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 この物語に結末の記載はない。

 理由は後述するが、その旨予め了承して頂きたし。


**


 リリー・アマリエとアルフレッド・オーウェンは物心つく前からの付き合いだ。

 オーウェン公爵領の一部をアマリエ伯爵が分割統治している。領主の息子と臣下の娘。同じ歳で、屋敷も近く、かつて二人は毎日のように遊んでいた。

 それがいつからか会話をしなくなり、九歳になる年に、アルフレッドはリリーに別れの挨拶もせず領地を旅立った。王都にある学校に入学する準備のためだったが、リリーは全く知らされていなかった。リリーはずっとアルフレッドが自分と同じ地元の学校へ進学するものと考えていた。だから、その時になって改めて公爵家の跡取りと田舎貴族の自分では住む世界が違うのだな、と感じた。きっとアルフレッドは最新鋭の教育を受けて、洗練され、オーウェン公爵の後を継ぎ、立派な為政者になるのだろう、と。


 それからは(ろく)に会ってもいなかった。

 夏季休暇にも冬季休暇にもアルフレッドが帰省してくることはなく、あったにしても、リリーの所へは来訪しなかった。時折、社交界で流れてくる噂を人づてに聞いた。男も女も関係なく草原で転げまわって遊んでいた頃が懐かしいような、どうでもいいような気持ちになった。なにせ、アルフレッドはリリーを虐めるのが趣味のような男だったから。毎日のように連れ回され、置き去りにされ、一度など殴られたこともある。そんな男が将来、この領地を治め、領民に敬われる姿を見るのかと思うと、幾分かの憤りはあった。だが、人生とは不公平なものだ。せめて王都でまともな人間に生まれ変わっていてくれればよいな、と願っていた。


 そんなアルフレッドが、今日、突然アマリエ伯爵家を訪ねて来た。

 父と義兄は会合に、母と姉も買い物へ出掛けている。屋敷にはリリーしかいなかった。約束を取り付けてから来るべきでは? という思いに蓋をしてリリーが応対するはめになった。


 応接間に入るとアルフレッドは品良くソファに腰を下ろしていた。昔から所作だけは美しい男だった。可愛らしい顔つきの少年から精悍な青年へと成長している姿が、一層気品を漂わせている。だが、暗めの金髪に深い緑の瞳はそのまま。不躾な視線でじろじろ見てくることから、中身もそのままであるらしいことに、リリーはがっかりした。ちょっとは大人に、延いては紳士になっていることを期待していた。


「久しぶりだな」

「お久しぶりです。オーウェン卿。生憎、父も義兄も不在でして」

「構わない。お前に会いに来たのだから」

「……それは光栄なことでございます。いつお戻りになられたのですか? 侯爵位を叙爵されるんですよね。授爵のパーティーを開くとか。おめでとうございます」


 アルフレッドは座っているくせに見下ろすような威圧感を出し、執拗にリリーを見つめてくる。


「その変な話し方はやめろ。お前にオーウェン卿などと呼ばれると鳥肌が立つ」

「もう子供ではありませんので」


 リリーが丁重に返すとアルフレッドは笑った。嘲笑されていると色濃くわかるような微笑みだ。侍女に頼んだお茶の用意を中断させようか真剣に悩む。


「いつまで突っ立っているんだ」


 アルフレッドが向かいのソファに座るよう促す。貴方の家か、と喉元まで出かけたがリリーは黙って従った。王都でどんな教育を受けてきたのかこっちが心配になるような態度だ。


「アーサーに振られたそうだな。他の女に寝取られて婚約破棄されたとか? 相変わらず鈍臭いな、お前は」


 リリーが座るのをきっちり待ってアルフレッドは言った。


「は?」


 リリーから低い声が漏れる。

 事実無根甚だしいが、口さがない人間が面白(おもしろ)おかしく噂しているのは知っている。しかし、本人を前に言うのは如何なものか。ぐっとなる気持ちを抑えていると、


「アーサーは俺と違って優しくて誠実だと言ったか? 飛んだお笑い草だ。お前は見る目がないんだな。わかっていたことだが」


 アルフレッドはせせら笑った。そんなことは()()()()()は言っていない。内心の自由はあるだろう。適当に受け流した方がいいかと思う一方、放っておくと悪態をつき続けそうな気もする。結局、リリーは無視をしきれずに口を開いた。


「……いい加減にしてください。アーサーと婚約は解消しました。でも、貴方が思っているような話ではありません。部外者の貴方にとやかく言われたくありません」


 すると言葉尻に被せるように、ははっとアルフレッドは笑った。薄い唇から並びの良い白い歯を覗かせてわざとらしく。機嫌が悪くなった証拠だ。


「俺の家来のくせに何を言う」

「家来……」


 まだそんなことを言っているのか、とリリーは閉口した。かつてアルフレッドは「お前を家来にしてやる」と迷惑でしかない提案を「有難く思えよ」という体で言い放っていた。


「家来が馬鹿にされたのだ。仕返ししてやらねばオレの気が収まらん。アーサーとその寝取り女に復讐してやる」


 リリーはまるで幼稚なアルフレッドの言葉に、この男が四方八方に敵を作りまくらなければ気の済まない性格で、領民の子供達に喧嘩を売っては嫌がられていたことを思い出した。


「オーウェン卿。わたしの為にお怒り下さることは有難いのですが、」

「馬鹿か。何故、俺がお前の為に怒るんだ? 自分の矜持が許さないだけだ。オーウェン卿と呼ぶな」


 いちいち話の腰を折る男だ。

 面倒くさいのでリリーは構わず最後まで一挙に言いたいことを言うことにした。


「それはすみません。しかし、オーウェン卿の矜持を損なうことはありません。アーサーとの婚約解消を申し出たのはわたしです。ご存じの通り、わたしとアーサーは幼い頃から婚約しておりました。それは、次女であるわたしは、いずれどこかの家へ嫁がなければなりませんから、心配性の父が、早々に年の近い気心のしれた子爵家の後継であるアーサーとの縁談を勧めたからです。わたしは()()()()から守ってくれるアーサーを兄のように慕っておりましたし、アーサーもわたしを妹のように庇護してくれていました。アーサーのご実家のグレイン子爵家にとってもアマリエ伯爵家の後ろ盾がつくことは有益なことでしたし、何の問題もなく婚約は決まりました。しかし、わたし達の間に恋愛感情はありませんでした。貴族の結婚とは往々にそう言うことはあります。わたし達の場合は恋愛感情はなくともお互いを思いやる気持ちは過分にありましたから、結婚しても穏やかに慎ましく幸せになれたと思います。だけれど、わたしはアーサーがわたしの友人であるメアリ・クロフォードに密かな恋心を抱いているのに気づいてしまったのです。メアリの方もまた、憎からずアーサーを思っておりました。それでも、二人はわたしに何処までも誠実でした。誓って、二人がわたしに隠れて逢瀬していたことはないと断言できます。何事もなければ、わたしはあのままアーサーと結婚していたと思います。結婚前も、結婚後もアーサーとメアリがわたしを裏切ることはないでしょうから。しかし、メアリの父親のクロフォード男爵が事業の失敗により借金を抱えたことで事態は変わりました。メアリは、四十も年の離れた商人の元へ身請けされることになったのです。わたしは父にどうにか出来ないかと頼みましたけれど、お金の絡む話ですから。クロフォード男爵は今回ばかりでなく幾度も事業に失敗していた経緯があり、返済は見込まれません。父の元へは他にも融資を頼みにくる者もいますが、資産状況を鑑みてお断りすることもあります。友人の家だからと言って回収の見込みもない融資をするのは示しがつかない、と言われました。それはアーサーの家も同じです。ですが、それが妻の実家ならばどうでしょう。助けるのは当然のことですし、グレイン子爵家にならば、うちも、銀行も融資をすることは可能です。だから、わたしはアーサーとの婚約解消を自ら申し出たのです。二人が結婚できるように。仮に、二人の方から先に婚約の解消を打診されていたら、わたしは了承しませんでした。いえ、そんな仮定をするのも無礼なほど、アーサーもメアリも、この提案を拒絶していました。わたしが無理やり父に頼んで伯爵家の力により婚約を解消したのです。アーサーとメアリがわたしを大切にしてくれるように、わたしも大切な婚約者と友人を守りたかったのです。ですから、復讐することなど何もないのです。怒りを鎮めてください」


 何度かアルフレッドが口を挟みそうになるのを力技で乗り切った。自分はそんなに弁が立つ方ではないと思っていたので、リリーは言い切ったことによりある種の清々しさを感じた。が、


「オーウェン卿と呼ぶな。三度目だ。リリー」


 アルフレッドの言葉に一瞬で絶望の淵へ突き落とされた。今それどうでもよくない? と。わたしの抗弁は何だったのか、と。


「……アルフレッド様」


 諦念の中で溢れ落ちるように呟くと、


「なんだ、嘘吐き女」


 アルフレッドは大きく息を吐いて足を組んだ。


「は?」

「そんな嘘に騙されるか」


 何を言っているのだろうか、この人は。


「嘘なんて吐いていません。疑うなら父にでも母にでも、アーサーにでも直接聞いてみたらどうですか」

「俺をお前の周りの雑魚と一緒にするな。あの間抜けなアーサーは騙せても俺はそうはいかんぞ」


 アルフレッドが勝ち誇って言うのをリリーは黙って見つめた。アーサーとの婚約解消の経緯は近しい者なら全員知っている。アーサーと結婚できなかったことは残念であるが、よくやった、と。アルフレッドが何処でどんな噂を聞いたか知らないが、何故そっちを信じるのか。仮にアーサーが自分の不貞を隠す為に言っているならば理解できる。だが、リリーが自らの口で語っているのだ。同情されても親の仇のように睨みつけられる謂れはない。堂々としていればいい。けれど、リリーはアルフレッドの言様(いいざま)に嫌な動悸を感じた。見下げるようにアルフレッドが口を開く。


――言うな。


 しかし、リリーの切望は届かない。


「お前があの間抜けに惚れているのは知っている。悲劇のヒロインにでもなったつもりか? 馬鹿馬鹿しい。黙って結婚すればよいものを」


 あぁ、この男は何故こんな風なのだろうか。

 リリーは、食器棚の一番奥にある高級なティーセットを、感情のままに床に叩きつけたような、その破片を見つめているような、どうしようもない気持ちになった。

 

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