬほど忙しいんだ」


 わけのわからん復讐に興じているじゃないか。何がどう忙しいのか。リリーが疑問を口にする前に、先程のウェイターがワインを運んできた。今の会話なら続けていて支障はないのだが、変に小心者でやっぱり口を噤んでしまう。ウェイターが解説をしながら並々とワインを注ぐ。珍しい物らしくアルフレッドが意外に食いついていくつか質問をしている。ウェイターが去ると、リリーはワインではなくスープに口をつけた。冷製スープが好きだ。猫舌ではないが、リリーは基本的に冷たい食べ物を好む。体温が人より高いせいだと思っている。リリーがスープを啜るのをアルフレッドは無言で見ていた。残さず飲み干すとリリーは気を取り直してもう一度尋ねた。


「貴方、今何をしているんですか?」


 学校を卒業して二月。

 王都も領地も卒業時期は同じだ。

 リリーは絶賛引き篭もり中であるが、公爵家の嫡男は卒業後、ふらふらしているわけではないだろう。


「叙爵の準備だ」

「……あぁ、そういえばそうでしたね。うちにも招待状が届いていました」


 デビュタントは十六だが、それは昔の慣習で、この国の本当の成人は十八歳だ。アルフレッドの誕生日は来週。爵位の承継も結婚も十八の誕生日に可能となる。当主が健在で引退しない場合、嫡男は自爵位の一つ下、公爵家ならば侯爵の一代爵位を拝命する習わしだ。アーサーも現在男爵位を得ている。リリーとの結婚を期にドリル子爵は引退して、アーサーが子爵位を承継する予定だった。リリーだって子爵夫人になるつもりで昔から勉強してきた。無駄な努力に終わってしまった。自分はこれからどう生きていくのだろう。途端に不安が頭をもたげるが、わざとらしいほど明るく、


「侯爵なんて凄いですね。おめでとうございます」


 と祝辞を述べた。


「だというのに、お前がややこしい時期に婚約破棄などするから」


 アルフレッドは顔を顰めて面倒ごとを押し付けられたようにぼやく。


「え、それ、わたしに何の関係が?」


 八つ当たり甚だしい。突飛な話の飛躍に酔っているのかと顔色を確認するが特に赤くも青くもない。


「兎に角、俺は忙しいんだ。明日も朝から貴族院に出席せねばならん」


 アルフレッドは、リリーの質問には答えず煩わしげに言った。


「え、じゃあ、わたしは何をすれば?」

「好きにしていればいい。昼食は一緒に取る。貴族院で」

「え。部外者が入ったら駄目でしょ?」

「心配するな。食堂は一般人にも開放されている」


 心配などしていない。行きたくないから口実を探しただけだ。しかし、既に決定事項らしい。昔からアルフレッドがリリーに確認なく予定を決めることなど珍しくもない。無理だ、駄目だ、と逆らっても覆らないし、約束を守らなければ怒り狂い、二、三日拗ねている。拒絶しても連行されるならば、このまま無駄な口論をせずに食事をしたい。


「まぁ、いいですけどね」


 王様の機嫌を優先するのは、染みついた家来気質によるものか。幼少期の刷り込みは根深いらしい。

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